比婆山久米神社(熊野神社)の御朱印~イザナミの御陵~(島根県安来市伯太町)

所在地島根県安来市伯太町横屋486
祭 神伊耶那美命
由 緒創建年は不詳ですが、出雲国風土記に久米社と記載されていることから、少なくとも奈良時代には存在していた神社とのことです。古事記に『かれその神避りし伊弉那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき』と記載されており、比婆山山頂にある古墳が伊邪那美命の御陵と伝わってます。社名の『久米』の語源は『コムル(隠し奉る)』ということで、これは伊邪那美命の霊をお祀りしたという意味なんだそうです。 1534年、火災により奥宮が焼失。1558~1570年、兵火により全山が焼土と化したそうです。その後、1673年に比婆山山麓に社殿を遷しましたが、1713年に奥宮を元の比婆山山頂に再建。1871年、社名を熊野神社と改称。古くより各地の豪族からの崇拝が厚く、尼子氏や母里藩の祈願所として栄えたといいます。下の宮(里宮)は1938年、火災により焼失しましたが、1944年に再建したそうです。
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下の宮の鳥居と狛犬

●宮乃前橋

イザナミさんが眠る比婆山久米神社に到着。
創建年は不詳ですが、出雲国風土記久米社と記載されているので、少なくとも奈良時代には存在していた古社のようです。

ちなみに、比婆山久米神社には下の宮奥の宮があります。
古事記によると、この神社が鎮座する比婆山は、国生みの神・伊邪那美命が葬られた場所と記載されています。

そして、比婆山山頂にある古墳(奥の宮)がイザナミさんの御陵と伝わるんだと!

いやはや~、イザナミさんの御陵とか神話好きには脳汁垂れ流しのワードですね!
ということで、イザナミさんのお墓参りをするため、比婆山久米神社・奥の宮へ向けてGO!

そんなこんなで、駐車場のすぐ近くにある宮乃前橋を渡ると下の宮の鳥居前に到着。


●下の宮の鳥居

●下の宮の鳥居
・建立年不明
・両部鳥居

ちなみに、御朱印に里宮と書いてあったので、この下の宮は別名・里宮とも呼ばれてるみたいです。


鳥居の扁額には、比婆山大宮と書かれていました。


●下の宮の参道

鳥居をくぐると、古代感のある細い木の注連柱に到着。


●下の宮の狛犬

●下の宮の狛犬
・建立年不明
・出雲構え獅子

建立年は確認できませんでしたが、なかなか古そうな狛犬です。

出雲地方は来待石の産地だけあって、来待石の石造物が多いです。
来待石はもろい石のため古い狛犬は崩れてるものが多いのですが、この狛犬は比較的綺麗に形が残ってました。
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下の宮の拝殿と本殿

●下の宮の拝殿

●下の宮の拝殿
・建立年不明
・銅板葺 平入りの切妻造



そんなこんなで、参拝。
パンパン!
奥の宮登拝の無事と安全を祈る。

ちなみに神紋は亀甲紋に比でした。


●下の宮の本殿

●本殿
・建立年不明
・銅板葺 神明造
・伊耶那美命を祀る


本殿は神明造でした。
大社造同様、神明造も古代感があって好きです。


棟には千木と5本の鰹木。
女神であるイザナミさんが祀られてるため、千木は内削ぎになってます。

それにしても、トロけた感じになってる鰹木が可愛いですなぁ。


●境内の風景

拝殿前から望む。
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伊邪那美命の御陵への道

●比婆山登山口

そんなこんなで、イザナミさんが眠る比婆山山頂に向けて登山開始。
どうやら山頂までは1050mあるみたいです。
この1050mは、高低差じゃなく歩行距離だと信じたい!


案内図によると、社祠峰を越えた御陵峰の頂上に伊邪那美命の御陵があるみたいです。


●比婆山登山道


登山道は比較的整備されてるほうですが、一部荒れた道があるのでそれなりの装備をしたほうがよさそうです。

あと数ヶ所、岩がむき出しになった道があるので、滑りにくいトレッキングシューズが望ましいかと(余計なお世話ってか)

ちなみに私はスニーカーだったため、何度か滑りました。
(山をナメるな!)



途中、霊社さん玉抱石鎖場などの見所がありました。


そんなこんなで、登って登って登って・・・
山頂が近づくにつれ雪道になってきました!

そしてイノシシの足跡が!
どうやら、イノシシも山頂に向かって歩いてる模様・・・ということは、この先にイノシシがいるってことかぃ!?!?


そんなこんなで、イノシシに先導される形でザクザクと登る・・・なんだか和気清麻呂になった気分です。
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奥の宮の鳥居と社殿跡(社祠峰)

●奥の宮の鳥居


そんなこんなで、奥の宮の鳥居に到着!
やたらと開けた空間で気持ちよかったです。
そして休憩所もありました。
ということで、ひと休み。
なんかお菓子でも持って来ればよかったなぁ。


●奥の宮の社殿跡

どうやら、もともとはここに拝殿と本殿があったみたいです。

へぇ~、そうなんだぁ~

そっかぁ・・・

・・・社殿かぁ

・・・・・・

山頂に社殿があるって聞いたけど!?


どうやら、ここは社祠峰で、奥の宮がある御陵峰は次の峰のようです!

ここちゃうんか~ぃ!


ということで社祠峰に別れを告げ、再びイノシシに先導される形で御陵峰に向かいました。

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奥の宮の拝殿と本殿

●比婆山久米神社・奥の宮

そんなこんなで、いろいろとありましたが無事、比婆山久米神社・奥の宮に到着。

ちなみに社祠峰から御陵峰は、ゆっくり歩いて約15~20分です。


●奥の宮の狛犬

●奥の宮の狛犬
・建立年不明
・出雲構え獅子

下の宮の狛犬と同様、来待石の出雲構え獅子でした。
過酷な環境のわりには、いい状態で残ってます。


●奥の宮の拝殿


●奥の宮の拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

拝殿は山陰名物であります石州瓦の入母屋造。

扁額には雲伯堺と書かれておりました。
雲伯とは、出雲国(島根県東部)と伯耆国(島根県西部)のことです。

ということでこの扁額は、古事記に記されている『かれその神避りし伊弉那美の神は、出雲の国と伯伎の国の堺、比婆の山に葬りき』を意味してるものと思われます。


ちなみにその昔、この御陵峰は禁足地だったらしく、一般人は入山することができなかったんだって。


●奥の宮の本殿

●奥の宮の本殿
・建立年不明
・銅板葺 大社造
・伊邪那美命を祀る

本殿は出雲名物であります大社造
下の宮は神明造で、奥の宮は大社造という。
下の宮も奥の宮も、古代感バッチリの本殿です。


社殿の横には、落下した鰹木と懸魚。
高い山だから、簡単には修復できないんだろうなぁ・・・。

伊邪那大神御神陵(伊邪那美命の御陵)

●伊邪那美命の御陵

そんなこんなで、イザナミさんの御陵に到着!

古事記に記されているかれその神避りし伊弉那美の神は、出雲の国と伯伎の国の堺、比婆の山に葬りきはここ!

また社名である久米の語源は、コムル(隠し奉る)ということらしく、これは伊邪那美命の霊をお祀りしたという意味らしいです!


そんなこんなで、本殿裏にあるこの古墳が伊邪那美命の御陵なんですって!

なんだろう、ここだけ空気感が違います。
めちゃくちゃ神気に満ちた空間!

ちなみに、イザナミさんの御陵の伝承地は諸説あり、広島・島根・鳥取の3県の県境に存在しているそうです。



もしかしたら全然違う人の古墳かもしんないけど(笑)

でも、こういうのは信じた方が俄然楽しめる。
それが浪漫!


そんなこんなで、長年の念願だったイザナミさんのお墓参りができたので御満悦。


●陰陽竹

この竹は比婆山にしか繁殖しない植物なんだそうです。

イザナミさんが出産の際、比婆山に登り、手に持っていた杖を地中に立てたんだって。
そして、その杖が根を出して葉を広げ、陰陽竹になったという!

登山道入口から奥の宮までの時間

●登山道入口から奥の宮までの時間
あんまり参考にならないと思いますが、登山口から比婆山久米神社・奥の宮までにかかった時間を書いておきます。

●私の場合
・歩くスピード・・・かなり遅い
・体力・・・人並
・休憩・・・多め

●比婆山登山口・・・13:50
●鎖場・・・14:05
●奥の宮・鳥居(社祠峰)・・・14:30
●奥の宮(伊邪那美命の御陵)・・・14:50

大体こんな感じで、約1時間の登山となりました。
参拝時間や下山時間を考えると、だいたい往復2時間くらいでした。

奥の宮からの景色

●尼子道

奥の宮の前には尼子道という登山道もありました。
どうやら比婆山久米神社・奥の宮へは、いくつかの登山道があるみたいです。


●奥の宮からの景色

木の隙間から下界を望む。
イザナミさ~~~ん。
この国を産んでくれてありがとう~~~!

と、心の中で感謝をのべました。


いやはや、素敵な時間だったなぁ。

もうひとつの伊邪那美命の御陵

御朱印情報

●御朱印情報

御朱印は、比婆山久米神社・下の宮の拝殿内に書置きが用意されてました。
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比婆山久米神社(下の宮)の地図

比婆山久米神社(奥の宮)の地図

 

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