湘江庵の御朱印|柳井という地名の発祥地|般若姫伝説の地(山口県柳井市)

所在地山口県柳井市柳井3058−1
宗 派曹洞宗
由 緒 飛鳥時代、豊後国(大分県)の真名野長者の娘・ 般若姫が、橘豊日皇子(聖徳太子の父、後の用明天皇)の后となるために上京中、この地に立ち寄り湧き出る清水で喉を潤したそうです。そして般若姫はお礼に井戸の傍に楊枝を挿したら、その楊枝が一夜にして芽を吹き、やがて大きな柳の木になったという。そのことから、この地を柳井と呼ぶようになったといわれています。
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境内入口と山門

●境内入口

本日は山口県柳井市を旅しています。

そんなこんなで、柳井市の人気観光スポット・白壁の町並みをプラプラと散策しているとお寺を発見!

ということで立ち寄ることに。


どうやらこちら、湘江庵というお寺のようです。

ちなみに正式名称は柳井山 湘江庵

柳井山 湘江庵と書いてやないざん しょうこうあんと読むそうです。

そんなこんなで、参拝開始。


●山門

●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門

まず最初に登場するのは山門

このお寺は誓光寺という立派なお寺の隣にあります。

一見、誓光寺の塔頭かな?

と思わせるような小さなお寺さんでしたが、調べてみると誓光寺とは無関係のお寺のようです。

創建年は定かではありませんが、江戸時代から続くお寺で、当時は町人が集まって句会やお茶をする公民館的な役割を果たしたお寺さんだったみたいですよ。

そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
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柳と井戸と般若姫伝説

●柳と井戸

山門をくぐると、境内の中心に井戸がありました。

柳 + 井戸 = 柳井

なんと、この柳と井戸が柳井という地名の由来なんだって!

ということで、このお寺さんは柳井発祥の地ということなんだね!


さらに説明板によると、この柳と井戸は般若姫ゆかりの史跡なんだとか!

●般若姫とは?

今から約1400年前のお話。

豊後国(大分県)の真名野長者夫妻のもとに般若姫という美しい娘が生まれました。

般若姫の美しさは都にまで知れ渡るほどだったという。

ある日、般若姫の噂を聞いた橘豊日皇子(用明天皇)は、般若姫を后にするため豊後にやってきました。

しかし般若姫は難病を患っていたという。
そこで皇子は流鏑馬神事で般若姫の病を治しました。

そして、般若姫と皇子は結ばれることとなり、般若姫は子を身籠ったのでありました。

しかし、皇子は長い間留守にしていた都へ帰らなければならなくなりました。


皇子は般若姫を残して都に帰りますが、般若姫も産まれたばかりの娘(玉絵姫)を真名野長者夫妻に預けて船で都に向かうのでありました。

その際、船が出港したのが臼杵の港といわれています。

ところが、般若姫を乗せた船は周防国(山口県)の大畠瀬戸(龍宮西門)でに遭遇してしまったという。。

この嵐により120隻の船は散り散りに。。

そして多くの船が沈んでしまいました。

この嵐は、真名野長者に池を潰された金龍神の怒りだったという。


そんなこんなで、般若姫を乗せた船は命からがら柳井に流れ着きました。

そして喉の渇きを訴えた般若姫に、井戸の水を差しあげたところ、たいそうお喜びになられたという。

そして般若姫はお礼にと中国の明帝大王から送られた不老長寿の柳の楊枝を井戸のそばに挿すことに。

すると楊枝は一夜にして芽を吹き、柳の大木となったという!

それが現在、湘江庵の境内にある井戸なんだとか!

ちなみに現在の柳の木は、2023年に植え替えられた6代目なんだって。

湘江庵の柳の木は代々挿し木によって育てられた苗を用いて同じ柳の木の命を受け継いでるんだとか。


その後、般若姫はしばらく柳井に滞在し、行方不明になった付き人たちを捜しました。

多くの遺体を目の当たりにした般若姫は『私はたくさんの者の命を犠牲にしてまで、皇后になりたいとは思いません』と言い、渦巻く大畠の瀬戸に身を投げたのでありました。

驚いた船人たちは慌てて般若を救い上げますが、姫は衰弱する一方・・・

そして『2度とこのような惨事が起こらないよう、私は金龍神の生贄(いけにえ)となり、瀬戸の守り神となります。私の亡骸は向うに見えるあの山(神峰山)に葬ってください・・・』


その知らせを聞いた皇子と娘・玉絵姫と真名野長者夫妻は大変悲しみました。

そんなこんなで、般若姫の遺言の通り、神峰山お墓を建て、姫の念持仏である金の観音像を納め、般若姫の供養のために般若寺を創建。

そして真名野長者夫妻は豊後国の臼杵(大分県)に、般若姫を供養するためのお寺を創建(満月寺

さらに人々は真名野長者の徳を慕い、たくさんの石仏をつくりました。

それが現在の国宝・臼杵石仏といわれています。

●般若姫 辞世の句

仮の世に何嘆くらん浮舟の
いずくを宿と定めおかねば

※橘豊日皇子とは後の用明天皇。
用明天皇は聖徳太子の父です。

まさか、般若姫ゆかりのお寺さんだったとはね!

ちなみに、般若姫伝説は大分県や山口県などの各地に残っていますが、それぞれ微妙に内容が異なっています。


そんなこんなで、井戸の隣には般若姫が飲んだ井戸水が湧き出ていました。

なんとこの井戸水を飲むと美人になれるんだとか!

伝説によると、般若姫は遠く都にまで知れ渡るほどの絶世の美女だったんだって。

都にいた橘豊日皇子(用明天皇)がわざわざ九州の豊後国(大分県)まで求婚しに行くくらいだから、相当な美人だったんだろうなぁ〜。


ということで、井戸水を飲んでみることに。

美人 = 女性というイメージがありますが、美人は美しい人という意味なんだろうから、男も女も関係ないっしょ。

ということで、井戸水を飲んで美しいオジサンになろう・・・

というか、井戸水に頼らなくてもじゅうぶん美しいけどね!

って、調子乗るなオジン(汚人)!


そんなことより、井戸水には女性像がありました。


あたしゃ目が悪いので、ハッキリと確認することができませんでしたが、もしかしてこれは般若姫!?

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本堂

●本堂

●本堂
・江戸時代建立(?)
・瓦葺 入母屋造

続いて、本堂で参拝。

ネットの情報によると、この本堂は1728年の火災後に再建されたお堂なんだって。


御本尊はどなたでしょ?

堂内に上がることができなかったため確認することはできませんでしたが、曹洞宗ということで御本尊は釈迦如来さま・・・かな?
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御堂と日本三大虚空蔵菩薩

●御堂

●御堂
・1852年再建
・瓦葺 宝形造

続いて、御堂を参拝。


扁額には柳井庵と書かれておりました。

桃丼坐に見えるのは私だけ?


そんなことより、堂内には小さな仏像さんが3体安置されていました。

・左 → 虚空蔵菩薩坐像
・中 → 十一面観音菩薩立像
・右 → 薬師如来坐像


●十一面観音菩薩立像
・平安時代末期作

まずは中尊の十一面観音さんを参拝。

この十一面観音さんは平安時代末期作!


まさか仏像鑑賞ができるとはね。


一説によると、この十一面観音さんは行基作なんだとか!

・・・って、あれ!?

行基さんは飛鳥時代〜奈良時代に活躍した僧。

しかし、この十一面観音さんは平安時代末期作・・・(-“-;) ??

これはお寺巡りあるあるです。


続いて、向かって左に安置されている虚空蔵菩薩さんを参拝。

なんと、この虚空蔵さんは日本三大虚空蔵菩薩の1体なんだとか!

●日本三大虚空蔵菩薩

①福満虚空蔵
 福島県河沼郡柳津

②福智満虚空蔵
 宮城県本吉郡津山町柳津

③湘江庵の虚空蔵
 山口県柳井市柳井(柳井津)


なんと、日本三大虚空蔵の全てが柳津という地に安置されているという!

説明板によると岩邑志という史料(江戸時代?)に『すべて柳井津という所には、必ず虚空蔵おわす』と記されているのだとか!

柳と虚空蔵さんの関係性はいかに!?

これはなかなか興味深いミステリーですね。

ちなみに古い記録によると、もともとこの虚空蔵さんは柳井片野の常楽寺に安置されていたんだって。


続いて、向かって右に安置されている薬師如来さんを参拝。

青い螺髪と薬壺が印象的な仏さまでした。

台座と光背がキンキラキンのため、古さを感じませんが、よく見ると仏像さんはそれなりに古そうです。

な〜んとなく江戸期に作られた仏様・・・かな?(適当)

それにしても、ひどいピンボケだぁ。
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大友大権現と天満天神

●大友大権現

続いて、大友大権現を参拝。

どうやらこちらは、周防大島の龍心寺境内に祀られている大友大権現の分院のようです。

●大友大権現とは?

江戸時代、周防大島に大野友之丞という、文武両道に秀でた豪勇の武士がいたそうです。

友之丞は京都御所で北面の武士にとりたてられ、忠勤を励むうちに見込まれて巡見使になったという。

そんなこんなで、巡見使として九州に下る途中、三田尻の毛利家に立ち寄ることに。

しかし、そこで大乱暴をはたらいてしまい足止めされてしまったという。

そこで友之丞は脱走して周防大島に帰りますが、大野家一族はわざわいが及ぶことを恐れて喜んで迎えなかったそうです。

そんなこんなで、友之丞は熊毛郡祝島のお寺に身を寄せ、手習いの師匠を始めることに。

このことを知った毛利家は、友之丞を捕まえるために捕り手を送り込みますが、あまりに強い友之丞を捕えることができませんでした。

そこで一族は『あなたが捕まらないと、我々は腹を切らねばならない。どうか妻子のある我々を哀れと思ってお縄を受けてもらいたい』と懇願したという。

そのことにより、友之丞は両手を差し出しお縄に。
そして毛利家に捕えられました。

しかし毛利家は、文武両道の達人である友之丞を殺すのは心苦しい・・・

ということで一族からの嘆願を待ちましたが、誰一人として助命を願い出る者がいなかったという。。

そんなこんなで、友之丞は斬首刑となりました。

その首は周防大島に送られ、小田川河畔に晒されましたが、家臣の1人がその首を盗み出し、大野家累代の墓地に埋葬したそうです。

生前、友之丞は『自分は大志を抱きながら、信を失ってこのようなむごい最期をとげる。もし死後、自分を信じて祈るものがいるならば、首から上の病気は必ず癒してやる』と言い残したという。

そのことを伝え聞いた人々は、墓地で病の平癒を祈ったそうです。

そして霊験あらたかだという評判が高まり、線香の煙が絶えなかったという。

その後、お墓を雨露から守るため、龍心寺の境内に小屋を建立し大友大権現と崇めたそうです。

それが大友大権現の始まりといいます。

※大野家は宮中に仕えた家柄。
1555年、厳島合戦の後、村上水軍の村上武吉を助けたことにより、周防大島に居を構え5700石を領した武家だったそうです。


●天満天神

続いて、大友大権現の隣に鎮座する天満天神を参拝。

天満天神ということで御祭神は学問の神・菅原道真さん。


そんなこんなで、お社の中には道真さんの像が安置されていました。

野口雨情詩碑・一目玉鉾歌碑など

●野口雨情詩碑

境内には野口雨情さんの詩碑がありました。

春が来たやら湘江庵の
井戸の柳の芽が伸びる

この詩は、1940年に野口雨情さんがこの地を来遊した時に書いた柳井小唄の一節なんだって。


●一目玉鉾歌碑

さらに一目玉鉾の歌碑もありました。

丸雪(あられ)ふる今朝の嵐の吹落て
柳井の底にくだく玉水

これは、江戸時代前期に井原西鶴さんが詠んだもので、一目玉鉾という本に載っている歌なんだって。

●一目玉鉾
・江戸時代前期作
・作者 井原西鶴

一目玉鉾は江戸時代前期に刊行された全国の名所旧跡の案内記

●第1巻
北海道 → 奥州街道 → 江戸まで。

●第2巻
江戸 → 東海道 → 大井川まで。

●第3巻
東海道 → 大坂・天満豊崎まで。

●第4巻
大坂 → 瀬戸内海 → 長崎・壱岐・対馬まで。

当時のガイドブックみたいなものなのかな?


●柳井山の碑

さらに柳井山と書かれた石碑もありました。

この石碑は、柳井の豪商・国森家の前身である守田家の第4代・守田旁通さんが寄進したものなんだって。

ちなみに白壁の町並みに、国重文の国森家住宅がありました。


●三界萬霊のお地蔵さん

あと、境内入口には三界萬霊のお地蔵さんがおられました。

●三界萬霊とは?

三界萬霊とは欲界・色界・無色界という3つの世界のことです。

①欲界
欲を持つものが生きる最下位の世界。

②色界
欲から離れた者が生きる世界。

③無色界
欲からも物質からも離れた、高度かつ最上級の精神的な世界。
最高位置は有頂天です。



というか、さも初めて参拝したかのような感じで書き進めてきましたが、実は今回で2度目の参拝となります。

前回の参拝したときにはなぜかグラスを持っていたというね。

ハンドベルかな?

あと前掛けの柄が中国風のディズニーだったのがよかったなぁ〜。


そんなこんなで、参拝終了。

小さな小さなお寺ですが見所満載。

いやはや、素敵なお寺さんでした。

白壁の町並み

●白壁の町並み

そんなこんなで参拝後、再び白壁の町並みをプラプラと散策。


柳井は室町時代から港町として栄え、江戸時代には岩国藩のお納戸と呼ばれ、商人のまちとして賑わってたんだって。

ちなみに、かつて柳井は楊井と呼ばれていたそうです。

※楊
・音読み → ヨウ
・訓読み → ヤナギ

楊はヤナギ科の落葉樹の総称とのことです。

平安時代、楊井荘は京都・蓮華王院 (三十三間堂)の荘園だったそうですよ。

室町時代、楊井津は西国の大守・大内氏が日明貿易の拠点にした港だったそうで、室町幕府10代将軍・足利義植さんを迎え入れるなど、古くから繁栄していた町だったみたい。

1600年、関ヶ原の合戦で敗れた西軍の総大将・毛利輝元さんは中国8ヶ国(112万石)から防長2州(36万石)に大減封。

その後、1601年に毛利氏の一族・吉川氏が岩国に入国。
そして、柳井を含む玖珂郡南部は吉川氏の領地になったんだって。

この頃から楊井ではなく柳井と呼ばれるようになったそうです。


白壁の町並みとして知られるこのエリアは、江戸時代中期から明治時代初期にかけての町屋が建ち並び、当時の面影が色濃く残っていました。

ちなみに白壁の町並みは、1984年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


柳井といえば金魚ちょうちん!

そんなこんなで、町屋の軒下にはたくさんの金魚ちょうちんが吊るされていました。


この金魚ちょうちんは、江戸時代、柳井商人たちが青森県の伝統工芸・金魚ねぷたからヒントを得て作ったのが始まりなんだって。


マジの提灯バージョンや、折り紙バージョン。


あと、漆喰でつくられた金魚ちょうちんもありました!


ちなみに民芸品集めが趣味なので、しっかりと買って帰りましたよ。


●国森家住宅
・江戸時代中期建立
・国指定重要文化財

こちらは江戸時代の豪商・国森家の住宅です。

通りからは内部の一部を拝観することができました。


なんと、この排水溝は室町時代頃に築かれたものなんだと!

ビックリすることに、この排水溝は当時のままの姿らしく、現役バリバリなんだとか!


本日は土曜日。
時刻は午後1時。
さらに快晴。

なのに!

コロナ禍の影響からか、すれ違った観光客は0人!

住民以外、誰も歩いてなかったという。

そんなこんなで、江戸時代を独り占め!

最高に贅沢なひと時を過ごすことができました!

御朱印情報

●御朱印の種類
・湘江庵の御朱印

●御朱印の受付場所
・御堂
※御朱印は御堂に書置きが用意されています。

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

●御朱印の郵送を希望される方

通常、御堂に御朱印の書置きが用意されているみたいですが、残念ながら完売(言い方あってる?)していました。

しかし親切なことに、お賽銭箱の横に御朱印申込用紙があったという!


そんなこんなで封筒に住所・氏名・枚数などの必要事項を記入。


そして料金を封筒に入れ、お賽銭箱に納めてきました。


ほんでもって、首を長~くして御朱印の到着を待ち続けること約2週間。

自宅に御朱印が到着しました!

住職さま、お忙しい中、ありがとうございました!

・2012年1月9日 参拝
・2023年3月11日 再訪
・2023年4月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料


●最寄りの駅
・JR柳井駅から徒歩10分

●最寄りのバス停
・防長交通
 むろやの園 バス停から徒歩3分

・防長交通
 柳井駅前 バス停から徒歩10分

●最寄りのIC
・山陽自動車道
 玖珂ICから車で20分


●駐車場
・なし

※湘江庵には駐車場はありません
湘江庵から徒歩3分のところに白壁の町並み観光駐車場(無料)がありますので、そちらに駐車して参拝するのが良いかと思います。

●白壁の町並み観光駐車場
・駐車料金 無料
・利用時間 8:00~22:00

※夜間は出入口が施錠されます。

湘江庵の地図

 

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