所在地 | 山口県長門市俵山5108 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
由 緒 | その昔、猟師が身籠った猿を撃ったという。数日後、湧き出るお湯で傷口を癒す白い猿が出現。すると白い猿は瑠璃光を放って昇天したという。そんなこんなで、その白猿が薬師如来の化身だと悟った猟師は温泉を管理するかたわら薬師如来を祀ることにしたそうです。それがこのお寺ならびに俵山温泉の始まりといわれています。その後、1394〜1427年に薬師堂を建立。そして正福寺と称したそうです。創建当初は曹洞宗でしたが、後に浄土宗に改宗。しかし1851年に焼失。その後、薬師堂は再建されますが、正福寺は再建されなかったという。1929年、湯治客の功徳により薬師堂を大改修。そして白猿山薬師寺と唱える信者が多くなったことにより、1973年に白猿山の額が掲げられたそうです。 |
白猿山薬師寺とは?
●俵山温泉
本日は観光マップを見ながら俵山温泉街をプラプラとお散歩しています。
そんなこんなで、俵山温泉街のメインストリートを歩いていると白猿山薬師寺というお寺に到着。
その名の通り白い猿と薬師如来さんにまつわるお寺さんのようです。
ちなみに白猿山薬師寺と書いてはくえんざん やくしじと読みます。
古来より白い動物は神聖な生き物として、神の使いとされてきました。
山口には湯田温泉の白狐や
岩国の白蛇や
そして俵山温泉の白猿!
山口は神使がたくさんいるねぇ。
あっ、あと秋吉台にはホワイトタイガーがいたりもします。
これは関係ないか。
そんなこんなで、参拝開始。
本日は観光マップを見ながら俵山温泉街をプラプラとお散歩しています。
そんなこんなで、俵山温泉街のメインストリートを歩いていると白猿山薬師寺というお寺に到着。
その名の通り白い猿と薬師如来さんにまつわるお寺さんのようです。
ちなみに白猿山薬師寺と書いてはくえんざん やくしじと読みます。
●白猿山薬師寺とは?
913年、この辺りに身籠った1匹の猿がいたそうです。
そんなある日、猟師がその猿を撃ちました。
しかし、猿は山の中に消えていきました。
数日後、白い猿が現れ、湧き出るお湯で傷口を洗って癒やしていたそうです。
すると白い猿は紫の光(瑠璃光)を放ち、真っ直ぐに昇天したという!
そんなこんなで猟師は、その白猿が薬師如来の化身だということを悟り、猟師を辞め、湧き出るお湯を湯治場として開いたという。
そして俵山温泉の守護仏として薬師如来を祀ったそうです。
それがこのお寺ならびに俵山温泉の始まりといいます。
その後、薬師如来と温泉の評判は世に知れることとなり、行きは松葉杖が必要な湯治客も、帰りは不要になるほどの効能があったといいます。
そのため病が治った湯治客は不要になった杖を奉納して帰ったといわれています。
913年、この辺りに身籠った1匹の猿がいたそうです。
そんなある日、猟師がその猿を撃ちました。
しかし、猿は山の中に消えていきました。
数日後、白い猿が現れ、湧き出るお湯で傷口を洗って癒やしていたそうです。
すると白い猿は紫の光(瑠璃光)を放ち、真っ直ぐに昇天したという!
そんなこんなで猟師は、その白猿が薬師如来の化身だということを悟り、猟師を辞め、湧き出るお湯を湯治場として開いたという。
そして俵山温泉の守護仏として薬師如来を祀ったそうです。
それがこのお寺ならびに俵山温泉の始まりといいます。
その後、薬師如来と温泉の評判は世に知れることとなり、行きは松葉杖が必要な湯治客も、帰りは不要になるほどの効能があったといいます。
そのため病が治った湯治客は不要になった杖を奉納して帰ったといわれています。
古来より白い動物は神聖な生き物として、神の使いとされてきました。
山口には湯田温泉の白狐や
岩国の白蛇や
そして俵山温泉の白猿!
山口は神使がたくさんいるねぇ。
あっ、あと秋吉台にはホワイトタイガーがいたりもします。
これは関係ないか。
そんなこんなで、参拝開始。
境内入口と参道
●境内入口
白猿山薬師寺は俵山温泉のメインストリート沿いにある高台に位置しています。
山門や寺号標はなく、境内入口に古ぼけた表札があるだけのひっそりとしたお寺さんでした。
●参道
そんなこんなで、階段を上るといくつかの石仏さんが登場。
白猿山薬師寺は俵山温泉のメインストリート沿いにある高台に位置しています。
山門や寺号標はなく、境内入口に古ぼけた表札があるだけのひっそりとしたお寺さんでした。
●参道
そんなこんなで、階段を上るといくつかの石仏さんが登場。
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・1929年改修
・瓦葺 入母屋造
そして石仏さんを過ぎるとすぐ本堂に到着しました。
そんなこんなで、石仏と本堂が建つのみという非常にコンパクトな境内になっていました。
本堂には小さな梵鐘が吊るされていました。
鐘を撞いていいのかどうかわかんなかったけど、一応、軽くゴ~ン♪と鳴らしてみました。
そんなことより、本堂の妻には毛利家の家紋・三ツ星一文字を確認することができました。
どうやら、俵山温泉は長州藩主・毛利氏が藩直営の湯治場として経営していたみたいです。
当時は藩主のみならず一般の湯治客も気軽に利用できる開かれた温泉地だったみたいですよ。
●本尊 薬師如来立像
・1311年作
・像高 43.1cm
・青銅製
・山口県指定有形文化財
堂内には鎌倉時代作の小ぶりな薬師さんがおられました。
基本的に浄土宗の御本尊は阿弥陀如来さんですが、このお寺の御本尊は薬師如来さんのようです。
由緒によると、白猿山薬師寺は1851年の大火で焼失しています。
その後、薬師堂が再建された際、長門市仙崎の極楽寺からこの薬師さんをお迎えしたんだって。
●本堂
・建立年不明
・1929年改修
・瓦葺 入母屋造
そして石仏さんを過ぎるとすぐ本堂に到着しました。
そんなこんなで、石仏と本堂が建つのみという非常にコンパクトな境内になっていました。
本堂には小さな梵鐘が吊るされていました。
鐘を撞いていいのかどうかわかんなかったけど、一応、軽くゴ~ン♪と鳴らしてみました。
そんなことより、本堂の妻には毛利家の家紋・三ツ星一文字を確認することができました。
どうやら、俵山温泉は長州藩主・毛利氏が藩直営の湯治場として経営していたみたいです。
当時は藩主のみならず一般の湯治客も気軽に利用できる開かれた温泉地だったみたいですよ。
●俵山温泉と毛利氏
1688年、長州藩3代藩主・毛利吉就さんが湯治に訪れたそうです。
そのときの旅は、萩城を発って帰城するまで19日間にもおよぶ長湯治の旅だったといわれています。
その際、吉就さんは白猿山薬師寺の前身である正福寺を御茶屋と定めたそうです。
そして吉就さんはお寺に対し、迷惑料として湯治客の宿泊と宿泊料をお寺の収入にすることを許可したそうです。
その後、1710年には長州藩5代藩主・毛利吉元さんが湯治に訪れたそうです。
そのときの旅の御一行は総勢299人!
吉元さんは14日間の湯治旅で、温泉だけでなく鷹狩りも楽しんだそうです。
さらに三ノ瀬の焼物を取り寄せて眺め、能満寺の宝物を持参させて観賞。
さらにさらに正福寺に舞台をつくらせ、長門市仙崎の祇園社(現・八阪神社)から踊り子を呼び寄せて、朝から晩まで舞を見物したそうです。
よほどこの旅が楽しかったのか、吉元さんは1726年にも俵山温泉を訪れているみたいです。
そのときの目的は、娯楽ではなく痔の治療!
しかし1747年以降、毛利氏の湯治場は約10km離れた湯本温泉に移されました。
ちなみに、なぜ毛利氏の湯治場が俵山温泉から湯本温泉に変わったのかは不明とのことです。
一説によると、俵山温泉は一般の湯治客が増え過ぎたためともいわれています。
1688年、長州藩3代藩主・毛利吉就さんが湯治に訪れたそうです。
そのときの旅は、萩城を発って帰城するまで19日間にもおよぶ長湯治の旅だったといわれています。
その際、吉就さんは白猿山薬師寺の前身である正福寺を御茶屋と定めたそうです。
そして吉就さんはお寺に対し、迷惑料として湯治客の宿泊と宿泊料をお寺の収入にすることを許可したそうです。
その後、1710年には長州藩5代藩主・毛利吉元さんが湯治に訪れたそうです。
そのときの旅の御一行は総勢299人!
吉元さんは14日間の湯治旅で、温泉だけでなく鷹狩りも楽しんだそうです。
さらに三ノ瀬の焼物を取り寄せて眺め、能満寺の宝物を持参させて観賞。
さらにさらに正福寺に舞台をつくらせ、長門市仙崎の祇園社(現・八阪神社)から踊り子を呼び寄せて、朝から晩まで舞を見物したそうです。
よほどこの旅が楽しかったのか、吉元さんは1726年にも俵山温泉を訪れているみたいです。
そのときの目的は、娯楽ではなく痔の治療!
しかし1747年以降、毛利氏の湯治場は約10km離れた湯本温泉に移されました。
ちなみに、なぜ毛利氏の湯治場が俵山温泉から湯本温泉に変わったのかは不明とのことです。
一説によると、俵山温泉は一般の湯治客が増え過ぎたためともいわれています。
●本尊 薬師如来立像
・1311年作
・像高 43.1cm
・青銅製
・山口県指定有形文化財
堂内には鎌倉時代作の小ぶりな薬師さんがおられました。
基本的に浄土宗の御本尊は阿弥陀如来さんですが、このお寺の御本尊は薬師如来さんのようです。
由緒によると、白猿山薬師寺は1851年の大火で焼失しています。
その後、薬師堂が再建された際、長門市仙崎の極楽寺からこの薬師さんをお迎えしたんだって。
俵山温泉
●俵山温泉そんなこんなで参拝後、俵山温泉に浸かってきました。
最高や〜〜〜♨
約1100年の歴史を誇る俵山温泉は、古くから湯治場として知られ、藩主はもとより全国の旅人を癒やしてきた温泉。
現在でも全国24ヶ所ある国民保健温泉地の1つとして国のお墨付きを得ています。
まるで昭和のまま時が止まったかのようなノスタルジックな風景。
いやはや、素敵な1日でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・なし
●御朱印の受付場所
・なし
●御朱印の受付時間
・なし
●御朱印の料金
・なし
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年7月18日 参拝
・2022年5月 更新
・なし
●御朱印の受付場所
・なし
●御朱印の受付時間
・なし
●御朱印の料金
・なし
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年7月18日 参拝
・2022年5月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR長門湯本駅から車で15分
・JR長門湯本駅から徒歩2時間30分
●最寄りのバス停
・サンデン交通
JR長門市駅から下関行に乗車
俵山温泉 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・中国自動車道
美祢ICから車で45分
●駐車場
・俵山湯町第1駐車場を利用(無料)
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR長門湯本駅から車で15分
・JR長門湯本駅から徒歩2時間30分
●最寄りのバス停
・サンデン交通
JR長門市駅から下関行に乗車
俵山温泉 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・中国自動車道
美祢ICから車で45分
●駐車場
・俵山湯町第1駐車場を利用(無料)