恩山寺の御朱印|四国霊場 第18番|無敵の摺袈裟!弘法大師の母と寄り添う大師堂|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(徳島県小松島市)

所在地徳島県小松島市田野町恩山寺谷40
宗 派高野山真言宗
札 所四国八十八ヶ所 第18番
前後札所 ・前 → 第17番札所・井戸寺
・後 → 第19番札所・立江寺
本 尊薬師如来
真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
由 緒724~749年、聖武天皇の勅願により行基が開基。創建当時は、女人禁制のお寺だったという。806年、空海(弘法大師)がこのお寺で修行をしていた際、弘法大師の母・玉寄御前が訪ねてきたそうです。しかし、このお寺は女人禁制。そんなこんなで、空海は山門近くで17日間の秘法を修し、女人解禁を祈願し母を迎えることができたという。1573~1592年、長宗我部元親の兵火に遭い焼失。江戸時代、徳島藩主・蜂須賀氏が再建。1898年に落雷で焼失。その後再建され現在に至ります。
HP母養山 宝樹院 恩山寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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恩山寺とは?


四国八十八ヶ所の第18番札所であります恩山寺に到着。

第17番札所・井戸寺から20km。
徒歩3時間40分。
車で40分のところに位置しています。

恩山寺と書いておんざんじと読みます。

小松島市の小高い山の中にあるお寺さんです。

●恩山寺とは?

724~749年、聖武天皇の勅願により行基が開基したのが始まりといいます。

創建当時の寺号は大日山 福生院 密厳寺。 本尊は行基作の薬師如来像で災厄悪疫を救う女人禁制のお寺だったそうです。


806年、弘法大師がこのお寺で修行をしていたとき、弘法大師の母・玉寄御前が讃岐の善通寺から訪ねてきたという。

しかし、女人禁制のため会うことができず。。

そんなこんなで、弘法大師は女人禁制を解くため、仁王門近くに護摩壇を築き17日間の修法を行ったそうです。

そして、女人禁制が解かれ、母を迎え入れることができたという。
弘法大師は母を養い孝行を尽くしたといいます。


その後、母・玉寄御前はこのお寺で剃髪して出家。

そのことから、弘法大師は母養山 恩山寺と改称し、自身の像を刻んで安置したといわれています。
その像が、現・大師堂の本尊といわれています。


その後、1573~1592年に長宗我部元親の兵火に遭い焼失。

江戸時代、徳島藩主・蜂須賀氏の保護により再建。

1898年に落雷で焼失。
その後再建され現在に至ります。

そんなこんなで、参拝開始。
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仁王門

●仁王門

●仁王門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 八脚門

まず最初に登場するのは仁王門

この仁王門は、恩山寺のメインエリアからちょっと離れた道沿いに建っているため、境内というか境外にある感じです。

由緒によると、弘法大師は女人禁制のお寺に母を迎え入れるため、この門の近くで女人禁制を解く修法を行ったそうです。

そして、女人禁制が解かれ、母を迎え入れることができたという。


そんなこんなで、弘法大師は母に会えたことを記念してこの毘蘭樹(ビランジュ)という木を植えたんだって。

ということで、この木は樹齢1200年以上!

ちなみにビランジュは別名・バクチノキと呼ばれてるんだって。

なぜバクチノキと呼ばれているのかというと、樹皮が剥がれ落ちて木肌がむき出しになっている姿が、賭けごとに負けて身ぐるみを剥がされた様子に似てるからなんだとか!

上手いこと例えますねぇ。


ちなみに仁王門ビランジュは、恩山寺から約300mくらい離れたところにあります。

恩山寺から徒歩6分。
車で1分です。
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境内入口と手水舎と鐘楼

●境内入口

そんなこんなで、メインエリアの境内入口に到着。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

まずは手水舎でお清め。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

そして、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
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本堂と大師堂と御母公堂

●本堂

●本堂
・1804〜1830年建立
・銅板葺 寄棟造

●本尊
・薬師如来坐像

●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

続いて、本堂で参拝。

本堂にはたくさんのお遍路さんがおられました。

そこで出会ったお婆様は、20周以上四国巡礼をしているとおっしゃっていました。
そのお婆様の納経帳は重ね印で真っ赤になっており、人生を四国巡礼に捧げている模様。

そして、お婆様のお孫さんも巡礼をしていて『この子は、死ぬまでに100周する』とおっしゃってました・・・恐るべし四国!

ツワモノ多し!


本尊は行基作薬師如来さん。

恩山寺は、724~749年に聖武天皇の勅願により行基が開基したお寺さん。

ということで、創建当時からおられる薬師さんとなります!

ちなみに、秘仏のため拝見することはできませんでした。


●大師堂と御母公堂

●大師堂(左)
・1804〜1830年建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師像

●御母公堂(右)
・1804〜1830年建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 玉寄御前像
    玉寄御前の剃髪した髪

続いて、大師堂を参拝。

大師堂の斜め前には、弘法大師の母・玉寄御前を祀る御母公堂がありました。

まるで母子が寄り添い合ってるような光景にホッコリです。


大師堂には、お大師さまが自らの姿を彫った弘法大師像が安置されてるんだって!

そして御母公堂には、玉寄御前が剃髪した髪が安置されているという!

どちらも拝見することはできませんでしたが、このお寺に対するお大師さまの特別な想いをうかがい知るができました!

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・

806年、弘法大師がこの寺で修行をしていたとき、弘法大師の母・玉寄御前が讃岐の善通寺から訪ねてきたという。

しかし、女人禁制のため会うことができず。。

そんなこんなで、弘法大師は女人禁制を解くため、仁王門近くに護摩壇を築き17日間の修法を行ったそうです。

そして、女人禁制が解かれ、母を迎え入れることができたという。
弘法大師は母を養い孝行を尽くしたといいます。

その後、母・玉寄御前はこの寺で剃髪して出家。

そして、弘法大師は母養山 恩山寺と改称し、自身の像を刻んで安置したといわれています。
その像が、現・大師堂の本尊といわれています。


●修行大師像

●修行大師像
・2002年建立
・像高 約4m

ちなみに、境内には巨大な弘法大師像がおられました。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
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地蔵堂と摺袈裟

●地蔵堂

●地蔵堂
・建立年不明
・瓦葺 切妻造

続いて、地蔵堂を参拝。


堂内には、鮮やかな色彩のお地蔵さんと千体仏が安置されていました。

倒れかけた円光背を直してあげたい・・・。


さらに地蔵堂には釈迦の十大弟子像が安置されていました。

右から
・舎利弗・目犍連・大迦葉・阿那律・須菩提
・富楼那・迦旃延・優波離・羅睺羅・阿難陀


●摺袈裟

このお寺で有名なのが摺袈裟のお守り!

なんと!

摺袈裟は、日本全国で恩山寺でしか頂けないという最強のお守りで、お遍路さんの間で人気なのだとか!

ちなみに摺袈裟と書いてすりげさと読みます。

●摺袈裟とは?

摺袈裟は別名・袈裟曼荼羅といい、僧侶が使う袈裟の内に梵字で曼荼羅を書いたものなんだって。

摺るとは版木で印刷するという意味で、袈裟とは僧侶が身につける衣装のことです。

その袈裟に仏様を表す梵字や有り難い陀羅尼を書いたものが摺袈裟だという。

所持すれば、陀羅尼の功徳によって患っているいかなる病気が治癒
滅罪生善(悪いことを良いことに変える)のためにはこれ以上に功徳があるものはない。

といわれてるんだって!

昔、閻魔大王が『死者が眠る墓にこの摺袈裟を掛け、1週間のあいだ供養すれば死者が蘇る』と説いたことに由来して、古くから亡くなった人の棺に摺袈裟を入れれば、必ず極楽浄土へ往生出来できるといわれてるんだとか。

ということで、仏壇の中に摺袈裟を入れると亡くなった方の供養にもなるんだって。

なお、この摺袈裟の授与は古くから恩山寺のみで行われています。

とのことです。

エンマさまお墨付きのお守りということなんですね!

ちなみに摺袈裟の効力は一生ものといわれ、一般的なお守りのように1年ごとに返納しなくていいという!

写真はありませんが、もちろん即買いです。

周辺の見どころ

●弘法大師お杖の水

恩山寺から約2km離れたところに弘法大師お杖の水というスポットがあります。

第17番札所の井戸寺同様、こちらも弘法大師の井戸伝説が残る地のようです。

それにしても、弘法大師さんは井戸掘り名人。
当時、そして現在でも、水関係の事業ではお大師さまに敵う者はいません・・・と思っています!

●弘法大師お杖の水

ある夏の日。
旅僧が農家の主人に水を飲ませてほしいと頼みました。

しかし、農家の主人は『この辺りの井戸水はが混じっているから飲めないよ』とをついて断りました。

そんなこんなで、僧侶は疲れた足どりで去って行きました。

僧侶が立ち去った後、主人が水を飲もうとすると、今までおいしかった水が塩辛くなっていたという!

そこで主人は、先ほどの僧侶は弘法大師だということに気付きました。

主人は慌てて僧侶の後を追いますが、時すでに遅し・・・僧侶を見つけることができませんでした。

それ以来、この地の水は塩辛くて飲めなくなってしまったという。。

数年後、弘法大師は再びこの地を訪れました。

依然としてこの地の水は塩辛く、村人は困っていたそうな。
弘法大師はそんな村人を哀れに思い、持っていた錫杖で地面をトントンと2〜3度叩きました。

するとなんと、地面から真水が噴水のようにあふれ出てきたという!
それ以来、この地は水に困ることはなくなったといいます。

村人は弘法大師に深く感謝。
そして、この井戸を弘法大師お杖の水と名付けて大切に使ったという。

完。

なんだろう・・・この自作自演感(笑)

自ら塩辛くして、自ら真水に戻すという!

面白い伝説ですねぇ。


●弘法大師お杖の水へのアクセス
・徳島県小松島市日開野町加々ませ31
・恩山寺から車で5分
・恩山寺から徒歩30分

田んぼの中にポツンとあります。


●阿波遍路道 恩山寺道

第17番・井戸寺から第18番・恩山寺に続く恩山寺道国の史跡に指定されています。

ちなみに、第18番・恩山寺から第19番・立江寺に続く立江寺道国の史跡に指定されています。

●釈迦庵おむつき堂

●釈迦庵の仏足石
・小松島市指定有形文化財

恩山寺を出てすぐにある弦坂を上がって弦坂を下った竹林の中におむつき堂跡があるそうです。

おむつき堂とは、なんと弘法大師のオムツを納めていたお堂だという!

残念ながら、現在そのお堂はないみたいですが、跡地には四国最古の仏足石があるみたいですよ。

〜画像はWikipediaより〜


●釈迦庵おむつき堂へのアクセス
・徳島県小松島市田野町谷奥40
・恩山寺から車で5分
・恩山寺から徒歩20分


●源義経の上陸地

小松島市といえば源義経の上陸地!

1185年、源義経の軍勢は屋島に逃れた平家を討つため、暴風の中、摂津から船を進めてこの地に上陸したという。

その地がここ!

恩山寺がある山の麓にあります。


●旗山と源義経の騎馬像

そして、源氏軍が勢揃いすると、源義経は兵士の士気を高めるために旗山に源氏の軍旗をひるがえしたという。

その地がここ!

恩山寺から徒歩15分。
車で5分のところにあります。


その山にはカッコいい源義経像がありました。

写真ではわかりませんが、とにかく巨大で!

どんだけ巨大かというと・・・それがこちら。

はいドン!


笑っちゃうくらい巨大!

目がバグったのかと思いましたよ!

なんとこちら、日本一大きい騎馬像だという!


●源義経の騎馬像
・1991年建立
・像高 約6.7m

いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。


●旗山 源義経の騎馬像へのアクセス
・徳島県小松島市芝生町宮ノ前39
・恩山寺から車で5分
・恩山寺から徒歩15分



そんなこんなで、参拝終了。

第19番札所・立江寺へ続く。

御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 金磯弁財天の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2009年11月21日 参拝
・2024年3月 最終更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・7:00~17:00

●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第17番札所・井戸寺へ20km
 徒歩3時間40分
 車で40分

・第19番札所・立江寺へ5km
 徒歩1時間
 車で10分

●最寄りの駅
・JR南小松島駅から徒歩40分
・JR南小松島駅から車で7分

●最寄りのバス停
・徳島バス・立江線に乗車
 恩山寺前 バス停で下車 徒歩10分

●最寄りのIC
・徳島自動車道
 徳島ICから車で25分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)

恩山寺の地図

 

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