所在地 | 広島県三次市十日市町188−2 |
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祭 神 | ●主祭神 稲背脛命・日本武尊 ●相殿 天照皇大神・大物主神など計29柱 |
由 緒 | 675年の夏、悪疫によりこの地域で死者が多発したそうです。秋、三次郷に霊異があったので、悪疫再来の前兆か?と人々が恐れていたら、稲背脛命が老翁となって現れ『我は出雲国佐岐山にありて大社を守護する稲背脛命なり。我の魂を祀るならば守護神となって災いを振り払おう』と神託があったという。そんなこんなで、社殿を建立し稲背脛命を祀ったのがこの神社の始まりらしいです。室町時代、三吉氏・毛利氏が再建するも、応仁の乱以降、荒廃。その後、1656年・1668年・1684年などにしばしば再建や修復の手が加えられ現在に至るそうです。 |
鳥居①と狛犬
●鳥居①
広島県三次市十日市町に鎮座してます鷺神社に到着。
これはワシだな・・・不正解。
んじゃ、トビだ・・・残念。
正解はサギ。鳥系の漢字はちょっと苦手です。
そんなことより、神社好きの方なら、サギときたらピンッとくるはず。
そうです、この神社はヤマトタケルを祀る神社です。
もしかしてだけど、広島でヤマトタケルを祀る神社って初めてのような!
めちゃくちゃメジャーな神様だけど、中国地方ではなかなか馴染みのない神様です。
●鳥居①
・建立年不明
・両部鳥居
そんなこんなで、参拝開始。
境内入口には、味のある両部鳥居が建ってました。
扁額には鷺大明神。
それにしても傷みの激しい鳥居でした。
これ、脚が6本あるから建ってられるけど、2本だったら間違いなく倒壊してるなぁ・・・とか思いつつ。
●参道
鳥居①をくぐると、長~い石階段が待ち受けてました。
ゼェゼェ・・・ヒィヒィ・・・なんでこんなに体力がないのか。
●狛犬
●狛犬
・1996年建立
拝殿前にはオラついた狛犬さんがおられました。
顔の傾け方がヤンキーです。
そんなんしてもこわないでぇ~、とかなんとか言いつつ拝殿前へ。
広島県三次市十日市町に鎮座してます鷺神社に到着。
これはワシだな・・・不正解。
んじゃ、トビだ・・・残念。
正解はサギ。鳥系の漢字はちょっと苦手です。
そんなことより、神社好きの方なら、サギときたらピンッとくるはず。
そうです、この神社はヤマトタケルを祀る神社です。
もしかしてだけど、広島でヤマトタケルを祀る神社って初めてのような!
めちゃくちゃメジャーな神様だけど、中国地方ではなかなか馴染みのない神様です。
●鳥居①
・建立年不明
・両部鳥居
そんなこんなで、参拝開始。
境内入口には、味のある両部鳥居が建ってました。
扁額には鷺大明神。
それにしても傷みの激しい鳥居でした。
これ、脚が6本あるから建ってられるけど、2本だったら間違いなく倒壊してるなぁ・・・とか思いつつ。
●参道
鳥居①をくぐると、長~い石階段が待ち受けてました。
ゼェゼェ・・・ヒィヒィ・・・なんでこんなに体力がないのか。
●狛犬
●狛犬
・1996年建立
拝殿前にはオラついた狛犬さんがおられました。
顔の傾け方がヤンキーです。
そんなんしてもこわないでぇ~、とかなんとか言いつつ拝殿前へ。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
主祭神は、稲背脛命と日本武尊です。
●稲背脛命(イナセハギノミコト)
稲背脛命は、出雲国造の祖神・天穂日命の子で、日本書紀の国譲り神話に登場する神様です。
美保関で釣りをしていた大国主の息子・事代主のところに行き、国譲りの承諾を問うたお方です。
その後、父・天穂日命の後を受けて、大国主の祭祀に仕えました。
国譲りが武力ではなく平和的に解決できたのは、稲背脛命などの奔走のおかげで、その功績は大きいといえます。
ちなみに稲背脛と書いてイナセハギと読みます。
一説によると、いなせは否諾(いなせ)という意味とも。
●日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
日本武尊は父・景行天皇の命を受け、ヤマト王権に抵抗する九州南部の熊襲を平定しました。その後、意気揚々と大和に戻るも、体を休める間もなく東国の平定を言い渡されます・・・もしかして、戦いを名目に父は自分を遠ざけているのではないか・・・そんな屈折した思いを抱きつつ日本武尊は進軍していきました。途中、国造に焼き殺されそうになったり、妃を失ったり、山の神に痛めつけられるなど、様々な災難に遭いまくりながらも、なんとか東国を平定。平定後、大和を目指して帰るも、大和を目前にして命が燃え尽きて亡くなりました・・・。遺体はその地に葬られましたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいったといいます。
ちなみに一般的には白鳥ですが、一説によると白鷺というウワサも。古代の人々は鷺などの野鳥を白鳥と呼んでいたのかも知れませんね。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・主祭神・・・稲背脛命・日本武尊
・相殿・・・天照皇大神・大物主神など計29柱
ちなみに本殿は、植松古墳群の古墳上に建っているそうです。
このブログで、ヤマトタケルのことをわかりやすくイラストで紹介してくれてます。
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
主祭神は、稲背脛命と日本武尊です。
●稲背脛命(イナセハギノミコト)
稲背脛命は、出雲国造の祖神・天穂日命の子で、日本書紀の国譲り神話に登場する神様です。
美保関で釣りをしていた大国主の息子・事代主のところに行き、国譲りの承諾を問うたお方です。
その後、父・天穂日命の後を受けて、大国主の祭祀に仕えました。
国譲りが武力ではなく平和的に解決できたのは、稲背脛命などの奔走のおかげで、その功績は大きいといえます。
ちなみに稲背脛と書いてイナセハギと読みます。
一説によると、いなせは否諾(いなせ)という意味とも。
●日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
日本武尊は父・景行天皇の命を受け、ヤマト王権に抵抗する九州南部の熊襲を平定しました。その後、意気揚々と大和に戻るも、体を休める間もなく東国の平定を言い渡されます・・・もしかして、戦いを名目に父は自分を遠ざけているのではないか・・・そんな屈折した思いを抱きつつ日本武尊は進軍していきました。途中、国造に焼き殺されそうになったり、妃を失ったり、山の神に痛めつけられるなど、様々な災難に遭いまくりながらも、なんとか東国を平定。平定後、大和を目指して帰るも、大和を目前にして命が燃え尽きて亡くなりました・・・。遺体はその地に葬られましたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいったといいます。
ちなみに一般的には白鳥ですが、一説によると白鷺というウワサも。古代の人々は鷺などの野鳥を白鳥と呼んでいたのかも知れませんね。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・主祭神・・・稲背脛命・日本武尊
・相殿・・・天照皇大神・大物主神など計29柱
ちなみに本殿は、植松古墳群の古墳上に建っているそうです。
このブログで、ヤマトタケルのことをわかりやすくイラストで紹介してくれてます。
[31]オウスがヤマトタケルになるまで
景行天皇はこの小碓王(オウス)の荒々しい性格と、信じられないほどの怪力を恐れたので、遠ざけるために、自分に従わない西の熊曽建(クマソタケル)兄弟を討てと命じたよ。 このとき、小碓王(オウス)はまだ髪を額に結っている子ども
境内社と神楽殿
●境内社①
本殿横の境内社です。
どなたが祀られているのでしょ?
社にはたくさんの石コロが置かれてました。
これは一体・・・???
謎の信仰です。
●境内社②③④
境内入口の境内社です。
こちらも、どなたが祀られているのでしょ?
●境内社⑤
こちらは稲荷社です。
倉稲魂命が祀られてます。
●神楽殿
お祭りで神楽が奉納された後なのでしょうか。
本殿横の境内社です。
どなたが祀られているのでしょ?
社にはたくさんの石コロが置かれてました。
これは一体・・・???
謎の信仰です。
●境内社②③④
境内入口の境内社です。
こちらも、どなたが祀られているのでしょ?
●境内社⑤
こちらは稲荷社です。
倉稲魂命が祀られてます。
●神楽殿
お祭りで神楽が奉納された後なのでしょうか。
その他
●鳥居②
裏参道の鳥居です。
なんだか素朴で古代感があって結構好きかも、この鳥居。
ちなみに、鳥居②をくぐって小さな橋を渡ると本殿横に着きます。
●紅葉
それにしても、燃え上がる紅葉が素敵でした。
素敵な紅葉だなぁ~、綺麗な赤だなぁ~、と思って見ていたら、神社の方に話しかけられ『今年は色づきが悪くて全然元気がないんよ』って・・・それに対しての私の返事がこれ → 『ですねぇ、イマイチですねぇ~』。マジ私、畜生!
裏参道の鳥居です。
なんだか素朴で古代感があって結構好きかも、この鳥居。
ちなみに、鳥居②をくぐって小さな橋を渡ると本殿横に着きます。
●紅葉
それにしても、燃え上がる紅葉が素敵でした。
素敵な紅葉だなぁ~、綺麗な赤だなぁ~、と思って見ていたら、神社の方に話しかけられ『今年は色づきが悪くて全然元気がないんよ』って・・・それに対しての私の返事がこれ → 『ですねぇ、イマイチですねぇ~』。マジ私、畜生!
御朱印
●御朱印情報
御朱印は拝殿内で頂きました。
不在の時は、境内から50m離れた宮司さんのお宅で頂けるかもです。
御朱印は拝殿内で頂きました。
不在の時は、境内から50m離れた宮司さんのお宅で頂けるかもです。