所在地 | 愛媛県西条市小松町南川甲19 |
---|---|
宗 派 | 真言宗系 単立寺院 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第61番 |
前後札所 | ・前 → 第60番札所・横峰寺 ・後 → 第62番札所・宝寿寺 |
本 尊 | 大日如来 |
真 言 | おん あびらうんけん ばざらだどばん |
由 緒 | 574〜622年、聖徳太子が用明天皇の病気平癒を祈願して建立したのが始まり。その後、729~749年に行基が巡錫。806年~810年、空海(弘法大師)がこの地を訪れた際、お寺の門前で難産に苦しむ妊婦と出会ったという。そこで空海は栴檀の香を焚いて祈念。すると妊婦は元気な男子を出産したという。以来、子安大師と呼ばれ、多くの崇敬を集めたそうです。その後、大いに繁栄しますが、1584年に長宗我部元親の兵火により焼失。江戸時代、小松藩主・一柳氏の帰依を得て、1624~1644年に再興されたそうです。明治時代後期から大正時代、山岡瑞園大和尚が創始した子安講が広まり、現在は子安の大師さんとして親しまれているそうです。 |
HP | 四国第六十一番霊場|香園寺|子安大師 |
香園寺とは?
四国八十八ヶ所の第61番札所であります香園寺に到着。
第60番札所・横峰寺から14.5km。
徒歩3時間30分。
車で30分のところに位置しています。
香園寺と書いてこうおんじと読みます。
●香園寺とは?
574〜622年、聖徳太子が用明天皇の病気平癒を祈願。
ある日、夢の中に金の衣を着た白髪の老翁が現れ『二名の島(現・四国)に霊地あり。そこにお堂を建立すれば天皇の病気は治るだろう』というお告げを受けたそうです。
そんなこんなで、聖徳太子は四国に渡り、霊地を探すことに。
すると金の衣を着た白髪の老翁が霊鳥に乗って現れ『ここが霊地なり』と告げたという。
ということで、聖徳太子は七堂伽藍を建立し、本尊の大日如来像を安置。
すると用明天皇の病気は完治したという。
そのことにより、用明天皇から教王院という院号を賜り祈願寺となったそうです。
729~749年、行基がこの地を訪れた際、お堂を建立して多くの信徒の悩みや苦しみを救ったといわれています。
806年~810年に弘法大師がこの地を訪れた際、お寺の門前で難産に苦しむ妊婦に出会ったそうです。
そこで弘法大師は栴檀の香を焚いて祈念。
すると妊婦は元気な男子を出産したという。
そして弘法大師は唐から持ち帰った約5.5cmの金の大日如来像を本尊の胎内に納め、再び栴檀の香を焚いて安産・子育て・身代わり・女人成仏を祈る四誓願の護摩修法をしたという。
そして、四国八十八ヶ所の第61番札所に定めたそうです。
このことが栴檀山という山号の由来といわれています。
ちなみにこの後、弘法大師はしばらく香園寺にとどまり、塔中6坊を創建し、自らもその1坊に入って修行をしていたそうです。
以来、このお寺は子安大師と呼ばれ多くの崇敬を集め、七堂伽藍と6坊を整えた寺院となり繁栄していったそうです。
しかし、1584年に長宗我部元親の兵火により焼失。
そして衰退。
その後、1624~1644年に小松藩主・一柳氏の帰依を得て再興されたそうです。
1914年、住職になった山岡瑞園大和尚が本堂を再建。
そして1918年に子安講を創始し、日本はおろか海外にまで講員を拡大してお寺の隆盛に尽力したそうです。
現在では20万人を超す信者を得て、子安のお大師さんとして親しまれているそうです。
574〜622年、聖徳太子が用明天皇の病気平癒を祈願。
ある日、夢の中に金の衣を着た白髪の老翁が現れ『二名の島(現・四国)に霊地あり。そこにお堂を建立すれば天皇の病気は治るだろう』というお告げを受けたそうです。
そんなこんなで、聖徳太子は四国に渡り、霊地を探すことに。
すると金の衣を着た白髪の老翁が霊鳥に乗って現れ『ここが霊地なり』と告げたという。
ということで、聖徳太子は七堂伽藍を建立し、本尊の大日如来像を安置。
すると用明天皇の病気は完治したという。
そのことにより、用明天皇から教王院という院号を賜り祈願寺となったそうです。
729~749年、行基がこの地を訪れた際、お堂を建立して多くの信徒の悩みや苦しみを救ったといわれています。
806年~810年に弘法大師がこの地を訪れた際、お寺の門前で難産に苦しむ妊婦に出会ったそうです。
そこで弘法大師は栴檀の香を焚いて祈念。
すると妊婦は元気な男子を出産したという。
そして弘法大師は唐から持ち帰った約5.5cmの金の大日如来像を本尊の胎内に納め、再び栴檀の香を焚いて安産・子育て・身代わり・女人成仏を祈る四誓願の護摩修法をしたという。
そして、四国八十八ヶ所の第61番札所に定めたそうです。
このことが栴檀山という山号の由来といわれています。
ちなみにこの後、弘法大師はしばらく香園寺にとどまり、塔中6坊を創建し、自らもその1坊に入って修行をしていたそうです。
以来、このお寺は子安大師と呼ばれ多くの崇敬を集め、七堂伽藍と6坊を整えた寺院となり繁栄していったそうです。
しかし、1584年に長宗我部元親の兵火により焼失。
そして衰退。
その後、1624~1644年に小松藩主・一柳氏の帰依を得て再興されたそうです。
1914年、住職になった山岡瑞園大和尚が本堂を再建。
そして1918年に子安講を創始し、日本はおろか海外にまで講員を拡大してお寺の隆盛に尽力したそうです。
現在では20万人を超す信者を得て、子安のお大師さんとして親しまれているそうです。
そんなこんなで、参拝開始。
境内入口と手水鉢と鐘楼
●境内入口
まだ5月だというのに早くも梅雨入りしました。
ちなみに残り28寺中、24寺が雨参拝となります(台風あり)。
なんだこの天に見放された感(笑)
そんなことより、香園寺は聖徳太子の開基という四国霊場屈指の古刹なんだって。
聖徳太子の後に行基。
行基の後に弘法大師が訪れたという、由緒正しきお寺さんのようです。
そんなこんなで、まず最初に登場するのは4段の階段と木。
どうやら、このお寺には山門はないみたいです。
境内入口の寂しさは、どことなく公園の入口ような空気が流れていました。
●手水鉢
そんなこんなで、境内へ。
手水舎はなく巨大な手水鉢がドーンと置かれていました。
これは天気のせいでしょうか・・・今のところ寂しさしか感じていません(笑)
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
まだ5月だというのに早くも梅雨入りしました。
ちなみに残り28寺中、24寺が雨参拝となります(台風あり)。
なんだこの天に見放された感(笑)
そんなことより、香園寺は聖徳太子の開基という四国霊場屈指の古刹なんだって。
聖徳太子の後に行基。
行基の後に弘法大師が訪れたという、由緒正しきお寺さんのようです。
そんなこんなで、まず最初に登場するのは4段の階段と木。
どうやら、このお寺には山門はないみたいです。
境内入口の寂しさは、どことなく公園の入口ような空気が流れていました。
●手水鉢
そんなこんなで、境内へ。
手水舎はなく巨大な手水鉢がドーンと置かれていました。
これは天気のせいでしょうか・・・今のところ寂しさしか感じていません(笑)
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
大聖堂(本堂・大師堂)
●大聖堂
そして本堂へ・・・
と思ったら、本堂がない!
あるのは博物館のような巨大建造物!
・・・はて?
・・・と思ったら
なんとこれが本堂だったという!
さすがに60の札所を巡っていると、ある程度のルーティンが確立されているため、鐘楼から本堂へは自然の流れの中で行っていましたが、鐘楼から本堂への流れの間に驚くという行為が挟まったのはこのお寺が初めてでした!
脱マンネリ的で衝撃的で刺激的。
四国霊場でこのようなお堂があるのは、後にも先にもこのお寺だけでした。
ちなみにこの建物は大聖堂と呼ばれていて、本堂と大師堂を兼ねたお堂になってるんだって。
●大聖堂
・1976年建立
・高さ 約16m
・1階 大講堂
・2階 本堂・大師堂
・鉄筋コンクリート造
●本堂の本尊
・大日如来
●大師堂の本尊
・弘法大師
●本尊・大日如来の真言
・おん あびらうんけん ばざらだどばん
もともとの本堂は1976年に妙雲寺に移築したみたいです。
そして、その跡地に建立したのが現在の大聖堂なんだって。
そんなこんなで、お堂の横にある階段を上って2階の堂内へ。
なんと堂内にはコンサート会場ばりにイスが設置されているという!
イスの数はなんと620席以上!
壇上には金色の大きな大日如来さんがドーンとお座りになり、さらに檀上右の厨子に弘法大師さんがおられました。
そんなこんなで、コンサート会場さながらの堂内でイスに座って読経開始。
本日は雨だからか、参拝者はおらず堂内は空席だらけ・・・そんな巨大な空間で仏様を独占できたのはありがたいことですが、少々不気味でシュールな時間でもありました。
参拝後、檀上の仏さんをぼんやりと眺めていると、次第に檀上がステージのように見えてきました。
いつか大日如来さんが立ち上がって熱唱し始めるのではないかと・・・
サプライズゲストとして舞台袖から弘法大師さんが登場したり・・・
金剛杵をマイクにしたりなんかして・・・
そんな大日さんのリサイタルを想像をしているとついついニヤニヤと・・・
おっといかんいかん、真面目にしないと。
そして本堂へ・・・
と思ったら、本堂がない!
あるのは博物館のような巨大建造物!
・・・はて?
・・・と思ったら
なんとこれが本堂だったという!
さすがに60の札所を巡っていると、ある程度のルーティンが確立されているため、鐘楼から本堂へは自然の流れの中で行っていましたが、鐘楼から本堂への流れの間に驚くという行為が挟まったのはこのお寺が初めてでした!
脱マンネリ的で衝撃的で刺激的。
四国霊場でこのようなお堂があるのは、後にも先にもこのお寺だけでした。
ちなみにこの建物は大聖堂と呼ばれていて、本堂と大師堂を兼ねたお堂になってるんだって。
●大聖堂
・1976年建立
・高さ 約16m
・1階 大講堂
・2階 本堂・大師堂
・鉄筋コンクリート造
●本堂の本尊
・大日如来
●大師堂の本尊
・弘法大師
●本尊・大日如来の真言
・おん あびらうんけん ばざらだどばん
もともとの本堂は1976年に妙雲寺に移築したみたいです。
そして、その跡地に建立したのが現在の大聖堂なんだって。
そんなこんなで、お堂の横にある階段を上って2階の堂内へ。
なんと堂内にはコンサート会場ばりにイスが設置されているという!
イスの数はなんと620席以上!
壇上には金色の大きな大日如来さんがドーンとお座りになり、さらに檀上右の厨子に弘法大師さんがおられました。
そんなこんなで、コンサート会場さながらの堂内でイスに座って読経開始。
本日は雨だからか、参拝者はおらず堂内は空席だらけ・・・そんな巨大な空間で仏様を独占できたのはありがたいことですが、少々不気味でシュールな時間でもありました。
参拝後、檀上の仏さんをぼんやりと眺めていると、次第に檀上がステージのように見えてきました。
いつか大日如来さんが立ち上がって熱唱し始めるのではないかと・・・
サプライズゲストとして舞台袖から弘法大師さんが登場したり・・・
金剛杵をマイクにしたりなんかして・・・
そんな大日さんのリサイタルを想像をしているとついついニヤニヤと・・・
おっといかんいかん、真面目にしないと。
子安大師堂
●子安大師堂
続いて、子安大師堂を参拝。
堂内には、ゴザを背負って錫杖を持ち赤ん坊を抱いたお大師さまがおられました。
ということで、元祖・子安大師!?
本家・子安大師ということでしょうか!?
私は婦人ではないですが、人類の繁栄を願って・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
続いて、子安大師堂を参拝。
堂内には、ゴザを背負って錫杖を持ち赤ん坊を抱いたお大師さまがおられました。
●公式ホームページによると
当寺は縁起に依り子安大師(赤ちゃんを抱く弘法大師)を祀る唯一無二の寺であります。
他の子安大師の名称を名乗る寺院とは一切関係はありません。
御参拝、ネット検索時には特にご注意ください。
と書かれておりました。
当寺は縁起に依り子安大師(赤ちゃんを抱く弘法大師)を祀る唯一無二の寺であります。
他の子安大師の名称を名乗る寺院とは一切関係はありません。
御参拝、ネット検索時には特にご注意ください。
と書かれておりました。
ということで、元祖・子安大師!?
本家・子安大師ということでしょうか!?
●子安講とは?
子安講とは、安産祈願のために婦人が集まって子安神を祀る信心講のことなんだって。
1918年、住職の山岡瑞園大和尚が子安講を創始。
その後、子安講は全国に広まり、現在では東南アジアやアメリカにまで講員が広まっているという。
その数はなんと20万人以上!
現在も篤く信仰され、子安の大師さんとして親しまれているそうですよ。
子安講とは、安産祈願のために婦人が集まって子安神を祀る信心講のことなんだって。
1918年、住職の山岡瑞園大和尚が子安講を創始。
その後、子安講は全国に広まり、現在では東南アジアやアメリカにまで講員が広まっているという。
その数はなんと20万人以上!
現在も篤く信仰され、子安の大師さんとして親しまれているそうですよ。
私は婦人ではないですが、人類の繁栄を願って・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
四国霊場会退会問題
●四国八十八ヶ所霊場会退会問題
皆さんの記憶にも新しい第62番札所・宝寿寺の四国霊場会退会問題。
2017年に霊場会のルールを巡って裁判が行われ宝寿寺は霊場会の退会が認められちゃいました。
そのことにより、第62番札所は空き番になってしまったという!
その対応措置として、霊場会は第61番・香園寺の駐車場に第62番・宝寿寺の仮設礼拝所を設置して納経の対応をしていました。
しかし!
2019年12月、宝寿寺は霊場会に再加入!
ということで、現在は香園寺の駐車場にあった仮設礼拝所はありません。
ちなみに、四国霊場会退会問題については、第62番・宝寿寺のページの方で詳しく書いています。
そんなこんなで、参拝終了。
第62番・宝寿寺に続く。
皆さんの記憶にも新しい第62番札所・宝寿寺の四国霊場会退会問題。
2017年に霊場会のルールを巡って裁判が行われ宝寿寺は霊場会の退会が認められちゃいました。
そのことにより、第62番札所は空き番になってしまったという!
その対応措置として、霊場会は第61番・香園寺の駐車場に第62番・宝寿寺の仮設礼拝所を設置して納経の対応をしていました。
しかし!
2019年12月、宝寿寺は霊場会に再加入!
ということで、現在は香園寺の駐車場にあった仮設礼拝所はありません。
ちなみに、四国霊場会退会問題については、第62番・宝寿寺のページの方で詳しく書いています。
そんなこんなで、参拝終了。
第62番・宝寿寺に続く。
次の札所
宝寿寺の御朱印|四国霊場 第62番|納経時間は7時から17時(昼休憩なし)|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県西条市)
所在地愛媛県西条市小松町新屋敷甲428宗 派真言宗系 単立寺院札 所・四国八十八ヶ所 第62番・四国(東予)七福神 布袋尊前後札所・前 → 第61番札所・香園寺・後 → 第63番札所・吉...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 白瀧不動明王の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 白瀧不動明王 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年5月28日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 白瀧不動明王の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 白瀧不動明王 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年5月28日 参拝
・2024年3月 最終更新
宝寿寺の御朱印|四国霊場 第62番|納経時間は7時から17時(昼休憩なし)|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県西条市)
所在地愛媛県西条市小松町新屋敷甲428宗 派真言宗系 単立寺院札 所・四国八十八ヶ所 第62番・四国(東予)七福神 布袋尊前後札所・前 → 第61番札所・香園寺・後 → 第63番札所・吉...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第60番札所・横峰寺へ14.5km
徒歩3時間30分
車で30分
・第62番札所・宝寿寺へ1.5km
徒歩20分
車で5分
●最寄りの駅
・JR伊予小松駅から徒歩20分
・JR伊予小松駅から車で5分
●最寄りのバス停
・せとうちバス
小松総合支所 バス停から徒歩15分
●最寄りのIC
・松山自動車道
いよ小松ICから車で10分
●第一駐車場(常時)
・駐車台数 普通25台
・駐車料金 無料
●第二駐車場(繁忙期)
・駐車台数 普通50台
大型3台
・駐車料金 無料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第60番札所・横峰寺へ14.5km
徒歩3時間30分
車で30分
・第62番札所・宝寿寺へ1.5km
徒歩20分
車で5分
●最寄りの駅
・JR伊予小松駅から徒歩20分
・JR伊予小松駅から車で5分
●最寄りのバス停
・せとうちバス
小松総合支所 バス停から徒歩15分
●最寄りのIC
・松山自動車道
いよ小松ICから車で10分
●第一駐車場(常時)
・駐車台数 普通25台
・駐車料金 無料
●第二駐車場(繁忙期)
・駐車台数 普通50台
大型3台
・駐車料金 無料