南洲神社の御朱印~西郷隆盛と薩軍戦没者を祀る~(鹿児島県鹿児島市)

所在地鹿児島県鹿児島市上竜尾町2−1
祭 神 ・西郷隆盛命
・西南戦争の薩軍戦没者6800柱
由 緒1877年、政府軍の総攻撃によって西郷隆盛率いる薩軍は全滅し西南戦争は終結。その後、鹿児島県令・岩村通俊が政府の許可を得て、西郷隆盛らの遺体を鹿児島市内5ヶ所に仮埋葬したといいます。1879年、有志がそれらのお墓をこの地にまとめて改葬。さらに九州各地に散在していた西郷軍の遺骨を集めて埋葬し、計2023名が眠る南洲墓地となりました。墓地が整備されると、西郷隆盛の偉徳を慕いお墓参りをする人が増加したため、1880年、南洲墓地の隣に参拝所が設けられました。そして1922年、南洲神社となりました。
HP南洲神社|鹿児島市上竜尾町|西郷隆盛
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鳥居と参道

●境内図

南洲公園に鎮座してます南洲神社に到着。

なんとこの神社は、西郷隆盛さんをはじめ、西南戦争で命を落とした薩軍の兵士が祀られているという。


1877年、政府軍の総攻撃によって薩軍は全滅。
そして、西南戦争は終わりました。

終戦直後の午前7時頃、大雨の中、この地で西郷さんをはじめ、桐野利秋さんや別府晋介さんなど薩軍の遺体約40人の検死が行われたそうです。

大雨が土を掘り起こし、埋葬してあった西郷さんの首も発見されたといいます。
その時、政府軍の兵士たちは西郷さんの首に向かって礼をしたといわれています。

そんなこんなで、岩村県令は政府軍の許可を得て、西郷さんたちの遺体を鹿児島市内の5ヶ所に仮埋葬。

その後、九州各地に散在していた薩軍の遺骨を集めて埋葬し、計2023名が眠る南洲墓地となりました。

墓地が整備されると、西郷さんの偉徳を慕いお墓参りをする人が増加したため、1880年、南洲墓地の隣に参拝所が設けられたという。

そして1922年、南洲神社となりました。

そんなこんなで、この神社はお墓参り的な要素が強い神社のようですね。

否が応でも背筋がピシッとします。


●鳥居

●鳥居
・1892年建立
・靖国鳥居

そんなこんなで、参拝開始。

まず最初に登場するのは鳥居
一見、神明鳥居に見えますが、貫が四角なのでこちらは靖国鳥居となります。

鳥居をくぐって直進すると西郷どんなどが眠る南洲墓地
鳥居をくぐって右折すると南洲神社になります。

墓地の正面に鳥居があるというなかなかの珍光景でしたよ。


●参道

境内はさほど広くなく、参拝者も少なく、落ち着いた参拝をすることができました。

アクセス良好。
ゴールデンウィーク。
晴天の午後。
大河ドラマ・西郷どん放映中。

で、こんな感じでした。
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拝殿

●拝殿

●拝殿
・1950年再建
・銅板葺 入母屋造
・鉄筋コンクリート造

●祭神
・西郷隆盛命
・西南戦争の薩軍戦没者6800柱


拝殿内には西郷どんの写真や銅像などがありました。


扁額には南洲神社。

ちなみに南洲とは西郷隆盛さんのことです。
最敬意を表して南洲翁と呼ばれています。

なぜ南洲なのかというと、西郷どんが島流しで沖永良部島にいた際、文筆活動を行ったときのペンネーム(号)が西郷南洲だったからといわれています。


西郷どんの銅像の後ろには敬天愛人の額がありました。

ちなみに敬天愛人とは、西郷どんの座右の銘で天をうやまい人を愛することという意味らしいですよ。


拝殿内にはこんなスリムな西郷どんもおられました。

肥満だった西郷どんは、ダイエットのためにを連れて狩猟をしたり、犬とお散歩をしたりしてたんだって。

この像はダイエットに成功したイメージ像なのかなぁ。
ふくよかな西郷どんのイメージと違い、やたらとスリムな像に仕上がっていました。


拝殿内から境内を望む。

拝殿内はひんやりとした空気が流れていました。
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石碑と常夜燈と電燈

●西南之役戦歿者慰霊塔

境内には西南戦争の戦没者の名前がズラーと刻まれていました。

これは遺族会総会が戦域より遺砂を格納し、無名の戦士に光を当てて顕彰の誠を捧げるために建立したものなんだって。


●常夜燈

●常夜燈
・1939年建立
・東京市(現・東京23区)が寄贈

参道脇には巨大な常夜燈がありました。

西郷どん勝海舟さんの会談により江戸城は無血開城され、江戸市民は兵火を免れることができました。

そんなこんなで、こちらの常夜燈は東京市(現・東京23区)が感謝の意を込めて寄贈したものなんだって。


ちなみに、東京のJR田町駅周辺をプラプラと歩いていたら、西郷どんと勝さんが会見した地に出会いました。

ここが無血開城が実現した地なのか!
と少々感動した次第です。


●勝海舟歌碑

話しは戻って、南洲神社境内へ。

歌碑には

ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが
なすがまにまに 果てし 君かな

と刻まれていました。

これは、勝海舟さんが西南戦争で命を落とした西郷どん私学校生徒のために詠んだ歌とのことです。

私学校生徒の暴走で始まった西南戦争。
西郷どんの意思に反した戦争でしたが、西郷どんは私学校生徒とともに戦うことに。

そして散って行った西郷どん・・・

そんな西郷どんへの想いがひしひしと伝わる歌になっていました。

これは泣ける。


●南州神社電燈

●南州神社電燈
・1913年設置
・高さ 4.4m
・国登録有形文化財

こちらの電燈は、近代日本の礎となった旧集成館が製造した数少ない遺構だという!

ちなみに旧集成館とは、薩摩藩11代藩主・島津斉彬さんが造った近代工場のことです。

旧集成館 は、2015年に世界文化遺産に登録されました。

余計なお世話かも知れませんが、この電燈は拝殿前にひっそりと立っているので見逃し注意です。


●奉納砲弾

その他、境内の片隅には奉納砲弾もありました。

何だか奉納砲弾がとても似合う神社だなぁ。

と思ったひと時。
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絵馬と境内茶屋なんしゅう

●オリジナル絵馬

絵馬には西郷家の家紋がデザインされていました。

西郷家の家紋はもともとが入った紋だったそうですが、新政府樹立後、天皇家が菊紋を使用したため、西郷どんは遠慮して菊の葉っぱだけの紋にしたんだって。

素敵なエピソードだぁ~!


その他、絵馬には西郷どんのキャラクラーがデザインされていました。


●境内茶屋なんしゅう

参道脇には、可愛い西郷どんグッズやカフェタイムができる女子ウケしそうなお店もありました。


どうやら、西郷どんのキャラクターがデザインされたせごラテが人気のようです。


●境内の風景

あと、木の棒で素振りをし続ける方がおられました。

第2次西南戦争の準備かな?

そんなことより、あの石碑を見たいんだけど・・・怖すぎて近寄れない(笑)
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南洲墓地と西郷南洲顕彰館

●南洲墓地

そんなこんなで、南洲神社の隣にある南洲墓地へ。

この墓地には、西郷隆盛さんをはじめ、桐野利秋さんや別府晋介さんなど、薩軍の兵士2023名が眠っています。


墓地の中央には西郷どんのお墓。
その両サイドに桐野利秋さんと別府晋介さんのお墓。
この御三方を囲むように薩軍兵士のお墓が並んでいました。

その様はまるで西南戦争の一場面を見ているかのような。


おびただしい墓石群の中心に立ち、薩軍に想いを馳せる。

そして西郷どんの墓前にて静かに手を合わす。

墓石から感じるカリスマオーラは、まるで目の前に西郷どんが座っておられるかのようでした。


墓石群は桜島を望むかたちでたっていました。

しかし何だろう・・・理由はわからないけど、この景色を見てると何かグッとくるものがありましたよ。

ラストサムライ西郷どんフォーエバー!

と心の中で叫びつつ、南洲墓地の隣にある西郷南洲顕彰館へ。


●西郷南洲顕彰館

西郷南洲顕彰館では、西郷どんの遺品や生涯のジオラマや西南戦争に関する資料などを拝観することができました。

ちなみに館内は撮影禁止です。


いやはや、アツいスポットでした。

西郷隆盛 史跡めぐり

●西郷隆盛洞窟

●西郷隆盛洞窟
・間口 3m
・入口の高さ 2.5m
・奥行き 4m

こちらは西郷どんが最後の5日間を過ごした洞窟です。


1877年、薩軍は九州各地で転戦したのち解散。

その後、城山に立て籠もり、最期までこの洞窟で指揮をとっていたんだって!


大きな西郷さん・・・
小さな洞窟・・・
最期の5日間・・・

・・・何か泣けるね。
ジーンときました。


ちなみに西郷隆盛洞窟はちょっとわかりづらい所にあります。

ですので、車の方は通り過ぎ注意です!
って、そんなこと余計なお世話ってか。

ちなみに私は1度通り過ぎました。


●せごどん像と洞窟

西郷隆盛洞窟のすぐ近くには、巨大なせごどん像がありました。

その像の後ろには再び洞窟が!

そんなこんなで、立ち寄る。


洞窟内には、目で見る西南戦争始末記という西南戦争のイラストが展示されていました。


ここで注意!

この洞窟と西郷隆盛洞窟を間違える人がいるらしいので立ち寄る際はご注意を!

余計なお世話かも知れませんが、実際に現地に行ってみると、間違えてしまう人の気持ちがわかるくらい、紛らわしい場所にありますよ!


●西郷隆盛終焉の地

1877年、薩軍が立てこもる城山を包囲した新政府軍は一斉に砲撃を開始。

薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り最後の抵抗を示しますが、2発の銃弾が西郷どんの腰と太ももを撃ち抜きました・・・。

晋どん、もうここらでよか

東を向き、皇居を伏し拝む西郷どんに別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされました。

それが西郷どんの最期です・・・泣けるね。


ちなみに、こちらもちょっとわかりづらい所にありますので通り過ぎ注意です。

って、ほんと余計なお世話。

ここでも私は通り過ぎました・・・!


●城山

●城山
・標高 約108m

西南戦争最後の激戦地となった山です。


●南洲寺

こちらは西郷どんの菩提寺です。

境内には月照上人のお墓がありました。
南洲寺の御朱印~西郷隆盛の菩提寺~(鹿児島県鹿児島市)
所在地鹿児島県鹿児島市南林寺町23−22宗 派臨済宗相国寺派由 緒1557年、島津家15代当主・島津貴久が福昌寺の末寺として南林寺を建立。その後、島津貴久の菩提寺になったそうです。1869年、廃仏毀釈によ...

●西郷隆盛銅像

●西郷隆盛銅像
・1937年建立
・像高 5.76m
・台座 1.21m
・築山 7.27m
・計 14.24m

超大作です。


こちらの西郷隆盛銅像は、忠犬ハチ公の制作者・安藤照さんが約8年かけて製作した像なんだって。

軍服姿の西郷どん。
ちなみに西郷どんは日本初の陸軍大将です。


●町のせごどん


鹿児島市内はあちらこちらに西郷どんがおられ、めちゃめちゃ愛されてる感が伝わる町になっております。

オリジナル自販機の横には犬の置物がありました。
ということで、記念撮影。

上野の西郷どん風に撮りたかったんだけど、どんなポーズなのか思い出せず直立不動・・・(笑)

西郷隆盛とは?

●西郷隆盛とは?

ザックリと簡単に西郷隆盛とは、江戸時代末期に活躍した薩摩藩の武士です。

薩摩の下級武士でありながら、盟友・大久保利通とともに薩摩藩をリード

薩長同盟王政復古江戸城無血開城を成し遂げ、徳川幕府を倒して新政府の礎を作った明治維新の立役者です。


●西郷隆盛の年表
1827年薩摩国で誕生。幼名は小吉。
1839年友人の喧嘩を仲裁した際に腕を負傷。刀を握れなくなり武士になることを諦める。
1841年元服。吉之助と名乗る。
1844年薩摩藩の郡方書役助に任命され農民の貧しさを知る。
1850年島津斉彬に農政に関する意見書を提出。
1854年島津斉彬のお供として江戸に向かう。お庭方に任命される。
1855年吉兵衛と名乗る。
1856年徳川幕府13代将軍・徳川家定と島津斉彬の養女・篤姫が結婚。
1858年 島津斉彬が死去。後追い自殺をはかるが月照に止められて未遂に終わる。

薩摩に帰る。

幕府から目をそらすために三助と名乗る。

月照とともに入水自殺をはかるが奇跡的に助かる。
1859年 奄美大島に島流しにされる。
奄美大島で愛加那と結婚。

菊池源吾と名乗る。
1860年 愛加那との子・菊次郎が誕生。

江戸で桜田門外の変。
1861年 薩摩へ戻る。

大島三右衛門と名乗る。

京で寺田屋事件が起こる。
1862年 島津久光の怒りを買い、徳之島に島流しにされる。

続いて、冲永良部島に島流しにされる。

皮膚病を患う。

大島吉之助と名乗る。
1864年 薩摩へ戻る。

禁門の変が起こる。 西郷どんは薩摩軍を率い、長州軍に勝利。

第一次長州征伐。 幕府軍の参謀に任命される。

勝海舟と面談。

西郷吉之助と名乗る。
1865年イトと結婚。
1866年 坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結ぶ。

第二次長州征伐。長州軍が勝利。
1867年 大政奉還。王政復古の大号令が発令され江戸幕府が廃止される。
1868年 戊辰戦争が勃発。
鳥羽伏見の戦い。

江戸幕府の勝海舟と会談し、江戸城を無血開城させる。
1869年 戊辰戦争が終結。

西郷隆盛と名乗る。

鹿児島藩大参事に任命される。
1871年 岩倉使節団が欧米視察に出発。
西郷どんは留守政府を任される。

廃藩置県。

明治政府の参議になる。
1873年 大久保利通らとの意見の相違が原因で、明治政府を辞めて鹿児島に戻る。
1874年 鹿児島に私学校を設立し、若者の教育を行う。
1877年 西南戦争が勃発。
新政府軍に敗れ自害する。
享年49歳。

御朱印情報

●御朱印の種類
・南洲神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし


●オリジナル御朱印帳

●オリジナル御朱印帳
サイズ
 16cm × 11cm
初穂料
 1500円

・2018年5月3日 参拝
・2021年4月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●定休日
・無休

●西郷南洲顕彰館
・大人 200円
・小・中学生 100円

・9:00~17:00
 (入場は16:40まで)

・定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)
     12月29日~1月1日

●最寄りの駅
・JR鹿児島駅から徒歩15分
・JR鹿児島駅から車で5分

・市電・鹿児島駅前駅から徒歩15分
・市電・鹿児島駅前駅から車で5分

・JR鹿児島中央駅から車で15分

●最寄りのバス停
・鹿児島市営バス
 竪馬場 バス停から徒歩7分

・カゴシマシティビュー
 西郷南洲顕彰館前 バス停から徒歩1分

・まち巡りバス
 南洲公園入口 バス停から徒歩6分

●駐車場
・無料の駐車場あり
 南洲公園・南洲墓地の駐車場を利用

南洲神社の地図

 

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