所在地 | 福岡県福岡市博多区上川端町1−41 |
---|---|
祭 神 | 大幡大神・天照皇大神・素盞嗚大神 |
由 緒 | 757年、伊勢国・松坂の櫛田神社を勧請したのが始まりといいますが、その他に、平安時代末期に平清盛が肥前国・神埼の櫛田神社(櫛田宮)を日宋貿易の拠点とした博多に勧請したのが始まりという説もあるそうです。1587年、九州征伐後の博多町割とともに豊臣秀吉が現・社殿を造営したそうです。古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集め、7月の博多祇園山笠、10月の博多おくんちなどの祭事を行うことで知られる神社です。 |
HP | 櫛田神社 – 博多祇園山笠 |
鳥居と狛犬と楼門と手水舎
●櫛田神社とは?
博多の氏神ならびに総鎮守であります櫛田神社に到着。
櫛田神社の歴史は博多の歴史ともいわれ、夏は博多祇園山笠、秋は博多おくんち、冬は節分祭など、季節ごとに表情が変わる神社として知られています。
また、櫛田神社の祭事ではないですが、5月の博多松囃子(博多どんたく)では松囃子一行が出発する神社としても知られています。
~画像は説明板より~
古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集め、地元の人からはお櫛田さんと呼ばれて親しまれているそうですよ。
などなど、博多っ子の生活に密着した神社のようです。
一体全体、どんな神社なんでしょ?
そんなこんなで、参拝開始。
●鳥居
●鳥居
・1675年建立
・石製 明神鳥居
まず最初に登場するのは明神鳥居。
脚が長くてなかなかのプロポーション。
扁額には櫛田宮と書かれておりました。
街中に鎮座しているため、鳥居と楼門が窮屈そうに建っていました。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1974年奉納
・青銅製
鳥居をくぐると青銅製の狛犬ちゃんが登場。
鳥居に続いてこちらも足が長い。
めちゃくちゃ足が早そうです。
ヒョウとかチーターとか、やや猫寄りの狛犬ちゃんでした。
●楼門
●楼門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 楼門(?)
続いて楼門(?)が登場。
境内図に楼門と書いてあったけど、これは楼門ではなく八脚門・・・のような気がするんだけど(^^;
ちなみに楼門とは、二階建ての門で二階部分にだけ屋根がある門のこと・・・。
この門は一階建てに見える・・・のは私だけかなぁ。
随分と目が悪くなったもんだ・・・まっいいかっ(笑)
そんなことより、大きな扁額には稜威と書かれておりました。
うぅぅ・・・読めない(^^;?
ということで、調べてみるとに。
どうやら稜威と書いていつと読むそうです。
稜威とは天子・天皇の御威光という意味なんだって。
ちなみに門の裏には博多総鎮守と書かれた扁額もありました。
こちらは1975年作で、宮司・阿部邦彦さんの筆のようです。
神紋は三つ盛亀甲に五三桐。
その他、楼門の天井には干支恵方盤がありました。
恵方盤には東西南北の方角と十二支が描かれていて、その年の恵方に矢印が向いています。
毎年大晦日に新しく迎える年の恵方に向けて矢印を回転させるそうですよ。
●手水舎
手水鉢には博多祇園山笠がデザインされていました。
●参道と中門
●中門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 薬医門
●狛犬③④
・1944年奉納
そんなこんなで、参道へ。
合祀社に松木天満宮があるからでしょうか?
参道脇には神牛(撫で牛)がおられました。
あと、中門前には狛犬ちゃんがおられました。
博多の氏神ならびに総鎮守であります櫛田神社に到着。
櫛田神社の歴史は博多の歴史ともいわれ、夏は博多祇園山笠、秋は博多おくんち、冬は節分祭など、季節ごとに表情が変わる神社として知られています。
また、櫛田神社の祭事ではないですが、5月の博多松囃子(博多どんたく)では松囃子一行が出発する神社としても知られています。
~画像は説明板より~
古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集め、地元の人からはお櫛田さんと呼ばれて親しまれているそうですよ。
などなど、博多っ子の生活に密着した神社のようです。
一体全体、どんな神社なんでしょ?
そんなこんなで、参拝開始。
●鳥居
●鳥居
・1675年建立
・石製 明神鳥居
まず最初に登場するのは明神鳥居。
脚が長くてなかなかのプロポーション。
扁額には櫛田宮と書かれておりました。
街中に鎮座しているため、鳥居と楼門が窮屈そうに建っていました。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1974年奉納
・青銅製
鳥居をくぐると青銅製の狛犬ちゃんが登場。
鳥居に続いてこちらも足が長い。
めちゃくちゃ足が早そうです。
ヒョウとかチーターとか、やや猫寄りの狛犬ちゃんでした。
●楼門
●楼門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 楼門(?)
続いて楼門(?)が登場。
境内図に楼門と書いてあったけど、これは楼門ではなく八脚門・・・のような気がするんだけど(^^;
ちなみに楼門とは、二階建ての門で二階部分にだけ屋根がある門のこと・・・。
この門は一階建てに見える・・・のは私だけかなぁ。
随分と目が悪くなったもんだ・・・まっいいかっ(笑)
そんなことより、大きな扁額には稜威と書かれておりました。
うぅぅ・・・読めない(^^;?
ということで、調べてみるとに。
どうやら稜威と書いていつと読むそうです。
稜威とは天子・天皇の御威光という意味なんだって。
ちなみに門の裏には博多総鎮守と書かれた扁額もありました。
こちらは1975年作で、宮司・阿部邦彦さんの筆のようです。
神紋は三つ盛亀甲に五三桐。
その他、楼門の天井には干支恵方盤がありました。
恵方盤には東西南北の方角と十二支が描かれていて、その年の恵方に矢印が向いています。
毎年大晦日に新しく迎える年の恵方に向けて矢印を回転させるそうですよ。
●手水舎
手水鉢には博多祇園山笠がデザインされていました。
●参道と中門
●中門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 薬医門
●狛犬③④
・1944年奉納
そんなこんなで、参道へ。
合祀社に松木天満宮があるからでしょうか?
参道脇には神牛(撫で牛)がおられました。
あと、中門前には狛犬ちゃんがおられました。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1587年建立(?)
・銅板葺 千鳥破風・唐破風付き 入母屋造
・豊臣秀吉が寄進(?)
中門をくぐると拝殿に到着。
なんとこの拝殿は、豊臣秀吉が九州征伐後に行った博多町割の時に造営したものなんだって。
うぅ~ん、それにしてもここまでの古建築なのに文化財に指定されてないのが不思議です・・・(-“-;) ??
もしかしたら1587年建立というのは、ちょっと疑わしいかも知れません。
間違った情報ならすみませんm(_ _)m
※ここから一部写真のテイストが変わります。
(どうでもいい話ですが・・・)
昼の写真は2013年9月7日撮影。
夜の写真は2017年12月31日撮影。
それにしても彫刻が素敵な社殿でした!
拝殿の唐破風をよく見てみると風神と雷神の彫刻がありました。
しかも風神はあっかんべぇ~をしてるという!
噂によると、雷神が風神に『台風を起こそう』という話しを持ちかけたところ、風神はこれを嫌ってあっかんべぇ~をして逃げたという場面を表現してるのだとか!
ユーモアたっぷりですね~。
こういう遊び心、好きだなぁ~!
ちなみに博多座に展示されている風神雷神のタペストリーは、この彫刻をモチーフにしています。
どうでもいい話ですけど、2013年と2017年の写真を比較。
この4年の間に注連縄を掛け替えた模様。
拝殿内では、巫女さんが何ともいえない妖艶な舞をしていました。
そんなこんなで、柱の陰から巫女さんを観察。
(変な意味じゃなくてよ!)
この日は大晦日。
これが今年の紅白歌合戦。(私の中の)
●本殿
●本殿
・1587年建立(?)
・銅板葺 流造(?)
・豊臣秀吉が寄進(?)
塀に囲まれているため、本殿の全体像を確認することはできず・・・。
建物好きとしましては、これほどガッカリすることはない(笑)
ということで、グーグルマップの航空写真で確認(そこまでするか)
どうやら本殿は、千鳥破風と長い向拝を持つ造りになってるっぽい。
そして本殿の先に幣殿と拝殿が連結されている模様。
そんなこんなで、なんとなくの全体像がイメージできたのでスッキリ。
●祭神
・左殿 → 天照皇大神
・中殿 → 大幡主大神(櫛田大神)
・右殿 → 素盞嗚大神(祇園大神)
櫛田神社というくらいだから、祭神はクシナダヒメ!
と、いいたいところですが、祭神は櫛田大神!
全国にある櫛田神社の主祭神は櫛名田姫なのに対し、この神社では櫛名田姫ではなく櫛田大神が祀られているという!
しかし、もともとは櫛名田姫を祀る神社だったとする説もあるそうですよ。
現在は1つの本殿にこの3神が祀られていますが、以前は3つの社にそれぞれの神様が祀られていたそうです。
大幡主大神は、767年に託宣によって鎮座。
素戔嗚大神は、941年に藤原純友の乱の鎮圧に当たった小野好古が、京都の祇園社(現・八坂神社)から勧請。
天照皇大神の奉祀については、あまりに古い歴史のため記録が残ってないそうです。
●拝殿
・1587年建立(?)
・銅板葺 千鳥破風・唐破風付き 入母屋造
・豊臣秀吉が寄進(?)
中門をくぐると拝殿に到着。
なんとこの拝殿は、豊臣秀吉が九州征伐後に行った博多町割の時に造営したものなんだって。
うぅ~ん、それにしてもここまでの古建築なのに文化財に指定されてないのが不思議です・・・(-“-;) ??
もしかしたら1587年建立というのは、ちょっと疑わしいかも知れません。
間違った情報ならすみませんm(_ _)m
※ここから一部写真のテイストが変わります。
(どうでもいい話ですが・・・)
昼の写真は2013年9月7日撮影。
夜の写真は2017年12月31日撮影。
それにしても彫刻が素敵な社殿でした!
拝殿の唐破風をよく見てみると風神と雷神の彫刻がありました。
しかも風神はあっかんべぇ~をしてるという!
噂によると、雷神が風神に『台風を起こそう』という話しを持ちかけたところ、風神はこれを嫌ってあっかんべぇ~をして逃げたという場面を表現してるのだとか!
ユーモアたっぷりですね~。
こういう遊び心、好きだなぁ~!
ちなみに博多座に展示されている風神雷神のタペストリーは、この彫刻をモチーフにしています。
どうでもいい話ですけど、2013年と2017年の写真を比較。
この4年の間に注連縄を掛け替えた模様。
拝殿内では、巫女さんが何ともいえない妖艶な舞をしていました。
そんなこんなで、柱の陰から巫女さんを観察。
(変な意味じゃなくてよ!)
この日は大晦日。
これが今年の紅白歌合戦。(私の中の)
●本殿
●本殿
・1587年建立(?)
・銅板葺 流造(?)
・豊臣秀吉が寄進(?)
塀に囲まれているため、本殿の全体像を確認することはできず・・・。
建物好きとしましては、これほどガッカリすることはない(笑)
ということで、グーグルマップの航空写真で確認(そこまでするか)
どうやら本殿は、千鳥破風と長い向拝を持つ造りになってるっぽい。
そして本殿の先に幣殿と拝殿が連結されている模様。
そんなこんなで、なんとなくの全体像がイメージできたのでスッキリ。
●祭神
・左殿 → 天照皇大神
・中殿 → 大幡主大神(櫛田大神)
・右殿 → 素盞嗚大神(祇園大神)
櫛田神社というくらいだから、祭神はクシナダヒメ!
と、いいたいところですが、祭神は櫛田大神!
全国にある櫛田神社の主祭神は櫛名田姫なのに対し、この神社では櫛名田姫ではなく櫛田大神が祀られているという!
しかし、もともとは櫛名田姫を祀る神社だったとする説もあるそうですよ。
現在は1つの本殿にこの3神が祀られていますが、以前は3つの社にそれぞれの神様が祀られていたそうです。
大幡主大神は、767年に託宣によって鎮座。
素戔嗚大神は、941年に藤原純友の乱の鎮圧に当たった小野好古が、京都の祇園社(現・八坂神社)から勧請。
天照皇大神の奉祀については、あまりに古い歴史のため記録が残ってないそうです。
境内社
●夫婦恵比寿神社
●夫婦恵比寿神社
・建立年不明
・拝殿 → 銅板葺 軒唐破風・妻入り切妻造
・本殿 → 銅板葺 流造
・事代主大神・玉櫛姫大神を祀る
祭神は、事代主さんと玉櫛姫さんです。
事代主は、大国主の子で、エビスさんとして知られる神様です。
そして玉櫛姫は、事代主の嫁さんで、賀茂別雷命などのお母さんとして知られる神様です。
ということで、こちらにはコトシロヌシ夫婦が住まわれている模様。
玉櫛姫を祀る神社というだけで珍しいのに、夫婦揃った恵比寿神社ってなお珍しっ!
●注連懸稲荷神社
●注連懸稲荷神社
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・豊受比賣命(倉稲魂命)を祀る
注連懸・・・し、しめけん???
どうやら注連懸と書いてしめかけと読むそうです。
あっ、懸造の懸かぁ・・・バカだ私は。
この神社は、別名・あしどめ稲荷とも呼ばれてるそうですよ。
お店の前で足を止めてもらえるという御利益があるんだって。
●二十二社
●二十二社
・建立年不明
・銅板葺 長棟造
本殿裏には末社がズラ~と並んでいました。
①松尾神社
・大山咋神を祀る
酒造・醸造・農業・雨請・山林の神様
②諏訪神社
・建御名方神を祀る
武道・スポーツ・狩猟・農業・健康の神様
③金刀比羅宮
・大物主神を祀る
海上安全・造船・漁業・交通安全の神様
④皇大神宮
・豊受比賣神
食物・農業・酒・寿司・菓子・呉服の神様
⑤竈門神社
・奥津彦命・奥津姫命を祀る
かまど・炊事場の神様
・白鳥神社(合祀)
日本武尊を祀る
・淡島神社(合祀)
少彦名命を祀る
⑥今熊野神社
・伊邪那美命を祀る
家内安全の神様
・少彦名神社(合祀)
少彦名命を祀る
・手置帆負神社(合祀)
手置帆負命を祀る
⑦松木天満宮
・菅原道真を祀る
学問・書道・雷の神様
●謎の境内社
その他、石鳥居がズラリと並ぶエリアがありました。
そんなこんなで参拝。
どうやら、こちらは石堂宮という境内社のようです。
いや、待て・・・今熊宮か。
いやいや諏訪・・・
じゃなくて金比羅ーーー!?
いや、松尾ーっ
天満宮ーーーっ!!!
一体、なんなのよ!
なんと、6つの鳥居が全て別のお宮のものでした!
そして、行きついた場所は石!
なんとなくの雰囲気ですが、この石は磐座ではなさそう・・・。
そこでピンとひらめく!
これ、さっきの二十二社に祀られているラインナップじゃないかぃ!?!?
ということで、もしかしたらもともと二十二社は別の場所に単独で祀られていたのかなぁ???
それを後の時代にここに合祀して、もともとあった鳥居をここにまとめたとか・・・(-“-;) ??
みたいな推測をしてみました。
あくまで推測です。
●夫婦恵比寿神社
・建立年不明
・拝殿 → 銅板葺 軒唐破風・妻入り切妻造
・本殿 → 銅板葺 流造
・事代主大神・玉櫛姫大神を祀る
祭神は、事代主さんと玉櫛姫さんです。
事代主は、大国主の子で、エビスさんとして知られる神様です。
そして玉櫛姫は、事代主の嫁さんで、賀茂別雷命などのお母さんとして知られる神様です。
ということで、こちらにはコトシロヌシ夫婦が住まわれている模様。
玉櫛姫を祀る神社というだけで珍しいのに、夫婦揃った恵比寿神社ってなお珍しっ!
●注連懸稲荷神社
●注連懸稲荷神社
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・豊受比賣命(倉稲魂命)を祀る
注連懸・・・し、しめけん???
どうやら注連懸と書いてしめかけと読むそうです。
あっ、懸造の懸かぁ・・・バカだ私は。
この神社は、別名・あしどめ稲荷とも呼ばれてるそうですよ。
お店の前で足を止めてもらえるという御利益があるんだって。
●二十二社
●二十二社
・建立年不明
・銅板葺 長棟造
本殿裏には末社がズラ~と並んでいました。
①松尾神社
・大山咋神を祀る
酒造・醸造・農業・雨請・山林の神様
②諏訪神社
・建御名方神を祀る
武道・スポーツ・狩猟・農業・健康の神様
③金刀比羅宮
・大物主神を祀る
海上安全・造船・漁業・交通安全の神様
④皇大神宮
・豊受比賣神
食物・農業・酒・寿司・菓子・呉服の神様
⑤竈門神社
・奥津彦命・奥津姫命を祀る
かまど・炊事場の神様
・白鳥神社(合祀)
日本武尊を祀る
・淡島神社(合祀)
少彦名命を祀る
⑥今熊野神社
・伊邪那美命を祀る
家内安全の神様
・少彦名神社(合祀)
少彦名命を祀る
・手置帆負神社(合祀)
手置帆負命を祀る
⑦松木天満宮
・菅原道真を祀る
学問・書道・雷の神様
●謎の境内社
その他、石鳥居がズラリと並ぶエリアがありました。
そんなこんなで参拝。
どうやら、こちらは石堂宮という境内社のようです。
いや、待て・・・今熊宮か。
いやいや諏訪・・・
じゃなくて金比羅ーーー!?
いや、松尾ーっ
天満宮ーーーっ!!!
一体、なんなのよ!
なんと、6つの鳥居が全て別のお宮のものでした!
そして、行きついた場所は石!
なんとなくの雰囲気ですが、この石は磐座ではなさそう・・・。
そこでピンとひらめく!
これ、さっきの二十二社に祀られているラインナップじゃないかぃ!?!?
ということで、もしかしたらもともと二十二社は別の場所に単独で祀られていたのかなぁ???
それを後の時代にここに合祀して、もともとあった鳥居をここにまとめたとか・・・(-“-;) ??
みたいな推測をしてみました。
あくまで推測です。
飾り山笠
●飾り山笠
そんなこんなで
はいドーーーン!
境内には、博多三大祭の1つ・博多祇園山笠の際に奉納される山笠がドーンとそびえ立っていました。
飾り山笠は、博多に関係する武士や昔話などをテーマに飾り付けられるそうです。
1年に1度造り替えられるんだって。
ちなみに、飾り山笠が始まったのは1949年。
その後、一時途絶えますが、1964年から通年公開を開始。
毎年6月に造り直してるんだって。
飾り山笠は市内14ヶ所に設置され多くの見物客が訪れるスポットとなりますが、祭りの期間が終わると飾り山笠は崩されるそうです。
しかし、この山笠は例外!
祭り期間以外でも参拝者に見てもらうために、1年中公開されているという!
私みたいなよそ者にとっては、非常にありがたい心遣いです!
高さはなんと13m!
櫛田神社のハイライト的、シンボル的な存在となっております。
~画像は説明板より~
ちなみに博多祇園山笠とは、7つの山笠が数分おきに櫛田神社前をスタートし、約5キロのコースを駆け抜けてタイムを競うレース、いやお祭りのようです。
これを知った嫁はんはボソッと『野蛮だわぁ~』と言っていました(笑)
言っていたというより、心の声が漏れていました。
そんなこんなで
はいドーーーン!
境内には、博多三大祭の1つ・博多祇園山笠の際に奉納される山笠がドーンとそびえ立っていました。
飾り山笠は、博多に関係する武士や昔話などをテーマに飾り付けられるそうです。
1年に1度造り替えられるんだって。
ちなみに、飾り山笠が始まったのは1949年。
その後、一時途絶えますが、1964年から通年公開を開始。
毎年6月に造り直してるんだって。
飾り山笠は市内14ヶ所に設置され多くの見物客が訪れるスポットとなりますが、祭りの期間が終わると飾り山笠は崩されるそうです。
しかし、この山笠は例外!
祭り期間以外でも参拝者に見てもらうために、1年中公開されているという!
私みたいなよそ者にとっては、非常にありがたい心遣いです!
高さはなんと13m!
櫛田神社のハイライト的、シンボル的な存在となっております。
~画像は説明板より~
ちなみに博多祇園山笠とは、7つの山笠が数分おきに櫛田神社前をスタートし、約5キロのコースを駆け抜けてタイムを競うレース、いやお祭りのようです。
これを知った嫁はんはボソッと『野蛮だわぁ~』と言っていました(笑)
言っていたというより、心の声が漏れていました。
その他の見どころ
●霊泉鶴の井戸
拝殿前では不老長寿の水を頂くことができます。
●霊泉鶴の井戸の作法
①1口目には自分の不老長寿を。
②2口目には家族の不老長寿を。
③3口目には親類縁者の不老長寿を。
ということで、作法通りに霊泉をいただきました。
・・・
・・・・・
水に不老長寿の成分が加わっているだけあって一味もニ味も違った味わい!
(2013年 談)
ちなみに現在、この水を飲むことはできないらしい・・・あっ、お察し!
水の味は・・・
私の口からはコメントしづらいので、ここはネットの声で(せこいw)
●ネットの声
・塩分!?
・鉄っぽい苦味
・1口が限界
・3口も飲めない
・勇気と覚悟がいる
・顔が歪んだ
・飲み過ぎ注意
などなど。
●博多塀
境内には博多塀もありました。
博多塀とは、豊臣秀吉さんが進めた博多町割(太閤町割)、いわゆる戦災復興の際に生まれた土塀です。
見ての通り、塀には瓦や石が塗り込められています。
秀吉さんが来る前の博多は、毛利・大友・島津氏たちの争奪戦に巻き込まれて見渡す限りの焼け野原だったそうです。
そんなこんなで、この博多塀は戦火による焼け石や焼け瓦などを塗り込めたリサイクル土塀というわけなんです。
ちなみに博多町割(太閤町割)を任されたお方は、黒田官兵衛や石田三成など。
秀吉さんは、朝鮮出兵の物資補給基地として博多を重要視していたといいます。
緻密な測量と風水を駆使した都市計画は博多の繁栄の礎となり、この時に行われた町割が現在の博多の街の原型となっています。
ということで、この博多塀は復興のシンボルなんですね。
ちなみに櫛田神社の博多塀は、もともと博多商人・島井宗室の屋敷跡にあったものらしいです。
島井宗室さんも博多の復興に尽力したお方の1人です。
ちなみに聖福寺の境内にも博多塀がありました。
なんだろ、この和モダン!
昔の人のオシャレ感覚に感銘を受けちゃいます!
博多塀の近くには小便小僧の姿も!
よく見たらお祭りファッションでオシッコをしていました。
祭りだ祭りだ、うりゃ~~~~!
と、博多塀に向かってオシッコをしてたらアナーキーなんだけどなぁ・・・って失礼m(_ _)m
●櫛田のぎなん
●櫛田のぎなん
・樹種 銀杏
・樹齢 約1000年
・樹高 約21m
・胸高周囲 約6m
・根元周囲 約6.5m
・福岡県指定天然記念物
樹齢1000年と伝わっているそうですが、実際は600年以上と見られているそうです。
ちなみに博多ではぎんなんのことをぎなんと呼ぶそうですよ。
あたしゃてっきり抜け字かと思っていましたよ!
●蒙古軍船の碇石
●蒙古軍船の碇石
・全長 252.2cm
・重さ 350kg(推定)
・砂岩製
・福岡県指定重要文化財
櫛田のぎなんの根元には蒙古軍船の碇石がありました。
この石は、蒙古襲来(元寇)の際にモンゴル軍の船が碇として使用していた石なんだって。
●夫婦ぎなん
●夫婦ぎなん
・樹種 銀杏
・樹齢 300年以上
毎年たくさんの実をつけることから、夫婦円満や恋愛成就として信仰されるぎなんです。
ぎなんの実は皮をむいて洗ったあと自然乾燥させ、ぎなん祭のときに縁起物として配られるんだって。
●力石
夫婦ぎなんの近くには力石がズラ~と並んでいました。
奉納者の名前をよく見てみたら、若・貴兄弟をはじめ朝青龍や白鵬の名も!
さすが相撲の町です!
朝青龍さんや白鵬さんは、蒙古軍の碇石を見てどう思ったのかな?
そんなことより、力石は力自慢の若者がちからくらべをするための石ですが、もともとは神霊の依代である石を持ち上げることで、豊凶・天候・武運などの神意を問う石占の信仰が由来だといわれています。
それが時が経つにつれ、若者の力自慢の道具として使われていったんだって。
ちなみに力石群の前には試し石がありました。
力自慢の方は是非っ!
私は片手で持ち上げて、指の上で回転させてやりました。
楽勝です・・・ウソです。
腰痛めました。
●おみくじ
私が参拝した日は、境内はほぼ外国人観光客でした。
アジアの観光客が多かったです。
きっとこの日に限らず、年中外国の方が多いんだと思います。
このおみくじを見てそう思いました。
そんなこんなで、参拝終了。
さほど広くない境内ですが、見どころがたくさんあって楽しかったですよ。
拝殿前では不老長寿の水を頂くことができます。
●霊泉鶴の井戸の作法
①1口目には自分の不老長寿を。
②2口目には家族の不老長寿を。
③3口目には親類縁者の不老長寿を。
ということで、作法通りに霊泉をいただきました。
・・・
・・・・・
水に不老長寿の成分が加わっているだけあって一味もニ味も違った味わい!
(2013年 談)
ちなみに現在、この水を飲むことはできないらしい・・・あっ、お察し!
水の味は・・・
私の口からはコメントしづらいので、ここはネットの声で(せこいw)
●ネットの声
・塩分!?
・鉄っぽい苦味
・1口が限界
・3口も飲めない
・勇気と覚悟がいる
・顔が歪んだ
・飲み過ぎ注意
などなど。
●博多塀
境内には博多塀もありました。
博多塀とは、豊臣秀吉さんが進めた博多町割(太閤町割)、いわゆる戦災復興の際に生まれた土塀です。
見ての通り、塀には瓦や石が塗り込められています。
秀吉さんが来る前の博多は、毛利・大友・島津氏たちの争奪戦に巻き込まれて見渡す限りの焼け野原だったそうです。
そんなこんなで、この博多塀は戦火による焼け石や焼け瓦などを塗り込めたリサイクル土塀というわけなんです。
ちなみに博多町割(太閤町割)を任されたお方は、黒田官兵衛や石田三成など。
秀吉さんは、朝鮮出兵の物資補給基地として博多を重要視していたといいます。
緻密な測量と風水を駆使した都市計画は博多の繁栄の礎となり、この時に行われた町割が現在の博多の街の原型となっています。
ということで、この博多塀は復興のシンボルなんですね。
ちなみに櫛田神社の博多塀は、もともと博多商人・島井宗室の屋敷跡にあったものらしいです。
島井宗室さんも博多の復興に尽力したお方の1人です。
ちなみに聖福寺の境内にも博多塀がありました。
なんだろ、この和モダン!
昔の人のオシャレ感覚に感銘を受けちゃいます!
博多塀の近くには小便小僧の姿も!
よく見たらお祭りファッションでオシッコをしていました。
祭りだ祭りだ、うりゃ~~~~!
と、博多塀に向かってオシッコをしてたらアナーキーなんだけどなぁ・・・って失礼m(_ _)m
●櫛田のぎなん
●櫛田のぎなん
・樹種 銀杏
・樹齢 約1000年
・樹高 約21m
・胸高周囲 約6m
・根元周囲 約6.5m
・福岡県指定天然記念物
樹齢1000年と伝わっているそうですが、実際は600年以上と見られているそうです。
ちなみに博多ではぎんなんのことをぎなんと呼ぶそうですよ。
あたしゃてっきり抜け字かと思っていましたよ!
●蒙古軍船の碇石
●蒙古軍船の碇石
・全長 252.2cm
・重さ 350kg(推定)
・砂岩製
・福岡県指定重要文化財
櫛田のぎなんの根元には蒙古軍船の碇石がありました。
この石は、蒙古襲来(元寇)の際にモンゴル軍の船が碇として使用していた石なんだって。
●夫婦ぎなん
●夫婦ぎなん
・樹種 銀杏
・樹齢 300年以上
毎年たくさんの実をつけることから、夫婦円満や恋愛成就として信仰されるぎなんです。
ぎなんの実は皮をむいて洗ったあと自然乾燥させ、ぎなん祭のときに縁起物として配られるんだって。
●力石
夫婦ぎなんの近くには力石がズラ~と並んでいました。
奉納者の名前をよく見てみたら、若・貴兄弟をはじめ朝青龍や白鵬の名も!
さすが相撲の町です!
朝青龍さんや白鵬さんは、蒙古軍の碇石を見てどう思ったのかな?
そんなことより、力石は力自慢の若者がちからくらべをするための石ですが、もともとは神霊の依代である石を持ち上げることで、豊凶・天候・武運などの神意を問う石占の信仰が由来だといわれています。
それが時が経つにつれ、若者の力自慢の道具として使われていったんだって。
ちなみに力石群の前には試し石がありました。
力自慢の方は是非っ!
私は片手で持ち上げて、指の上で回転させてやりました。
楽勝です・・・ウソです。
腰痛めました。
●おみくじ
私が参拝した日は、境内はほぼ外国人観光客でした。
アジアの観光客が多かったです。
きっとこの日に限らず、年中外国の方が多いんだと思います。
このおみくじを見てそう思いました。
そんなこんなで、参拝終了。
さほど広くない境内ですが、見どころがたくさんあって楽しかったですよ。
御朱印情報
●御朱印の種類
・櫛田神社の御朱印
・注連縣稲荷社の御朱印
・夫婦恵比須社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
●御朱印の受付時間
・9:00~17:30
●御朱印の初穂料(料金)
・各500円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
●博多祇園山笠
・サイズ(紺色)
16cm × 11cm
・サイズ(朱色)
18cm × 12cm
・初穂料(紺色)
1000円
・初穂料(朱色)
1500円
博多祇園山笠の御朱印帳は紺色と朱色の2種類あって、それぞれ大きさと初穂料が違います。
●博多仁和加
・サイズ
16cm × 11cm
・初穂料
1000円
・2013年9月7日 参拝
・2017年12月31日 参拝
・2021年2月 更新
・櫛田神社の御朱印
・注連縣稲荷社の御朱印
・夫婦恵比須社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
●御朱印の受付時間
・9:00~17:30
●御朱印の初穂料(料金)
・各500円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
●博多祇園山笠
・サイズ(紺色)
16cm × 11cm
・サイズ(朱色)
18cm × 12cm
・初穂料(紺色)
1000円
・初穂料(朱色)
1500円
博多祇園山笠の御朱印帳は紺色と朱色の2種類あって、それぞれ大きさと初穂料が違います。
●博多仁和加
・サイズ
16cm × 11cm
・初穂料
1000円
・2013年9月7日 参拝
・2017年12月31日 参拝
・2021年2月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・4:00~22:00
●定休日
・無休
●参拝料
・無料
●最寄りの駅
・JR博多駅から徒歩15分
・地下鉄・祇園駅から徒歩5分
・地下鉄・中洲川端駅から徒歩7分
●最寄りのバス停
・西鉄バス
キャナルシティ前から徒歩2分
●駐車場
・専用駐車場あり(10台)
※参拝者は30分まで無料
・4:00~22:00
●定休日
・無休
●参拝料
・無料
●最寄りの駅
・JR博多駅から徒歩15分
・地下鉄・祇園駅から徒歩5分
・地下鉄・中洲川端駅から徒歩7分
●最寄りのバス停
・西鉄バス
キャナルシティ前から徒歩2分
●駐車場
・専用駐車場あり(10台)
※参拝者は30分まで無料