一宮神社の御朱印~クスノキに囲まれた古社~(愛媛県新居浜市)

所在地愛媛県新居浜市一宮町1丁目3−1
祭 神●主祭神
・大山積神・大雷神・高龗神
●配祀神
・健御名方神
由 緒創建年は不詳ですが、古くよりこの地には大山積神が祀られていたといいます。709年、大三島より雷神・高龗神を勧請。平安時代初期、嵯峨天皇の勅願所として崇敬を受け、神号正一位一宮大明神の額を賜ったといいます。1585年、天正の陣で毛利氏・小早川隆景軍の焼き討ちに遭い消失。その後、毛利氏に不幸が続いたため、1620年に毛利氏が再建。その際、御分霊を長門の萩城下に勧請し、分社を建てて崇敬したそうです。1705年、西条藩主・松平頼純が現・社殿を造営し、西条藩主・松平公の祈願所六社のうちの一社となったそうです。
HP一宮神社 | 愛媛県新居浜市一宮町にある神社
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鳥居と参道

●鳥居


新居浜市の中心部に鎮座する一宮神社に到着。

社名の通り、かつては新居郡の一宮として崇敬されていたそうですよ。
ということで、読み方はいちのみやと思うじゃないですかー。

ところがどっこい、一宮神社と書いていっく神社と読むという!

今、このページを作る瞬間まで、いちのみや神社と思って生きてきました・・・お恥ずかしい(ノ∀\*)


●参道

鳥居をくぐると、クスノキの参道に突入。

なんと、境内には約90本のクスノキが群生していて、幹周り1m以上の楠が53本もあるんだって。

ちなみに、これらのクスノキ群は国の天然記念物に指定されているそうですよ。
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随神門と手水舎

●随神門

●随神門
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造

そんなこんなで、参道を抜けると随神門に到着。

なんだこの門はっ!
中央部分が異常に高く造られてるという!

一瞬、黄檗宗寺院でよく見られる牌楼(中国式の楼門)のようにも見えましたが、妻入りの入母屋造だし、どう見ても和風だし・・・なんだこりゃ~的な門でした。

もしかして、トランスフォームしちゃった系!?(ないか)


調べてみると、毎年秋に行われる新居浜太鼓祭りの際、高さ約5.4mの太鼓台(神輿)がこの門を通過するんだって。

ということで、中央が高くなっているのは太鼓台が通るための工夫なんだと!

なるほど、そういうことか。
スッキリしました!


ちなみに、この後に行った道の駅マイントピア別子太鼓台が展示されていました。

これが随神門を通過するんですね。


せっかくなので、元祖 太鼓うどんというものも食べてきました。

太鼓台みたいにデコられていて、なかなかの映えフードでしたよ。


そんなことより、随神門にはユル~い随神像が祀られていました。

随神さんってお爺ちゃんのイメージがあるけど、左側の随神さんは青年っぽい肌ツヤでした。

そして、右側のお方は頼りな~い感じ。
ちゃんと守護できてるのかなぁ・・・(笑)


随神門の裏には、赤い神馬ちゃんと引退瓦などが展示されていて、ちょっとした資料室(?)みたいになっていました。


●手水舎

●手水鉢
・1934年奉納

手水鉢には、神紋の折敷に三文字紋がありました。

おそらく、主祭神が大山積神ということで、山祇神社・三島神社の総本社・大山祇神社と同じ神紋を使用しているのだと思われます。(勝手な推測)

ちなみに折敷に三文字紋は、伊予の豪族・河野氏の家紋です。

そして、時宗の開祖・一遍上人は河野通信の孫ということで、時宗の宗紋も河野氏の家紋と同じ折敷に三文字紋を使用しています。

そんなこんなで、愛媛県ではこの紋によ~く出会います。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・2017年再建
・銅板葺
・千鳥破風・軒唐破風付き入母屋造

もともとは1897年に建立された拝殿があったそうですが、現在は真新しい建物になっています。

どうやら、2011年の東日本大震災を機に耐強診断をした結果、2001年の芸予地震で柱が折れていることが発見されたそうです。
ということで、2017年に再建されたのが現・拝殿なんだって。


●本殿

●本殿
・1705年建立
・銅板葺 流造

●主祭神
・大山積神・大雷神・高龗神

●配祀神
・健御名方神

2棟の本殿が横並びに建っていました。
これはどういうことでしょうか?
主祭神と配祀神で分けているのでしょうか?

手掛かりとなる情報を見つけ出すことができなかったので謎です。
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一番樟と楠木神社と小女郎狸伝説

●一番樟

そんなこんなで
はいドン。

境内には見るからにベテラン感のある大きなクスノキがそびえ立っていました。

その名は一番樟

●一番樟
・樹齢 約1000年
・樹高 29m
・目通り 9.4m
・根周り 14.9m
・国の天然記念物


●楠木神社

●楠木神社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・小女郎大明神(小女郎狸)を祀る

一番樟の根元には楠木神社という小さな社が建っていました。

伝説によると、その昔、このクスノキには小女郎狸というタヌキが棲んでいたという。

●小女郎狸伝説とは?

その昔、一宮神社には代々宮司につかえていたタヌキがいたんだって。

ある日、出来心から供え物の鯛を1匹パクったことが宮司バレてしまったという。
こっぴどく怒られたタヌキは一宮神社の森から追放されることになりました・・・。

その後、当てもなく彷徨っていたら浜辺に出たという。
すると出航間近の漁船を発見!
ということで、タヌキは慈眼寺の和尚に化けて船に乗り込んだという。

その日は鯛が大漁だったそうな。

もう鯛はこりごりだ・・・。

そんなこんなで、タヌキは目を閉じて南無鯛散菩薩と祈りましたが、ピチピチ踊る鯛の誘惑に負けてしまい盗み食いをしてしまったという・・・。

そして、今度は漁師バレてしまったという・・・。

そんなこんなで『この生臭坊主め!』と怒った漁師は、タヌキに一撃を喰らわしました!

すると、化けの皮が剥がれてシッポが飛び出してしまったという。

そしてタヌキは言う。

『この御恩は必ず報います。大阪へ着いたら、金の茶釜に化けますから、それを売って 鯛の身代金にしてください!』

と。

こうして、茶釜の約束を果たしたタヌキは美しい娘に化け、道頓堀や千日前を見物して暮らした後、一宮の森に帰って余生を過ごしたとさ。

完。

それにしても、四国にはタヌキ伝説が多いですねぇ。

調べてみると、小女郎狸は壬生川の喜左衛門狸屋島の禿狸とともに三兄妹として伊予狸族の名門なんだって。


●二番樟(?)

その他、境内には一番樟に匹敵するくらい大きなクスノキがありました。

説明板がなかったため、樹齢などの詳細はわかりませんが、こちらもなかなかのベテラン感でしたよ。

そんなこんなで、勝手に二番樟と命名。


●一宮神社樟樹群

●一宮神社樟樹群
・国の天然記念物

町中に鎮座しているのに、ここまでの古木が残ってるのってスゴいなぁ~と思ったひと時でした。
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境内社

●伊与八幡神社

●伊与八幡神社
・建立年不明
・本瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造

●主祭神
・応神天皇・神功皇后・玉依姫命

●相殿
・伊弉冊尊ほか8柱

1069〜1074年、伊予守・源頼義が四国に48の八幡社を建立したそうです。
そんなこんなで、この伊与八幡神社はその48社の1社らしいです。

1585年、天正の陣の後、毛利元就がこの神社を崇敬し、御分霊を長門の萩城下に勧請したんだって。
もともとは西町に鎮座していましたが、1957年に現在地へ遷座したそうですよ。


●稲荷社

●稲荷社
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
・宇迦之御魂神を祀る


●素鵞神社・新居神社・金毘羅宮

・左 → 素鵞神社
・中 → 新居神社
・右 → 金毘羅宮

●新居神社
主祭神 事代主命
相殿 少童命ほか4柱

この神社は、伊予14郡33社の1つらしいです。
かつては国司からの崇敬が篤かったそうですよ。

1910年、海神社・春宮神社・恵美須神社の境内末社の天満宮・風神社を恵美須神社に合祀して新居神社と改称。
その後、1957年に一宮神社の境内社になったんだって。

狛犬

●狛犬①②

●狛犬①②
・奉納年未確認
・浪速狛犬

鳥居横の狛犬ちゃんです。

見た感じ結構古そうな浪速型です。

いつ頃の作品なんでしょ・・・奉納年を確認するのを忘れたことが悔しいです!


●狛犬③④

●狛犬③④
・奉納年未確認
・玉乗り型

参道脇の狛犬ちゃんです。

玉と後ろ脚のスパンが広いのが特徴的でした。

もしかして、玉が前に転がっていっちゃった系?

こちらも、奉納年を確認するのを忘れたことが悔しいです!


●狛犬⑤⑥

●狛犬⑤⑥
・奉納年未確認
・浪速狛犬(?)

前脚が長いのが特徴的な狛犬ちゃんでした。

なかなかのプロポーションです。

こちらも、奉納年を確認するのを忘れたことが悔しいです!


●狛犬⑦⑧

●狛犬⑦⑧
・奉納年未確認
・玉乗り型

拝殿前の狛犬ちゃんです。

なんと石柱の上にいらっしゃるという!

まるでサーカスのような狛犬ちゃんでした!

実は、この後に参拝した宗像神社でもこれと似たサーカス狛犬がおられました。
もしかしたら、このサーカス型はこの地域の特色なのかもしれませんね。

はい、こちらも奉納年を確認するのを忘れました。

その他、西口の参道と新居神社に構え獅子の狛犬。
金毘羅宮にお座り型の狛犬ちゃんがおられました。
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別子銅山跡

●別子銅山跡

参拝後、ひと足のばして東洋のマチュピチュ・別子銅山跡に行ってきました!

標高750mに広がる空中都市!

別子銅山跡に続く山道はとにかく道幅が狭く、対向車が来るたびに手に汗握る攻防戦がくり広げられました。

そんなこんなで、超極細道を登り続けること約5km。
別子銅山跡に到着。


標高750mに広がる秘境感と天空感と遺跡感に心のダンスが止まらないひと時でした。


かつては日本三大銅山の1つに数えられていた別子銅山。
この銅山は、1691~1973年までの282年間、銅を産出していたんだって。


最盛期には社員やその家族たち、約3800人が暮らしていたんだと!
山内には社宅はもちろん、学校・郵便局・娯楽場まであったそうです。

まさに空中都市です。


いやはや~、素敵なスポットでした。

はぁ・・・帰りたくない。

だって・・・

だって・・・

またあの極細道を通らないといけないんだもん。

そうは言っても帰らなくちゃ・・・。

もちろん帰りも手に汗握る攻防戦の連続でした!


●道の駅マイントピア別子

その後、道の駅マイントピア別子に行ってきました。

道の駅なのに、別子銅山の歴史を体験しながら学べるアミューズメントパークがあるという!



どうやらこの地は、別子銅山最後の採鉱本部があった場所らしいですよ。

ということで、残された遺産を利用して作られたのが、このマイントピア別子なんだって。



全長333mの観光坑道には、江戸時代の採掘の様子を再現したジオラマがあったり、ゴンドラに乗れたり、削岩機体験ができたりなんかして、なかなか濃い時間を過ごすことができました。

御朱印情報

●御朱印の種類
・一宮神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の初穂料(料金)
・300円

●期間限定・特別御朱印
・疫病退散・無病息災の御朱印(コロナ時期)

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2019年11月30日 参拝
・2021年11月 更新
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アクセスと駐車場

●最寄りの駅
・JR新居浜駅
 駅から約2.4km 徒歩30分

●最寄りのバス停
・西高入口
 バス停から約400m 徒歩5分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

一宮神社の地図

 

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