筑前国分寺の御朱印~聖武天皇の詔で建立~(福岡県太宰府市)

所在地福岡県太宰府市国分4丁目13−1
宗 派高野山真言宗
札 所九州四十九院薬師霊場 第1番
由 緒741年、聖武天皇の発願のもと、全国に建立された国分寺の1つです。創建当時は、約192m四方の寺域に金堂・七重塔・講堂などの建物が整然と配置されていたといいます。その後、律令体制の衰退とともに国分寺の役割も失っていき堂宇が荒廃。ついに江戸時代には廃絶してしまったという。そんなこんなで、現在の筑前国分寺は、創建時国分寺の後継寺院といわれています。
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国分寺とは?

●境内入口

大宰府政庁跡から約1km離れたところにあります筑前国分寺に到着。


寺号のとおり筑前国分寺は、聖武天皇の国分寺建立の詔のもとに全国に建立された国分寺の1つです。

正確にいえば、筑前国分寺は一度廃絶していますので、現在の筑前国分寺は当初の国分寺の後継寺院となります。

現在は高野山真言宗ですが、創建当初は三論・法相・律・華厳・倶舎・成実という南都六宗の兼学だったそうです。
国分寺創建の目的は国家鎮護ということで、当時の僧侶は鎮護国家のためだけに勤めていたそうですよ。


●国分寺とは?

奈良時代、地震や疫病や内乱などが相次ぎ社会情勢が不安定になりました。

そうした中、聖武天皇は仏教の力で国を護る!ということを決定しました。

そんなこんなで741年、聖武天皇は国分寺建立の詔を発令し、日本全国に68もの国分寺を造らせました。

この筑前国分寺もそのうちの1つです。

しかし、国司の怠慢や財政難などですぐに全国各地に建立されたという訳ではありませんでした。
そんな中、この筑前国分寺は大宰府政庁との関係からか、比較的早い時期に創建されたようです。


平安時代になってからも、全国各地の国分寺は維持されていきますが、律令体制の衰退とともに国家的な援助ができなくなり荒廃する国分寺が増えていきました。廃寺となる国分寺も増えました。

しかし、宗派を変えるなどして存続を維持できたお寺もあったようです。
廃寺となった国分寺も、江戸時代に再興されることが多かったそうです。

この筑前国分寺はまさにこのパターンで、廃寺後に再興したパターンとなります。

現在、全国にある国分寺は改宗したり再興したりして続いた国分寺で、純粋な国分寺とは性格も性質も違う新しく生まれ変わった国分寺となります。

そのため現在でも国分寺と名乗る寺院は多数存在しています。


国分寺には2種類あります。

①国分僧寺
・正式名称は金光明四天王護国之寺
男性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・東大寺
・在籍人数は常時20

②国分尼寺
・正式名称は法華滅罪之寺
女性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・法華寺
・在籍人数は常時10

一般的に国分寺といえば国分僧寺のことを指します。
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八角燈籠と山門

●八角燈籠

そんなこんなで、参拝開始。

到着後、まず目に飛び込んできたのは石製の八角燈籠


な~んかどっかで見たことがあるなぁ〜と思ったら、なんとこの燈籠は東大寺大仏殿の前にある八角燈籠をモデルにして作られたものなんだって。

もともとここには背の高い石碑が立っていたそうですが、改修にともない境内へ移転。
その後、石碑に代わる目印を建立する計画が持ちあがったそうです。

そこでこの場所が筑前国分寺・金堂跡の正面になることから、国分寺のボス・東大寺大仏殿前にある八角燈籠を模したものを作ろう!

ということになったそうです。


・左 → 筑前国分寺の八角燈籠
・右 → 東大寺大仏殿の八角燈籠

東大寺大仏殿の八角燈籠は青銅製。
銅で作られた細かな細工を石で表現するのは困難だぁ~。
ということで、新たに実測図を作成し、それに基づいて製作されたんだって!

筑前国分寺と東大寺の写真を比較してみると、宝珠や音声菩薩や火袋の扉など、かなり東大寺の八角燈籠に似ています!

素人目で見ても、結構な力作だと思いました。

しかし、石の色が黒茶色ということで目立ちにくい・・・という指摘を受けたんだとか(^^;)


●山門


●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門

山門の扉には16菊花紋。
塀には最高格式を意味する5本の線がありました。

微塵もそんなオーラを発していませんが、実はマキシマム級の格式を誇るお寺さんなんですね!
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本堂と金堂礎石

●本堂

●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

●本尊 伝・薬師如来坐像
・平安時代後期作
・像高 212cm
・寄木造
・国指定重要文化財

堂内に安置されている本尊・薬師如来坐像は、宝冠を被っているという超珍しい仏さんだという!


●金堂礎石

境内には、創建当時の金堂礎石がありました。

ということで、現在の筑前国分寺は金堂の跡地に創建されているようです。

発掘調査によりますと、金堂跡は東西約30m、南北約20mの規模だったそうです。


~画像は説明板より~

創建年は不詳ですが、古い記録に756年には建てられていたという記述があることから、この頃にはすでに完成していたみたいです。

創建当時の筑前国分寺の寺域は、約192m × 192m。

南門・中門・金堂・講堂が一直線に並び、回廊内に七重塔が建っていたみたいです。
この伽藍配置は、九州の国分寺によくみられる配置で、奈良時代以前のお寺に多くみられる古い形式のものらしいですよ。

ちなみに、東大寺や東国の国分寺は、塔は回廊の外に建っているそうです。
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薬師之水

●薬師之水

境内には薬師之水というのがありました。


そんなこんなで近づいてみると、大木の中に薬師さんが!


そして、その下には龍頭の蛇口があり、そこから薬師の水が出るようになっていました。

説明板がなかったため、御利益や効能などはわかりませんが、薬師の水っていうくらいだからきっと身体に良い水なんだろう!

ということで、手に取ってひとくち頂きました。
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七重塔跡

●七重塔の基壇

そんなこんなで、いったん境外に出て七重塔跡へ。

なんと!
七重塔の基壇は瓦積みだという!

こんなの見たことないです!
いわゆる感動。

どうやら発掘調査の結果、塔や講堂などの基壇には、化粧として瓦が用いられていたことが確認されたんだって!
このような瓦積みの基壇は全国的にも珍しく、あまり例がないそうですよ。


●七重塔の礎石

基壇の上には七重塔の礎石が残されていました。

心礎の直径は約110cm!
塔の高さは、なんと約50mもあったという!

七重塔が完成した当初は、柱が朱色、壁は白色、窓(蓮子窓)は緑色にぬられ、相輪、風鐸は金色に輝いていたといいます。


ちなみに心礎周辺に据えられた礎石の下からは環状に置かれた配石が発見されたそうです。
過去にこのような事例はなく、何のための石なのかは不明らしいです。

もしかしたら、祭事や法要に関わるものかも???
的なことが説明板に書いてありました。


~画像は説明板より~

ちなみに、筑前国分寺から約200mのところにある太宰府市文化ふれあい館に、精巧に復元された七重塔の1/10模型があるそうですよ。

その他の見どころ

●石仏

お堂の中には如意輪観音さんを安置。
そして塀には四国八十八ヶ所の石仏さんがズラ~と並んでいました。


かなり人間っぽいお地蔵さんもおられました。


その他、江戸期の建立と思われる宝篋印塔や庚申塔などがありました。

国分尼寺跡

●国分尼寺跡

そんなこんなで、筑前国分寺から約300m離れたところにある国分尼寺跡に到着。


ご覧の通り、何もありません。

説明板に『今はわずかに田圃の中に礎石が一個残るのみである』と書いてありましたが・・・どこにあったんだろう???

阿呆だから見つけ出せませんでした(^^;)

御朱印情報

●御朱印の種類
・筑前国分寺の御朱印(薬師如来)

●御朱印の受付場所
・庫裏

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2014年12月20日 参拝
・2021年2月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・西鉄・都府楼前駅から徒歩約20分

●最寄りのバス停
・コミュニティバスまほろば号
 筑前国分寺前で下車 徒歩1分

●駐車場
・なし

筑前国分寺の地図

 

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