所在地 | 山口県光市大字塩田石城2233番地 |
---|---|
祭 神 | 大山祇神・雷神・高龗神 |
社 格 | 式内社(小) |
由 緒 | 社伝によると574年に創建。敏達天皇から石城宮の勅額を賜り、延喜式神名帳に記載された由緒ある神社です。1469年、大内氏14代当主・大内政弘が再建。その後も大内義興・毛利綱広・毛利斉房・毛利敬親が代々修復再建をしたそうです。さらに近代では1921年、1951年、1984年、2022年に修復工事が行われ、現在に至ります。 |
神門と参道と手水舎
●境内入口
標高362mの石城山・山頂に鎮座する石城神社に到着。
というか、怖いんですけどっ!
((((;゚Д゚)))))))
雨のせいで霧深く、さらに薄暗くてめっちゃホラーなんですけどっ!
もちろん神社へ続く山道も霧深く、薄暗く。
あげく視界不良のクネクネ道。
道路は落ち葉で敷き詰められていて、明らかに長らく車が走ってない模様・・・。
とにかく1人じゃ心細いホラー道・・・泣きそうでした。
いや、泣いていた。
そんなこんなで、参拝開始。
●神門(随身門)
●神門(随身門)
・1857年建立
・わら葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは神門。
この門は長州藩13代藩主・毛利敬親さんが建立したものなんだって。
たま~にお寺でわら葺の門に出会うことはあるけど、神社でわら葺の門とはちょっと珍しいですねぇ。
と思ったら、もともとこの門は神護寺の仁王門だったという!
かつては神社の西側に石城山 舎那院 神護寺という別当寺があったんだって。
江戸時代末期には神護寺に第二奇兵隊の本陣が置かれていたそうですが、1870年に廃寺になってしまったのだとか。
その後、神護寺の仁王門は石城神社の随身門として使用されるようになったんだって。
ちなみに近世には石城山式内三社大権現と称され、石城山を山岳霊場とする信仰が形成されていたのだとか。
そんなこんなで、神門をくぐって境内へ。
●参道
悪魔の森の奥深く・・・
・・・
・・・・・
お前も蝋人形にしてやろうか・・・
お前も蝋人形にしてやろうかっ!
霧の立ち込む森の奥深く〜♪
なぜか脳内で聖飢魔Ⅱさんの♪蝋人形の館♪がリピートしたひと時。
やだなー
怖いなー怖いなー
稲川淳二さんのモノマネもしつつ・・・
誰もいなくて怖いけど、誰かがいても怖い・・・
やだなー
怖いなー怖いなー
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎に到着。
そして、お清め。
標高362mの石城山・山頂に鎮座する石城神社に到着。
というか、怖いんですけどっ!
((((;゚Д゚)))))))
雨のせいで霧深く、さらに薄暗くてめっちゃホラーなんですけどっ!
もちろん神社へ続く山道も霧深く、薄暗く。
あげく視界不良のクネクネ道。
道路は落ち葉で敷き詰められていて、明らかに長らく車が走ってない模様・・・。
とにかく1人じゃ心細いホラー道・・・泣きそうでした。
いや、泣いていた。
そんなこんなで、参拝開始。
●神門(随身門)
●神門(随身門)
・1857年建立
・わら葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
まず最初に登場するのは神門。
この門は長州藩13代藩主・毛利敬親さんが建立したものなんだって。
たま~にお寺でわら葺の門に出会うことはあるけど、神社でわら葺の門とはちょっと珍しいですねぇ。
と思ったら、もともとこの門は神護寺の仁王門だったという!
かつては神社の西側に石城山 舎那院 神護寺という別当寺があったんだって。
江戸時代末期には神護寺に第二奇兵隊の本陣が置かれていたそうですが、1870年に廃寺になってしまったのだとか。
その後、神護寺の仁王門は石城神社の随身門として使用されるようになったんだって。
ちなみに近世には石城山式内三社大権現と称され、石城山を山岳霊場とする信仰が形成されていたのだとか。
そんなこんなで、神門をくぐって境内へ。
●参道
悪魔の森の奥深く・・・
・・・
・・・・・
お前も蝋人形にしてやろうか・・・
お前も蝋人形にしてやろうかっ!
霧の立ち込む森の奥深く〜♪
なぜか脳内で聖飢魔Ⅱさんの♪蝋人形の館♪がリピートしたひと時。
やだなー
怖いなー怖いなー
稲川淳二さんのモノマネもしつつ・・・
誰もいなくて怖いけど、誰かがいても怖い・・・
やだなー
怖いなー怖いなー
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎に到着。
そして、お清め。
鳥居と狛犬
●鳥居
●鳥居
・建立年不明
・木製 神明鳥居
続いて、鳥居が登場。
鳥居の奥に社殿が見える!
ゴールまでもう少し!
と思ったら、ギャー!
よく見たらめっちゃ可愛い顔をしてるけど、夢に出てきそうな妖怪っぷり。
たのむ、こーゆーときは普通の狛犬にしてくれよ〜。
まるで肝試しだ〜。
●鳥居
・建立年不明
・木製 神明鳥居
続いて、鳥居が登場。
鳥居の奥に社殿が見える!
ゴールまでもう少し!
と思ったら、ギャー!
よく見たらめっちゃ可愛い顔をしてるけど、夢に出てきそうな妖怪っぷり。
たのむ、こーゆーときは普通の狛犬にしてくれよ〜。
まるで肝試しだ〜。
拝殿と本殿
●社殿
●社殿
・左 → 本殿
・中 → 幣殿
・右 → 拝殿
そんなこんなで、社殿に到着。
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
そして、拝殿で参拝しようと思ったら・・・
鎖が張られていたので、正面に行くことができなかったという。。
ということで、側面に向かって参拝。。
ちなみに、社殿は東向きに建てられていました。
●本殿
●本殿
・1469年建立
・柿葺 隅木入春日造
・国指定重要文化財
なんとこの本殿は、1469年に大内氏14代当主・大内政弘さんが再建した古建築。
しかも国重文だという!
ちなみにこの本殿は光市内唯一の国重文(建造物)なんだって!
1514年に大内氏15代当主・大内義興さんが修復。
さらに、1656年に長州藩2代藩主・毛利綱広さん、1798年に長州藩9代藩主・毛利斉房さんが修復したそうです。
さらにさらに、近代では1921年に解体修理。
1951年と1984年に屋根の葺き替え工事が行われたそうです。
建築様式は春日造。
通常、春日造には隅木はありませんが、なんとこの春日造には隅木があるという!
ちなみに隅木とは屋根の四方にある斜め45度に取り付けられている部材のことです。
隅木の写真を撮ったのですが、帰宅後に写真を確認してビックリ!
ご覧の通り、光量不足のため真っ暗で何も写っていない!
~画像はWikipediaより~
そんなこんなで、Wikipediaさまからお写真を拝借してきました。
ここが隅木です。
というか、Wikipediaさまの写真を見てビックリ!
こんなに素敵なお社だったのか!
いつか再訪する機会があれば、今度は晴れた日に来ます!
ちなみに蟇股など随所に室町時代の特色が見られる・・・とのことでしたが、霧のせいでほとんど細部を観察することができませんでした!
●御祭神
・大山祇神(おおやまつみのかみ)
・雷神(いかづちのかみ)
・高龗神(たかおかみのかみ)
この神社は、927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている、いわゆる式内社です。
延喜式神名帳に記載されている祭神は1座。
おそらくその1座は大山祇神で、その他の雷神と高龗神は後に合祀されたものと思われます。
ちなみに神仏習合時代には、本地仏として大山祇神には釈迦如来、雷神には普賢菩薩、高龗神には文殊菩薩があてられていたそうです。
その他、境内社の須賀社があるそうですが、視界不良のため発見することができませんでした!
な〜んとなく、この先にも道がありそうな気がしますが、怖すぎて足を踏み入れることができず・・・このいくじなしっ!
●社殿
・左 → 本殿
・中 → 幣殿
・右 → 拝殿
そんなこんなで、社殿に到着。
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
そして、拝殿で参拝しようと思ったら・・・
鎖が張られていたので、正面に行くことができなかったという。。
ということで、側面に向かって参拝。。
ちなみに、社殿は東向きに建てられていました。
●本殿
●本殿
・1469年建立
・柿葺 隅木入春日造
・国指定重要文化財
なんとこの本殿は、1469年に大内氏14代当主・大内政弘さんが再建した古建築。
しかも国重文だという!
ちなみにこの本殿は光市内唯一の国重文(建造物)なんだって!
1514年に大内氏15代当主・大内義興さんが修復。
さらに、1656年に長州藩2代藩主・毛利綱広さん、1798年に長州藩9代藩主・毛利斉房さんが修復したそうです。
さらにさらに、近代では1921年に解体修理。
1951年と1984年に屋根の葺き替え工事が行われたそうです。
※追記
1984年の葺き替え工事から約40年が経過し、屋根や木材などに腐食や欠損が見受けられたため、2021年11月〜2022年10月まで国・県・市の支援のもと保存修理が行われました。
1984年の葺き替え工事から約40年が経過し、屋根や木材などに腐食や欠損が見受けられたため、2021年11月〜2022年10月まで国・県・市の支援のもと保存修理が行われました。
建築様式は春日造。
通常、春日造には隅木はありませんが、なんとこの春日造には隅木があるという!
ちなみに隅木とは屋根の四方にある斜め45度に取り付けられている部材のことです。
隅木の写真を撮ったのですが、帰宅後に写真を確認してビックリ!
ご覧の通り、光量不足のため真っ暗で何も写っていない!
~画像はWikipediaより~
そんなこんなで、Wikipediaさまからお写真を拝借してきました。
ここが隅木です。
というか、Wikipediaさまの写真を見てビックリ!
こんなに素敵なお社だったのか!
いつか再訪する機会があれば、今度は晴れた日に来ます!
ちなみに蟇股など随所に室町時代の特色が見られる・・・とのことでしたが、霧のせいでほとんど細部を観察することができませんでした!
●御祭神
・大山祇神(おおやまつみのかみ)
・雷神(いかづちのかみ)
・高龗神(たかおかみのかみ)
この神社は、927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている、いわゆる式内社です。
延喜式神名帳に記載されている祭神は1座。
おそらくその1座は大山祇神で、その他の雷神と高龗神は後に合祀されたものと思われます。
ちなみに神仏習合時代には、本地仏として大山祇神には釈迦如来、雷神には普賢菩薩、高龗神には文殊菩薩があてられていたそうです。
その他、境内社の須賀社があるそうですが、視界不良のため発見することができませんでした!
な〜んとなく、この先にも道がありそうな気がしますが、怖すぎて足を踏み入れることができず・・・このいくじなしっ!
石城山神籠石
ちなみに神門の近くには神籠石サミットと書かれた石標がありました。
帰宅後に知ったのですが、石城山には国の史跡に指定されている石城山神籠石があるのだとか!
●石城山神籠石
またまたWikipediaさまからお写真を拝借。
神籠石とは、神の依り代となる岩石、すなわち磐座のことを指しますが、この石城山神籠石は古代山城の石垣だという!
って、なんで石垣が神籠石なんだぃ???
どうやら、発見当初は神籠石として紹介されていたみたいです。
しかし後に、古代霊域跡説と古代山城説が対立して論争に・・・。
結果、現在は古代山城の遺跡とする見方が有力のようです。
そんなこんなで、参拝終了。
な〜んとなく、寿命を縮めたような気がした参拝でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・なし
●御朱印の受付場所
・なし
●御朱印の受付時間
・なし
●御朱印の料金
・なし
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年11月5日 参拝
・2023年4月 更新
・なし
●御朱印の受付場所
・なし
●御朱印の受付時間
・なし
●御朱印の料金
・なし
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年11月5日 参拝
・2023年4月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR山陽本線
田布施駅から車で10分
・JR山陽本線
岩田駅から車で10分
●最寄りのバス停
・光市営バス
佐田下 バス停から徒歩40分
・光市営バス
佐田中 バス停から徒歩45分
・光市営バス
十王 バス停から徒歩45分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
熊毛ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR山陽本線
田布施駅から車で10分
・JR山陽本線
岩田駅から車で10分
●最寄りのバス停
・光市営バス
佐田下 バス停から徒歩40分
・光市営バス
佐田中 バス停から徒歩45分
・光市営バス
十王 バス停から徒歩45分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
熊毛ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり