豊栄神社・野田神社の御朱印|毛利元就と毛利敬親を祀る|(山口県山口市)

所在地 ・豊栄神社 山口県山口市天花1丁目1−1
・野田神社 山口県山口市天花1丁目1−2
祭 神 ・豊栄神社 毛利元就
・野田神社 毛利敬親
      毛利元徳
社 格旧別格官幣社・別表神社
由 緒●豊栄神社
江戸時代初期、防長二州に移封した毛利輝元が広島から萩へ居城を移した際、祖父・毛利元就の霊を春日神社の境内に祀ったのが始まりといいます。その後、神霊は萩城内に移され、明治時代に現在地に遷座したそうです。

●野田神社
1873年、豊栄神社の境内に長州藩13代藩主・毛利敬親を祀ったのが始まりといいます。創建当初は、忠正神社という社号でしたが、1874年に野田神社と改称して現在に至るそうです。
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豊栄神社・野田神社の境内入口

●豊栄神社・野田神社の境内入口

山口総鎮守・今八幡宮の真裏に鎮座してます豊栄神社野田神社に到着。

社号標でもわかるように、同一境内2つの神社が鎮座しているみたいです。

面白いことにこの2つの神社は同一境内にありながら、それぞれ別の宗教法人だという!
ということで、同じ境内なのに所在地の番地が違うという!

これは珍しい形態ですね!
いやはや、一体全体どんな神社なんでしょ?

そんなこんなで、参拝開始。


●豊栄神社・野田神社の鳥居

●豊栄神社・野田神社の鳥居
・1915年建立
・明神鳥居

まず最初に登場するのは鳥居

どうやらこちらは豊栄神社と野田神社の共通の鳥居のようです。

ちなみに額束には何も書かれておりませんでした。

豊栄神社と野田神社は別の宗教法人なのに共通の鳥居ってところが面白いですね。


ちなみに鳥居をくぐって手前に鎮座するのが野田神社。

そして奥に豊栄神社が鎮座しています。

どちらの神社からお詣りするのが正しいのかはわかりませんが、由緒によると豊栄神社の方が先に鎮座しているようなので、まずは豊栄神社から参拝することにしました。
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豊栄神社

●豊栄神社 境内入口

ちなみに豊栄神社と書いてとよさかじんじゃと読みます。

正式な表記は豐榮神社と書くみたいです。

という字には穀物がたくさん実る(豊作)的な意味があるんだって。

よく見たらには稲穂のような字が描かれています。

ほんでもって、には草木がさかんに茂る的な意味があるそうです。

そんなこんなで、豐榮神社は五穀豊穣の神様が祀られてるのね・・・と思ったら、全然違ってた(笑)

豊栄とは主祭神・毛利元就さんの神号だったという!

●豊栄神社とは?

1600年、関ヶ原の戦いに敗れ、安芸国から長門国に移封した毛利輝元さんが、の江向村に鎮座していた春日神社の境内に祖父・毛利元就さんを祀ったのが始まりといいます。


その後、1612年に春日神社は萩城・三の丸に遷座。

そして、1762年に長州藩7代藩主・毛利重就さんが萩城・二の丸に鎮座していた土地神社を改造して、 毛利元就さんの御霊を遷座し、毛利家の祖神・天穂日命と合祀して神性霊社としたそうです。

さらに、1770年には毛利元就さんは仰徳大明神と称され、仰徳社と改称。


1869年、毛利元就さんは正親町天皇の即位を援助するなど朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇から豊栄神号を与えられ、山口市の多賀神社の境内に移転し、豊栄神社と改称。 

そして、1871年に現在地に遷座し現在に至るそうです。


●豊栄神社 鳥居

●豊栄神社 鳥居
・建立年不明
・明神鳥居

まず最初に登場するのは鳥居


●豊栄神社 参道

そんなこんなで、鳥居をくぐると石橋が登場。
そして石橋の先には手水舎狛犬ちゃんがおられました。


●豊栄神社 神門

●豊栄神社 神門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 四脚門

神門には毛利氏の家紋・一文字三星がありました。


●豊栄神社 拝殿

●豊栄神社 拝殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造

●豊栄神社 本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造

続いて、拝殿で参拝。

御祭神は毛利元就さん。

毛利元就さんは、戦国時代に一代で中国地方統一し、後の長州藩毛利家の礎を築いたお方です。


ちなみに、山口市には毛利元就さんの菩提寺・洞春寺があります。


それはそうと、左の方に豊栄神社とそっくりの社殿がありました!

はて、どうしたものか・・・

これは鏡なのか?

んなワケない。

なんと、それは野田神社の社殿だったという!

別々の神社が、まるで鏡張りのごとく左右対称に建っているというね。

これは面白いですねぇ。

そんなこんなで、そのまま野田神社の拝殿へ・・・と言いたいところですが、それじゃあまりにも味気ないので、いったん豊栄神社の境内を出て、野田神社を参拝することにしました。

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野田神社

●野田神社 境内入口

そんなこんなで、野田神社に到着。

●野田神社とは?

江戸時代末期、様々な改革を行い、有能な人材を育て、日本を明治維新へ導いた長州藩13代藩主・毛利敬親さんが、1871年に山口でお亡くなりになられました。


その後、毛利敬親さんを敬愛する人々の懇願により、毛利敬親さんの霊は豊栄神社別殿に祀られることになったそうです。

そして、毛利敬親さんの諡号である忠正を社号とし、忠正神社と称したのがこの神社の始まりといいます。

1876年、鎮座地が野田という地名により野田神社に改称。

その後、豊栄神社からの独立を望む声が上がり、新たに社殿を造営。
そして1886年、現在地に遷座したそうです。


1898年、野田神社の境内に、長州藩最後の藩主・毛利元徳さんを祀る芳宜園神社が創建されますが、1936年に野田神社に合祀され現在に至るそうです。


●野田神社 鳥居

●野田神社 鳥居
・1916年建立
・明神鳥居

見事に見逃して帰りましたが、この鳥居には松下村塾の塾生で内閣総理大臣を務めた山縣有朋さんや寺内正毅さんや杉孫七郎さんなどの名前が刻まれてるんだって。

ちなみにこの御三方は長州藩士として明治維新に貢献し、維新後も政治家・軍人として活躍したお方たちです。


●野田神社 狛犬

●野田神社 狛犬
・1891年奉納
・山中武資 作
・萩型狛犬

鳥居の前には萩型の狛犬ちゃんがおられました。

作者は山中武資さんというお方でした。

調べてみると、山中武資さんは山口県初の石造洋風隧道(鹿背隧道)を工事する際、石工棟梁として指揮した人のようです。

ちなみに狛犬ちゃんの背後にあるのは絵馬殿です。


●野田神社 神門

●野田神社 神門
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 四脚門

豊栄神社同様、神門には毛利氏の家紋・一文字三星がありました。


●野田神社 拝殿

●野田神社 拝殿
・1886年建立(?)
・銅板葺 入母屋造

●野田神社 本殿
・1886年建立(?)
・銅板葺 三間社流造

そんなこんなで、再び野田神社の拝殿に到着!


何度見ても豊栄神社の拝殿にそっくりだぁ。


そんなことより、主祭神は長州藩13代藩主・毛利敬親さん。

配祀神として、長州藩最後の藩主・毛利元徳さんが祀られていました。
毛利元徳さんは、毛利敬親さんの養子で初代山口藩知事となったお方です。


毛利敬親さんは、家臣の意見に対して全て『そうせい』と答えていたことからそうせい候というあだ名をつけられた藩主です。

な〜んとなくカッコ悪いあだ名の藩主ですが、家臣の意見を何でも許すことにより長州藩の尊王攘夷運動が加速化し、結果、明治維新を成し遂げられたという。

実際、毛利敬親さんは優秀な人材を身分問わず抜擢し、良いアイデアは率先して採用し、人々が活躍できる環境を整え、そして時代を動かす有能な人材を育てた幕末のリーダーだったのでした。

長州藩にはこうした環境が整っていたからこそ、吉田松陰さんを始め、高杉晋作さん・久坂玄瑞さん・伊藤博文さん・木戸孝允さん・山縣有朋さんなどなど&などなど、明治維新に貢献した志士が育っていったのですね。

そんなこんなで、毛利敬親さんは明治維新最大の功労者といっても過言ではないお方だったと勝手に思っております。

毛利敬親さんの評価については賛否両論ありますが、私はめちゃくちゃ尊敬しているのですよ。

そうせい候を現在の企業に当てはめると、どれだけ毛利敬親さんが偉大だったかがわかります。

部下の提案をなんでも『そうせい』と言える会社の社長ってどれだけいるでしょうか?

明治維新 = 企業の大事業として、もしその事業が失敗すれば会社(藩)を潰してしまうような暴走的な提案でも『そうせい』といえるでしょうか?

そうせい候を模範とし、なんでも『いいじゃん』と言って部下の意見を許し、とんでもない大失敗をした私にはそうせい候の偉大さがわかってしまうのです。

あの時の私は情けない維新軍だったなぁ・・・笑笑笑笑笑笑笑笑笑

実力が非力すぎていいじゃん候になれず!

そんなことより、野田神社は毛利敬親さんを敬愛する人々の懇願により創建された神社です。

鳥居に山縣有朋さんや寺内正毅さんや杉孫七郎さんなどの名前が刻まれているように、鳥居を見るだけでも毛利敬親さんが藩士から慕われていた藩主だったということがわかりますね。


ちなみに毛利敬親さんと毛利元徳さんの墓所は、国宝・五重塔で有名な瑠璃光寺(香山墓所)にあります。


そんなこんなで、参拝終了。

素敵な神社でした。

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御朱印情報

●御朱印の種類
・豊栄神社の御朱印
・野田神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・授与所

※授与所に書置きが用意されていました。
もし授与所が不在、もしくは書置きがない場合は、古熊神社で頂けるそうです。

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・豊栄神社と野田神社を合わせて500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2009年3月21日 参拝
・2022年7月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR上山口駅から徒歩10分
・JR上山口駅から車で2分

●最寄りのバス停
・山口市コミュニティバス(大内ルート)
 野田 バス停から徒歩3分

・山口市コミュニティバス(大内ルート)
 八坂神社前 バス停から徒歩6分

※山口市コミュニティバス(大内ルート)の路線図・時刻表はこちら

●最寄りのIC
・中国自動車道
 山口ICから車で15分

・中国自動車道
 小郡ICから車で15分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(30台)

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豊栄神社の地図

野田神社の地図

 

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