清瀧寺の御朱印|四国霊場 第35番|極細の車遍路ころがし!戒壇巡りも細かった|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県土佐市)

所在地高知県土佐市高岡町丁568−1
宗 派真言宗豊山派
札 所四国八十八ヶ所 第35番
前後札所 ・前 → 第34番札所・種間寺
・後 → 第36番札所・青龍寺
本 尊薬師如来
真 言おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
由 緒723年、行基がこの地で霊気を感得し、薬師如来を刻んで開基。創建当時は、影山密院・繹木寺という寺号だったそうです。810~823年、空海(弘法大師)がこの地を訪れ、本堂から300メートルほど離れた岩上に壇を築き、一七日の修法を行ったという。そして、満願の日に金剛杖で壇を突くと、清水が瀧のように湧き出て鏡のような池ができたそうです。そのことにより、鏡池院 清瀧寺と改称したそうです。江戸時代、土佐藩主・山内氏の帰依が厚く、寺領数百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍と末寺10数ヶ寺を持つ大寺院に発展したそうです。
HP醫王山 鏡池院 清瀧寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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清瀧寺とは?


四国八十八ヶ所の第35番札所であります清瀧寺に到着。

第34番札所・種間寺から12km。
徒歩2時間。
車で25分のところに位置しています。

清瀧寺と書いてきよたきじと読みます。

●清瀧寺とは?

723年、行基がこの地を訪れた際に霊気を感得したという。

そこで、薬師如来像を刻んで本尊とし、堂舎を建立。

そして影山密院・釋本寺と名づけたのが、このお寺の始まりといいます。


810~823年、弘法大師がこの地を訪れた際、本堂から約300m離れた岩上にを築いて一七日の修法を行ったそうです。

そして、満願の日に金剛杖でを突くと、清水のように湧き出て、のような池ができたという!

そのことにより、寺号を醫王山 鏡池院 清瀧寺と改め、四国八十八ヶ所の第35番札所に定めたそうです。

その水は、田畑を潤すとともにみつまたをさらして紙をすくうえで重宝され、後に土佐和紙産業をおこすことに貢献したといわれています。

平安時代初期、平城天皇の第3皇子・高岳親王の夢に弘法大師が出現。
そしてお告げにより真如と名乗ったそうです。

861年、真如がこのお寺を訪れた際、息災増益を祈願して逆修塔(生前墓)を建立したといいます。

ちなみに、真如は弘法大師十大弟子の1人です。


江戸時代、土佐藩主・山内氏の帰依が厚く、寺領数百石の寄進を受けたそうです。 

火災で焼失しますが、1651年に土佐藩2代藩主・山内忠義が再建。

最盛期には、七堂伽藍と末寺10数ヶ寺を持つ大寺院に発展し、土佐路の大寺となったそうです。

かつては山王清瀧権現として信仰を集めていたそうです。

しかし、1871年に廃仏毀釈のあおりを受けて廃寺に。。。

その後、1880年に再興され、現在に至ります。
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清瀧寺までの極道(車遍路ころがし)

●清瀧寺までの極道(車遍路ころがし)

清瀧寺は標高約150mの醫王山の中腹。
標高約130m地点にあるお寺さんです。

低い山だから簡単に行けると思うじゃないですかー???

ところがどっこい!

清瀧寺までの山道は車幅ギリギリの激細道となっておりました!

これはもはや歩道!

こんな道が約1kmも続くという地獄の細道となっておりました。

獄道だぁ。

いや、極道だ!


四国霊場では、難所のことを遍路ころがしといいますが、これは車バージョンの遍路ころがし

高知県は修行の道場といいますが、歩き遍路さんだけじゃなく車遍路にも修行感を味わせるとは。

対向車が来ないことを祈るしかないのですが、こういうときは必ずやってくるのですよ、対向車がっ(笑)

もぅ、泣きながらバックですよ!


余計なお世話かも知れませんが、運転に自信がない方や大きい車の方は高速道路の高架下に駐車スペースがありますので、そこに駐車して徒歩で行くのもありかもです。


実際、そこから歩いて向かっている方もおられました。

ただ、ここはお寺の専用駐車場ではないので、くれぐれも自己責任で!

週末ドロボーがススメたとか絶対に言わないように!(笑)

一応、極道のストリービューを貼っておきます。

これで何となくのイメージができると思います。



ゆーても、離合ポイントが結構ありますので、人並みの運転ができればイケると思います(多分)

皆さんの無事を祈っています。
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仁王門と参道

●仁王門

●仁王門
・1900年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門

そんなこんなで、参拝開始。

まず最初に登場するのは仁王門

標高100m台の低山ですが、極道のおかげでとてつもない山奥に来た気分です。

そのせいもあってか、やたらと山岳感のある景色に思えました。

ちなみに、駐車場は仁王門を過ぎたところにあったので、駐車後に階段を下ってやってまいりました。


そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。

肌年齢からして、仁王門の建立時に安置されたものでしょうか?

ポージングに力強さがないけど、表情、筋肉、衣の造形が素敵な仁王さんでした。

なかでも1番素敵だったのはここ!



指が棒!


あと、腕がグルグル回っちゃいそうな龍の木鼻も素敵でした。


そんなことより、仁王門の天井には龍の天井画がありました。

この天井画は、久保南窓さんというお方の作品で、仁王門建立の際に描かれたものなんだって。


●龍の天井画
・1900年作
・縦 165cm
・横 180cm

天井画としては土佐市内最大級のものらしいですよ。

ちなみに、当初は龍の他に、天女の天井画も奉納されていたみたいですが、天女図の方は獣害を受けたため、現在は宝物館に保管されているみたいです。


●参道

そんなこんなで、仁王門をくぐると長い石階段が登場。

写真でわかるでしょうか?
石階段が波打っていて、手すりもグニャグニャでした。

そんなことより、高知県は修行の道場というだけあって、四国霊場・高知編は階段があるお寺さんが多いです。
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本堂と大師堂

●本堂と大師堂と薬師如来立像

石階段を上りきると、本堂大師堂薬師さんがドーンと登場。

・左 → 大師堂
・中 → 薬師如来立像
・右 → 本堂

それにしても、鐘楼はどこにあるんだろう???

そんなこんなで、鐘撞きなしで参拝することとなりました。


●本堂

●本堂
・建立年不明
・銅板葺
・千鳥破風・唐破風向拝付き入母屋造

●本尊
・薬師如来

●真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

そんなこんなで、本堂で参拝。

このお寺は、1871年に廃仏毀釈で廃寺。
その後、1880年に再興されて現在に至るそうです。

ということで、このお堂は1880年以降の再建だと思われます。

大きな千鳥破風が特徴的なお堂でしたよ。



木鼻は龍。
蟇股は天女。

そして向拝には、味のある干支恵方盤があり、どこかしら神社風の様式になっていました。

高知県は廃仏毀釈運動が激しかったことで知られています。

もしかして神社風に味付けされているのは、そういった時代背景が影響しているからなのでしょうか?


●本尊 薬師如来立像
・平安時代後期作
・像高 153.4cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財

本尊の薬師如来さんは、なんと平安時代後期作で国重文。
なんと、土佐市内最古の仏像さんなんだって!

ちなみに、本尊の薬師如来さんは収蔵庫に安置されているため拝顔することは出来ませんでした。

収蔵庫には薬師如来さんの他に、日光・月光菩薩立像と十二神将の全15体が収められているそうです。

収蔵庫を拝観することはできませんでしたが、2014年11月12〜16日に1度一般公開が行われたそうですよ。

ということで、もしかしたら今後も一般公開があるかも???


●大師堂と護摩堂

●大師堂
・建立年不明
・銅板葺 向拝付き入母屋造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

大師堂は、本堂の様式をパワーダウンさせたような造りになっていました。

どこかしら本堂と似た風合いなので、もしかしたら本堂と同時期に建立したものかも知れません。

堂内は薄暗く、お大師さまを拝顔することはできませんでした。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


もともとは、本堂と大師堂は独立した建物だったそうですが、先代の住職さんが本堂と大師堂の間に護摩堂を設置したことにより、現在は本堂と大師堂と護摩堂が合体したお堂になってるという。

という情報を帰宅後に知りました。

そんなこんなで、護摩堂が写ってる写真がないかなぁと探してみたら、ギリギリ写ってた!


これは気づかなかったなぁ~!

ただの廊下かと思っていました!

ちなみに護摩堂では、毎月旧暦20日の夜に護摩焚きが行われているそうですよ。
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厄除け薬師如来像と戒壇巡り

●厄除け薬師如来像

●厄除け薬師如来像
・1933年造立
・高さ 15m(台座含む)
・製紙業者が寄進

本堂と大師堂の前には、清瀧寺のシンボル的存在の厄除け薬師さんがドーンと立っておられました。

こちらの像は地元の製紙業者が寄進したものなんだって。

土佐市といえば、日本三大和紙の1つ・土佐和紙が有名です。

実は、この清瀧寺は土佐和紙と関わりの深いお寺だという・・・って、どういうこと?

その話しは、後ほど!


なんと、厄除け薬師如来さんの台座は戒壇巡りになっているという!

どうにもこうにも戒壇巡りが大好きなので、心の中のリトル自分がキャッキャと騒いでおります。


そんなこんなで、いざ暗黒の世界へ。


ちなみに、通路の幅は相当狭いです。

ガリガリ日本代表の私でも狭さを感じたくらいですので、大柄な方は苦しいかもです。

とはいえ、挟まって抜けなくなるとか、そういうことはないと思います(多分)

それでは内部の紹介。


はい、当然真っ暗

このお寺の戒壇巡りは、88段の階段を下りていくというタイプです。

漆黒の闇ですので、くれぐれも転倒注意です。
ローリングした細道ですので壁の激突にも注意です。

あと、落し物をしたら見つけだすのが大変そうです!

そんなこんなで、薬師さんの真言を唱えながら奥へ進むと、明かりが灯ったお部屋で薬師如来さんがお出迎えしてくれました。

ありがたや〜。

●戒壇巡り
・料金 無料
・所要時間 約5分

●薬師如来の真言
・おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

瀧と土佐和紙

●瀧

810~823年、弘法大師がこの地を訪れた際、本堂から約300m離れた岩上にを築いて一七日の修法を行ったそうです。

そして、満願の日に金剛杖でを突くと、清水のように湧き出て、のような池ができたという!

そのことにより、寺号を醫王山 鏡池院 清瀧寺と改め、四国八十八ヶ所の第35番札所に定めたそうです。



そんなこんなで、境内にはがありました!


もともとこの瀧は、奥之院 閼伽井の泉を水源としていたそうですが、現在は人工の瀧となっております。

かつては、この池の水で土佐和紙の原料みつまたをさらしたり、紙をすく際に利用したりしてたんだって。


土佐和紙は日本三大和紙の1つに数えられる土佐の特産品
平安時代から続く高知県の伝統工芸として知られています。

江戸時代には幕府への献上品に選ばれ、明治時代には和紙の生産量日本一を誇っていたといいます!

洋紙が主流になった現在では需要が減少してしまいましたが、今でも御朱印帳などに使われる和紙は京都産と高知産が有名です。


ちなみに、こちらが土佐和紙の原料となるみつまたです。

これをこの池にさらしていたのかぁ・・・

って、これがどうなったら和紙になるのか、阿保な私には全く想像できません!

そんなことより、香川県の四国村に土佐和紙の原料である楮や三椏を蒸す小屋がありました。

せっかくなので、そのときの写真を紹介しておきます。

●楮蒸し小屋(四国村)

●楮蒸し小屋
・昭和時代初期建立
・茅葺 寄棟造


和紙の三大原料は、三椏雁皮

って、楮も三椏も雁皮も読めない!

・楮 → こうぞ
・三椏 → みつまた
・雁皮 → がんぴ

と読むそうです。


楮蒸し小屋の中には巨大な装置があり、この装置で楮や三椏を蒸すみたいです。

楮や三椏にはたくさんの繊維質が含まれているそうで、蒸したり煮たりして繊維質だけを取り出すことができるんだって。


切そろえた楮や三椏を束にして蒸す。

蒸した楮や三椏を取り出して皮を剥いで黒皮を取り、水に浸した白皮をモチにして叩解棒でたたく。

最後に水に入れてすくい上げ、紙にすく

という手間のかかる作業をして完成するらしい・・・です。

阿保なので、全く理解ができてないですが!(笑)

だいぶ話しが逸れましたが、この清瀧寺は土佐和紙と関係深いお寺さんということなんですね!

ということで、製紙業者が寄進した厄除け薬師如来像はそういうことなんです!(語彙力)

高岳親王逆修塔(入らずの山)

●高岳親王逆修塔(入らずの山)

清瀧寺には入らずの山といわれる入山禁止のスポットがありました。

一体、その山には何があるのだ!?
気になりますねぇ。

どうやら、この山には平城天皇の第3皇子・高岳親王の逆修五輪塔(生前墓)があるみたいです。

●高岳親王(真如)とは?

810年、高岳親王は平城天皇と嵯峨天皇が対立した事件・薬子の変に関わったことにより、出家することになったんだって。

そんなある日、夢の中に弘法大師が登場したという。

そして、弘法大師のお告げにより真如と名乗ることになったという。

ちなみに、真如は弘法大師十大弟子の1人です。

861年、真如は清瀧寺を訪れて逆修塔(生前墓)を建立。

その後、真如は遣唐使として留学するも仏教が衰退しつつあった長安では満足できず、天竺(インド)を目指すことに。

しかし旅の途中に消息を絶ち、最期はに襲われて亡くなったという。。。(諸説あり)

ちなみに、高岳親王の生前墓といわれる逆修塔ですが・・・

現在は、塔の形状から南北朝時代に真如の遺徳を慕った人々が建立したという説が有力視されています。

●高岳親王塔
・861年建立(?)
・1336~1392年建立(?)
・高知県指定史跡

琴平神社と方丈(客殿)

●琴平神社

●琴平神社
・江戸時代後期建立
・柿葺 一間社入母屋造
・祭神 大物主命
・高知県保護有形文化財

境内には、琴平神社が鎮座していました。

1668年に清瀧寺本堂が全焼。
その後、お寺の防火ならびに発展を祈願して勧進された神社のようです。


●方丈(客殿)

そんなこんなで参拝後、方丈の庭園でまったり。



って、鐘楼・・・

こんなところにあったんかーい!

出鐘になるため、撞くことはできず・・・

これ、初参拝で気づく人いないと思います(笑)


そんなことより、境内からは素敵な景色を望むことができました。

なんなのよ、標高130mなのにこの天空感!


さてさて、長居してしまったのでそろそろ次の札所に向かいますか。

えーと、8時44分ねって、おいっ

表が8時44分で裏が4時52分。

しかも、どっちとも狂ってるという(笑)

正解は9時32分です。


そんなこんなで、参拝終了。

第36番札所・青龍寺へ続く。

御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院の御朱印(休止中)

以前は奥の院の納経も行なっていましたが、現在は奥の院が立入禁止になっているため納経も休止になっています。

立入禁止になった理由は不明ですが、参道の崩壊が原因じゃないの?的な情報があったりなんかします。

ということで、奥の院の再開予定は未定です。

あと、ネットの情報によると、清瀧寺の納経は四国霊場専用の納経帳じゃないと断られるという噂があったりします。

私が参拝したときは、そのようなことはなかったのですが、ちょっと注意しておいた方がいいかも?(余計なお世話かも知れないけど!)

あくまでネットの情報です。

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2010年4月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
青龍寺の御朱印|四国霊場 第36番|強肩!弘法大師の独鈷杵伝説!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県土佐市)
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・7:00~17:00

●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第35番札所・清瀧寺へ12km
 徒歩2時間
 車で25分

・第36番札所・青龍寺へ14km
 徒歩2時間55分
 車で25分

●最寄りの駅
・JR伊野駅から徒歩1時間45分
・JR伊野駅から車で15分

●最寄りのバス停
・とさでん交通
 高岡高校通 バス停で下車 徒歩40分

●最寄りのIC
・高知自動車道
 土佐ICから車で10分

●駐車場
・有料の専用駐車場あり

●駐車場料金
・普通車 200円

清瀧寺の地図

 

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