所在地 | 愛媛県宇和島市丸之内3-6-2 |
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祭 神 | 主祭神 ・伊達秀宗 配祀神 ・伊達村候・伊達宗紀・伊達宗城 合祀 ・護国の英霊7000余柱 |
由 緒 | 1914年、宇和島藩主4柱を祀り、鶴島神社と称したのが始まりといいます。しかし、1945年の宇和島空襲により社殿を焼失。戦後の再建の際、西南の役以降に戦没した宇和島市・北宇和郡・南宇和郡の英霊7000余柱を合祀し、1955年に南予護国神社と改称したそうです。 |
鳥居と狛犬
●境内入口
宇和島城入口のすぐ横に鎮座してます南豫護国神社に到着。
南豫護国神社と書いてなんよごこく神社と読みます。
南豫とは南予地方のことです。
あたしゃ、阿保だからしばらくなんぞうと読んでいました。
愛媛県は東予地方と中予地方と南予地方に分かれており、この神社が鎮座する宇和島市は南予地方に属するみたいです。
●鳥居①
●鳥居①
・1914年建立
・明神鳥居
宇和島城入口のすぐ横に鎮座する神社ですが境内入口が目立たないため、ちょっと探してしまいました。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1914年奉納
・玉乗り型
そんなこんなで、鳥居①をくぐって急な石階段を上ると玉乗り型の狛犬ちゃんがお出迎えしてくれました。
奉納年は鳥居①と同じ1914年。
この神社は1914年に創建。
しかし、1945年に空襲で社殿が焼失してしまったという。
しかしこの狛犬ちゃんと鳥居①は空襲の被害を受けなかったみたいです。
石造物は最強ですね!
そんなこんなで、狛犬ちゃんと鳥居①は創建当時から残る貴重な遺構となっております。
●鳥居②
●鳥居②
・建立年不明
・神明鳥居
ということで、もともとこの神社は護国神社として創建されたわけではないのですね。
招魂社 → 護国神社のパターンはよくありますが、藩主を祀る神社 → 護国神社のパターンは珍しいですね!
宇和島城入口のすぐ横に鎮座してます南豫護国神社に到着。
南豫護国神社と書いてなんよごこく神社と読みます。
南豫とは南予地方のことです。
あたしゃ、阿保だからしばらくなんぞうと読んでいました。
愛媛県は東予地方と中予地方と南予地方に分かれており、この神社が鎮座する宇和島市は南予地方に属するみたいです。
●鳥居①
●鳥居①
・1914年建立
・明神鳥居
宇和島城入口のすぐ横に鎮座する神社ですが境内入口が目立たないため、ちょっと探してしまいました。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1914年奉納
・玉乗り型
そんなこんなで、鳥居①をくぐって急な石階段を上ると玉乗り型の狛犬ちゃんがお出迎えしてくれました。
奉納年は鳥居①と同じ1914年。
この神社は1914年に創建。
しかし、1945年に空襲で社殿が焼失してしまったという。
しかしこの狛犬ちゃんと鳥居①は空襲の被害を受けなかったみたいです。
石造物は最強ですね!
そんなこんなで、狛犬ちゃんと鳥居①は創建当時から残る貴重な遺構となっております。
●鳥居②
●鳥居②
・建立年不明
・神明鳥居
●南豫護国神社の由緒
1914年、宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗を主祭神とし、5代藩主・村候、7代藩主・宗紀、8代藩主・宗城を配祀神として創建したのが始まり。
ちなみに神社が創建された1914年は、初代藩主・伊達秀宗の入国300年にあたる年です。
創建当時は宇和島城の別名である鶴島城にちなんで、鶴島神社という社名だったそうです。
しかし1945年の宇和島空襲で焼失。。
戦後の再建に際、西南の役以降に戦没した宇和島市・北宇和郡・南宇和郡の英霊7000余柱を合祀し、1955年に南豫護国神社と改称したそうです。
1914年、宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗を主祭神とし、5代藩主・村候、7代藩主・宗紀、8代藩主・宗城を配祀神として創建したのが始まり。
ちなみに神社が創建された1914年は、初代藩主・伊達秀宗の入国300年にあたる年です。
創建当時は宇和島城の別名である鶴島城にちなんで、鶴島神社という社名だったそうです。
しかし1945年の宇和島空襲で焼失。。
戦後の再建に際、西南の役以降に戦没した宇和島市・北宇和郡・南宇和郡の英霊7000余柱を合祀し、1955年に南豫護国神社と改称したそうです。
ということで、もともとこの神社は護国神社として創建されたわけではないのですね。
招魂社 → 護国神社のパターンはよくありますが、藩主を祀る神社 → 護国神社のパターンは珍しいですね!
拝殿
●拝殿
●拝殿
・1955年再建(?)
・銅板葺 妻入り入母屋造
●主祭神
・伊達秀宗
●配祀神
・伊達村候・伊達宗紀・伊達宗城
●合祀
護国の英霊7000余柱
拝殿の建立年は確認できませんでしたが、由緒に戦後復興の際、1955年に社名を南豫護国神社に改称と書いてありましたので、もしかしたらこのときに再建されたのかな?
と勝手に思っています。
●拝殿
・1955年再建(?)
・銅板葺 妻入り入母屋造
●主祭神
・伊達秀宗
●配祀神
・伊達村候・伊達宗紀・伊達宗城
●合祀
護国の英霊7000余柱
拝殿の建立年は確認できませんでしたが、由緒に戦後復興の際、1955年に社名を南豫護国神社に改称と書いてありましたので、もしかしたらこのときに再建されたのかな?
と勝手に思っています。
渋沢栄一と宇和島
●渋沢栄一寄進の狛犬
●狛犬③④
・1914年奉納
・渋沢栄一が寄進
なんと拝殿前の狛犬ちゃんは渋沢栄一さんの寄進!
ということを11年後に知りました!(笑)
恥ずかしいながら、当時の私は渋沢栄一さんのことを知らなかったんです!
いつもなら狛犬ちゃんの写真は撮るはずなのに、なぜかこういう時に限って写真を撮ってないという!
なぜだ!
11年前の自分をシバキ倒したい(笑)
それにしても、なんで渋沢さんが寄進した狛犬がここに???
どうやら渋沢さんは宇和島にゆかりが深いお方みたいです。
明治維新後、渋沢さんは民部省に勤めたそうですが、当時の民部卿ならびに大蔵卿は、宇和島藩8代藩主・伊達宗城さんだったという!
以来、伊達家と深い関係になったんだって。
伊達宗城さんに手腕を見込まれた渋沢さんは、宇和島伊達家の資金運用に携わり、預かり金を3倍に増やしたという!
そして、伊達家が設立した第二十国立銀行の運営にも関わって功績を上げたんだって。
さらに、実業家として活躍する渋沢さんの下には旧宇和島藩士がたくさんいたらしく、多くの旧宇和島藩士が重要な地位に就いていてたんだって。
さらに、渋沢さんの長女・歌子さんは宇和島出身の法学者・穂積陳重さんのもとに嫁いでいるという。
そんなこんなで、渋沢さんと宇和島は相当密な関係だったみたいですね!
●狛犬③④
・1914年奉納
・渋沢栄一が寄進
なんと拝殿前の狛犬ちゃんは渋沢栄一さんの寄進!
ということを11年後に知りました!(笑)
恥ずかしいながら、当時の私は渋沢栄一さんのことを知らなかったんです!
いつもなら狛犬ちゃんの写真は撮るはずなのに、なぜかこういう時に限って写真を撮ってないという!
なぜだ!
11年前の自分をシバキ倒したい(笑)
それにしても、なんで渋沢さんが寄進した狛犬がここに???
どうやら渋沢さんは宇和島にゆかりが深いお方みたいです。
明治維新後、渋沢さんは民部省に勤めたそうですが、当時の民部卿ならびに大蔵卿は、宇和島藩8代藩主・伊達宗城さんだったという!
以来、伊達家と深い関係になったんだって。
伊達宗城さんに手腕を見込まれた渋沢さんは、宇和島伊達家の資金運用に携わり、預かり金を3倍に増やしたという!
そして、伊達家が設立した第二十国立銀行の運営にも関わって功績を上げたんだって。
さらに、実業家として活躍する渋沢さんの下には旧宇和島藩士がたくさんいたらしく、多くの旧宇和島藩士が重要な地位に就いていてたんだって。
さらに、渋沢さんの長女・歌子さんは宇和島出身の法学者・穂積陳重さんのもとに嫁いでいるという。
そんなこんなで、渋沢さんと宇和島は相当密な関係だったみたいですね!
御朱印情報
●御朱印の種類
・南豫護国神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・丸之内和霊神社の社務所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年5月1日 参拝
・2021年7月 更新
・南豫護国神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・丸之内和霊神社の社務所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年5月1日 参拝
・2021年7月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR宇和島駅から徒歩20分
・JR宇和島駅から車で5分
●最寄りのバス停
・JR宇和島駅から1番乗り場で乗車
バス停 南予文化会館前で下車 徒歩3分
・JR宇和島駅から1番乗り場で乗車
バス停 宇和島バスセンターで下車 徒歩3分
●駐車場
・なし
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR宇和島駅から徒歩20分
・JR宇和島駅から車で5分
●最寄りのバス停
・JR宇和島駅から1番乗り場で乗車
バス停 南予文化会館前で下車 徒歩3分
・JR宇和島駅から1番乗り場で乗車
バス停 宇和島バスセンターで下車 徒歩3分
●駐車場
・なし