所在地 | 長崎県壱岐市勝本町立石南触583−1 |
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祭 神 | 主祭神 ・伊弉册尊・素盞嗚尊・事解男命・速玉男命 相殿神 ・天照大神・国常立尊 ・正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊 ・彦火火出見尊・天津彦彦火瓊瓊杵尊 ・軻遇突智命・埴山姫命・罔象女命 ・稚産靈命・大山祇命 |
由 緒 | 創建年は不詳。創建に関しては壱岐国続風土記や壱岐名勝図誌や壱岐国神社考に記述があるそうですが、それぞれ違った由緒のため正確な由緒は不明の古社です。壱岐十七社の1社として知られ、江戸時代を通じて肥前国平戸藩主が崇敬した神社といわれています。 |
境内入口
●境内入口
壱岐十七社の1社であります熊野神社に到着。
熊野神社と書いてくまのじんじゃと読みます。
この熊野神社は、壱岐の温泉地・湯本温泉から車で5分ほどの山中に鎮座しているのですが、境内入口は本場・紀州熊野の熊野古道を彷彿とさせるような神秘さがありました!
境内は林に囲まれていて、木々から差し込む光がなんとも言えない神秘さを演出していました。
そんなこんなで、神様の視線を感じてしまうような雰囲気に感動してしまい、しばし鳥居前で森林浴ならぬ神林浴をしていたひと時でした。
神々が宿る島!
というキャッチフレーズがピッタリの場所でしたよ。
見た感じ、とてつもない山奥に来ているように見えますが、湯本湾から車で約5分、徒歩でも20分ほどで到着できる低山に鎮座しているという!
壱岐島には高い山はなく、最高峰の岳ノ辻でも標高213m。
島の低さは壱岐島に向かう船からでもはっきりと確認できました。
こちらは標高168mの男岳に鎮座する男嶽神社からの景色です。
たった168mなのに眼下に山々を望めてしまうほどの低山っぷり!
熊野神社が鎮座する山の標高はわかりませんが、間違いなくこの山も標高100m台の低山です。
なのにこの深山っぷり・・・いやはや、色々な錯覚を起こしてしまう不思議な場所だったなぁ。
壱岐十七社の1社であります熊野神社に到着。
熊野神社と書いてくまのじんじゃと読みます。
この熊野神社は、壱岐の温泉地・湯本温泉から車で5分ほどの山中に鎮座しているのですが、境内入口は本場・紀州熊野の熊野古道を彷彿とさせるような神秘さがありました!
境内は林に囲まれていて、木々から差し込む光がなんとも言えない神秘さを演出していました。
そんなこんなで、神様の視線を感じてしまうような雰囲気に感動してしまい、しばし鳥居前で森林浴ならぬ神林浴をしていたひと時でした。
神々が宿る島!
というキャッチフレーズがピッタリの場所でしたよ。
見た感じ、とてつもない山奥に来ているように見えますが、湯本湾から車で約5分、徒歩でも20分ほどで到着できる低山に鎮座しているという!
壱岐島には高い山はなく、最高峰の岳ノ辻でも標高213m。
島の低さは壱岐島に向かう船からでもはっきりと確認できました。
こちらは標高168mの男岳に鎮座する男嶽神社からの景色です。
たった168mなのに眼下に山々を望めてしまうほどの低山っぷり!
熊野神社が鎮座する山の標高はわかりませんが、間違いなくこの山も標高100m台の低山です。
なのにこの深山っぷり・・・いやはや、色々な錯覚を起こしてしまう不思議な場所だったなぁ。
鳥居と手水舎
●鳥居
●鳥居
・江戸時代建立
・鎮信鳥居
鳥居は壱岐名物であります鎮信鳥居。
境内に設置してある説明板によると、1689年に大鳥居を建立。
そして1845年に長谷川栄左ヱ門さんが鳥居を建立と書いてありました。
見事に写真を撮り忘れてしまいましたが、駐車場がある境内東口にも古い鳥居が建っていたので、説明板に書いてあった鳥居の由緒はこの2つの鳥居のことを書いているのだと思います。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって参道へ。
この神社の創建には諸説あるみたいです。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
手水鉢の水はお腐り気味でしたので、水道水でお清めしてきました。
これはもぅ壱岐の神社巡りあるあるです。
●鳥居
・江戸時代建立
・鎮信鳥居
鳥居は壱岐名物であります鎮信鳥居。
境内に設置してある説明板によると、1689年に大鳥居を建立。
そして1845年に長谷川栄左ヱ門さんが鳥居を建立と書いてありました。
見事に写真を撮り忘れてしまいましたが、駐車場がある境内東口にも古い鳥居が建っていたので、説明板に書いてあった鳥居の由緒はこの2つの鳥居のことを書いているのだと思います。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって参道へ。
この神社の創建には諸説あるみたいです。
●説①
壱岐国続風土記によると、和泉守・橘貞兼さんが紀州・熊野本宮から勧請。
その後、立石村の産土神(氏神)になったという説。
●説②
壱岐名勝図誌によると、神功皇后の三韓征伐の際、橘貞兼さんが紀州・熊野大神に祈願。
帰国後、この地に熊野権現を奉斎し祠官を司ったという説。
●説③
その昔、足海(たるみ)に漂着した熊野大神を、橘貞兼さんが奉斎したのが始まりという説。
●説④
730年、遣唐使・多治比広成が官命により勧請したという説。
●説⑤
壱岐国神社考によると、昔から湯本の地は温泉が湧いていたためアタミと呼ばれていたそうです。
そのため湯屋権現と呼ばれていたという説。
●説⑥
布代城主が勧請したという説。
●説⑦
上川の立石氏が勧請したという説。
壱岐国続風土記によると、和泉守・橘貞兼さんが紀州・熊野本宮から勧請。
その後、立石村の産土神(氏神)になったという説。
●説②
壱岐名勝図誌によると、神功皇后の三韓征伐の際、橘貞兼さんが紀州・熊野大神に祈願。
帰国後、この地に熊野権現を奉斎し祠官を司ったという説。
●説③
その昔、足海(たるみ)に漂着した熊野大神を、橘貞兼さんが奉斎したのが始まりという説。
●説④
730年、遣唐使・多治比広成が官命により勧請したという説。
●説⑤
壱岐国神社考によると、昔から湯本の地は温泉が湧いていたためアタミと呼ばれていたそうです。
そのため湯屋権現と呼ばれていたという説。
●説⑥
布代城主が勧請したという説。
●説⑦
上川の立石氏が勧請したという説。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
手水鉢の水はお腐り気味でしたので、水道水でお清めしてきました。
これはもぅ壱岐の神社巡りあるあるです。
鎮信鳥居とは?
鎮信鳥居とは?鎮信鳥居と書いてちんしんとりいと読みます。肥前国平戸藩4代藩主・松浦鎮信さんが寄進したことから鎮信鳥居と呼ばれるようになったんだって。松浦鎮信さんが寄進した後も、平戸藩主や地元民が同型の...
拝殿
●拝殿
●拝殿
・1929年建立
・1989年修築
・瓦葺 妻入り切妻造
続いて、拝殿で参拝。
この神社は式内社・阿多彌神社の論社なんだって。
ちなみに勝本町には阿多彌神社が鎮座しています。
式内社・阿多彌神社と全く同じ社号ですので、当然、勝本町の阿多彌神社も論社になっています。
1676年、肥前国平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社を調査した国学者・橘三喜さんは、壱岐島に鎮座する数々の神社を式内社に比定しています。
そんなこんなで、勝本町の阿多彌神社も橘三喜さんによって式内社に比定されたわけなのですが・・・
勝本町にはアタミ畑があり、古代からその地はアタミと呼ばれていたそうです。 そういった理由から、橘三喜さんはその地に鎮座していた神社を阿多彌(あたみ)神社に比定したのだという。
しかしアタミ畑はアザミ畑が訛ったもので、本来の地名ではないそうです。
アタミといえば温泉。
室町時代初期の壱岐神社考によると、立石村の海辺に温泉があり、昔はアタミと呼ばれていた的なことが記されているそうです。
湯本温泉に近い熊野権現は湯屋権現と呼ばれていたこともあり、近年はこの熊野神社が式内社・阿多彌神社なのではないか?
という見方がされているみたいです。
またやっちゃったよ~、橘三喜さん!
橘三喜さんが査定した式内社にはこういった怪しい由緒が多々あります。
手水舎同様、これも壱岐の神社巡りあるあるです。
そんなことより、橘三喜さんが式内社調査をしていた当時の神主は橘廣貞さんというお方。
なんと、橘三喜さんは神主・橘広貞の次男だという!
そんなこんなで、この熊野神社は橘三喜さんと縁のある神社なのですね!
そういえば説明板には、和泉守・橘貞兼さんが紀州・熊野本宮から勧請・・・神功皇后の三韓征伐の際、橘貞兼さんが紀州・熊野大神に祈願・・・足海に漂着した熊野大神を橘貞兼さんが奉斎・・・と、橘氏のオンパレードだった!
さらに説明板には随身門に祀られている随身像に1477年 願主同 作者橘頼兼と書かれている。頼兼は貞兼・忠兼・正兼などの末裔で、この神社の社務に関わった人といわれている的なことも書いてあったよ!
まさか橘三喜さんが、その橘氏の一族だったとはね!
●拝殿
・1929年建立
・1989年修築
・瓦葺 妻入り切妻造
続いて、拝殿で参拝。
この神社は式内社・阿多彌神社の論社なんだって。
ちなみに勝本町には阿多彌神社が鎮座しています。
式内社・阿多彌神社と全く同じ社号ですので、当然、勝本町の阿多彌神社も論社になっています。
1676年、肥前国平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社を調査した国学者・橘三喜さんは、壱岐島に鎮座する数々の神社を式内社に比定しています。
そんなこんなで、勝本町の阿多彌神社も橘三喜さんによって式内社に比定されたわけなのですが・・・
勝本町にはアタミ畑があり、古代からその地はアタミと呼ばれていたそうです。 そういった理由から、橘三喜さんはその地に鎮座していた神社を阿多彌(あたみ)神社に比定したのだという。
しかしアタミ畑はアザミ畑が訛ったもので、本来の地名ではないそうです。
アタミといえば温泉。
室町時代初期の壱岐神社考によると、立石村の海辺に温泉があり、昔はアタミと呼ばれていた的なことが記されているそうです。
湯本温泉に近い熊野権現は湯屋権現と呼ばれていたこともあり、近年はこの熊野神社が式内社・阿多彌神社なのではないか?
という見方がされているみたいです。
またやっちゃったよ~、橘三喜さん!
橘三喜さんが査定した式内社にはこういった怪しい由緒が多々あります。
手水舎同様、これも壱岐の神社巡りあるあるです。
そんなことより、橘三喜さんが式内社調査をしていた当時の神主は橘廣貞さんというお方。
なんと、橘三喜さんは神主・橘広貞の次男だという!
そんなこんなで、この熊野神社は橘三喜さんと縁のある神社なのですね!
そういえば説明板には、和泉守・橘貞兼さんが紀州・熊野本宮から勧請・・・神功皇后の三韓征伐の際、橘貞兼さんが紀州・熊野大神に祈願・・・足海に漂着した熊野大神を橘貞兼さんが奉斎・・・と、橘氏のオンパレードだった!
さらに説明板には随身門に祀られている随身像に1477年 願主同 作者橘頼兼と書かれている。頼兼は貞兼・忠兼・正兼などの末裔で、この神社の社務に関わった人といわれている的なことも書いてあったよ!
まさか橘三喜さんが、その橘氏の一族だったとはね!
橘三喜の壱岐・式内社調査とは?
橘三喜の壱岐・式内社調査とは?1676年、平戸藩主・松浦鎮信さんは、壱岐国にある式内社24社を調査し、各社の御祭神の名を記録し、後世に残し伝えようと思い立ちました。その際、国学者・橘三喜さんに壱岐国24社の調査...
本殿と狛犬と境内社
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板 一間社流造
●主祭神
・伊弉册尊・素盞嗚尊
・事解男命・速玉男命
●相殿神
・天照大神・国常立尊
・正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊
・彦火火出見尊
・天津彦彦火瓊瓊杵尊
・軻遇突智命・埴山姫命
・罔象女命・稚産靈命 ・大山祇命
熊野神社ということで、御祭神は本場・紀州熊野でお馴染みのラインナップとなっておりました。
そのうち熊野本宮大社で熊野十二所権現としてお祀りされているのは10柱。
ほぼほぼ熊野本宮大社の御祭神が勧請されていました。
勧請されなかったのは神武天皇の父・アエズさんとミヅハノメさん・・・何で勧請されなかったの?
木鼻は龍と獅子。
獅子のクルクルパーマネントな前髪が可愛かったです。
そして蟇股は荒れ狂う波。
かなり気合いの入った作りとなっておりました。
●本殿 中門
・建立年不明
・銅板葺 妻入り切妻造
・薬医門(変態)
本殿前には中門がありました。
通常、薬医門は平入りの切妻造なのですが、なんとこの薬医門は妻入りになっているという!
これはなかなかの珍門ですねぇ。
●本殿 狛犬
・1845年奉納
中門の両サイドには弘化2年に奉納された狛犬ちゃんがおられました。
近い、近いよ!
中門の柱をガン見しています。
●境内社
その他、境内には稲荷神社・正八幡神社・素盞嗚神社・北山神社・祖霊社(立花社)がありました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
●本殿
・建立年不明
・銅板 一間社流造
●主祭神
・伊弉册尊・素盞嗚尊
・事解男命・速玉男命
●相殿神
・天照大神・国常立尊
・正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊
・彦火火出見尊
・天津彦彦火瓊瓊杵尊
・軻遇突智命・埴山姫命
・罔象女命・稚産靈命 ・大山祇命
熊野神社ということで、御祭神は本場・紀州熊野でお馴染みのラインナップとなっておりました。
そのうち熊野本宮大社で熊野十二所権現としてお祀りされているのは10柱。
・イザナミさん(第一殿)
・コトサカさん(第一殿)
・ハヤタマオさん(第二殿)
・アマテラスさん(第四殿)
・オシホミミさん(第五殿)
・ニニギさん(第六殿)
・ホオリさん(第七殿)
・カグツチさん(第九殿)
・ハニヤスヒメさん(第十殿)
・ワクムスビさん(第十二殿)
・コトサカさん(第一殿)
・ハヤタマオさん(第二殿)
・アマテラスさん(第四殿)
・オシホミミさん(第五殿)
・ニニギさん(第六殿)
・ホオリさん(第七殿)
・カグツチさん(第九殿)
・ハニヤスヒメさん(第十殿)
・ワクムスビさん(第十二殿)
ほぼほぼ熊野本宮大社の御祭神が勧請されていました。
勧請されなかったのは神武天皇の父・アエズさんとミヅハノメさん・・・何で勧請されなかったの?
木鼻は龍と獅子。
獅子のクルクルパーマネントな前髪が可愛かったです。
そして蟇股は荒れ狂う波。
かなり気合いの入った作りとなっておりました。
●本殿 中門
・建立年不明
・銅板葺 妻入り切妻造
・薬医門(変態)
本殿前には中門がありました。
通常、薬医門は平入りの切妻造なのですが、なんとこの薬医門は妻入りになっているという!
これはなかなかの珍門ですねぇ。
●本殿 狛犬
・1845年奉納
中門の両サイドには弘化2年に奉納された狛犬ちゃんがおられました。
近い、近いよ!
中門の柱をガン見しています。
●境内社
その他、境内には稲荷神社・正八幡神社・素盞嗚神社・北山神社・祖霊社(立花社)がありました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
ファミリーマート
参拝後、オシッコに行きたくなったのでトイレがありそうなところを検索。
すると熊野神社から車で3分のところにコンビニを発見!
そんなこんなでファミリーマートに向かってGO!
しかしコンビニはありませんでした・・・
つぶれたのかなぁ・・・
と思ったら!
コンビニじゃなかった
笑い過ぎてオシッコがもれましたよ。
御朱印情報
●御朱印の種類
・熊野神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・月讀神社の社務所(授与所)
※熊野神社には宮司さんは常駐していません。
御朱印は月讀神社の社務所(授与所)で頂くことになります。
●月讀神社の社務所(授与所)
熊野神社の御朱印は月讀神社の社務所(授与所)で頂けます。
宮司さんは月讀神社と國片主神社と覩上神社と熊野神社を兼務しています。
宮司さんのご都合により不在の場合がございますので、事前に電話確認することをオススメします。
●月讀神社の社務所
・10:00〜17:00
●月讀神社の連絡先
・0920-45-4145
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
熊野神社の御朱印は月讀神社の社務所(授与所)で頂けます。
宮司さんは月讀神社と國片主神社と覩上神社と熊野神社を兼務しています。
宮司さんのご都合により不在の場合がございますので、事前に電話確認することをオススメします。
●月讀神社の社務所
・10:00〜17:00
●月讀神社の連絡先
・0920-45-4145
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
●御朱印の料金
・500円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2022年8月28日 参拝
・2022年9月 更新
月讀神社の御朱印|月読神社の総本社|もともとは山の神だった(長崎県壱岐市)
所在地長崎県壱岐市芦辺町国分東触464祭 神月夜見命・月弓命・月読命社 格式内大社(名神大)由 緒創建年は不詳。日本書紀によると、京都・松尾大社の境外摂社である月讀神社は壱岐の県主の先祖・忍見宿...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・郷ノ浦港から車で15分
・芦辺港から車で15分
・印通寺港から車で20分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で20分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
国民宿舎前 バス停から徒歩15分
・壱岐交通
湯ノ本 バス停から徒歩20分
・壱岐交通
伊志呂 バス停から徒歩20分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
・境内東口に駐車スペースあり
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・郷ノ浦港から車で15分
・芦辺港から車で15分
・印通寺港から車で20分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で20分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
国民宿舎前 バス停から徒歩15分
・壱岐交通
湯ノ本 バス停から徒歩20分
・壱岐交通
伊志呂 バス停から徒歩20分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
・境内東口に駐車スペースあり
壱岐島の御朱印情報まとめ(28種)|受付場所・受付時間・初穂料・オリジナル御朱印帳など
壱岐島で頂ける御朱印をまとめてみました。白沙八幡神社●御朱印の種類・白沙八幡神社の御朱印・海神社の御朱印●御朱印の受付場所・白沙八幡神社●不在の場合・白沙八幡神社の拝殿内に...