志賀海神社の御朱印~綿津見神社・海神社の総本社~(福岡県福岡市東区志賀島)

所在地福岡県福岡市東区志賀島877
祭 神綿津見三神
社 格式内社(名神大)・旧官幣小社・別表神社
由 緒創建年は不詳。古くは、志賀島北部の勝馬に表津宮・仲津宮・沖津宮の3社が建てられ、それぞれに表津綿津見神・仲津綿津見神・底津綿津見神が祀られていたそうです。101~400年、阿曇磯良(阿曇氏の祖)が、表津宮を現在地に遷座。阿曇磯良は、神功皇后の三韓征伐の際、舵取りを務めた人といわれています。古代、志賀島は海上交通の要衝で、志賀島と海の中道を含めた海上一帯を阿曇氏(安曇氏)が支配していたそうです。そんなこんなで、この地は阿曇氏(安曇氏)の本拠地だったそうです。現在の神主家は、阿曇氏(安曇氏)の後裔といわれています。戦国時代、豊臣秀吉・小早川隆景・黒田長政などの武将が崇敬したそうです。
HP【公式】志賀海神社ホームページ
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志賀島とは?

●海の中道

全国の綿津見神社・海神社の総本社であります志賀海神社を参拝してきました。

志賀海神社が鎮座する志賀島は、九州本土と志賀島を繋ぐ全長約8kmの砂州・海の中道のゴール地点に位置しています。

・正面 → 志賀島
・左 → 博多湾
・右 → 玄界灘


●志賀島

志賀島は、周囲11kmの小さな島。
漢委奴国王の金印が出土したことで有名な島です。
小学校の教科書で出てきたアレです!
・・・って、今も教科書に載っているのかな?(古い人間なもんで 笑)

鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)で、元軍(モンゴル) vs 日本軍(鎌倉幕府軍)の激戦地になったことでも有名です。

・・・って、これもまだ教科書に載ってる???(笑)

平安時代、この地は日宋貿易の拠点になりました。

室町時代には大内氏が独占し、日明・日朝貿易も行なわれました。

鎌倉時代の元寇では、志賀島は主戦場に。
とにかく、各時代で日本の玄関口となった島です。

そんな重要な地に鎮座する神社でありますから、戦国時代には、周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護大名・大内義隆が。

そして、豊臣秀吉・小早川隆景・黒田長政など名だたるビッグネームが尊崇した神社といわれています。
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鳥居と御潮井(清め砂)と印鑰社

●境内入口

そんなこんなで、志賀島に鎮座する志賀海神社に到着。
全国の綿津見神社・海神社の総本社です。

神功皇后ゆかりの地であり、阿曇氏(安曇氏)の聖地であり、君が代のルーツといわれる神社です。

また、古くから龍神が集う場所として知られていて、別名・龍の都と呼ばれているそうですよ。

一体全体、どんな神社なんでしょ?
ということで、参拝開始。


●御潮井(清め砂)

境内入口には、御潮井(清め砂)がありました。

福岡ではよく見かける御潮井。
初めて御潮井と出会った時は、これがどういうものなのかわかんなかったけど、今はもう大丈夫。

ということで、セルフお清めをしてきました。


清め砂を体の左 → 右 → 左と振り、1礼してから境内に入ります。

砂で服が汚れたけど、身は清まったのかな???

●公式ホームページによる注意点
しきたりにより、生理中の方、生後100日以内のお子様、妊娠中の方の参拝は極力控えてください。

また、身内に不幸があった方は、服忌の期間の参拝は極力参拝をご遠慮ください。

とのことです。

志賀島は、もともと神の島と呼ばれていたみたいで、その昔はお墓の建立も禁じられていたそうですよ。


●鳥居①

●鳥居①
・1700年建立
・石製 明神鳥居

扁額には、志賀宮の文字。
全体的に貫が太いのが特徴的な鳥居でした。


●印鑰社

●印鑰社
・建立年不明
・銅板葺 平入り切妻造
・久那土神・天磐楠船神・迦具土神を祀る
・末社

参道脇には、末社の印鑰社がありました。
どうやら、この社は入口の神とのことなので、しっかりと参拝して厄を祓ってきました。

ちなみに、印鑰社と書いていんやく社と読みます。


●参道

本日は大晦日ということで、境内では初詣の準備が行われておりました。

ということで、参道も初詣仕様。
たくさんの竹筒灯籠が並べられていました。

きっと夜は幻想的な風景になるんだろうなぁ~。
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狛犬と神橋と神門

●狛犬

●狛犬
・建立年不明

参道では、垂れ耳・ブタ鼻の狛犬ちゃんがお出迎えしてくれました。
建立年はわかりませんが、それなりに古そうでした。

ちょっとビックリした表情の吽形。
ちょっと不敵な笑みを浮かべる阿行。

福岡は個性的な狛犬ちゃんが多いような気がします。


●神橋(太鼓橋)

●神橋
・建立年不明

そんなこんなで、さらに奥へ進むと太鼓橋に到着。
複数の石で組んだ小ぶりな太鼓橋でした。

狛犬ちゃん同様、この橋も建立年不明ですが、とても味のある橋でしたよ。
ちなみに、柵で囲われていたので渡ることはできないみたいです。


●神門

●神門
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造 楼門

続いて、楼門タイプの神門に到着。
脚が細くて頭でっかちなフォルムですが、立派な門でした。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 妻入り切妻造
・式内社
・綿津見神社・海神社の総本社
・博多湾の総鎮守


そんなこんなで、楼門をくぐると拝殿に到着。

銅板葺の立派な社殿でした。
壁板は張られておらず、開放型の様式になっていました。
なぜか、この様な社殿様式は、海に関係する神社でよく出会います。
理由は・・・わかりません。

それにしても、島根の美保神社によく似た社殿だなぁ。

ちなみに、こちらが美保神社の参拝記です。
美保神社の御朱印~事代主系・えびす神社の総本社~(島根県松江市美保関町)
所在地島根県松江市美保関町美保関608祭 神事代主神・三穂津姫命社 格式内社・旧国幣中社・別表神社由 緒創建年は不詳。奈良時代に編纂された出雲国風土記に記載されていることから、奈良時代以前には存在...


そんなこんなで、拝殿で参拝。
と同時に、拝殿内で神事が始まりました。

ということで、しばし神事を見学・・・見入る・・・吸い込まれそう。
やべぇ~、神々し過ぎる〜ぅ。


そういえば、拝殿前にも御潮井(清め砂)がありました。

そんなこんなで、再びセルフお清め。
なんかどんどん砂で汚れていってるけど、ちゃんと清まってる???(笑)


●阿曇氏(安曇氏)とは?

阿曇(安曇)と書いてあずみと読みます。

古代、九州北部は海人を司る阿曇氏(安曇氏)が海上を支配していたといわれています。

安曇族は、宗像族・住吉族と並ぶ三大海人族の1つで、志賀島から壱岐・対馬までを支配し、朝鮮と交流を持っていたといわれています。

また阿曇氏(安曇氏)の祖神・阿曇磯良は、神功皇后の三韓遠征で舟の舵取りを務めたお方といわれています。

志賀島は古くから海上交通の要衝だったみたいで、志賀島と海の中道を含めた一帯が阿曇氏の本拠地だったそうですよ。

古事記には、阿曇連らが祖神ともちいつく神なりと記載されています。
日本書紀には、阿曇連らがいつきまつる神なりと記載されています。

なんと、古事記・日本書紀にも記載されている氏族なんです。

そんな海一筋の歴史ある海人でしたが、なぜかその後、海を捨てて内陸部の信州・上高地に拠点を移したといいます・・・謎です。

ちなみに、現在の神主家は阿曇氏の後裔といわれています。


●本殿

・建立年不明
・檜皮葺 三間社流造
・底津綿津見神・仲津綿津見神・表津綿津見神を祀る

本殿は大きな流造。
装飾などはなく、とてもシンプルな造りでした。

楼門・拝殿・本殿ともに建立年を知る手がかりがありませんでした。

見た感じ、さほど古くはなさそう・・・って、案外、古かったりしてっ!


●左殿
・仲津綿津見神を祀る
・相殿は神功皇后

●中殿
・底津綿津見神を祀る
・相殿は玉依姫命

●右殿
・表津綿津見神を祀る
・相殿は応神天皇

相殿には、八幡神の神功皇后・応神天皇。
そして、綿津見神の次女・玉依姫命が祀られていました。

なぜか長女の豊玉姫は祀られてないという。
理由は・・・わかりません。
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主祭神・綿津見三神とは?


主祭神は・底津綿津見神・仲津綿津見神・表津綿津見神。
この3神を総称して綿津見三神と呼びます。

この綿津見三神は、黄泉の国から逃げてきたイザナギが禊をした時に生まれた神様です。

イザナギが海のに潜った時に生まれたのが底津綿津見神

中ほどにいた時に生まれたのが仲津綿津見神

水面で生まれたのが上津綿津見神といわれています。

底・中・上とはわかりやすいですね!

ちなみにこの禊では、同時に住吉三神も生まれています。

イザナギの禊については、こちらに書いています。
[5]イザナギの禊
イザナギは黄泉の国で穢れた身を清めるため日向(宮崎県)の阿波岐原あわぎはら(宮崎市)へ向かい、海で禊をすることになる。そこでもたくさんの神々と、重要な神を生む。
こちらは、イザナギが禊を行った池がある江田神社の参拝記です。
江田神社の御朱印~イザナギが禊をした地~(宮崎県宮崎市阿波岐原町)
住 所宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127祭 神主祭神 伊邪那岐命配祀神 伊邪那美命社 格式内社・旧県社由 緒創建年は不詳。しかし続日本後紀の837年8月1日条に記載されていることから、それ以...

遥拝所

●遥拝所

境内には玄界灘に面して建つ鳥居がありました。

どうやら、ここは右斜め対岸に鎮座する大嶽神社・小嶽神社・伊勢神宮の遥拝所のようです。


そんなこんなで、各神社を遥拝。
そして、鳥居越しに玄界灘を望む。

神々しいなぁ~。
なんだか神の視線を感じちゃう風景でした。


そんなことより、鳥居の向こう側には亀石がありました。

この亀石は、神功皇后の三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って神功皇后の前に現れたという伝承にちなんで奉納された霊石らしいですよ。



そうこうしてると、遥拝所でも神事が始まりました。
そんなこんなで、再び見学。

突然静まり返る境内。
鳥居と海と神職さん達。
さらに神々しさが増し、心の中のダウジングが高速回転しましたよ。

無音・無言で進む神事。
1人ずつ順番に白い布を破って鳥居前のお供え台に置いてる・・・一体全体何なんだろうねぇ?


ちなみに、こちらが神事でお供えされていた物です。

これがどういう神事なのがわかんないけど、こういう風景がとっても素敵に思えてしまったひと時でした。

鹿角堂

●鹿角堂

そんなこんなで、境内を散策。
このお堂がとんでもないことになっていました!

それがこちら。


はいドン。

なんと、堂内には10000本以上の鹿の角がギッシリと奉納されているという!
((((;゚Д゚)))))))

鹿の角だけならまだしも、頭部を丸ごと奉納していたり、歯付きの頭蓋骨があったり!
猟奇的過ぎて、ガン見できませんでした!

こ、これは一体・・・なに!?!?


どうやらこれは、神功皇后が対馬で鹿狩りをした際、鹿の角を志賀海神社に奉納したことが始まりなんだって。
それ以降、祈願成就のために鹿の角を奉納する慣わしができたそうですよ!

あたしゃ、てっきり志賀島のシカ鹿を掛けたダジャレ的なものかと思ってしまいましたよ!
ちゃんとした由緒があったんですね!

春秋に執り行われる山誉祭では『五尺の鹿 七かしら 八かしら まぶしの前の通る鹿 何となさる 〜中略〜 志賀大明神の御力を以て一匹たりとも逃しはせぬ 〜弓で鹿を三度射る〜 エーィッ、エーィッ、エーィッ』といって、鹿狩りの様子を再現しているそうですよ。

ちなみに、その昔はこの志賀島にもたくさんの鹿が生息していたみたいで、江戸時代には黒田藩の狩猟場になっていたんだって。

●山誉祭とは?
山誉祭とは海の民が山を褒めるという神事です。
春と秋の年2回行われ、福岡県の無形民俗文化財に指定されています。

境内社

●今宮神社

●今宮神社
・建立年不明
・銅板葺 平入り切妻造
・摂社
・宇都志日金折命・住吉三神・天兒屋根命・阿曇磯良丸命・神裔阿曇諸神を祀る

古事記に『阿曇家は、綿津見神の子・宇都志日金折命の子孫』と記載されています。

ということで、志賀海神社は代々阿曇家が宮司を務めており、阿曇家の祖神・宇都志日金折命は綿津見三神に仕える者の祖神として奉祀されているようです。


●熊四郎稲荷社と秋葉社と松尾社


●鳥居
・1909年建立
・石製 明神鳥居

●熊四郎稲荷社(左)
・建立年不明
・銅板葺 流造
・宇迦之御魂神を祀る
・末社

●秋葉社(中)
・建立年不明
・銅板葺 流造
・火之迦具土神を祀る
・末社

●松尾社(右)
・建立年不明
・銅板葺 流造
・大山咋神を祀る
・末社


●磯崎社

●磯崎社
・少彦名命・大己貴命を祀る

婦人病・病気平癒の御利益があるそうです。


●荒神社と祇園社と大神宮社と惣社

●荒神社(1番左の社)
・建立年不明
・銅板葺 流造
・奥津比古神・奥津比賣神・火産霊神を祀る
・末社

●祇園社(左から2社目)
・建立年不明
・銅板葺 流造
・建速須佐之男神を祀る
・末社

●大神宮社(左から3社目)
・建立年不明
・銅板葺 流造
・天照大御神・豊受大神を祀る
・末社

●惣社(1番右の社)
・建立年不明
・銅板葺 流造
・八百萬神を祀る
・末社

筑前国続風土記によると、かつて志賀海神社には375の末社があったといいます。
しかし、兵火などで数が減っていったそうです。

1439年の大内持世による再興時には120社。
その後、江戸時代には5社になったそうです。

そんなこんなで、この社はかつてあった375社あまりの末社を合祀した社なんだって。


●山之神社

●山之神社
・建立年不明
・大山津見神を祀る

大山津見神は山の神様ですが、海の神様という性格も持っています。

こちらに大山津見神のことを書いています。
大山祇神社の御朱印~山祇神社・三島神社の総本社~(愛媛県今治市大三島町)
所在地愛媛県今治市大三島町宮浦3327祭 神大山積神(三島大明神)社 格・式内社(名神大)・伊予国一宮・旧国幣大社・別表神社由 緒伊予国風土記によると、仁徳天皇の時代、百済より摂津国に大山祇神を...

宝篋印塔と陰陽石

●宝篋印塔

●宝篋印塔
・1347年建立
・高さ 3.34m
・花崗岩
・福岡県指定有形文化財

参道脇には、見るからに古げな宝篋印塔がありました。
なんと福岡県内最古の宝篋印塔だという!

なにぶん最古好きなもんで、少々萌えタイムに浸ってしまいました。


●陰陽石


その他、境内には陰陽石がありました。

なにぶん陰陽石好きなもんで、こちらでも萌えタイムに浸ってしまいました。
陰陽石の前でニヤニヤしてると、だいぶ怪しいですね(笑)

ちなみに陰陽石とは、チンチンとマンマンの形をした石です。

君が代のルーツ!?


日本の国家といえば君が代。
世界で最も古い作詞者(作詞者不明)、そして世界で最も短い国歌として有名な歌です。

そんな君が代の元歌は、平安時代の古今和歌集に記載されている『わが君は千世にやちよに さゞれ石の巌となりて苔のむすまで』とされています・・・がっ、なんと志賀海神社の山誉祭で使われる祝詞に君が代の詩が入っているという!

その祝詞がいつから使われているのかはわかりませんが、一説によると神功皇后の時代には使われていたという説もあるとかないとか。

もしそうだとしたら、古今和歌集よりも古いということになります!
ということで、山誉祭で使われる祝詞は君が代のルーツ!?といわれています!

ちなみに、山誉祭で使われる祝詞がこちら

君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで あれはや あれこそは わが君の御舟なり うつろうがせ みがいに命 千歳という・・・(まだまだ続く)

ほんとに一緒だ!
もうそのまま使われています!

いやはや、とんでもない神社に来てもうた!

金印公園

●金印公園

そんなこんなで参拝後、志賀海神社から車で数分のところにある金印公園に行ってきました。

おそらく、誰もが知っていると思われる国宝・金印。

ここが、1784年に志賀島の農民が金印を発見したといわれている場所です。


●金印とは?

●金印
・一辺の長さ 2.3cm
・高さ 2.2cm
・国宝

金印とは、57年に後漢の光武帝が倭国の使者に与えた純金製の王印です。

正式名称は漢委奴国王印


実は、ここに来たのは小学生ぶりなんです。
当時は、ここに金印が展示されてると素敵な勘違いをしていたせいで、公園に到着した時のガッカリ感はハンパなかったです!
まさか福岡市博物館に展示されてるとは・・・(笑)

当時はネットなんてなかったから、金印がどこにあるのか調べることもできず、どうしていいかわからず、家族一同途方に暮れて呆然と立ちすくむしかありませんでした。

次の1手が出せなかったのです。出せなかったというより、次の1手が無かったんです!
完全に手詰まり状態になりました(笑)



そんな思い出の地であります金印公園。
当時は薄暗くて薄気味悪い公園だったけど、今はめちゃくちゃ綺麗に整備されています。

現在は、金印のレプリカのオブジェがあったりするので、当時の私達みたいに勘違いでこの公園に来てもガッカリ度は低いと思われます(笑)


そんなこんなで、金印公園前の道路から福岡市街地方面を望む。


そして、2017年最後の太陽を拝む。

今年もいい1年だったなぁ~。

御朱印情報

●御朱印の種類
・通常の御朱印1種

●御朱印の受付場所
・授与所

●御朱印の受付時間
・9:00頃〜17:00頃

●御朱印の初穂料(料金)
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし
(2020年11月現在)


●オリジナル御朱印帳

●オリジナル御朱印帳
サイズ
 16cm × 11cm

・初穂料
・2000円
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参拝情報とアクセス

●参拝時間
・6:00〜17:00
(元旦は0:00に開門)

●拝観料
・無料


●福岡市営渡船
・博多港ベイサイドプレイス志賀島行きで約30分
 ↓
 志賀島渡船場から徒歩10分

●西鉄バス
・JR西戸崎駅前から勝馬行きで約10分
 ↓
 志賀島から徒歩10分。

・中央郵便局前から21番系統
 志賀島小学校行きバスで約75分
 ↓
 志賀島から徒歩10分

●JR
・香椎線・西戸崎駅
 ↓
 西戸崎駅前から西鉄バス勝馬行で約10分
 ↓
 志賀島から徒歩10分

志賀海神社の地図

 

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