高津柿本神社の御朱印~万葉歌人・柿本人麻呂を祀る~(島根県益田市)

所在地島根県益田市高津町上市イ2612−1
祭 神柿本人麿命
由 緒724~729年、万葉歌人・柿本人麻呂の終焉地とされる鴨島に人丸社を創建したのがこの神社の始まりといいます。しかし、1026年の大津波で鴨島は消滅してしまったという。その際、柿本人麻呂の神像が松崎に流れ着いたため、その地に社殿を再建。そして、1681年に津和野藩主・亀井茲親が高津城があった現在地に移転したそうです。1723年に一千年祭の行われ、朝廷から正一位柿本大明神の神位神階を贈られたといいます。以来、皇室から崇敬され、歴代天皇が短冊を奉納したという。
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鳥居と楼門と狛犬

●境内入口

万葉歌人・柿本人麻呂を祀る高津柿本神社に到着。

柿本人麻呂は万葉集において第一の歌人であり歌聖と称えられるお方です。

名前に麻呂ってついてるので、勝手に都出身というイメージを持っていましたが、実は益田市出身という説があったりするという!

そんなこんなで、柿本人麻呂は益田市と縁が深いお方なんだなぁ。

ちなみにこの神社は、全国に約250社ある柿本神社の本社と主張しているそうです。

一体全体、どんな神社なんでしょ。
ドキドキワクワク。

そんなこんなで、参拝開始。


●鳥居と参道

高津柿本神社の名で知られていますが、この神社の正式名称は柿本神社

同じ益田市に鎮座する戸田柿本神社と区別するために高津柿本神社と呼ばれてるんだって。

鳥居の先には139段の石階段。
どうやら、この神社は鴨山(高角山)山頂に鎮座しているみたい。
もともとこの地には高津城があったそうですが、1681年に津和野藩主・亀井茲親が現在地に移転したんだって。


●楼門

●楼門
・1681年建立
・1891年改修
・2005年大改修
・瓦葺 五間一戸 入母屋造
・津和野藩主・亀井茲政が建立

そんなこんなで石階段を上ると大きな楼門がドーンと現れました。

近年の大改修のせいか、ややチープではありますが、まるでお寺の三門を彷彿とさせる立派な門でした。


神額には正一位柿本神社の文字。
これは有栖川宮熾仁親王の筆なんだって。


楼門には、奉納された詠歌や工芸品みたいな陶器の人形が展示されていて、ちょっとしたミニ資料室になっていましたよ。

特にワクワクするような物はありませんでしたが、なんだかんだ全品鑑賞。


●参道の石階段

そんなこんなで楼門をくぐると、再び石階段が登場。

階段脇にはたくさんの短歌がブラ下がっていました。


どうやら万葉集に登場する植物をテーマにした短歌のようです。

ということで、いちいち読みながら歩く・・・なかなか前に進めない(笑)


●狛犬

●狛犬
・1790年奉納
・浪速型
・和泉砂岩製
・島根下最古の狛犬

境内には島根県で最古といわれる狛犬ちゃんがおられました。

銅の目玉がハメこまれていることもあって、目力がスゴいなぁ。
砂岩製ですが、かなり良い状態で残っていましたよ。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・1998年再建
・銅板葺
・軒唐破風 妻入り入母屋造
・通称 人麿神社・人麿さん

そうこうしていると、拝殿前に到着。

こちらの社は1998年に再建された若い建物です。

なんと社殿は、津和野城からも参拝ができるように津和野方面を向いて建ってるんだって。

拝殿の横には亀趺碑がありました。
碑文は柿本神社の由緒が記されているそうですよ。

噂によると、碑文に書かれた文字を間違えずに読み切ると亀が動き出すんだって!

動き出したら怖いから、読まなかったよ!


柿本人麻呂は歌道を始め、学問や農業の神として崇敬されています。

また、恋の歌をたくさん残していることから、恋愛成就を願う人が多いそうですよ。

さらに、石見産紙の祖神とされることから殖産の神として崇敬されるほか、人麿(ひとまる) → 火止まる → 人産まるみたいな感じで、火防や安産の神としても崇敬されてるんだって。


拝殿の両脇には大きな随身像が座っておられました。

拝殿内に随身さんがおられることはたまにありますが、拝殿の入口におられるのってちょっと珍しいですね!

なんとなく、拝殿と随身門を合体したような造りでした。


●本殿

●本殿
・1712年建立
・檜皮葺 妻入り入母屋造
・春日造変態
・島根県指定有形文化財

それにしても大きな本殿でした。

本殿内は、津和野藩主・亀井家の家紋・四ツ目結び紋が付いた板扉で内陣と外陣を区切っていて、内陣の須弥壇には等身大の人麿神像が安置されてるんだって。


そんなこんなで、本殿鑑賞。

本殿には唐破風向拝が付いていて、屋根の鬼には亀井家の家紋・四ツ目結び紋を確認することができました。

妻入りの入母屋造ですが、正面にだけ庇が接続されていたので春日造に似た造りになっているという。
いわゆる春日造の変態です。

千木や鰹木などはなく、本格的な春日造と違い全体的にドテッとした重量感のある造りでした。
ちょっと珍しい建物ですね!
あと、赤く塗られた壁が印象的でした。
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人麿公像

●人麿公像

拝殿前には柿本人麻呂像がありました。

よく見ると右手に筆、左手に瓦(?)を持っていました。

瓦の寄進でもするのかしら?


●柿本人麻呂とは?

ザックリと簡単に柿本人麻呂とは、飛鳥時代に活躍した万葉歌人です。

万葉集約4500首のうち約450首の作者とされ、歌聖とたたえられるお方です。

晩年、石見国の役人として赴任し、租税の重要な役割を持つ紙をすく技術を教えたため、石見和紙の礎を築いたお方とされています。

鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ という歌を残し、石見国の鴨山で没したといわれています。

しかし、これほどにまで有名なお方にも関わらず国史に登場しないため、その生涯は多くの謎に包まれています。

ということで
詳しいプロフィールはほぼ皆無です。


●柿本人麻呂の生誕地と死没地
●生誕地
・島根県益田市 説。
・奈良県葛城市 説。
・奈良県天理市 説など。

●死没地
・益田市 鴨島説
・浜田市 鴨山説
・江津市 神山説
・邑智郡 湯抱説

生誕地はバラバラですが、死没地は島根県に集中しているみたいです。


●柿本人麻呂の様々な説
●説① 死罪説
柿本人麻呂は宮廷の政争に敗れた高官で、最後は死罪となった説。

●説② 猿丸大夫説
古今和歌集に出てくる猿丸大夫と柿本人麻呂が同一人物という説。

●説③ チョメチョメ流罪説
柿本人麻呂は、文武天皇の后とチョメチョメな関係をもったため流罪となった説。

しかし万葉集を作るにあたり都に呼び戻され、罪人のままでは都合が悪いということで山部赤人と改名した説。

などなど。

ちなみに、こちらが猿丸神社の参拝記です。
猿丸大夫 = 柿本人麻呂!?!?
猿丸神社の御朱印~猿丸大夫の正体はあの人!?~(京都府綴喜郡宇治田原町)
住 所京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺粽谷44祭 神猿丸大夫由 緒平安時代末期、山城国綴喜郡曾束荘(現・滋賀県大津市大石曽束町)に猿丸大夫のお墓があったそうです。江戸時代初期、山の境界争論によりほぼ現在地...
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その他の見どころ

●稲荷社


●稲荷社
・建立年不明
・銅板葺 妻入り入母屋造
・宇迦之御魂神を祀る

石階段の途中には稲荷社へ続く鳥居参道の入口がありました。

そんなこんなで、鳥居参道を歩く。

素敵だなぁ。


●和風野外音楽堂

こちらは、祭礼の時や石見神楽の奉納などが行われる施設らしいですよ。

和フェスだね。


●境内の風景

境内には
石見のや高角山の木の間よりわが振る袖を妹見つらむか

鴨山の岩根しまける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ
など、石見国を題材にして詠んだ歌の立札がありました。


そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために社務所へ。

御朱印を書いて頂いている間、神社のお婆ちゃんが益田市の歴史についてお話をしてくれました。

古墳時代のお話から始まって戦国時代のお話になり幕末のお話になりました。

こんな小さな町にも、たくさんの歴史があるんだなぁ~と感心しつつお話を聞いていました。

しかしお婆ちゃんのお話はまだまだ終わらない!

幕末のお話から現代史のお話になり、鳩山政権のお話になり、死後のお話まで続く(笑)

ここだけの話、お婆ちゃんの背後に掛け時計があったで時間を計りながらお話を聞いていました(笑)
20分以上の長話でしたよ~^^

古墳時代から現代史、さらには死後に至るまでの話を20分でまとめたお婆ちゃんに感動しちゃったよ!

面白かったなぁ~。
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御朱印情報

●御朱印の種類
・柿本神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所

●御朱印の受付時間
・9:00~16:00

●御朱印の初穂料(料金)
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2009年10月17日 参拝
・2021年1月 更新
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アクセスと駐車場

●最寄りの駅
・JR益田駅から徒歩27分
・JR益田駅から車で7分

●バス
・JR益田駅から
 ①二条線に乗車 人丸下で下車 徒歩すぐ
 ②蟠竜湖線に乗車 高津で下車 徒歩5分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

高津柿本神社の地図

 

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