所在地 | 静岡県伊豆の国市寺家83−1 |
---|---|
宗 派 | 高野山真言宗 |
由 緒 | 1189年、北条政子の父・北条時政が源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のために建立したお寺といわれています。北条三代(時政・義時・泰時)にわたって、次々と堂宇が建立され、伊豆屈指の大寺院として栄華を誇ったそうです。1491年、北条早雲 (伊勢宗瑞)による動乱で焼失。その後、再建されますが豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び焼失。しかし、運慶作の仏像などは僧侶らの手によって運び出されていたため焼失は免れたそうです。江戸時代、後北条氏の末裔である北条氏貞が再建し、現在に至ります。 |
HP | 天守君山 願成就院 公式ホームページ |
境内入口と山門
●境内入口
北条家の氏寺であります願成就院に到着。
正式名称は天守君山 願成就院。
天守君山 願成就院と書いててんしゅくんざん がんじょうじゅいんと読みます。
そんなこんなで、参拝開始。
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門
まず最初に登場するのは両サイドに袖塀を設けた山門。
境内はさほど広くはありませんが、かつては奥州平泉の毛越寺を模した壮大な伽藍を誇っていたんだと。
●願成就院跡
・国指定史跡
鎌倉時代に編纂された吾妻鏡によると
このように、吾妻鏡には北条三代(時政・義時・泰時)にわたって伽藍が整備されたことが記されてるんだとか。
そんなこんなで、次々と堂宇が建立されていった願成就院は伊豆屈指の大寺院として繁栄しますが、戦国時代に北条早雲に攻められた足利茶々丸さんがこのお寺に逃げ込んだことにより、戦火に見舞われ焼失(伊豆討ち入り)
その後、再建されるも、豊臣秀吉さんの小田原征伐の際に再び焼失。。
現在の伽藍は、江戸時代に後北条氏の末裔・北条氏貞さんが再建したものといわれています。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
北条家の氏寺であります願成就院に到着。
正式名称は天守君山 願成就院。
天守君山 願成就院と書いててんしゅくんざん がんじょうじゅいんと読みます。
●山号の由来
山号の天守君山とは、お寺の背後にある守山という山が由来とのことです。
ちなみに守山には源頼朝さんが平家追討を祈願して挙兵した守山八幡宮が鎮座していました。
●寺号(院号)の由来
1189年、源頼朝さんと関東の武士団が、源義経をかくまった奥州平泉の藤原氏を攻めました。
その際、北条時政さんが戦勝を祈願して願成就院を建立。
すなわち、願いが成就するという意味で願成就院と名付けられたんだって。
山号の天守君山とは、お寺の背後にある守山という山が由来とのことです。
ちなみに守山には源頼朝さんが平家追討を祈願して挙兵した守山八幡宮が鎮座していました。
●寺号(院号)の由来
1189年、源頼朝さんと関東の武士団が、源義経をかくまった奥州平泉の藤原氏を攻めました。
その際、北条時政さんが戦勝を祈願して願成就院を建立。
すなわち、願いが成就するという意味で願成就院と名付けられたんだって。
そんなこんなで、参拝開始。
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門
まず最初に登場するのは両サイドに袖塀を設けた山門。
境内はさほど広くはありませんが、かつては奥州平泉の毛越寺を模した壮大な伽藍を誇っていたんだと。
●願成就院跡
・国指定史跡
鎌倉時代に編纂された吾妻鏡によると
●1189年
・北条時政さんが大御堂を建立。
●1207年
・北条時政さんが南塔を建立。
●1215年
・北条時政の子・義時さんが南新堂を建立。
●1235年
・北条時政の孫・泰時さんが北塔を建立。
・北条時政さんが大御堂を建立。
●1207年
・北条時政さんが南塔を建立。
●1215年
・北条時政の子・義時さんが南新堂を建立。
●1235年
・北条時政の孫・泰時さんが北塔を建立。
このように、吾妻鏡には北条三代(時政・義時・泰時)にわたって伽藍が整備されたことが記されてるんだとか。
そんなこんなで、次々と堂宇が建立されていった願成就院は伊豆屈指の大寺院として繁栄しますが、戦国時代に北条早雲に攻められた足利茶々丸さんがこのお寺に逃げ込んだことにより、戦火に見舞われ焼失(伊豆討ち入り)
その後、再建されるも、豊臣秀吉さんの小田原征伐の際に再び焼失。。
現在の伽藍は、江戸時代に後北条氏の末裔・北条氏貞さんが再建したものといわれています。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
参道
●参道
参道脇にはたくさんの墓石が密集していました。
これは無縁仏でしょうか?
どれも古そうな墓石でしたよ。
●石灯籠
・1959年建立
さらに参道には巨大な石灯籠がありました。
竿には源頼朝公旗揚七百八十年記念 昭和三十四年一月十日と刻まれていました。
1180年、源頼朝さんは伊豆韮山で平家打倒のための挙兵をしています。
そんなこんなで、この石灯籠は平家打倒の挙兵から780年経ったことを記念して建立されたものみたいです。
それにしてもデケ〜。
さらにさらに巨大なワンちゃんもいました。
どうやらこちらは願成就院の看板犬のようです。
名前はロッキーちゃん。
犬種は秋田犬かな?
くぅ〜、可愛い〜♡
ちなみに境内はペット同伴OKとのことです。
もちろん堂内はペット同伴NGです。
そんなこんなで、境内では犬のお散歩をしている方をお見かけしましたよ。
くぅ〜、可愛い〜♡
参道脇にはたくさんの墓石が密集していました。
これは無縁仏でしょうか?
どれも古そうな墓石でしたよ。
●石灯籠
・1959年建立
さらに参道には巨大な石灯籠がありました。
竿には源頼朝公旗揚七百八十年記念 昭和三十四年一月十日と刻まれていました。
1180年、源頼朝さんは伊豆韮山で平家打倒のための挙兵をしています。
そんなこんなで、この石灯籠は平家打倒の挙兵から780年経ったことを記念して建立されたものみたいです。
それにしてもデケ〜。
さらにさらに巨大なワンちゃんもいました。
どうやらこちらは願成就院の看板犬のようです。
名前はロッキーちゃん。
犬種は秋田犬かな?
くぅ〜、可愛い〜♡
ちなみに境内はペット同伴OKとのことです。
もちろん堂内はペット同伴NGです。
そんなこんなで、境内では犬のお散歩をしている方をお見かけしましたよ。
くぅ〜、可愛い〜♡
大御堂
●大御堂●大御堂
・1955年建立
・瓦葺 入母屋造
・鉄筋コンクリート造
続いて、大御堂を参拝。
大御堂と書いておおみどうと読みます。
なんと堂内には鎌倉時代の大仏師・運慶作の国宝仏5体が安置されてるという!
そんなこんなで、拝観料を払って堂内へ。
高ぶる鼓動、血走る目・・・
単眼鏡でナメまわすように仏像観賞をしてきました。
ちなみに堂内は撮影禁止です。
国宝仏5体は運慶が35歳頃につくった作品で、東日本最古の運慶仏といわれています。
現存する運慶作の仏像は全国に約30体あるといわれていますが、銘記や胎内の納入品などから運慶作と確定している作品は17体しかありません。
その他の作品は運慶作(推定)や伝・運慶作や運慶説など、本当に運慶作なのかどうかがわからない作品となっております。
さて願成就院の運慶仏はどちらでしょう・・・
運慶作確定なのか、運慶作推定なのか・・・
答えは運慶作確定!
全国にある運慶作(確定)17体のうち、5体がこの願成就院にあるという!
スゴっ!
ガイドをしてくれた方によると、不動明王像と毘沙門天像の胎内から文治2年(1186)5月3日、北条時政の発願により運慶が造り始めたという内容の塔婆形銘札が発見されたんだと!
さらに矜羯羅童子立像と制吒迦童子立像の胎内からも運慶作を裏付ける銘札が発見されたんだとか!
そのことにより、願成就院の5体の仏像さんは運慶作と確定したんだって!
飛鳥時代より始まった日本の仏像制作。
平安時代に仏師・定朝によってその様式が確立されました。
定朝の流派は定朝様と呼ばれ、後に京都の院派・円派、そして奈良の慶派に分かれることに。
そして次第に貴族との結びつきの深い京都仏師が力を持つようになりました。
一方、奈良仏師の作風は当時の貴族に受け入れられていませんでした。
奈良仏師の棟梁の子として生まれた運慶は、無個性でマンネリ化しつつあった定朝様に物足りなさを感じていたのかも知れません。
1185年、壇ノ浦の戦いで平家が滅びると、源頼朝は東国の地に鎌倉幕府を開きました。
すると今まで脚光を浴びていなかった奈良仏師にチャンスが訪れたのでありました。
鎌倉幕府の初代執権・北条時政に招かれた運慶は、伊豆・願成就院の仏像制作の依頼を受けることに。
そして写実的で躍動感あふれる運慶の作風は東国の武士たちから熱狂的に支持され、注文が殺到するようになりました。
願成就院の仏像群は、定朝様には見られなかった新しい造形とズバ抜けた技法を伝え、運慶の意欲的で革新的な挑戦作といわれています。
そんなこんなで、願成就院の仏像群は鎌倉彫刻様式の成立を示す、日本彫刻史上極めて大きな意義のある仏像さんといわれています。
仏像観賞
●阿弥陀如来坐像
~画像はポストカードより~
●阿弥陀如来坐像
・1186年作
・像高 142cm
・寄木造 彫眼
・運慶作
・国宝
こちらは大御堂の本尊・阿弥陀如来さんです。
堂内に入った瞬間、思わずおぉぉぉ~!と声を発してしまったひと時。
さすがスーパー仏師!
のっけから阿弥陀さんの威光に悩殺です。
よく見ると螺髪はハゲ散らかり、印相も破損してしまってる・・・
このお寺は1491年に北条早雲 (伊勢宗瑞)による伊豆討ち入りで焼失。
さらに豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び焼失。
度重なる戦火で焼失していますが、御本尊・阿弥陀如来を始めとする仏像群は、僧侶の手によって運び出され焼失を免れたのだとか。
僧侶さん、ナイスプレーです!
そんなこんなで、阿弥陀さんが痛々しい姿になったのは、これらの戦火によるものといわれています。
破損箇所が多いのは残念ですが、何故かそこに美しさを感じてしまうのは私だけでしょうか?
ちなみに、2022年に光背と台座が復元されました。
金ピカの光背&台座と鎌倉仏のミスマッチ・・・これはこれで良い!
●不動明王立像
~画像はポストカードより~
●不動明王立像
・1186年作
・像高 137.2cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
こちらは御本尊・阿弥陀如来さんの眷属(脇侍)として安置されている不動明王さんです。
この不動明王さんも戦火を免れていますが、阿弥陀如来さんと比べるとかなり状態が良かったです。
僧侶さん、ナイスプレーです!
●制吒迦童子・矜羯羅童子立像
~画像はポストカードより~
●制吒迦童子立像(左)
・1186年作
・像高 83.5cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
●矜羯羅童子立像(右)
・1186年作
・像高 74.4cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
こちらは不動明王さんの前におられる制吒迦・矜羯羅童子さんです。
制吒迦・矜羯羅童子さんは不動明王とともに三尊像スタイルで安置されることが多い仏さまです。
こちらも不動明王さん同様、戦火を免れた貴重な仏像さんです。
小さいから運びやすかったのか、かなり状態が良かったです。
僧侶さん、ナイスプレーです!
高野山の八大童子像もそうですが、運慶さんは幼さと力強さを合体させた作品をつくるのも得意としています。
ちなみに、胎内から発見された運慶作を決定づける銘札は大御堂裏にある宝物館で拝観することができました。
●毘沙門天立像
~画像はポストカードより~
●毘沙門天立像
・1186年作
・像高 148.2cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
こちらは御本尊・阿弥陀如来さんの眷属(脇侍)として安置されている毘沙門天さんです。
胎内から発見された銘札には、不動明王・制吒迦・矜羯羅童子さんと同じ日付が書かれてるんだって。
そんなこんなで、この毘沙門天さんは不動明王・制吒迦・矜羯羅童子さんと同じ日に制作を開始した仏さまのようです。
ちなみに毘沙門天も良い状態でした。
大御堂に安置されている運慶仏5体は同時期につくられたのに、なんで阿弥陀さんだけ破損が激しいんだろうねぇ・・・(-“-;) ??
運び出すときに落としたのかなぁ・・・さすがにそれはないか。
~画像はポストカードより~
●阿弥陀如来坐像
・1186年作
・像高 142cm
・寄木造 彫眼
・運慶作
・国宝
こちらは大御堂の本尊・阿弥陀如来さんです。
堂内に入った瞬間、思わずおぉぉぉ~!と声を発してしまったひと時。
さすがスーパー仏師!
のっけから阿弥陀さんの威光に悩殺です。
よく見ると螺髪はハゲ散らかり、印相も破損してしまってる・・・
このお寺は1491年に北条早雲 (伊勢宗瑞)による伊豆討ち入りで焼失。
さらに豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び焼失。
度重なる戦火で焼失していますが、御本尊・阿弥陀如来を始めとする仏像群は、僧侶の手によって運び出され焼失を免れたのだとか。
僧侶さん、ナイスプレーです!
そんなこんなで、阿弥陀さんが痛々しい姿になったのは、これらの戦火によるものといわれています。
破損箇所が多いのは残念ですが、何故かそこに美しさを感じてしまうのは私だけでしょうか?
ちなみに、2022年に光背と台座が復元されました。
金ピカの光背&台座と鎌倉仏のミスマッチ・・・これはこれで良い!
●不動明王立像
~画像はポストカードより~
●不動明王立像
・1186年作
・像高 137.2cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
こちらは御本尊・阿弥陀如来さんの眷属(脇侍)として安置されている不動明王さんです。
この不動明王さんも戦火を免れていますが、阿弥陀如来さんと比べるとかなり状態が良かったです。
僧侶さん、ナイスプレーです!
●制吒迦童子・矜羯羅童子立像
~画像はポストカードより~
●制吒迦童子立像(左)
・1186年作
・像高 83.5cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
●矜羯羅童子立像(右)
・1186年作
・像高 74.4cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
こちらは不動明王さんの前におられる制吒迦・矜羯羅童子さんです。
制吒迦・矜羯羅童子さんは不動明王とともに三尊像スタイルで安置されることが多い仏さまです。
こちらも不動明王さん同様、戦火を免れた貴重な仏像さんです。
小さいから運びやすかったのか、かなり状態が良かったです。
僧侶さん、ナイスプレーです!
高野山の八大童子像もそうですが、運慶さんは幼さと力強さを合体させた作品をつくるのも得意としています。
ちなみに、胎内から発見された運慶作を決定づける銘札は大御堂裏にある宝物館で拝観することができました。
●毘沙門天立像
~画像はポストカードより~
●毘沙門天立像
・1186年作
・像高 148.2cm
・寄木造 玉眼
・運慶作
・国宝
こちらは御本尊・阿弥陀如来さんの眷属(脇侍)として安置されている毘沙門天さんです。
胎内から発見された銘札には、不動明王・制吒迦・矜羯羅童子さんと同じ日付が書かれてるんだって。
そんなこんなで、この毘沙門天さんは不動明王・制吒迦・矜羯羅童子さんと同じ日に制作を開始した仏さまのようです。
ちなみに毘沙門天も良い状態でした。
大御堂に安置されている運慶仏5体は同時期につくられたのに、なんで阿弥陀さんだけ破損が激しいんだろうねぇ・・・(-“-;) ??
運び出すときに落としたのかなぁ・・・さすがにそれはないか。
本堂と宝物館
●宝物館
続いて、大御堂の裏にある宝物館を拝観。
館内には国宝の塔婆形銘札をはじめ、北条政子の七回忌に北条泰時が奉納した北条政子地蔵菩薩像や、北条時政の肖像や、曼荼羅などを拝観することができました。
大御堂からの宝物館・・・正直、盛りだくさん過ぎてお腹いっぱいです!
●本堂
●本堂
・1789年建立
・茅葺 入母屋造
そんなこんなで宝物館を拝観した後、境内を散策していたら茅葺き屋根の古堂を発見。
どうやらこちらは本堂のようです。
って、ほほほ本堂!?
あたしゃてっきり大御堂が本堂だと思ってましたよ!
この本堂は、1789年に願成就院創建600周年を記念して建立されたお堂で、願成就院で現存最古の建物なんだとか。
ちなみに御本尊の阿弥陀如来坐像は慶派仏師によるもので静岡県の有形文化財に指定されてるんだって。
是非とも拝観したい!
と思うも、本堂内は立入禁止でした。
本堂前には洗心庭という枯山水庭園がありました。
続いて、大御堂の裏にある宝物館を拝観。
館内には国宝の塔婆形銘札をはじめ、北条政子の七回忌に北条泰時が奉納した北条政子地蔵菩薩像や、北条時政の肖像や、曼荼羅などを拝観することができました。
大御堂からの宝物館・・・正直、盛りだくさん過ぎてお腹いっぱいです!
●本堂
●本堂
・1789年建立
・茅葺 入母屋造
そんなこんなで宝物館を拝観した後、境内を散策していたら茅葺き屋根の古堂を発見。
どうやらこちらは本堂のようです。
って、ほほほ本堂!?
あたしゃてっきり大御堂が本堂だと思ってましたよ!
この本堂は、1789年に願成就院創建600周年を記念して建立されたお堂で、願成就院で現存最古の建物なんだとか。
ちなみに御本尊の阿弥陀如来坐像は慶派仏師によるもので静岡県の有形文化財に指定されてるんだって。
是非とも拝観したい!
と思うも、本堂内は立入禁止でした。
本堂前には洗心庭という枯山水庭園がありました。
北条時政の供養墓と足利茶々丸の墓
●北条時政の供養墓
境内には願成就院を建立した北条時政さんの供養墓がありました。
この供養墓は北条時政さんの没800年忌供養として建立されたものなんだって。
北条時政さんがお亡くなりになったのは1215年とのことなので、没800年は2015年となります。
そんなこんなで、この供養墓は比較的最近に建立されたもののようですね。
ちなみに北条時政さんは鎌倉幕府の初代執権で、北条氏の繁栄の土台を築いたお方として知られています。
娘の北条政子は源頼朝さんの妻。
そしてNHK大河ドラマ・鎌倉殿の13人の主人公・北条義時さんの父でもあります。
●足利茶々丸の墓
こちらは足利茶々丸さんのお墓です。
足利茶々丸さんは堀越公方と呼ばれた足利政知さんの子です。
1493年、北条早雲さんが伊豆に攻め入った際、茶々丸さんは願成就院に逃げ込んで自害しました。
その際、願成就院は焼失。。
ちなみに、茶々丸という名は幼名とのこと。
元服をする前にお亡くなりになったため、成人としての名前はないんだとか。
境内には願成就院を建立した北条時政さんの供養墓がありました。
この供養墓は北条時政さんの没800年忌供養として建立されたものなんだって。
北条時政さんがお亡くなりになったのは1215年とのことなので、没800年は2015年となります。
そんなこんなで、この供養墓は比較的最近に建立されたもののようですね。
ちなみに北条時政さんは鎌倉幕府の初代執権で、北条氏の繁栄の土台を築いたお方として知られています。
娘の北条政子は源頼朝さんの妻。
そしてNHK大河ドラマ・鎌倉殿の13人の主人公・北条義時さんの父でもあります。
●足利茶々丸の墓
こちらは足利茶々丸さんのお墓です。
足利茶々丸さんは堀越公方と呼ばれた足利政知さんの子です。
1493年、北条早雲さんが伊豆に攻め入った際、茶々丸さんは願成就院に逃げ込んで自害しました。
その際、願成就院は焼失。。
ちなみに、茶々丸という名は幼名とのこと。
元服をする前にお亡くなりになったため、成人としての名前はないんだとか。
その他の見どころ
●五百羅漢
大御堂の裏には五百羅漢さんがおられました。
京都の愛宕念仏寺に似たほのぼのとした羅漢さんがたくさん点在していました。
メガネ、メガネ、メガネ・・・
メガネ率高いなぁ〜!
五百羅漢さんの近くには五百羅漢の制作所がありました。
どうやらこの五百羅漢さんは開山800周年の記念事業として制作されているものみたい。
見た感じ、まだ500体に達してなさそうなので、これからもどんどん増えていくかもね!
その他、境内には鐘楼や六地蔵や弘法大師像や謎の石仏がありました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
大御堂の裏には五百羅漢さんがおられました。
京都の愛宕念仏寺に似たほのぼのとした羅漢さんがたくさん点在していました。
メガネ、メガネ、メガネ・・・
メガネ率高いなぁ〜!
五百羅漢さんの近くには五百羅漢の制作所がありました。
どうやらこの五百羅漢さんは開山800周年の記念事業として制作されているものみたい。
見た感じ、まだ500体に達してなさそうなので、これからもどんどん増えていくかもね!
その他、境内には鐘楼や六地蔵や弘法大師像や謎の石仏がありました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印情報
●御朱印の種類
・本尊 阿弥陀如来
・開運 不動明王
・招福 毘沙門天
●御朱印の料金
・各500円
●御朱印の受付場所
・拝観受付(納経所)
※拝観料を払った方のみ御朱印を頂くことができます。
●御朱印の受付時間
・10:00~15:30
●定休日
・毎週 火曜日と水曜日
・節分の日
・8月15日
・7月30日~8月3日
・12月24日~31日
※正月三ヶ日、火・水曜日が祝日の場合は拝観可
●オリジナル御朱印帳
・18cm × 12cm
・1800円
●期間限定・特別御朱印
・鎌倉殿の13人放送記念の御朱印
・2023年5月4日 参拝
・2023年6月 更新
●御朱印の種類
・本尊 阿弥陀如来
・開運 不動明王
・招福 毘沙門天
●御朱印の料金
・各500円
●御朱印の受付場所
・拝観受付(納経所)
※拝観料を払った方のみ御朱印を頂くことができます。
●御朱印の受付時間
・10:00~15:30
●定休日
・毎週 火曜日と水曜日
・節分の日
・8月15日
・7月30日~8月3日
・12月24日~31日
※正月三ヶ日、火・水曜日が祝日の場合は拝観可
●オリジナル御朱印帳
・18cm × 12cm
・1800円
●期間限定・特別御朱印
・鎌倉殿の13人放送記念の御朱印
・2023年5月4日 参拝
・2023年6月 更新
早雲寺の御朱印情報|北条氏の菩提寺(神奈川県足柄下郡箱根町湯本)
所在地神奈川県足柄下郡箱根町湯本405宗 派臨済宗大徳寺派由 緒1521年、北条早雲の遺言により、早雲の子・北条氏綱が京都・大徳寺の第83世・以天宗清を招いて創建したお寺といわれています。1590年の小田...
参拝情報とアクセス
●拝観時間
・10:00~16:00
※最終受付 15:30
●拝観料
・大人 700円
・中高生 400円
・小学生 200円
●定休日
・毎週 火曜日と水曜日
・節分の日
・8月15日
・7月30日~8月3日
・12月24日~31日
※正月三ヶ日、火・水曜日が祝日の場合は拝観可
●最寄りの駅
・伊豆箱根鉄道 駿豆線
伊豆長岡駅から徒歩15分
・伊豆箱根鉄道 駿豆線
伊豆長岡駅から車で3分
・伊豆箱根鉄道 駿豆線
韮山駅から徒歩15分
・伊豆箱根鉄道 駿豆線
韮山駅から車で5分
●最寄りのバス停
・伊豆箱根バス
北条の里 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・新東名高速道路
沼津長泉ICから車で20分
・東名高速道路
沼津ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)