長門国分寺の御朱印情報|大黒天に油を掛けて祈願|油掛大黒尊天|(山口県下関市)

所在地山口県下関市南部町4−1
宗 派高野山真言宗
寺 格別格本山
札 所山口十八不動三十六童子霊場 第1番
由 緒741年、聖武天皇の勅命により全国に建立された国分寺の1つ。もともとは長門国府の推定地・忌宮神社付近にあったそうです。戦国時代は大内氏・毛利氏、江戸時代は長府毛利氏の庇護を受けていましたが、明治維新後は次第に寺勢が衰退。その後、1872年に高野山 金剛峰寺の所轄となり、現在地に移転したそうです。1945年、太平洋戦争の下関空襲で本堂が焼失。しかし、寺宝の不動明王立像と絹本着色十二天曼荼羅図は焼失を免れたそうです。
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長門国分寺とは?

●境内入口

下関の人気観光スポットであります唐戸市場・海響館から徒歩10分。
下関市役所の近くにあります長門国分寺に到着。

もともと長門国分寺は現在地から約8km離れた下関市長府の忌宮神社付近(国府跡)にあったそうですが、1890年に現在地へ移転したみたいです。

創建当初は国府に。
現在は市役所の近くに。

場所は変われど、今も昔もお役所の近くにあるお寺さんなのですね。

ちなみに山口県には2つ国府があります。

長門国府(下関市長府)
周防国府(防府市)

長府という地名は門国を略したものといわれています。

そして防府という地名は周を略したものといわれています。

ゴクミやクリカンみたいな感じで、昔の人も略称を使っていたみたいですね。(例えが古い)

ちなみに全国各地に名を残す府中という地名も国府が由来です。

●全国の府中
①府中市(東京)
②府中市(広島)
③府中町(広島)
④府中町(大阪)
⑤府中町(香川)
⑥国府町府中(徳島)
⑦和歌山市府中(和歌山)
などなど

※徳島は府中と書いてこうと読みます。

●長門国分寺とは?

奈良時代、地震や疫病や内乱などが相次ぎ社会情勢が不安定になりました。

そうした中、聖武天皇は仏教の力で国を護る!ということを決定しました。

そんなこんなで741年、聖武天皇は国分寺建立の詔を発令し、日本全国に68もの国分寺を造らせました。

この長門国分寺もそのうちの1つです。

しかし、国司の怠慢や財政難などですぐに全国各地に建立されたという訳ではありませんでした。

長門国分寺については本格的な発掘調査が行われてないため正確な創建年は不明ですが、一説によると長門国分寺は737年創建という説がありますので、もしかしたら聖武天皇の国分寺建立の詔が発令される以前に長門国分寺の前身となるお寺があったのかも知れません。(推測)

ということで、長門国分寺は比較的早い時期に創建されていた国分寺の可能性がありそうです。


平安時代になってからも、全国各地の国分寺は維持されていきますが、律令体制の衰退とともに国家的な援助ができなくなり荒廃する国分寺が増えていきました。
そして、廃寺となる国分寺も増えました。

しかし、宗派を変えるなどして存続を維持できたお寺もあったようです。

現在、全国にある国分寺は改宗再興移転をしたりして続いた国分寺で、純粋な国分寺とは性格も性質も違う新しく生まれ変わった国分寺となります。

そのため現在でも国分寺と名乗る寺院は多数存在しています。

このような寺院のことを後継寺院と呼びます。

由緒によると、長門国分寺は1890年に長門国府跡から8km離れた現在地に移転・再興しているので、もとの性質・場所など全てにおいて全く別物の国分寺となっております。

そんなこんなで、長門国分寺は国分寺という名前だけが残った、絵に描いたような後継寺院となっております。


この長門国分寺は本格的な発掘調査が行われてないため創建当時の姿がいまいちはっきりしません。

現在、長門国分寺跡の遺構は住宅地の曲がり角にある礎石1つのみ・・・。

これが何のお堂の礎石なのかもわかっていません。

もしかしたら、全く関係のないただの石かも知れません・・・さすがにそれはないか。


一説によると、この礎石付近に8町(960m)×6町(720m)程度の境内地があったのではないかと推測されています。

これは他国の国分寺に比べるとかなり小さい寺域となっております。

なぜ寺域が小さいのかというと、単純に地形上の問題といわれています。

境内には仁王門・金堂・東金堂・西金堂・講堂・北円堂・宝堂などが建ち並んでいたといわれていますが、本格的な発掘調査が行われていないため推測にすぎません。

悲しいことに長門国府ならびに長門国分寺は、現在、住宅地になっているため部分的な発掘調査しか行われてないのが現状のようです。

そんなこんなで、より詳しい姿を知るのはかな〜り先のことになりそうです。


ちなみに国分寺には2種類あります。

①国分僧寺(写真左)
・正式名称は金光明四天王護国之寺
・男性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・東大寺
・在籍人数は常時20人

②国分尼寺(写真右)
・正式名称は法華滅罪之寺
・女性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・法華寺
・在籍人数は常時10人

一般的に国分寺といえば国分僧寺のことを指します。


長門国分寺同様、長門国分寺についても本格的な発掘調査が行われていないため謎です。

しかし、奈良~平安時代の古瓦が発掘された下関市長府安養寺3丁目付近が有力な候補地とされています。


そんなこんなで、参拝開始。
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本堂と大師堂

●本堂(瑠璃殿)

●本堂(瑠璃殿)
・昭和時代建立
・鉄筋コンクリート造
・本尊 薬師如来

まずは昭和モダンな本堂を参拝。
この本堂は別名・瑠璃殿と呼ばれているみたいです。

ちなみに薬師如来さんの別名は瑠璃光如来といいます。

ということで、瑠璃殿とは御本尊・薬師如来を安置するお堂という意味になります。

由緒によると、このお寺さんは1945年の下関空襲で本堂を焼失しているみたいです。

ということで、この本堂は戦後に建てられたお堂のようです。

下関空襲は893トンもの焼夷弾が落とされるという大規模な空襲だったそうですが、国重文の不動明王立像十二天曼荼羅図は奈良に疎開していたため焼失を免れたそうですよ。

●不動明王立像
・平安時代初期作
・像高 84cm
・一木造
・国指定重要文化財

●絹本著色十二天曼荼羅図
・鎌倉時代作
・縦 172.2cm
・横 130.3cm
・国指定重要文化財


見上げると青空のような天井。
今日の天気と同じ晴天でしたよ。


●大師堂

●大師堂
・昭和時代建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

高野山真言宗ということで、御本尊はお大師さま。

このお寺さんはとてもこじんまりとした境内ですが、寺格は別格本山
そんなこんなで、とても格式の高いお寺さんのようです。


堂内には御本尊の弘法大師坐像の他に生駒聖天(歓喜天)が安置されていました。

南無大師遍照金剛・・・(^人^)
南無大聖歓喜天・・・(^人^)


ちなみに生駒聖天とは、聖天信仰で有名な奈良・宝山寺の聖天さまのことです。
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油掛大黒尊天

●油掛大黒尊天

●油掛大黒尊天
・建立年不明
・瓦葺 妻入り切妻造
・本尊 油掛大黒尊天

続いて、油掛大黒尊天を参拝。

なんと堂内にはでヌメヌメになった大黒天さんがおられるという!


仏教では4月の花まつり(灌仏会)でお釈迦さまに甘茶を掛けて祈願したり、お地蔵さまやお不動さんにを掛ける信仰がありますが、を掛ける信仰とは珍しいですね。

・・・

・・・・・

と思ったら、油を掛ける信仰は全国に10ヶ所くらいあるそうです!


●全国の油掛大黒天
蓮住寺の油かけ大黒天(秋田市
山形の油掛大黒尊天(米沢市
大観密寺の油掛大黒天(仙台市
東泉寺の油掛大黒天(群馬県利根郡
身延別院の油掛大黒天神(東京都中央区
永泉寺の油掛大黒天(岡崎市
宝珠院の油掛大黒天(大阪市
岡山の油掛大黒尊天(岡山市
長門国分寺の油掛大黒尊天(下関市
・妙見宮鷲頭寺の油掛大黒天(下松市
など


油掛大黒天の始まりについては諸説あるようですが、一説によると宗教上の理由ではなく民間信仰が広まったものといわれています。

なぜ大黒天さまに油を掛ける信仰が広まったのか?

それには次のような故事・由来が伝えられています。

●誤って掛けた説
ある日、京の商人が路端の大黒天像に誤って油を掛けてしまったそうです。
しかしその後、罰が当たるどころか、商売繁盛や良縁が舞い込むなどの福徳が続いたという!

商人は『これは大黒天さまの加護に違いない』と感謝し、その後も油を掛けて祈願するようになったといわれています。


●お供え物の代わり説
油売り商人が油の売り上げの一部で大黒天像にお供えをしていたそうです。
しかしある日、油が売れずお供えをすることができなくなったという。

そんなこんなで、お供え物の代わりに売り物である油を掛けたところ、翌日から商売が繁盛!

そのことにより、商人は大黒天像に油を掛けて祈願するようになったといわれています。


●油で磨いた説
大黒天さまは五穀豊穣の神としてお寺や商人の台所にお祀りされることがあります。
しかし、煮炊きをする台所に祀られているためススで真っ黒になってしまいます。

そんなこんなで、ススで汚れた大黒天像を綺麗にするために油で磨いたことが油掛大黒天の始まりといわれています。


●歓喜天の浴油供説
大黒天さまは密教を通じて日本に伝来した神様といわれています。

密教には、歓喜天像(聖天様)に油を注いで大願成就を願う浴油供(よくゆく)という秘法があります。

また大黒天さまは別名・闘戦塚間浴神と呼ばれ、灰身を油に浴して願いごとを叶える神さまともいわれているそうです。

これらが人々の間に伝わり、いつからか大黒天像に油を掛けることが広まったといわれています。


石仏やお墓にを掛けるのは浄めの意味がありますが、それ以外に生命の根源である水を掛けることによってパワーを頂くという意味もあるそうです。

そんなこんなで、福の神である大黒天像に水より貴重で高価なを掛ければ、もっとたくさんの御利益が得られるのではないのか・・・と昔の人は考えたのかも知れませんね。


ちなみに長門国分寺の油掛大黒尊天はゴマ油が使用されていました。

そんなこんなで、大黒さんの隣にはたくさんのゴマ油が奉納されてましたよ。

こんなにもたくさんの種類があるのかと感心しつつ興味深く物色。

スーパーなみの品揃えですねぇ。


時代のせいか、はたまた大黒天さんの健康を気遣ってか、コレステロールゼロのヘルシータイプが多かったです。


そんなこんなで、とろ~りと油を掛けて参拝。

油ギッシュに黒光りする大黒天さん。

世の中には不思議な信仰があるもんですねぇ。
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稲荷神社と石仏と弘法大師像

●稲荷神社と石仏


その他、境内には稲荷神社石仏さんがおられました。


●弘法大師像

そしてお大師さまがおられました。


そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために寺務所へ。

しかし、住職さんが不在のため御朱印を頂くことができませんでした。

しかし!

住職さんの奥様らしき方が、後日郵送しましょうか?的なことをおっしゃったので、よろしくお願いしますと、御朱印代と郵送代をお渡ししました。

あれから6年・・・

まだ届いてないんだよね(笑)


って、もしかして住所を書き間違えたのかな?

また機会があったら伺ってみようと思います!

そんなこんなで、参拝終了。

素敵なお寺さんでした。
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御朱印情報

●御朱印の種類
・御本尊の御朱印(薬師如来)
・山口十八不動三十六童子霊場の御朱印
(不動明王)

●御朱印の受付場所
・寺務所(庫裏)

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2016年8月11日 参拝
・2022年3月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR下関駅から徒歩30分
・JR下関駅から車で6分

●最寄りのバス停
・サンデン交通
 唐戸 バス停から徒歩5分

●最寄りのIC
・中国自動車道・関門自動車道
 下関ICから車で10分

●駐車場
・境内に駐車スペースあり(無料)

長門国分寺の地図

 

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