所在地 | 広島県尾道市東土堂町17−29 |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
由 緒 | 1367年、尾道の道円が発願。そして京都五山の指導者・普明国師を開山とし、室町幕府第2代将軍・足利義詮の寄進で創建されたお寺といいます。創建当初は東西三町の寺領に七堂伽藍を有する大寺院だったそうです。しかし、1682年に落雷により海雲塔以外の堂宇を全て焼失。その後、1688〜1704年に再興され、臨済宗から曹洞宗に改宗したそうです。 |
HP | 【公式】尾道 七佛めぐり |
石柱と石灯籠
本日は尾道七佛めぐりをしております。
そんなこんなで、持光寺から徒歩20分。
尾道七佛めぐり2ヶ寺目となります天寧寺に到着。
このお寺の正式名称は海雲山 天寧寺。
海雲山 天寧寺と書いてかいうんざん てんねいじと読みます。
尾道のランドマーク的存在の三重塔で有名なお寺さんです。
平安時代以降、天然の良港を持つ尾道は遣明貿易船や内海航行船の寄港地として発展を遂げてきました。
港町としての発展は各時代に豪商を生むことに。
そして豪商は多くの寺社を寄進・造営することに。
さらに室町時代になると、足利将軍家や備後国の守護・山名氏などが多くの寺院を建立し、現在の寺の町・尾道の基礎が築かれたという。
そのうちの1ヶ寺がこの天寧寺というわけだ。
一体全体、どんなお寺さんなんでしょ?
ドキドキワクワク。
そんなこんなで、参拝開始。
●石柱
●石柱
・1933年建立
まず最初に登場するのは可愛い書体の石柱。
字が可愛い過ぎて何を書いてるのかさっぱりわかりませんでした。
漢字というより、もはや象形文字レベル(笑)
●石灯籠①
●石灯籠①
・1810年建立
・近江屋 藤四良 作
続いて、登場するのは文化7年に建立された石灯籠(常夜燈)。
作者は近江屋 藤四良さん。
近江屋というくらいだから滋賀県の石工なのかな?
と思いましたが、當所 石工 近江屋 藤四良と刻まれていましたので、近江屋 藤四良さんは尾道石工のようです。
●石灯籠②
●石灯籠②
・1930年建立
・溝上民平 作
こちらは1930年に建立された石灯籠です。
作者は尾道石工の溝上民平さん。
ちなみに妙宣寺の狛犬も溝上民平さんの作品でした。
山門と手水舎
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・一間一戸 竜宮門
続いて、山門が登場。
山門はスマートな竜宮門となっておりました。
って、いや待て・・・
これは竜宮門なのか!?
柱が剥き出しになってるぞ!
そんなこんなで、一間一戸の楼門に竜宮門風のカバーを付けたような、なんちゃって竜宮門になっていました。
このタイプの竜宮門は妙宣寺や宝土寺にもありました。
ということで、勝手に尾道型竜宮門と命名。
それにしても、尾道にはこのような竜宮タイプの建物が多いような気がします。
こちらは千光寺の鐘楼と毘沙門堂。
竜宮門ではないけど、どことなく竜宮造。
異様なのは毘沙門堂!
竜宮タイプのお堂って初めて拝見しましたよ!
こんな感じで、尾道にはモダンでハイカラな門とお堂が多いような気がします。
そんなことより、楼上には梵鐘が吊るされていました。
ということで、この門は鐘楼門となります。
私的に萌えたのは楼上へ上がる階段。
通常、楼上へ上がる階段は木造ですが、この門は鉄製の階段になっているというね!
何気に珍しい門でした。
ちなみに階段を上ることはできませんでした。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そして手水舎でお清め。
と思ったら、手水鉢に蓋がしてありました。
ということで、水道でお清め。
●山門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・一間一戸 竜宮門
続いて、山門が登場。
山門はスマートな竜宮門となっておりました。
って、いや待て・・・
これは竜宮門なのか!?
柱が剥き出しになってるぞ!
そんなこんなで、一間一戸の楼門に竜宮門風のカバーを付けたような、なんちゃって竜宮門になっていました。
このタイプの竜宮門は妙宣寺や宝土寺にもありました。
ということで、勝手に尾道型竜宮門と命名。
それにしても、尾道にはこのような竜宮タイプの建物が多いような気がします。
こちらは千光寺の鐘楼と毘沙門堂。
竜宮門ではないけど、どことなく竜宮造。
異様なのは毘沙門堂!
竜宮タイプのお堂って初めて拝見しましたよ!
こんな感じで、尾道にはモダンでハイカラな門とお堂が多いような気がします。
そんなことより、楼上には梵鐘が吊るされていました。
ということで、この門は鐘楼門となります。
私的に萌えたのは楼上へ上がる階段。
通常、楼上へ上がる階段は木造ですが、この門は鉄製の階段になっているというね!
何気に珍しい門でした。
ちなみに階段を上ることはできませんでした。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そして手水舎でお清め。
と思ったら、手水鉢に蓋がしてありました。
ということで、水道でお清め。
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、本堂で参拝。
開山は京都・天龍寺の住持である普明国師。
普明国師は夢窓国師のもとで修業し、室町幕府第3代将軍・足利義満に招かれ京都・相国寺の第2世住持となったお方です。
そんなこんなで、普明国師は京都五山でトップクラスの国師なのである。
そんな普明国師が各地を巡って教えを広めている途中に尾道に立ち寄った際、豪商・万代道円からの帰依を受けたんだとか。
●御本尊
・宝冠釈迦如来
御本尊は宝冠を被った釈迦如来さん!
これはなかなか珍しい仏さまですね。
その他、宝冠釈迦如来の両サイドには文殊菩薩さんと普賢菩薩さんが安置されていました。
●唐獅子牡丹の襖絵
・直原玉青 作
本堂には豪快な襖絵がありました。
この一対の唐獅子牡丹の襖絵は日本南画界の重鎮・直原玉青さんの作品なんだって!
説明札には
と書いてありました。
寺紋は梅鉢紋。
ここだけ見たら天満宮だ〜。
堂内には梅鉢紋の古瓦と足利氏の家紋・二つ引両の古瓦がありました。
というか、堂内を見上げると梵鐘がっ!
鐘楼内蔵型の本堂なのかい?
ちなみに外から見ると、この部分が梵鐘がある場所です。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、本堂で参拝。
開山は京都・天龍寺の住持である普明国師。
普明国師は夢窓国師のもとで修業し、室町幕府第3代将軍・足利義満に招かれ京都・相国寺の第2世住持となったお方です。
そんなこんなで、普明国師は京都五山でトップクラスの国師なのである。
そんな普明国師が各地を巡って教えを広めている途中に尾道に立ち寄った際、豪商・万代道円からの帰依を受けたんだとか。
●天寧寺とは?
1367年、尾道の人万代道円が発願。
室町幕府第2代将軍・足利義詮さんが父・足利尊氏の遺志をついで工費を寄進。
そして、京都五山の指導者・普明国師を開山として創建されたお寺という。
創建当初は臨済宗で、東西三町(約330m × 330m)にわたる広大な寺域を有する大寺院だったそうです。
室町時代中期には幕府が五山に次ぐ十刹と同格に指定するほどの格式になったという。
1389年、室町幕府第3代将軍・足利義満が厳島参詣の帰り道、船を天寧沖に泊めて上陸し、このお寺に1泊したそうです。
そして備後国の守護・山名氏からおもてなしを受けたという。
さらに1558〜1569年頃、室町幕府第15代将軍・足利義昭の帰依を受け、歳米・禁札・下馬札が下賜されたそうです。
その後、室町幕府の消滅とともに後ろ盾がなくなり衰退。。
しかし1667年に宗光寺(広島県三原市)の一雲椿道が再興。
その際、臨済宗から曹洞宗に改宗したそうです。
しかし1682年に落雷により三重塔以外の堂宇を全て焼失。。
その後、再建されたのが現在の天寧寺といいます。
1367年、尾道の人万代道円が発願。
室町幕府第2代将軍・足利義詮さんが父・足利尊氏の遺志をついで工費を寄進。
そして、京都五山の指導者・普明国師を開山として創建されたお寺という。
創建当初は臨済宗で、東西三町(約330m × 330m)にわたる広大な寺域を有する大寺院だったそうです。
室町時代中期には幕府が五山に次ぐ十刹と同格に指定するほどの格式になったという。
●京都十刹
①等持寺 ②臨川寺 ③真如寺
④安国寺 ⑤宝幢寺 ⑥普門寺
⑦広覚寺 ⑧妙光寺 ⑨大徳寺
⑩龍翔寺
①等持寺 ②臨川寺 ③真如寺
④安国寺 ⑤宝幢寺 ⑥普門寺
⑦広覚寺 ⑧妙光寺 ⑨大徳寺
⑩龍翔寺
1389年、室町幕府第3代将軍・足利義満が厳島参詣の帰り道、船を天寧沖に泊めて上陸し、このお寺に1泊したそうです。
そして備後国の守護・山名氏からおもてなしを受けたという。
さらに1558〜1569年頃、室町幕府第15代将軍・足利義昭の帰依を受け、歳米・禁札・下馬札が下賜されたそうです。
その後、室町幕府の消滅とともに後ろ盾がなくなり衰退。。
しかし1667年に宗光寺(広島県三原市)の一雲椿道が再興。
その際、臨済宗から曹洞宗に改宗したそうです。
しかし1682年に落雷により三重塔以外の堂宇を全て焼失。。
その後、再建されたのが現在の天寧寺といいます。
●御本尊
・宝冠釈迦如来
御本尊は宝冠を被った釈迦如来さん!
これはなかなか珍しい仏さまですね。
その他、宝冠釈迦如来の両サイドには文殊菩薩さんと普賢菩薩さんが安置されていました。
●唐獅子牡丹の襖絵
・直原玉青 作
本堂には豪快な襖絵がありました。
この一対の唐獅子牡丹の襖絵は日本南画界の重鎮・直原玉青さんの作品なんだって!
説明札には
人は対立闘争する
進歩を促す自然の手段かも知れないが
高所より見れば嬉戯する唐獅子かもしれない
しかし世界の花園をみだしてはいけない
進歩を促す自然の手段かも知れないが
高所より見れば嬉戯する唐獅子かもしれない
しかし世界の花園をみだしてはいけない
と書いてありました。
寺紋は梅鉢紋。
ここだけ見たら天満宮だ〜。
堂内には梅鉢紋の古瓦と足利氏の家紋・二つ引両の古瓦がありました。
というか、堂内を見上げると梵鐘がっ!
鐘楼内蔵型の本堂なのかい?
ちなみに外から見ると、この部分が梵鐘がある場所です。
羅漢堂
●羅漢堂
続いて、羅漢堂を参拝。
堂内には江戸時代中期〜明治時代にかけて信者が寄進した五百羅漢像がみっちりと安置されていました。
圧巻を通り越して悪寒を感じるくらいの迫力!
スゴいです!
五百羅漢ということで500体・・・と言いたいところですが、実際には526体も安置されてるんだとか!
ちなみに最前列は大阿羅漢。
いわゆる十六羅漢像。
2列目はお釈迦さんの十大弟子像。
ほんでもって3列目以降に五百羅漢像が安置されています。
よく五百羅漢の中には必ず自分に似た羅漢さんがいる・・・と言われますが、今まで自分に似た羅漢さんに出会ったことないなぁ~。
続いて、羅漢堂を参拝。
堂内には江戸時代中期〜明治時代にかけて信者が寄進した五百羅漢像がみっちりと安置されていました。
圧巻を通り越して悪寒を感じるくらいの迫力!
スゴいです!
五百羅漢ということで500体・・・と言いたいところですが、実際には526体も安置されてるんだとか!
ちなみに最前列は大阿羅漢。
いわゆる十六羅漢像。
2列目はお釈迦さんの十大弟子像。
ほんでもって3列目以降に五百羅漢像が安置されています。
よく五百羅漢の中には必ず自分に似た羅漢さんがいる・・・と言われますが、今まで自分に似た羅漢さんに出会ったことないなぁ~。
烏枢沙摩明王堂・六地蔵・宝篋印塔など
●烏枢沙摩明王堂
●烏枢沙摩明王堂
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
山門のすぐ近くには烏枢沙摩明王像を安置するお堂がありました。
烏枢沙摩明王さんは東司(便所)の守護神。
いわゆるトイレの神様です。
堂内にはいくつかの厨子があったのですが、全ての扉が閉じられていました。
おそらく中央の厨子にウスサマさんがおられると思われます。
その他の厨子にはどなたが安置されているのでしょ?
オールウスサマさんの可能性も・・・(ないか)
●旧鎮守社?
●鳥居
・1773年建立
・明神鳥居
境内には鳥居がありました。
鎮守社でしょうか?
柱には安永2年と刻まれていましたので、なんと1773年の建立!
おそらく天寧寺最古の石造物だと思われます。
(間違ってたらスミマセン)
●狛犬
・1838年奉納
・広島玉乗り型(尾道型)
続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。
尾道の狛犬といえば、やはり広島玉乗り型!
小ぶりながらも威圧感を感じる狛犬ちゃんでした。
そんなことより鎮守社だと思っていたら・・・
まさかの永代供養墓!
鳥居からの狛犬からの石仏群・・・からの永代供養墓・・・
神仏習合的な永代供養墓!?
何だかよくわかんない空間に迷い込んでしまいました!
●六地蔵
続いて、六地蔵さんを参拝。
尾道には六地蔵さんがいるお寺が多いです。
私が参拝したお寺には、ほとんどと言っていいほど六地蔵さんがおられました。
六地蔵さんの前にはたくさんの石仏さんもおられました。
もしかしたら、もともと各所に点在していたのを1ヶ所に集めたものなのかな?
●宝篋印塔
●宝篋印塔
・1867年建立
・1884年建立
境内には3基の宝篋印塔もありました。
1番左側の宝篋印塔が可愛いかったです。
●烏枢沙摩明王堂
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
山門のすぐ近くには烏枢沙摩明王像を安置するお堂がありました。
烏枢沙摩明王さんは東司(便所)の守護神。
いわゆるトイレの神様です。
堂内にはいくつかの厨子があったのですが、全ての扉が閉じられていました。
おそらく中央の厨子にウスサマさんがおられると思われます。
その他の厨子にはどなたが安置されているのでしょ?
オールウスサマさんの可能性も・・・(ないか)
●烏枢沙摩明王とは?
~画像は可睡斎(静岡県袋井市)より~
烏枢沙摩明王とは、火生三昧と呼ばれる炎の世界に住む神様です。
人間界の煩悩が仏の世界へ波及しないように、聖なる炎によって煩悩や欲望を焼き尽くすといわれています。
不浄なものを炎で浄化させるという意味で、禅宗では東司(トイレ)の仏様として祀られることが多いです。
ちなみに烏枢沙摩明王と書いてウスサマ明王と読みます。
烏枢沙摩明王の他に、烏蒭沙摩明王と書かれる場合もあります。
~画像は可睡斎(静岡県袋井市)より~
烏枢沙摩明王とは、火生三昧と呼ばれる炎の世界に住む神様です。
人間界の煩悩が仏の世界へ波及しないように、聖なる炎によって煩悩や欲望を焼き尽くすといわれています。
不浄なものを炎で浄化させるという意味で、禅宗では東司(トイレ)の仏様として祀られることが多いです。
ちなみに烏枢沙摩明王と書いてウスサマ明王と読みます。
烏枢沙摩明王の他に、烏蒭沙摩明王と書かれる場合もあります。
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●旧鎮守社?
●鳥居
・1773年建立
・明神鳥居
境内には鳥居がありました。
鎮守社でしょうか?
柱には安永2年と刻まれていましたので、なんと1773年の建立!
おそらく天寧寺最古の石造物だと思われます。
(間違ってたらスミマセン)
●狛犬
・1838年奉納
・広島玉乗り型(尾道型)
続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。
尾道の狛犬といえば、やはり広島玉乗り型!
小ぶりながらも威圧感を感じる狛犬ちゃんでした。
そんなことより鎮守社だと思っていたら・・・
まさかの永代供養墓!
鳥居からの狛犬からの石仏群・・・からの永代供養墓・・・
神仏習合的な永代供養墓!?
何だかよくわかんない空間に迷い込んでしまいました!
●六地蔵
続いて、六地蔵さんを参拝。
尾道には六地蔵さんがいるお寺が多いです。
私が参拝したお寺には、ほとんどと言っていいほど六地蔵さんがおられました。
六地蔵さんの前にはたくさんの石仏さんもおられました。
もしかしたら、もともと各所に点在していたのを1ヶ所に集めたものなのかな?
●宝篋印塔
●宝篋印塔
・1867年建立
・1884年建立
境内には3基の宝篋印塔もありました。
1番左側の宝篋印塔が可愛いかったです。
三重塔(海雲塔)
続いて、境内のメインエリアからちょっと離れたところにある三重塔へ向けてGO!
メインエリアから三重塔へのルートは3パターンあります。
●天寧寺坂
●ルート①
境内を出て天寧寺坂を登る。
●千光寺通
●ルート②
境内を出て千光寺通(階段)を上る。
●猫の細道
●ルート③
境内を出て猫の細道を登る。
●ルート①
境内を出て天寧寺坂を登る。
●千光寺通
●ルート②
境内を出て千光寺通(階段)を上る。
●猫の細道
●ルート③
境内を出て猫の細道を登る。
遠回りになりますが私的にはルート③の猫の細道がお気に入りです。
●三重塔(海雲塔)
●三重塔(海雲塔)
・1388年建立
・瓦葺 三間三重塔
・高さ 約25m
・国指定重要文化財
そんなこんなで、尾道三古塔の1つ・天寧寺の三重塔に到着。
●尾道三古塔
①浄土寺 多宝塔(国宝)
②西国寺 三重塔(国重文)
③天寧寺 三重塔(国重文)
①浄土寺 多宝塔(国宝)
②西国寺 三重塔(国重文)
③天寧寺 三重塔(国重文)
この塔は1388年に室町幕府第2代将軍・足利義詮さんが建立。
なんと建立当初は五重塔だったんだって!
どどど、どーゆーこと!?
どうやら、1692年に老朽化のため上部の2層(四重目・五重目)を取り除き、三重塔にしたのだとか!
な~んか押し潰されたような外観だなぁ~と思ってたけど、五重塔の下層部で造った三重塔だからズングリムックリな塔になったんだね!
これはなかなか珍しい塔ですねぇ〜。
って、本当に五重塔だったの〜!?
と疑う人がいるかもしれませんが、通常、三重塔の心柱は初層の梁の上に立てますが、この塔は心柱が下まで通っているという!
心柱が下まで通っているのは五重塔の特徴です。
そんなこんなで、三重塔なのに心柱が五重塔の造りになっていることから、以前は五重塔だったということがわかるんですよ~。
ちなみに、五重塔時代の高さは35m前後だったのではないかと考えられてるんだって。
なんと、相輪と1層〜3層目は創建当時のままの姿なんだとか!
基本的には和様ですが、随所随所に唐様(禅宗様)が見られました。
まずは尾垂木のカーブ。
これは唐様(禅宗様)の特徴の1つです。
放射状の垂木である扇垂木。
これも唐様(禅宗様)の特徴の1つです。
柱には粽と礎盤。
これも唐様(禅宗様)の特徴の1つです。
というか、なんと!
現存最古の唐様(禅宗様)五重塔なんだって!(ひぇっ)
何気に超貴重な塔!
塔内には御本尊の弥勒菩薩さまが安置されています。
弥勒菩薩さんは釈迦入滅後56億7000万年後に現れ、釈迦に代わって衆生を救って下さる仏さまです。
おー、ここは雑誌やポスターでよく見る風景だ!
尾道を代表する景色だ!
この三重塔は別名・海雲塔と呼ばれています。
その名の通り、三重塔のバックには海と雲!
まさに海雲塔だ!
御朱印情報
●庫裏
●庫裏
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そんなこんなで、御朱印を頂くために庫裏へ。
庫裏には禅宗のマストアイテムであります開梆が吊るされていました。
そして尾道七佛めぐり2ヶ寺目の御朱印を頂きました!
●通常の御朱印
●尾道七佛めぐり 宝印紙
尾道七佛めぐりでは、3種の授与品があります。
尾道七佛めぐりは特に決まりごとはなく、どのお寺から巡ってもいいし、どの順番で巡ってもいいし、どの授与品を集めてもいいです。
ちなみに私は②宝印紙を集めることにしました。
本当は全部集めたかったのですが、お金が・・・(笑)
ちなみに各寺で宝印紙を頂くと、封筒に各寺の印鑑を押して頂けます。
この印鑑をコンプリートすると記念品の尾道帆布特製の朱印帳袋が頂けるというシステムになっています!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
次の千光寺へ向けてGO!
・2009年2月15日 参拝
・2016年7月15日 再訪
・2024年1月7日 再訪
・2024年2月 最終更新
●庫裏
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そんなこんなで、御朱印を頂くために庫裏へ。
庫裏には禅宗のマストアイテムであります開梆が吊るされていました。
そして尾道七佛めぐり2ヶ寺目の御朱印を頂きました!
●通常の御朱印
●尾道七佛めぐり 宝印紙
尾道七佛めぐりでは、3種の授与品があります。
①専用朱印色紙
・専用朱印色紙(500円)
・御朱印(各寺300円)
※7ヶ寺すべての御朱印を集めると、最後のお寺で満願成就印を頂けます。そして色紙を入れられる掛け軸を頂けます。
②宝印紙
・宝印紙(各寺500円)
※ 7ヶ寺すべての宝印紙を集めると、尾道帆布特製の朱印帳袋を頂けます。
③お守りブレス念珠
・パワーストーン(各寺500円)
・ブレス念珠の作り方セット(300円)
※ 7ヶ寺すべてのパワーストーンを集めると、ブレス念珠を作ることが出来ます。
・専用朱印色紙(500円)
・御朱印(各寺300円)
※7ヶ寺すべての御朱印を集めると、最後のお寺で満願成就印を頂けます。そして色紙を入れられる掛け軸を頂けます。
②宝印紙
・宝印紙(各寺500円)
※ 7ヶ寺すべての宝印紙を集めると、尾道帆布特製の朱印帳袋を頂けます。
③お守りブレス念珠
・パワーストーン(各寺500円)
・ブレス念珠の作り方セット(300円)
※ 7ヶ寺すべてのパワーストーンを集めると、ブレス念珠を作ることが出来ます。
尾道七佛めぐりは特に決まりごとはなく、どのお寺から巡ってもいいし、どの順番で巡ってもいいし、どの授与品を集めてもいいです。
ちなみに私は②宝印紙を集めることにしました。
本当は全部集めたかったのですが、お金が・・・(笑)
ちなみに各寺で宝印紙を頂くと、封筒に各寺の印鑑を押して頂けます。
この印鑑をコンプリートすると記念品の尾道帆布特製の朱印帳袋が頂けるというシステムになっています!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
次の千光寺へ向けてGO!
●御朱印情報
●御朱印の種類
・通常の御朱印
・尾道七佛めぐり(専用色紙)
・尾道七佛めぐり(宝印紙)
●御朱印の料金
・通常の御朱印(300円)
・尾道七佛めぐり 専用色紙御朱印(各寺300円)
・尾道七佛めぐり 宝印紙(各寺500円)
●御朱印の受付場所
・庫裏(納経所)
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
●御朱印の種類
・通常の御朱印
・尾道七佛めぐり(専用色紙)
・尾道七佛めぐり(宝印紙)
●御朱印の料金
・通常の御朱印(300円)
・尾道七佛めぐり 専用色紙御朱印(各寺300円)
・尾道七佛めぐり 宝印紙(各寺500円)
●御朱印の受付場所
・庫裏(納経所)
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年2月15日 参拝
・2016年7月15日 再訪
・2024年1月7日 再訪
・2024年2月 最終更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・9:00~16:30
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩20分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
長江口 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
福山西ICから車で15分
・山陽自動車道
尾道ICから車で15分
●駐車場
・なし
※天寧寺には駐車場はありません。
ですので、車で参拝の方は近隣の有料駐車場を利用することになります。
・9:00~16:30
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩20分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
長江口 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
福山西ICから車で15分
・山陽自動車道
尾道ICから車で15分
●駐車場
・なし
※天寧寺には駐車場はありません。
ですので、車で参拝の方は近隣の有料駐車場を利用することになります。
ディープ尾道の観光記|昭和ノスタルジーな路地散歩|時を超えてさまよい人になる(広島県尾道市)
所在地広島県尾道市概 要古くから海運による物流の集散地として栄えた町。 坂の街・文学の街・映画の街として有名な町。 文学では、林芙美子・志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表。 映画では、小津安二郎監...