所在地 | 大分県中津市萱津町2048 |
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祭 神 | 応神天皇・仁徳天皇・菟道稚郎子皇子 |
由 緒 | 749~757年、宇佐神宮から分霊を勧請したのが始まりといいます。幕末~明治時代の国学者・渡辺重春が執筆した豊前志には、境内前に大家川が流れ、松や杉などが神々しく立つ美しい神社と記されてるそうです。戦国時代、黒田孝高(官兵衛)が中津城を築城する際に神域を縮小。また細川忠興が金谷堤を築き大家川を塞いだため、神域も景観も随分と変わってしまったという。中津を代表する祭り・中津祇園は、もともとこの神社の祭礼でしたが、1880年に中津公園内に中津神社が創建された際、踊車(山車)は中津神社に寄進され上祇園祭として巡行されるようになったそうです。1863年、境内に横井古城の塾・培養舎が設けられたそうです。 |
鳥居と旧手水舎
●境内入口
通称・萱津のお宮と呼ばれる大江八幡宮に到着。
740年、宇佐宮に寄進された10郷の中に大家郷があったそうです。
749~757年、その10郷に八幡宮を勧請。
この大江八幡宮はその時に創建された神社といいます。
戦国時代、黒田孝高(官兵衛)が中津城を築城する際に神域を縮小。
また細川忠興が金谷堤を築き大家川を塞いだため、神域も景観も随分と変わってしまったといいます。
・・・結構、雑に扱われてる神社だなぁ(^^;)
●旧手水舎
そんなこんなで、参拝開始。
いきなり遺跡風の旧手水舎が登場。
・・・倒壊しちゃったのかなぁ?
なんとなく直す気はなさそうです。
旧手水舎には礎石と手水鉢と井戸だけが現存していました。
手水鉢は1830年に作られたもののようです。
さらに後ろには荒廃した池跡もありました。
境内の説明板にはこの池は御手洗池跡と書いていましたよ。
旧手水舎の近くには倒壊済みの鳥居もありました。
こちらも、なんとなく直す気はなさそうです。
●鳥居
そんなこんなで、境内へ。
こちらの鳥居は元気に立っています。
説明板によると、1913年に高畑の八社宮(田中社ほか)を合祀。
境内には田中八幡社の石鳥居が残されています。
と書かれておりました。
もしかして、この石鳥居が田中八幡社の石鳥居なのかなぁ?
それとも先ほどの倒壊した石鳥居がそれなのかなぁ???
通称・萱津のお宮と呼ばれる大江八幡宮に到着。
740年、宇佐宮に寄進された10郷の中に大家郷があったそうです。
749~757年、その10郷に八幡宮を勧請。
この大江八幡宮はその時に創建された神社といいます。
戦国時代、黒田孝高(官兵衛)が中津城を築城する際に神域を縮小。
また細川忠興が金谷堤を築き大家川を塞いだため、神域も景観も随分と変わってしまったといいます。
・・・結構、雑に扱われてる神社だなぁ(^^;)
●旧手水舎
そんなこんなで、参拝開始。
いきなり遺跡風の旧手水舎が登場。
・・・倒壊しちゃったのかなぁ?
なんとなく直す気はなさそうです。
旧手水舎には礎石と手水鉢と井戸だけが現存していました。
手水鉢は1830年に作られたもののようです。
さらに後ろには荒廃した池跡もありました。
境内の説明板にはこの池は御手洗池跡と書いていましたよ。
旧手水舎の近くには倒壊済みの鳥居もありました。
こちらも、なんとなく直す気はなさそうです。
●鳥居
そんなこんなで、境内へ。
こちらの鳥居は元気に立っています。
説明板によると、1913年に高畑の八社宮(田中社ほか)を合祀。
境内には田中八幡社の石鳥居が残されています。
と書かれておりました。
もしかして、この石鳥居が田中八幡社の石鳥居なのかなぁ?
それとも先ほどの倒壊した石鳥居がそれなのかなぁ???
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・旧郷社
そんなこんなで、拝殿前に到着。
蟇股には中津藩主・奥平氏の家紋であります奥平団扇がありました。
説明板には奥平氏との関係をしめす文は一切書いてなかったけど、当時は奥平氏と何らかの関係があった神社だったのかなぁ?
●狛犬
通常、狛犬は拝殿前にいることが多いですが、こちらの狛犬ちゃんは拝殿の真横におられました。
一対の狛犬ちゃんが拝殿を挟むかたちでお座りしております。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
●祭神
・応神天皇
・仁徳天皇
・菟道稚郎子皇子
この神社は宇佐宮の分霊を勧請して創建されたということで、祭神は応神天皇。
そして、応神天皇の息子であります仁徳天皇と菟道稚郎子皇子が祀られていました。
そんなこんなで親子仲良く・・・とはいかないか?
仁徳天皇と菟道稚郎子の間にはちょっと笑えないエピソードがあります。
●菟道稚郎子とは?
ザックリと簡単に、菟道稚郎子とは応神天皇の息子です。
そして仁徳天皇の異母弟になります。
菟道稚郎子と書いてウジノワキイラツコと読みます。
菟道稚郎子は、応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられますが、異母兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したといわれています・・・(ノД`;)
木鼻は象。
象の木鼻はだいたいエロ目です。
それにてもゴージャスな妻飾りが素敵でした。
デッカい桐紋がバーンとあったりなんかして、それなりに見応えのある本殿でしたよ。
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・旧郷社
そんなこんなで、拝殿前に到着。
蟇股には中津藩主・奥平氏の家紋であります奥平団扇がありました。
説明板には奥平氏との関係をしめす文は一切書いてなかったけど、当時は奥平氏と何らかの関係があった神社だったのかなぁ?
●狛犬
通常、狛犬は拝殿前にいることが多いですが、こちらの狛犬ちゃんは拝殿の真横におられました。
一対の狛犬ちゃんが拝殿を挟むかたちでお座りしております。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
●祭神
・応神天皇
・仁徳天皇
・菟道稚郎子皇子
この神社は宇佐宮の分霊を勧請して創建されたということで、祭神は応神天皇。
そして、応神天皇の息子であります仁徳天皇と菟道稚郎子皇子が祀られていました。
そんなこんなで親子仲良く・・・とはいかないか?
仁徳天皇と菟道稚郎子の間にはちょっと笑えないエピソードがあります。
●菟道稚郎子とは?
ザックリと簡単に、菟道稚郎子とは応神天皇の息子です。
そして仁徳天皇の異母弟になります。
菟道稚郎子と書いてウジノワキイラツコと読みます。
菟道稚郎子は、応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられますが、異母兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したといわれています・・・(ノД`;)
木鼻は象。
象の木鼻はだいたいエロ目です。
それにてもゴージャスな妻飾りが素敵でした。
デッカい桐紋がバーンとあったりなんかして、それなりに見応えのある本殿でしたよ。
境内社
●祇園社
●祇園社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・素戔嗚尊を祀る
本殿向かって左には祇園社がありました。
中津といえば中津神社の例祭・中津祇園が有名ですが、実は中津祇園はもともとこの祇園社のお祭りだったという!
1880年、中津公園内に中津神社を創建した際、この神社にあった祇園車(山車)を中津神社に寄進したそうです。
そして中津祇園は中津神社の例祭になったんだって!
微塵もそんな素振りを見せてないけど、この祇園社は中津の歴史を語る上で結構重要な神社だったりするんですね!
祇園社にはドロドロに風化した狛犬ちゃんがおられました。
なかなかの廃狛犬ですね。
原形をとどめてないので、ハッキリとしたことは言えませんが、どこかしら護国系の狛犬ちゃんのように見えました。
●宮地嶽神社
●宮地嶽神社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・神功皇后を祀る
続いて、本殿向かって右にある宮地嶽神社を参拝。
そんなこんなで
はいドン。
宮地嶽神社の前には、相方のいない1体の狛犬ちゃんがいました。
なんだ、このフォルム。
これは相当な珍狛犬です。
勝手にフェレット型狛犬と命名。
土管をぶった切ったような台座も面白かったです。
台座には恵比須大黒神と書かれておりました。
ということで、もしかしたらもともとこの狛犬ちゃんは別の神社にあったものかもしれませんね。
●稲荷社
●稲荷社
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・宇迦之御魂神を祀る
その他、境内には稲荷社がありました。
稲荷社なので狛狐・・・と思ったら狛犬ちゃんでした!
頭は小さく、胴体と前足が長い。
こちらもなかなかの珍狛犬ですね。
玉というか、握りつぶされた泥をねじ込まれた感じも素敵でした。
●祇園社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・素戔嗚尊を祀る
本殿向かって左には祇園社がありました。
中津といえば中津神社の例祭・中津祇園が有名ですが、実は中津祇園はもともとこの祇園社のお祭りだったという!
1880年、中津公園内に中津神社を創建した際、この神社にあった祇園車(山車)を中津神社に寄進したそうです。
そして中津祇園は中津神社の例祭になったんだって!
微塵もそんな素振りを見せてないけど、この祇園社は中津の歴史を語る上で結構重要な神社だったりするんですね!
中津神社の御朱印~中津祇園で有名な神社~(大分県中津市)
所在地大分県中津市二ノ丁1273−1祭 神素盞鳴尊・応神天皇・仁徳天皇・他13柱由 緒1883年、六所神社を主とし、義氏神社・稲荷神社・蛭子神社・大江八幡宮の分霊を合祀して創建した神社。中津市を代表する祭...
祇園社にはドロドロに風化した狛犬ちゃんがおられました。
なかなかの廃狛犬ですね。
原形をとどめてないので、ハッキリとしたことは言えませんが、どこかしら護国系の狛犬ちゃんのように見えました。
●宮地嶽神社
●宮地嶽神社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・神功皇后を祀る
続いて、本殿向かって右にある宮地嶽神社を参拝。
そんなこんなで
はいドン。
宮地嶽神社の前には、相方のいない1体の狛犬ちゃんがいました。
なんだ、このフォルム。
これは相当な珍狛犬です。
勝手にフェレット型狛犬と命名。
土管をぶった切ったような台座も面白かったです。
台座には恵比須大黒神と書かれておりました。
ということで、もしかしたらもともとこの狛犬ちゃんは別の神社にあったものかもしれませんね。
●稲荷社
●稲荷社
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・宇迦之御魂神を祀る
その他、境内には稲荷社がありました。
稲荷社なので狛狐・・・と思ったら狛犬ちゃんでした!
頭は小さく、胴体と前足が長い。
こちらもなかなかの珍狛犬ですね。
玉というか、握りつぶされた泥をねじ込まれた感じも素敵でした。
境内の風景
●神楽殿(?)
●神楽殿(?)
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
神楽殿(?)は、子供達の遊び場になっていました。
●石灯籠
石灯籠には7人の小人が奉納されていました。
●境内の風景
遊具もあったりなんかします。
崩れた鳥居、荒廃した池。
境内は貸し駐車場みたいになっていたり、遊具では子供達が元気よく遊んでいたり。
犬の散歩で通り抜ける人もいました。
そんなこんなで、なんだか住民に開放しまくった、いや住民に占拠されたようなポップな空気が漂う神社でしたよ。
●神楽殿(?)
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
神楽殿(?)は、子供達の遊び場になっていました。
●石灯籠
石灯籠には7人の小人が奉納されていました。
●境内の風景
遊具もあったりなんかします。
崩れた鳥居、荒廃した池。
境内は貸し駐車場みたいになっていたり、遊具では子供達が元気よく遊んでいたり。
犬の散歩で通り抜ける人もいました。
そんなこんなで、なんだか住民に開放しまくった、いや住民に占拠されたようなポップな空気が漂う神社でしたよ。
御朱印情報
●御朱印情報
境内に社務所のような建物があったので、わずかな期待を胸に尋ねてみましたが、残念ながら留守でした。
ということで、御朱印の有無は不明です。
境内に社務所のような建物があったので、わずかな期待を胸に尋ねてみましたが、残念ながら留守でした。
ということで、御朱印の有無は不明です。
アクセス
●JR 中津駅
●最寄りの駅
・JR中津駅から徒歩12分
●最寄りの駅
・JR中津駅から徒歩12分