萬福寺の御朱印~雪舟庭と仏像観賞~(島根県益田市)

所在地島根県益田市東町25−33
宗 派時宗
札 所石見三十三観音霊場 客番
由 緒平安時代に創建。もとは安福寺と号し、石見国・中洲浦にあった天台宗の寺院でしたが、1313年に第4代・呑海上人が再興し時宗の道場となったそうです。1400年、益田兼見がこの地に移築し、寺号を萬福寺と改称。そして、益田氏の菩提寺となったそうです。雪舟が作庭した庭園が有名で、また1866年に江戸幕府と長州藩が戦った第2次長州戦争石州口の戦いの舞台となったお寺としても知られています。
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山門

●山門

雪舟庭ならびに第二次長州戦争・石州口の戦いで有名な萬福寺に到着。

時宗といえば一遍上人。
一遍上人はお寺を持たず、宗派を立てず、生涯のすべてが遊行でした。

そんなこんなで一遍上人は、南は鹿児島から北は岩手まで遊行スタイルで布教するのですが、島根には訪れてないといわれています。

ということで、島根県ではなかなか出会うことのない時宗寺院。
というか、時宗は全国に400ヶ寺しかないので、全国的にもなかなか出会えないのですが。

そんなレアな宗派ということもあって、時宗は私的エクスタシーポイントなんです。
・・・って、私のエクスタシーポイントの話しなんてどうでもいいってか!

そんなこんなで、参拝開始。


●山門
・建立年不明
・本瓦葺 切妻造 四脚門

このお寺はもともと安福寺という寺名で、かつては益田五福寺の1つだったんだって。

しかし1026年の大津波で、五福寺はことごとく破壊されたそうです。。。

ちなみに益田五福寺の内訳はこちら。
①安
②専
王寺
④妙
⑤蔵



それにしても立派な山門でした。
建立年はわかりませんが、それなりに古そうな門でした。

萬福寺と聞くと黄檗宗の総本山を連想してしまうため、この山門がどこかしら中華風に見えてしまったひと時。

よく見てみたら木鼻が禅宗様タッチですし、雪舟ゆかりのお寺ですし。
でも由緒を見る限り禅宗との関わりはなさそうです。

レゴのような木鼻が印象的な門だったなぁ。


屋根瓦には、益田氏の家紋であります上がり藤に久の字

このお寺は益田氏の菩提寺です。
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本堂

●本堂

●本堂
・1374年建立
・桟瓦葺 寄棟造
・国指定重要文化財



派手な装飾はなく室町建築にありがちなシンプルな造りになっていました。

シンプルになればなるほど、和の心が染み渡りますなぁ。
好きだなぁ、この本堂。


そんなこんなで、拝観料を払って堂内へ。

思わず、おぉぉぉ〜と声を出してしまったくらい太い柱!

大袈裟かも知れませんが、鎌倉時代の空気がそのまま詰まっているような空気感でした。


なんとこの柱には、第二次長州戦争・石州口の戦いの際に撃ち込まれた弾痕が残ってるという!

この萬福寺は浜田藩の本陣となっていたため、長州軍に撃ち込まれたということですね!

ちなみに石州口の戦いで長州軍の参謀を務めたのは大村益次郎。
そして、指揮役は清末藩主・毛利元純とのことです。

●長州戦争(四境戦争)とは?
長州戦争(四境戦争)とは、1864年と1866年の2度に渡って行われた幕府軍 vs 長州軍の戦いです。
長州目線では四境戦争と呼ばれています。

江戸幕府が過激な長州藩を処分するために行われた戦争ですが、結果は長州藩の連勝。
幕府の力のなさが露呈する戦いとなりました。

ちなみに、長州軍の本陣は妙義寺です。
妙義寺の御朱印~益田氏の菩提寺~(島根県益田市七尾町)
所在地島根県益田市七尾町1−40宗 派曹洞宗札 所中国地蔵尊霊場 第20番由 緒1264〜1275年、臨済宗のお寺として創建。その後、1394年に益田秀兼が寺領370余石を寄進し曹洞宗に改宗。そし...



本尊は阿弥陀如来坐像



●竜虎鷹鍾馗図
・江戸時代作

こちらは、竜・虎・鷹・鍾馗がそれぞれ表裏一組となった杉戸です。

どうやら、もともとこの杉戸は庫裏にあったもののようです。

鷹と虎は着色。
竜と鍾馗は墨絵になっていました。
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仏像観賞

●仏像観賞

本堂内には萬福寺ゆかりの品々が展示されているミニ資料室がありました。

小ぶりながらも平安から江戸にかけての古仏が多数展示されていて、小さな資料室のわりに濃いラインナップになっておりました!


●阿弥陀如来坐像
・鎌倉時代作

もともとは萬福寺の末寺・荘厳寺の本尊として安置されていた仏像さんのようです。


●天部形立像(写真左)
・平安時代作
・益田市指定文化財

この破損仏は、もともと萬福寺の前身の安福寺に安置されていたもののようです。

1026年の大津波で流されて、漂着したものなんだって!

●普賢菩薩像(写真右)
・江戸時代作


●阿弥陀三尊像(写真左)
・江戸時代作

・左 → 勢至菩薩立像
・中 → 阿弥陀如来立像
・右 → 観世音菩薩立像

●青面金剛像(写真右)
・江戸時代作

青面金剛とは、庚申講の本尊で、三尸(さんし)を押さえる神です。


●千手観音立像(写真左)
・江戸時代作

●如意輪観音像(写真右)
・江戸時代作


その他、釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩が描かれた掛け軸がありました。

なぜかザビエル風に仕上がっております。


そんなこんなで
ババ〜ン!

中でも1番インパクトがあったのはこちら。

この髑髏は、1026年の津波で溺死した人のものなんだって!
25歳くらいの女性と7〜8歳くらいの子供のものといわれています。

なんだか夢に出てきそうだよ!



●千手観音菩薩像
・平安時代作
・益田市有形文化財

さらに本堂裏にも古仏などが拝観できるミニ資料室がありました!


●持国天像(写真左)
・平安時代作
・益田市有形文化財

●多聞天像(写真右)
・平安時代作
・益田市有形文化財

その他、絹本著色二河白道図(国重文)や益田兼堯像図などがありました。

見応えタップリでお腹いっぱいです。
(萬福寺だけに)
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萬福寺庭園(雪舟庭)

●萬福寺庭園(雪舟庭)

そんなこんなで
はいドーーーン!

書院からは雪舟が作庭した素敵な庭園がありました!

お寺の方がすごく丁寧に説明してくださるので、かなり濃密な時間を過ごすことができましたよ。


●萬福寺庭園(雪舟庭)
・1479年作庭
・雪舟 作
・国の名勝
・国の史跡

雪舟は大内氏に保護されていたこともあって山口ゆかりの人物というイメージが強いですが、実は益田市にもたくさんの足跡を残しているという!

大内氏の重臣・陶氏と益田氏は姻戚関係ということで、大内氏と益田氏は親密な関係だったそうです。

そんなこんなで1479年、雪舟は益田兼堯からの招きで益田を訪れたという。
その時につくられたのが、この庭園なんだって。

ちなみに雪舟の終焉地も益田です。
益田市にある大喜庵に雪舟のお墓があります。



お庭は須弥山式の庭園になっていました。

ということで、築山のてっぺんには須弥山を表す石組がありました。

仏教思想では、須弥山は8つの山と海に囲まれるといわれているので、須弥山石の周りにもたくさんの石が配されています。

ちなみに蓬莱山式庭園は道教の蓬莱神仙思想。
須弥山式庭園は仏教思想による庭園です。


お寺の方の説明によると、 1番手前の平たい石は礼拝石

そして心字池のほとりにある4つの石がだという!
・・・橋???
見えないんですけど・・・(^^;)

どうやらこの橋は、心で橋を想像するという禅の教えからきているものなんだって!

ひぃ~、勉強になります!
いやはや、お庭観賞は奥が深い。


書院より庭園を望む。

素敵なお庭だったなぁ~。
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境内の風景



本堂前には雪舟像がありました。


また来たいです^^

御朱印情報

●御朱印の種類
・阿弥陀如来

●御朱印の受付場所
・本堂 拝観受付

●御朱印の受付時間
・8:30〜17:30
(冬季17:00まで)

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

参拝日
・2009年10月17日
・2019年12月20日
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参拝情報とアクセス

●拝観時間
・8:30~17:30
(冬季17:00まで)

●定休日
・年中無休

●拝観料
・一般 500円
・高校生 300円
・小中学生 無料

●最寄りの駅
・JR益田駅から徒歩30分
・JR益田駅から車で6分

●車
・中国自動車道
 戸河内ICから約70分
 六日市ICから約70分

・浜田自動車道
 浜田ICから約50分

●バス
・JR益田駅から
 石見交通バス・医光寺行きで8分
 折戸下車 徒歩5分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

萬福寺の地図

 

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