所在地 | 大分県臼杵市深田804−1 |
---|---|
札 所 | 臼杵八ヶ所霊場 第1番 |
由 緒 | 伝説では、真名野長者と呼ばれた豪族が我が子の死を悲しみ、中国から蓮城法師を呼んで磨崖仏群を造立したといいます。しかし石仏造営の時期や事情を証明する史料は一切残っておらず、実際のところは謎とのことです。仏像の様式などから大部分は平安時代後期に作られたものといわれています。規模・数量・彫刻の質の高さから、1995年に磨崖仏では全国初、彫刻では九州初の国宝に指定されました。現在、60余体の石仏のうち61体が国宝に指定されています。 |
HP | 国宝臼杵石仏 |
臼杵石仏とは?
磨崖仏界のボス!
国宝・臼杵石仏に到着。
大分県臼杵市の中心部から車で約20分。
人里離れた山間の小さな谷間に臼杵石仏があります。
臼杵石仏には60体以上の磨崖仏があり、そのうち61体が国宝に指定されているという!
これはもう石仏界のスーパーアイドルです。
AKB48ならぬSKB61。
(せきぶつ61)
大分県は石仏・磨崖仏・国東塔をはじめ、日本一の数を誇る石橋などなど、古くから石の文化が栄えていました。
その中でも特に有名なのがこの臼杵石仏。
ビックリすることに、全国の摩崖仏のうち約7割が大分県に集中しているという!
そんなこんなで、とんでもない石仏王国なんです!
石仏群は4群に分かれていて、それぞれホキ石仏第1群、ホキ石仏第2群、山王山石仏、古園石仏と名付けられています。
順路に沿って巡ると大体800mのコース。
道は綺麗に整備されていますが、たまに石段や軽い坂道などがあるので歩きやすい靴で巡ることをオススメします・・・って余計なお世話ってか。
そんなこんなで、拝観受付を済ませていざ臼杵石仏へ。
実はここに来るのは初めてではなくて、青春時代に原付で九州1周の旅をした時にも訪れているのです。
そのときの感動を思い出したくて再訪した次第です。
ホキ石仏第ニ群
●ホキ石仏第ニ群
順路通りに進むと、まず最初に登場するのはホキ石仏第二群です。
第一ではなく第二からスタートするのが、な〜んとなくモヤッとします。
そんなことよりホキって!?
どうやらホキとはガケという意味の地名らしいですよ。
そんなこんなでホキ石仏第2群の覆屋に入ると
はいドン!
いきなり極上の磨崖仏が登場!
ホキ石仏第二群は、第一龕と第二龕から成っていて、正面向かって左が第一龕。
そして右が第二龕となります。
ちなみに龕(がん)とは、断崖を掘って仏像などを安置する場所のことです。
●ホキ石仏第ニ群 第一龕
●阿弥陀三尊像
・平安時代後期頃作
・国宝
そんなこんなで、まずは第一龕の阿弥陀三尊像から。
一般的な磨崖仏と比べて飛び出し方がスゴいです!
背中の方をサクサクサクと彫れば脱磨崖仏になるのですが、あえてそれをしないというね!
意地でも磨崖仏を保とうとしているところが素敵です。
というか、なんでここに磨崖仏が!?
実は臼杵石仏群周辺の岩壁は軟らかくて彫刻しやすい阿蘇溶結凝灰岩なんだって。
そういうこともあってここに磨崖仏群が形成されたんだとか。
彫りやすくていいじゃん!
と思いがちですが、彫りやすいぶん崩れやすいという弱点があるという。。
石仏の造立後、時が経つにつれ石仏たちの存在は忘れられ、地元のごく一部の人しか訪れなかったといいます。
その後、長きにわたって野ざらし状態に・・・風雨などの浸食により仏頭部が落下したものも少なくなかったといいます。
そんな歴史を知ると、今ここで見ている景色が奇跡のように思えちゃいます。
ってか、磨崖仏じゃなくてもよかったじゃん!
と思いがちですが、磨崖仏は持ち出されることも、流されることもありません。
↑
磨崖仏の最大の利点はここ!
磨崖仏だったからこそ、雨風に耐えつつも今も昔と変わらぬ場所で現存してるんですね。
運ぶことが出来ないということは、博物館に貸し出しもできない!
ということで、臼杵石仏を見るためには現地に行かないと見れないという。
そう思うと、磨崖仏のレア感ってすごくないですか?
●ホキ石仏第ニ群 第二龕
●九品の阿弥陀像
・平安時代末期頃作
・国宝
続いて、第二龕の九品の阿弥陀像へ。
中央に阿弥陀如来坐像。
その左右に4体ずつ阿弥陀如来立像がおられました。
そして九品仏の両サイドには不動明王像と判別不明の仏さんがおられました。
ちなみに九品とは、極楽浄土には9つのランクがあるという考え方のことで、九品仏とはそれを表した9体の阿弥陀仏のことです。
先ほどの阿弥陀三尊像しかり、この九品仏しかり、このホキ石仏第二群は浄土エリアになっていました。
阿弥陀三尊像の前には大きな礎石がありました。
どうやらこちらは、鎌倉時代に磨崖仏を覆っていた建物の礎石のようです。
順路通りに進むと、まず最初に登場するのはホキ石仏第二群です。
第一ではなく第二からスタートするのが、な〜んとなくモヤッとします。
そんなことよりホキって!?
どうやらホキとはガケという意味の地名らしいですよ。
そんなこんなでホキ石仏第2群の覆屋に入ると
はいドン!
いきなり極上の磨崖仏が登場!
ホキ石仏第二群は、第一龕と第二龕から成っていて、正面向かって左が第一龕。
そして右が第二龕となります。
ちなみに龕(がん)とは、断崖を掘って仏像などを安置する場所のことです。
●ホキ石仏第ニ群 第一龕
●阿弥陀三尊像
・平安時代後期頃作
・国宝
そんなこんなで、まずは第一龕の阿弥陀三尊像から。
一般的な磨崖仏と比べて飛び出し方がスゴいです!
背中の方をサクサクサクと彫れば脱磨崖仏になるのですが、あえてそれをしないというね!
意地でも磨崖仏を保とうとしているところが素敵です。
というか、なんでここに磨崖仏が!?
実は臼杵石仏群周辺の岩壁は軟らかくて彫刻しやすい阿蘇溶結凝灰岩なんだって。
そういうこともあってここに磨崖仏群が形成されたんだとか。
彫りやすくていいじゃん!
と思いがちですが、彫りやすいぶん崩れやすいという弱点があるという。。
石仏の造立後、時が経つにつれ石仏たちの存在は忘れられ、地元のごく一部の人しか訪れなかったといいます。
その後、長きにわたって野ざらし状態に・・・風雨などの浸食により仏頭部が落下したものも少なくなかったといいます。
そんな歴史を知ると、今ここで見ている景色が奇跡のように思えちゃいます。
ってか、磨崖仏じゃなくてもよかったじゃん!
と思いがちですが、磨崖仏は持ち出されることも、流されることもありません。
↑
磨崖仏の最大の利点はここ!
磨崖仏だったからこそ、雨風に耐えつつも今も昔と変わらぬ場所で現存してるんですね。
運ぶことが出来ないということは、博物館に貸し出しもできない!
ということで、臼杵石仏を見るためには現地に行かないと見れないという。
そう思うと、磨崖仏のレア感ってすごくないですか?
●ホキ石仏第ニ群 第二龕
●九品の阿弥陀像
・平安時代末期頃作
・国宝
続いて、第二龕の九品の阿弥陀像へ。
中央に阿弥陀如来坐像。
その左右に4体ずつ阿弥陀如来立像がおられました。
そして九品仏の両サイドには不動明王像と判別不明の仏さんがおられました。
ちなみに九品とは、極楽浄土には9つのランクがあるという考え方のことで、九品仏とはそれを表した9体の阿弥陀仏のことです。
先ほどの阿弥陀三尊像しかり、この九品仏しかり、このホキ石仏第二群は浄土エリアになっていました。
阿弥陀三尊像の前には大きな礎石がありました。
どうやらこちらは、鎌倉時代に磨崖仏を覆っていた建物の礎石のようです。
ホキ石仏第一群
●ホキ石仏第一群 第一龕
●ホキ石仏第一群 第一龕
・左 薬師如来坐像(伝)
・中 釈迦如来坐像(伝)
・右 阿弥陀如来坐像
・平安時代後期作
・国宝
続いてホキ石仏第一群へ。
ホキ石仏第一群は4つの龕から成っていて、正面向かって左から第一・二・三・四龕となっております。
中尊のお釈迦さんは顔が崩れ落ちそう・・・。
眉間にシワを寄せて、顔が落ちないように踏ん張ってるように見えました。
●ホキ石仏第一群 第二龕
●ホキ石仏第一群 第二龕
・左 薬師如来坐像
・中 釈迦如来坐像
・右 阿弥陀如来坐像
・平安時代後期作
・国宝
どうやら第一龕と第二龕の仏さんは同じラインナップのようです。
ちなみに第二龕は修復中のため足場が組まれていたというね。
そんなこんなで、足場の隙間からお顔を拝見。
●ホキ石仏第一群 第三龕
●ホキ石仏第一群 第三龕
・左 阿弥陀如来坐像
・中 大日如来坐像
・右 釈迦如来坐像(伝)
・平安時代後期作
・国宝
如来三尊像の両サイドには、向き合うように菩薩像が立っておられました。
もちろんこの菩薩像も国宝です。
気になるのが台座の穴・・・
これは何かというと経典を納める穴だといわれています。
宝冠には彩色が残っていました。
これは後世の補修でしょうか???
それにしても石とは思えないくらい、やさしいフォルムでしたよ。
●ホキ石仏第一群 第四龕
●ホキ石仏第一群 第四龕
・地蔵菩薩坐像
・十王立像
・鎌倉時代作
・国宝
ホキ石仏第一群の中で一際目を引くのがこちらの磨崖仏!
これまでの作風とは違い圧倒的な深彫り!
遠近感というか奥行きを感じる世界観となっておりました。
飛び出し方が尋常じゃないため、もはや磨崖仏の域を越しちゃっています!
ちなみに十王像とは地獄の裁判官です。
そしてお地蔵さんは地獄の最高裁判官・閻魔大王の化身です。
ということで、第四龕は地獄思想を表現していました。
第三龕と第四龕。
もうすでにここまででお腹イッパイです。
●ホキ石仏第一群 第一龕
・左 薬師如来坐像(伝)
・中 釈迦如来坐像(伝)
・右 阿弥陀如来坐像
・平安時代後期作
・国宝
続いてホキ石仏第一群へ。
ホキ石仏第一群は4つの龕から成っていて、正面向かって左から第一・二・三・四龕となっております。
中尊のお釈迦さんは顔が崩れ落ちそう・・・。
眉間にシワを寄せて、顔が落ちないように踏ん張ってるように見えました。
●ホキ石仏第一群 第二龕
●ホキ石仏第一群 第二龕
・左 薬師如来坐像
・中 釈迦如来坐像
・右 阿弥陀如来坐像
・平安時代後期作
・国宝
どうやら第一龕と第二龕の仏さんは同じラインナップのようです。
ちなみに第二龕は修復中のため足場が組まれていたというね。
そんなこんなで、足場の隙間からお顔を拝見。
●ホキ石仏第一群 第三龕
●ホキ石仏第一群 第三龕
・左 阿弥陀如来坐像
・中 大日如来坐像
・右 釈迦如来坐像(伝)
・平安時代後期作
・国宝
如来三尊像の両サイドには、向き合うように菩薩像が立っておられました。
もちろんこの菩薩像も国宝です。
気になるのが台座の穴・・・
これは何かというと経典を納める穴だといわれています。
宝冠には彩色が残っていました。
これは後世の補修でしょうか???
それにしても石とは思えないくらい、やさしいフォルムでしたよ。
●ホキ石仏第一群 第四龕
●ホキ石仏第一群 第四龕
・地蔵菩薩坐像
・十王立像
・鎌倉時代作
・国宝
ホキ石仏第一群の中で一際目を引くのがこちらの磨崖仏!
これまでの作風とは違い圧倒的な深彫り!
遠近感というか奥行きを感じる世界観となっておりました。
飛び出し方が尋常じゃないため、もはや磨崖仏の域を越しちゃっています!
ちなみに十王像とは地獄の裁判官です。
そしてお地蔵さんは地獄の最高裁判官・閻魔大王の化身です。
ということで、第四龕は地獄思想を表現していました。
第三龕と第四龕。
もうすでにここまででお腹イッパイです。
山王山石仏
●山王山石仏
続いて山王山石仏へ。
それにしても、なんでこんなにもたくさんの石仏を彫ってしまったのか・・・。
一体、誰がなんの目的で彫ったのか・・・。
実は石仏造営を記す史料は一切残っていないため、全てが謎だという・・・。
伝説では真名野長者が我が子の供養のために石仏を彫らせたといわれていますが、あくまでそれは伝説に過ぎず・・・。
多くの学者は、時代的に見てこの地一帯を支配していた豊後大神一族・臼杵氏が関わってたんじゃないの?と推測してるんだって。
●山王山石仏
・左 阿弥陀如来坐像
・中 釈迦如来坐像(伝)
・右 薬師如来坐像(伝)
・平安時代後期作
・国宝
山王山石仏は全3体。
他の石仏群に比べて数が少ないです。
その代わりデカい!
なんと中尊のお釈迦さんは丈六仏だという!
仏さんの顔は丸く、目鼻口に幼さがあり、まるで純粋無垢な子供のよう。
そのため、こちらの仏さんは通称・隠れ地蔵と呼ばれています。
続いて山王山石仏へ。
それにしても、なんでこんなにもたくさんの石仏を彫ってしまったのか・・・。
一体、誰がなんの目的で彫ったのか・・・。
実は石仏造営を記す史料は一切残っていないため、全てが謎だという・・・。
伝説では真名野長者が我が子の供養のために石仏を彫らせたといわれていますが、あくまでそれは伝説に過ぎず・・・。
多くの学者は、時代的に見てこの地一帯を支配していた豊後大神一族・臼杵氏が関わってたんじゃないの?と推測してるんだって。
●山王山石仏
・左 阿弥陀如来坐像
・中 釈迦如来坐像(伝)
・右 薬師如来坐像(伝)
・平安時代後期作
・国宝
山王山石仏は全3体。
他の石仏群に比べて数が少ないです。
その代わりデカい!
なんと中尊のお釈迦さんは丈六仏だという!
仏さんの顔は丸く、目鼻口に幼さがあり、まるで純粋無垢な子供のよう。
そのため、こちらの仏さんは通称・隠れ地蔵と呼ばれています。
古園石仏
●古園石仏
続いて古園石仏へ。
こちらにお待ちかねのあのお方がおられます。
石仏界のスーパースター☆
SKB61のセンター!
そんなこんなで
はいドン!
胸キュン!
●古園石仏
・大日如来坐像
・十三仏
・平安時代後期作
・国宝
臼杵市のシンボルです。
古園石仏は、大日如来像を中心として曼荼羅を構成していました。
左から
・増長天立像(伝)・不動明王坐像
・勢至菩薩坐像・文殊菩薩坐像(伝)
・宝生如来坐像(伝)・阿門如来坐像(伝)
・大日如来坐像
・無量寿如来坐像(伝)・不空成就如来坐像(伝)
・普賢菩薩坐像(伝)・観音菩薩坐像
・降三世明王坐像(伝)・多聞天立像(伝)
大日如来さんは、日本の石仏の中で最高傑作の1つと称され、各方面から限りない絶賛を受けている国宝の中の国宝です。
素人の目で見ても悶絶級の痺れを感じるオーラを発していました。
石仏とは思えないくらい繊細な表情。
それはまるで木彫りのような温かさを感じる石仏でした。
よく見たら十三仏のお腹がエグれています。
お腹というか下半身がありません!
これは参拝者によってできた道が大雨の時に川となって石仏の下半身を削りとったからだといわれています。
そんな犠牲に遭いながらも、下半身を失いながらも、昔と変わらず同じ場所におられるのはやはり磨崖仏だから!
磨崖仏スゲー!
~画像は説明板より~
ちなみに大日如来さんは、長い間、頭部が落下したままだったそうです。
修復にあたって、元の姿に戻すべき派とそのままでOK派で激しい論争が起きたそうですが、文部省(当時)が仏頭を元の位置へ戻すことを国宝指定の条件として提示したため、1993年に元の姿に修復したそうです。
そして1995年に国宝に指定されました。
これは磨崖仏として全国初、彫刻では九州初の国宝指定だったという!
ちなみに臼杵石仏60数体の修復は1980〜1994年まで、なんと14年も費やしたという。
古園石仏にはこんなものがありました。
落下していた頭部が胴体とつながったことからクビがつながる → クビにならないということで、この大日如来さんにはリストラ除けの御利益があるんだって!
上手いこと言いますねー!
ということで、窓際におられる方は今すぐこちらへ。
って、人のことを心配している場合じゃない。
こちらの金剛力士像。
以前、参拝したときは国宝の指定を受けていませんでしたが、2017年に目出たく国宝に指定されました!
そんなこんなでSKB61をくまなく鑑賞し、もれなく感動したひと時でした。
いやはや、素敵な時間でした。
そんなこんなで、臼杵石仏を後にしてお土産屋さんへ。
お土産屋さんの前には石仏の頭部(レプリカ)が祀られていました。
ちなみに臼杵石仏の向かい側には臼杵石仏の守護寺・満月寺があります。
短足の仁王さんや巨大な宝篋印塔(日吉塔)などがある素敵なお寺さんでしたよ。
続いて古園石仏へ。
こちらにお待ちかねのあのお方がおられます。
石仏界のスーパースター☆
SKB61のセンター!
そんなこんなで
はいドン!
胸キュン!
●古園石仏
・大日如来坐像
・十三仏
・平安時代後期作
・国宝
臼杵市のシンボルです。
古園石仏は、大日如来像を中心として曼荼羅を構成していました。
左から
・増長天立像(伝)・不動明王坐像
・勢至菩薩坐像・文殊菩薩坐像(伝)
・宝生如来坐像(伝)・阿門如来坐像(伝)
・大日如来坐像
・無量寿如来坐像(伝)・不空成就如来坐像(伝)
・普賢菩薩坐像(伝)・観音菩薩坐像
・降三世明王坐像(伝)・多聞天立像(伝)
大日如来さんは、日本の石仏の中で最高傑作の1つと称され、各方面から限りない絶賛を受けている国宝の中の国宝です。
素人の目で見ても悶絶級の痺れを感じるオーラを発していました。
石仏とは思えないくらい繊細な表情。
それはまるで木彫りのような温かさを感じる石仏でした。
よく見たら十三仏のお腹がエグれています。
お腹というか下半身がありません!
これは参拝者によってできた道が大雨の時に川となって石仏の下半身を削りとったからだといわれています。
そんな犠牲に遭いながらも、下半身を失いながらも、昔と変わらず同じ場所におられるのはやはり磨崖仏だから!
磨崖仏スゲー!
~画像は説明板より~
ちなみに大日如来さんは、長い間、頭部が落下したままだったそうです。
修復にあたって、元の姿に戻すべき派とそのままでOK派で激しい論争が起きたそうですが、文部省(当時)が仏頭を元の位置へ戻すことを国宝指定の条件として提示したため、1993年に元の姿に修復したそうです。
そして1995年に国宝に指定されました。
これは磨崖仏として全国初、彫刻では九州初の国宝指定だったという!
ちなみに臼杵石仏60数体の修復は1980〜1994年まで、なんと14年も費やしたという。
古園石仏にはこんなものがありました。
落下していた頭部が胴体とつながったことからクビがつながる → クビにならないということで、この大日如来さんにはリストラ除けの御利益があるんだって!
上手いこと言いますねー!
ということで、窓際におられる方は今すぐこちらへ。
って、人のことを心配している場合じゃない。
こちらの金剛力士像。
以前、参拝したときは国宝の指定を受けていませんでしたが、2017年に目出たく国宝に指定されました!
そんなこんなでSKB61をくまなく鑑賞し、もれなく感動したひと時でした。
いやはや、素敵な時間でした。
そんなこんなで、臼杵石仏を後にしてお土産屋さんへ。
お土産屋さんの前には石仏の頭部(レプリカ)が祀られていました。
満月寺の御朱印~短足の仁王さん~(大分県臼杵市)
住 所大分県臼杵市深田963宗 派日本山妙法寺由 緒臼杵石仏を造った真名野長者の発願により蓮城法師が創建。1562年に兵火で焼失するまで、深田の里には5院・6坊のお堂があり、それらを総称して紫雲山満月寺と...
短足の仁王さんや巨大な宝篋印塔(日吉塔)などがある素敵なお寺さんでしたよ。
御朱印情報
●御朱印の種類
・臼杵石仏の御朱印
●御朱印の受付場所
・売店
・臼杵市観光情報協会
●御朱印の受付時間
・4月~9月 6:00~19:00
・10月~3月 6:00~18:00
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・2月限定特別御朱印
愛染明王の御朱印
・春季限定特別御朱印
大日如来の御朱印
・秋季限定特別御朱印
観音菩薩の御朱印
・冬季限定特別御朱印
勢至菩薩の御朱印
●オリジナル御朱印帳
・臼杵八ヶ所霊場 納経帳
・2001年10月23日 参拝
・2011年2月11日 再訪
・2019年4月27日 再訪
・2021年3月 更新
・臼杵石仏の御朱印
●御朱印の受付場所
・売店
・臼杵市観光情報協会
●御朱印の受付時間
・4月~9月 6:00~19:00
・10月~3月 6:00~18:00
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・2月限定特別御朱印
愛染明王の御朱印
・春季限定特別御朱印
大日如来の御朱印
・秋季限定特別御朱印
観音菩薩の御朱印
・冬季限定特別御朱印
勢至菩薩の御朱印
●オリジナル御朱印帳
・臼杵八ヶ所霊場 納経帳
●臼杵八ヶ所霊場
・第一番札所 臼杵石仏
大分県臼杵市深田804−1
・第二番札所 慈雲山 福聚寺
大分県臼杵市井村立野3456
・第三番札所 正覚山 多福寺
大分県臼杵市二王座191
・第四番札所 竹林山 法音寺
大分県臼杵市二王座256
・第五番札所 成道山 見星寺
大分県臼杵市田町5組
・第六番札所 法雲山 大橋寺
大分県臼杵市平清水20組
・第七番札所 紫雲山 龍原寺
大分県臼杵市平清水17組
・第八番札所 高野山 興山寺
大分県臼杵市福良2366−1
・第一番札所 臼杵石仏
大分県臼杵市深田804−1
・第二番札所 慈雲山 福聚寺
大分県臼杵市井村立野3456
・第三番札所 正覚山 多福寺
大分県臼杵市二王座191
・第四番札所 竹林山 法音寺
大分県臼杵市二王座256
・第五番札所 成道山 見星寺
大分県臼杵市田町5組
・第六番札所 法雲山 大橋寺
大分県臼杵市平清水20組
・第七番札所 紫雲山 龍原寺
大分県臼杵市平清水17組
・第八番札所 高野山 興山寺
大分県臼杵市福良2366−1
・2001年10月23日 参拝
・2011年2月11日 再訪
・2019年4月27日 再訪
・2021年3月 更新
参拝情報とアクセス
●拝観時間
・4月~9月 6:00~19:00
・10月~3月 6:00~18:00
●拝観料
通常
・大人(高校生以上) 550円
・小人(小中学生) 270円
2施設共通券
・臼杵石仏・稲葉家下屋敷 共通入場券
・大人(高校生以上) 710円
・小人(小中学生)350円
4施設共通券
・臼杵石仏・稲葉家下屋敷
・吉丸一昌記念館・野上弥生子文学記念館
・大人(高校生以上) 1140円
・小人(小中学生) 560円
●最寄りの駅
・JR上臼杵駅から徒歩55分
・JR上臼杵駅から車で10分
●最寄りのバス停
・臼杵駅から
大分県庁前行または三重行に乗車
臼杵石仏で下車
・大分駅から
臼杵駅行または臼杵港行に乗車
臼杵石仏で下車
●最寄りのIC
・東九州自動車道
臼杵ICから車で約5分
・東九州自動車道
大分ICから車で約30分
別府ICから車で約40分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(100台)
・4月~9月 6:00~19:00
・10月~3月 6:00~18:00
●拝観料
通常
・大人(高校生以上) 550円
・小人(小中学生) 270円
2施設共通券
・臼杵石仏・稲葉家下屋敷 共通入場券
・大人(高校生以上) 710円
・小人(小中学生)350円
4施設共通券
・臼杵石仏・稲葉家下屋敷
・吉丸一昌記念館・野上弥生子文学記念館
・大人(高校生以上) 1140円
・小人(小中学生) 560円
●最寄りの駅
・JR上臼杵駅から徒歩55分
・JR上臼杵駅から車で10分
●最寄りのバス停
・臼杵駅から
大分県庁前行または三重行に乗車
臼杵石仏で下車
・大分駅から
臼杵駅行または臼杵港行に乗車
臼杵石仏で下車
●最寄りのIC
・東九州自動車道
臼杵ICから車で約5分
・東九州自動車道
大分ICから車で約30分
別府ICから車で約40分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(100台)