木華佐久耶比咩神社の御朱印~岡山県倉敷市福江1671−4~

都道府県別
住 所岡山県倉敷市福江1671−4
祭 神木華佐久耶比咩命・大山祇命・大名持命(大国主命)
由 緒平安時代初期に創建した神社で、備前国式外128社の内の1つらしい。中世~明治時代、熊野五流一山の修験道場として栄えたという。江戸時代、備前・池田藩が祈願所として崇敬。もともとは福南山明現宮という社名で福南山の頂上に鎮座していたが、1948年に不審火で焼失してしまったという。1953~1976年、山麓の現在地に移転しました。
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美の女神・コノハナサクヤヒメを祀る
その名もコノハナサクヤヒメ神社

●コノハナサクヤヒメは絶世の美女
美と縁結びと安産の神様・コノハナサクヤヒメを祀る木華佐久耶比咩神社をお参りしてきました。

●コノハナサクヤヒメのザックリとした家族構成
●父・・・オオヤマヅミ
●姉・・・イワナガヒメ
●夫・・・ニニギ
●子・・・ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)
●孫・・・ウガヤフキアエズ
●ひ孫・・カムヤマトイワレビコ(神武天皇)

●ニニギの選択。もし私がニニギだったら・・・
笠沙の岬でコノハナサクヤヒメと出会ったニニギ。ニニギはコノハナサクヤヒメのあまりの美しさにひと目惚れ。そしてニニギはコノハナサクヤヒメに求婚しました。父・オオヤマヅミはそれをひどく喜びました。そしてオオヤマヅミはニニギの元を訪れ、コノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメをセットにして差し出しました。しかしニニギは姉のイワナガヒメをオオヤマヅミの元に返しました・・・なぜならイワナガヒメは不美人だったからです。

オオヤマヅミはニニギにこう言います。
コノハナサクヤヒメは美しいけど、桜の花のようにすぐに散ります(短命)。だから不美人だけど岩のように永遠の命を持つイワナガヒメをセットにして差し出したのです。』

しかしニニギは美人のコノハナサクヤヒメだけと結婚しました。

ニニギの子孫は短命になるだろう・・・

それまで神様には寿命がなかったが、この一件以来、神様に寿命ができました。

もし私がニニギだったら・・・両方もらう(即答)。

●コノハナサクヤヒメご懐妊!
何はともあれ深い愛で結ばれた2人。しかし一夜しか過ごしてないのにコノハナサクヤヒメは妊娠してしまいました。当然ニニギは疑います・・・この子は自分の子ではない・・・国津神の子ではないかと。コノハナサクヤヒメは激怒します。そして疑いを晴らす為に産屋に入り『天津神であるニニギの子であれば、何があっても無事に産めるはず!』と誓約をたて、産屋に火を放ちました。火の海となった産屋・・・しかしその中でホデリとホスセリとホオリを産みました。そんなこんなでコノハナサクヤヒメの疑いは晴れました。ちなみにホオリの孫が初代天皇の神武天皇です。

このサイトでニニギとコノハナサクヤヒメの結婚などをわかりやすくイラストで紹介してくれてます。

[19]ニニギの結婚と天皇の寿命
ニニギ、美しい娘に出会う ニニギは笠沙(かささ)の岬(鹿児島県薩摩半島の西南部)で美しい娘に出会ったんだ。 美しい娘に会ったのでお約束どおり「お前はだれの娘か」と訪ねたよ。 (古事記では、お前どこ中だよ?くらい、父親は誰
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社殿

●福南山の麓に鎮座してます

●拝殿・・・2000年建立 唐破風・千鳥破風付き入母屋造
もともとは福南山の山頂に鎮座していましたが、1953~1976年、山麓の現在地に移転したそうです。



●拝殿の蟇股
蟇股には神紋が彫刻されてました。神紋は桜の中に木の文字です。コノハナサクヤヒメを表したものと思われます。

●拝殿の神額
ちなみに木華佐久耶比咩とは
木華 →
佐久 → 咲く
比咩 → 女性
という意味で桜の花が咲くように美しい女性という意味らしいです。



●本殿・・・2000年建立 一間社流造



本殿の木鼻と龍の彫刻。かなり気合の入った彫刻で飾られた本殿でした。



脇障子にはワシもしくはタカの彫刻。・・・ワシとタカの区別ができない私です。

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奥宮があります

●本殿裏に奥宮への登山口がありました

もともとこの神社は福南山の山頂に鎮座してましたが、1948年に火災で焼失したそうです。その後、福南山の麓の現在地に遷座しました。山頂の境内からは土師部土器や祝部土器などの弥生式土器が出土し、古代から祭祀が執り行われてたことを物語ってます。また山には十二天狗様がいるという言い伝えがあり、月替わりで神様をおまもりしてるそうです。

山頂まで徒歩で25~30分とのことです。

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その他の見所


●富士山本宮浅間大社遥拝所
中国地方では珍しく富士山本宮浅間大社の遥拝所がありました。富士山本宮浅間大社の主祭神はコノハナサクヤヒメです。どうやらこの木華佐久耶比咩神社は富士山本宮浅間大社の分霊を勧請した神社のようです。

●日露戦争凱旋碑・・・1906年建立

●歌碑・・・1978年建立
12代宮司・三宅光信と長男・素峰が建立したそうです。

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御朱印

御朱印は拝殿内に書置きがありました。
どうやら神職さんは常駐していないようです。
その為、御朱印のほかお守りなど、全てセルフになっております。

木華佐久耶比咩神社の地図

 

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