所在地 | 香川県さぬき市長尾西653−653 |
---|---|
宗 派 | 天台宗 |
寺 格 | 別格本山 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第87番 |
前後札所 | ・前 → 第86番札所・志度寺 ・後 → 第88番札所・大窪寺 |
本 尊 | 聖観世音菩薩 |
真 言 | おん あろりきゃ そわか |
由 緒 | 739年、行基が柳の霊木に聖観音菩薩像を刻み堂宇に安置したのが始まり。806~810年、空海(弘法大師)が唐に渡る前にこの地を訪れ、年頭七夜に渡り国家安泰と五穀豊穣を祈願したそうです。825年、唐から帰国した空海が再びこの地を訪れ、伽藍を整備し真言宗に改宗したそうです。その後、度重なる兵火で焼失。江戸時代、高松藩主・生駒氏や松平氏が再建。そして天台宗に改宗し現在に至るそうです。 |
HP | 長尾寺 – 香川県さぬき市にある四国霊場第八十七番札所長尾寺の公式サイトです。お寺の最新情報を発信しています。ランチを提供している本坊膳所も好評いただいています。 |
長尾寺とは?
四国八十八ヶ所の第87番札所であります長尾寺に到着。
第86番札所・志度寺から7km。
徒歩1時間30分。
車で15分のところに位置しています。
長尾寺と書いてながおじと読みます。
●長尾寺とは?
739年、行基がこの地を訪れた際、道ばたの柳の木に霊気を感じたという。
そこで行基は、その柳の木で約106cmの聖観音像を刻んで本尊とし、お堂を建立して安置したのが始まりといわれています。
創建当初は法相宗の寺院だったそうです。
ちなみに、1689年に発行された寂本・四国偏礼霊場記には、創建は聖徳太子で、本尊・聖観音像は空海作と記されているそうですが、行基が創建した説が一般的のようです。
806〜810年、弘法大師がこのお寺を訪れた際、入唐が成功するように年始から7夜に渡り護摩祈願を行ったそうです。
そして7日目の夜、弘法大師は丘の上から人々に護摩符を投げ与え、たくさんの人が群がったという。
その祈願は現在も受け継がれ、大会陽福奪いとして毎年1月7日に盛大に開催されているそうです。
825年、唐から帰国した弘法大師は再びこのお寺を訪れ、大日経を一石に一字ずつ写経し、万霊供養塔を建立。
そして伽藍を整備し真言宗に改宗し、四国八十八ヶ所の第87番札所に定めたそうです。
その後、歴代天皇が帰依し大いに繁栄しますが、度重なる兵火で堂宇を焼失。。
1596〜1615年に高松藩主・生駒氏が再興し、長尾の観音さんと呼ばれるようになったそうです。
その後、1681年に高松藩2代藩主・松平頼常が堂塔を寄進。
さらに1689年に真言宗から天台宗に改宗。
1693年に寺領を賜り、観音院長尾寺と改称したそうです。
明治維新以後、長尾寺の本坊は学校・警察・役所などの公共施設に提供されますが、1918年に復帰。
現在は長尾の観音さんや静御前得度の寺として親しまれているそうです。
739年、行基がこの地を訪れた際、道ばたの柳の木に霊気を感じたという。
そこで行基は、その柳の木で約106cmの聖観音像を刻んで本尊とし、お堂を建立して安置したのが始まりといわれています。
創建当初は法相宗の寺院だったそうです。
ちなみに、1689年に発行された寂本・四国偏礼霊場記には、創建は聖徳太子で、本尊・聖観音像は空海作と記されているそうですが、行基が創建した説が一般的のようです。
806〜810年、弘法大師がこのお寺を訪れた際、入唐が成功するように年始から7夜に渡り護摩祈願を行ったそうです。
そして7日目の夜、弘法大師は丘の上から人々に護摩符を投げ与え、たくさんの人が群がったという。
その祈願は現在も受け継がれ、大会陽福奪いとして毎年1月7日に盛大に開催されているそうです。
825年、唐から帰国した弘法大師は再びこのお寺を訪れ、大日経を一石に一字ずつ写経し、万霊供養塔を建立。
そして伽藍を整備し真言宗に改宗し、四国八十八ヶ所の第87番札所に定めたそうです。
その後、歴代天皇が帰依し大いに繁栄しますが、度重なる兵火で堂宇を焼失。。
1596〜1615年に高松藩主・生駒氏が再興し、長尾の観音さんと呼ばれるようになったそうです。
その後、1681年に高松藩2代藩主・松平頼常が堂塔を寄進。
さらに1689年に真言宗から天台宗に改宗。
1693年に寺領を賜り、観音院長尾寺と改称したそうです。
明治維新以後、長尾寺の本坊は学校・警察・役所などの公共施設に提供されますが、1918年に復帰。
現在は長尾の観音さんや静御前得度の寺として親しまれているそうです。
圧倒的に真言宗のお寺が多い四国霊場ですが、この長尾寺の宗派は天台宗!
四国霊場を順打ちすると、4番目に登場する天台宗寺院です。
ちなみに四国霊場の天台宗寺院は4ヶ寺。
●四国霊場の天台宗寺院
①第43番 明石寺(愛媛県)
②第76番 金倉寺(香川県)
③第82番 根香寺(香川県)
④第87番 長尾寺(香川県)
仁王門と経幢と手水舎と大楠
●山門(仁王門)
●山門(仁王門)
・1670年建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門
四国遍路もとうとうセミファイナルとなりました。
結願を目指してきたはずのに、残り2ヶ寺で終わってしまうと思うとちょっぴり寂しい気分になります。
それもこれも四国遍路が楽しかったから。
それはまるで卒業式の前日のような。
妹が結婚する前日もこんな寂しい気分になったな。
今思うと、楽しかった四国遍路は永遠に続く土曜の夜のような日々でした。
結願寺が日曜日だとするならば、最後の読経が終わった頃、サザエさん症候群みたいになるのかな。
とか何とか思いながら参拝開始。
山門には梵鐘が吊るされていました。
重層の鐘楼門はよくお見かけしますが、単層の鐘楼門はちょっと珍しいですね。
ちなみに、四国霊場で単層の鐘楼門に出会ったのは第65番・三角寺以来2度目となります。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
この仁王さんは大阪で造られた後、船で志度浦まで運ばれたそうです。
しかし、港から長尾寺まで運ぶ者がいなかったんだって。。
そこで住職・桂同法印が仁王さんに向かって念じることに。
すると、なんと仁王さんは自力で歩き出したという!
そして長尾寺まで歩いて来たんだって!
なんだこの面白エピソードは。
ちなみに四国霊場で歩く仁王さん伝説に出会ったのは第8番・熊谷寺以来2度目となります。
●経幢
仁王門前には国重文に指定されている経幢がありました。
一瞬、電話ボックスかと思ってしまいましたよ!
●経幢①(向かって左側)
・1283年建立
・高さ 200cm
・凝灰岩
・国指定重要文化財
●経幢②(向かって右側)
・1286年建立
・高さ 252cm
・凝灰岩
・国指定重要文化財
どうやらこの経幢は、元寇の役の犠牲者を供養するために建立されたもののようです。
それにしても、第84番・屋島寺から長尾寺までは国重文の嵐だなぁ!
四国霊場のラストスパートは文化財でグイグイと盛り上げてきてくれます。
そんなこんなで鐘を鳴らして境内へ・・・と思ったら、鐘を撞くことはできませんでした。
ということで、心の中でゴ〜ン♪
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
手水は井戸水のようです。
●クスノキ
●クスノキ
・樹齢 約800年
・樹高 約19m
・幹周 約5.45m
・香川の保存木
手水舎の後ろには大きなクスノキがそびえ立っていました。
樹齢はなんと800年!
かつてこのクスノキにはおせんさんと呼ばれるタヌキが住み着いていたそうですよ。
屋島の太三郎狸、阿波の金長狸、伊予の刑部狸、新居浜の小女郎狸、西条の喜左衛門狸などなど、ほんと四国はタヌキ伝説が多いですねぇ!
●山門(仁王門)
・1670年建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門
四国遍路もとうとうセミファイナルとなりました。
結願を目指してきたはずのに、残り2ヶ寺で終わってしまうと思うとちょっぴり寂しい気分になります。
それもこれも四国遍路が楽しかったから。
それはまるで卒業式の前日のような。
妹が結婚する前日もこんな寂しい気分になったな。
今思うと、楽しかった四国遍路は永遠に続く土曜の夜のような日々でした。
結願寺が日曜日だとするならば、最後の読経が終わった頃、サザエさん症候群みたいになるのかな。
とか何とか思いながら参拝開始。
山門には梵鐘が吊るされていました。
重層の鐘楼門はよくお見かけしますが、単層の鐘楼門はちょっと珍しいですね。
ちなみに、四国霊場で単層の鐘楼門に出会ったのは第65番・三角寺以来2度目となります。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
この仁王さんは大阪で造られた後、船で志度浦まで運ばれたそうです。
しかし、港から長尾寺まで運ぶ者がいなかったんだって。。
そこで住職・桂同法印が仁王さんに向かって念じることに。
すると、なんと仁王さんは自力で歩き出したという!
そして長尾寺まで歩いて来たんだって!
なんだこの面白エピソードは。
ちなみに四国霊場で歩く仁王さん伝説に出会ったのは第8番・熊谷寺以来2度目となります。
熊谷寺の御朱印|四国霊場 第8番|最大かつ最古の仁王門。最古の多宝塔。セミ最古の大師像。最古サイコー|四国八十八ヶ所 車遍路の旅 (徳島県阿波市)
所在地徳島県阿波市土成町土成前田185宗 派高野山真言宗札 所・四国八十八ヶ所霊場 第8番・阿波西国三十三観音霊場 27番前後札所・前 → 第7番札所・十楽寺・後 → 第9番札所・法輪寺...
●経幢
仁王門前には国重文に指定されている経幢がありました。
一瞬、電話ボックスかと思ってしまいましたよ!
●経幢①(向かって左側)
・1283年建立
・高さ 200cm
・凝灰岩
・国指定重要文化財
●経幢②(向かって右側)
・1286年建立
・高さ 252cm
・凝灰岩
・国指定重要文化財
どうやらこの経幢は、元寇の役の犠牲者を供養するために建立されたもののようです。
●経幢とは?
経幢と書いてきょうどうと読みます。
説明板によると、経幢とは写経や経文を埋納保存する施設のことなんだって。
経幢は、中国の唐~宋時代に流行したものらしく、日本では鎌倉時代中期ごろから建てられるようになったそうです。
四角柱の幢柱に八角形の笠と宝珠を乗せているのが特徴とのことです。
経幢と書いてきょうどうと読みます。
説明板によると、経幢とは写経や経文を埋納保存する施設のことなんだって。
経幢は、中国の唐~宋時代に流行したものらしく、日本では鎌倉時代中期ごろから建てられるようになったそうです。
四角柱の幢柱に八角形の笠と宝珠を乗せているのが特徴とのことです。
それにしても、第84番・屋島寺から長尾寺までは国重文の嵐だなぁ!
四国霊場のラストスパートは文化財でグイグイと盛り上げてきてくれます。
そんなこんなで鐘を鳴らして境内へ・・・と思ったら、鐘を撞くことはできませんでした。
ということで、心の中でゴ〜ン♪
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
手水は井戸水のようです。
●クスノキ
●クスノキ
・樹齢 約800年
・樹高 約19m
・幹周 約5.45m
・香川の保存木
手水舎の後ろには大きなクスノキがそびえ立っていました。
樹齢はなんと800年!
かつてこのクスノキにはおせんさんと呼ばれるタヌキが住み着いていたそうですよ。
●おせんタヌキ伝説
弘法大師が四国霊場を開創した際、悪さばかりするキツネを追い出し、その代わりにどこか憎めないタヌキを住まわせたそうです。
以来、そのタヌキはお遍路さんの道中安全をお守りしたといわれています。
弘法大師が四国霊場を開創した際、悪さばかりするキツネを追い出し、その代わりにどこか憎めないタヌキを住まわせたそうです。
以来、そのタヌキはお遍路さんの道中安全をお守りしたといわれています。
屋島の太三郎狸、阿波の金長狸、伊予の刑部狸、新居浜の小女郎狸、西条の喜左衛門狸などなど、ほんと四国はタヌキ伝説が多いですねぇ!
本堂
●本堂
●本堂
・1683年建立
・瓦葺 千鳥破風・唐破風向拝
・入母屋造
●本尊
・聖観世音菩薩
●真言
・おん あろりきゃ そわか
続いて、本堂を参拝。
それにしても、大きな千鳥破風が特徴的な本堂でした。
そしてなんと!
千鳥破風には扉がついているという!
どことなく東大寺・大仏殿の観相窓に似てますねぇ。
もしかして、この本堂にも大仏さんがおられるのでしょうか???
と思ったらなんと!
この扉は毎年1月7日に開催される大会陽福奪いで使用される扉だという。
大会陽福奪いでは、この扉から福餅を投げるんだって!
ちなみに、この大会陽福奪いは弘法大師が丘の上から人々に護摩符を投げ与えたのが始まりという、歴史ある行事のようですよ。
その他、本堂で面白いなぁ〜と思ったのはホウキの彫刻!
このホウキの彫刻にはこのようなメッセージがあるそうです。
ただ1つのことをやり続けるだけで十大弟子の仲間入りをしたパンタカさん。
お釈迦さまは、何も出来ないからといって諦めてはいけないということを説いたのですね。
優秀な弟子たちは釈迦の教えを聞き、暗記して実践。
しかしパンタカのように何も覚えられない者は日々何をしてよいか分からなくなり、目標を失うことになります。
そんな者に対して掃除という手段で悟りの道を与えてくれたお釈迦さまなのでありました。
ただ1つのことを何の疑いも無く、迷い無く、忠実にやり続ける。
それが悟りに繋がったという素敵なお話でした。
ホウキ1本の彫刻で素晴らしき仏教の世界へいざなってくれました・・・やっぱ仏教ってスゴい!
その他、本堂には素敵な彫刻がありました。
見応えたっぷりです。
本尊の聖観音さんは、古くから長尾のお観音さんと呼ばれ親しまれてるんだって。
しかし残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。
この観音さんは、度重なる火災から難を逃れたことから、讃岐藩初代藩主・松平頼重が当国七観音随一と指定した仏さまなんだって。
ちなみに讃岐国の七観音を調べてみましたが、残りの六観音がどのお寺にあるのかはわかりませんでした・・・(-“-;) ??
●本堂
・1683年建立
・瓦葺 千鳥破風・唐破風向拝
・入母屋造
●本尊
・聖観世音菩薩
●真言
・おん あろりきゃ そわか
続いて、本堂を参拝。
それにしても、大きな千鳥破風が特徴的な本堂でした。
そしてなんと!
千鳥破風には扉がついているという!
どことなく東大寺・大仏殿の観相窓に似てますねぇ。
もしかして、この本堂にも大仏さんがおられるのでしょうか???
と思ったらなんと!
この扉は毎年1月7日に開催される大会陽福奪いで使用される扉だという。
大会陽福奪いでは、この扉から福餅を投げるんだって!
ちなみに、この大会陽福奪いは弘法大師が丘の上から人々に護摩符を投げ与えたのが始まりという、歴史ある行事のようですよ。
●大会陽福奪いとは?
806〜810年、弘法大師がこのお寺を訪れた際、入唐が成功するように年始から7夜に渡り護摩祈願を行ったそうです。
そして7日目の夜、弘法大師は丘の上から人々に護摩符を投げ与え、たくさんの人が群がったという。
その祈願は現在も受け継がれ、大会陽福奪いとして毎年1月7日に盛大に開催されているそうです。
ちなみに会陽と書いてえようと読みます。
長尾寺の大会陽は、寒い冬を乗り越え陽春に出会う(会陽)時期に、その年の除災招福や五穀豊穣などを祈念するというものなんだって。
大会陽福奪い当日は、本堂上部の千鳥口に設置された櫓から福餅や木札が投げられるという。
木札には番号が書かれているらしく、木札をゲットすると景品と交換できるそうですよ。
806〜810年、弘法大師がこのお寺を訪れた際、入唐が成功するように年始から7夜に渡り護摩祈願を行ったそうです。
そして7日目の夜、弘法大師は丘の上から人々に護摩符を投げ与え、たくさんの人が群がったという。
その祈願は現在も受け継がれ、大会陽福奪いとして毎年1月7日に盛大に開催されているそうです。
ちなみに会陽と書いてえようと読みます。
長尾寺の大会陽は、寒い冬を乗り越え陽春に出会う(会陽)時期に、その年の除災招福や五穀豊穣などを祈念するというものなんだって。
大会陽福奪い当日は、本堂上部の千鳥口に設置された櫓から福餅や木札が投げられるという。
木札には番号が書かれているらしく、木札をゲットすると景品と交換できるそうですよ。
その他、本堂で面白いなぁ〜と思ったのはホウキの彫刻!
このホウキの彫刻にはこのようなメッセージがあるそうです。
●周利槃特(チューダ・パンタカ)とは?
お釈迦さまの弟子にグズでノロマで出来の悪いチューダ・パンタカというお方がいたそうな。
どれだけ出来が悪いのかというと、自分の名前が覚えられないレベルだという。
周囲から名前を呼ばれても自分のことだと分からないほどだったという。
ある日、パンタカは『物覚えが悪く馬鹿なのでお釈迦さまの話が理解できません』と言いました。
そこでお釈迦さまは『自分を愚かと思う者は愚かではない。自分を賢いと思う者こそ、本当の愚か者である』と説いたという。
そこでお釈迦さまはパンタカに1本のホウキを与え『これからの修行はこの庭をホコリ1つないように綺麗にしておくこと』と言いました。
パンタカはお釈迦さまの教えのとおり、レレレのおじさんのごとく何十年もお庭を掃除し続けました。
そしてパンタカは本当に落とすべき汚れは心の三毒である貪瞋痴ということを悟りました。
その後、パンタカは立派な僧になりお釈迦さまの十大弟子の1人になったそうです。
完。
お釈迦さまの弟子にグズでノロマで出来の悪いチューダ・パンタカというお方がいたそうな。
どれだけ出来が悪いのかというと、自分の名前が覚えられないレベルだという。
周囲から名前を呼ばれても自分のことだと分からないほどだったという。
ある日、パンタカは『物覚えが悪く馬鹿なのでお釈迦さまの話が理解できません』と言いました。
そこでお釈迦さまは『自分を愚かと思う者は愚かではない。自分を賢いと思う者こそ、本当の愚か者である』と説いたという。
そこでお釈迦さまはパンタカに1本のホウキを与え『これからの修行はこの庭をホコリ1つないように綺麗にしておくこと』と言いました。
パンタカはお釈迦さまの教えのとおり、レレレのおじさんのごとく何十年もお庭を掃除し続けました。
そしてパンタカは本当に落とすべき汚れは心の三毒である貪瞋痴ということを悟りました。
●仏教の心の三毒
①貪(とん)
自分の好むものをむさぼり求める貪欲
②瞋(じん)
自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚
③痴(ち)
ものごとに的確な判断が下せずに迷い惑う愚痴
①貪(とん)
自分の好むものをむさぼり求める貪欲
②瞋(じん)
自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚
③痴(ち)
ものごとに的確な判断が下せずに迷い惑う愚痴
その後、パンタカは立派な僧になりお釈迦さまの十大弟子の1人になったそうです。
完。
ただ1つのことをやり続けるだけで十大弟子の仲間入りをしたパンタカさん。
お釈迦さまは、何も出来ないからといって諦めてはいけないということを説いたのですね。
優秀な弟子たちは釈迦の教えを聞き、暗記して実践。
しかしパンタカのように何も覚えられない者は日々何をしてよいか分からなくなり、目標を失うことになります。
そんな者に対して掃除という手段で悟りの道を与えてくれたお釈迦さまなのでありました。
ただ1つのことを何の疑いも無く、迷い無く、忠実にやり続ける。
それが悟りに繋がったという素敵なお話でした。
ホウキ1本の彫刻で素晴らしき仏教の世界へいざなってくれました・・・やっぱ仏教ってスゴい!
その他、本堂には素敵な彫刻がありました。
見応えたっぷりです。
本尊の聖観音さんは、古くから長尾のお観音さんと呼ばれ親しまれてるんだって。
しかし残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。
この観音さんは、度重なる火災から難を逃れたことから、讃岐藩初代藩主・松平頼重が当国七観音随一と指定した仏さまなんだって。
ちなみに讃岐国の七観音を調べてみましたが、残りの六観音がどのお寺にあるのかはわかりませんでした・・・(-“-;) ??
大師堂と護摩堂と長尾天満自在天神宮
●大師堂●大師堂
・大正時代建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
なんと、大師堂の頂部には相輪があるという!
第87番にして相輪付きの大師堂は初登場となります!
本堂に続き、これまた珍しいお堂ですねぇ。
本堂同様、大師堂の彫刻も素敵でした。
お堂の周りには十二支の彫刻もありますので、自分の干支探しをするのも楽しいかもです。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●護摩堂
●護摩堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
続いて、護摩堂を参拝。
・左 → 護摩堂
・中 → 本堂
・右 → 大師堂
このお寺さんは3つのお堂が横並びに建っています。
●長尾天満自在天神宮
●長尾天満自在天神宮
・1710年建立
・瓦葺 妻入り入母屋造
・祭神 菅原道真
続いて、長尾天満自在天神宮を参拝。
どうやらこちらは長尾寺の鎮守社のようです。
天神社ということで祭神は菅原道真さん。
実は道真さんは讃岐国と関わりの深いお方なんです。
886〜890年の4年間、菅原道真さんは讃岐国司として讃岐で過ごしているという。
ちなみに香川県の宇多津町にある聖徳院には讃岐国で最初に創建された天満宮があります。
聖徳院の御朱印~日本最古の聖徳太子二歳像~(香川県綾歌郡宇多津町)
所在地香川県綾歌郡宇多津町1423−1宗 派真言宗御室派札 所さぬき三十三観音霊場 第29番由 緒736年に開基。四国の太子信仰の道場で、太子堂には日本最古の聖徳太子二歳立像が祀られているという。...
●菅原道真と長尾寺
平安時代、長尾寺に明印法師という名僧がいたそうです。
明印法師は讃岐国司だった菅原道真と親交が厚く、菅原道真の知識といわれるほどのお方だったという。
902年、菅原道真が無実の罪により京都から大宰府へ左遷される際、志度浦で菅原道真を出迎えて『不期天上一円月、忽入西方万里雲』という詩を贈って心を慰めたそうです。
その際、菅原道真は明印法師に自画像を与え別れを惜しんだといわれています。
こうした経緯から1710年に長尾寺の鎮守として建立されたのが、天満自在天神宮の始まりといわれています。
平安時代、長尾寺に明印法師という名僧がいたそうです。
明印法師は讃岐国司だった菅原道真と親交が厚く、菅原道真の知識といわれるほどのお方だったという。
902年、菅原道真が無実の罪により京都から大宰府へ左遷される際、志度浦で菅原道真を出迎えて『不期天上一円月、忽入西方万里雲』という詩を贈って心を慰めたそうです。
その際、菅原道真は明印法師に自画像を与え別れを惜しんだといわれています。
こうした経緯から1710年に長尾寺の鎮守として建立されたのが、天満自在天神宮の始まりといわれています。
静御前剃髪塚
●静御前剃髪塚
ひどいピンボケ写真になってしまいましたが、境内には源義経が愛した静御前の剃髪塚がありました。
静御前といえば全国各地に伝説を残す謎の多いお方ですが、まさか香川にも伝説を残していたとはね!
伝説によると、静御前はこの長尾寺で剃髪得度したそうですよ!
ちなみに、本堂には静御前と母・磯禅師の位牌が安置されているそうですよ。
静さん、南無・・・。
●東門
●東門
・1744〜1748年建立
・瓦葺 切妻造 薬医門
・さぬき市指定有形文化財
境内にはさぬき市の有形文化財に指定されている東門がありました。
もともとこの門は、松平家の別邸だった栗林公園の正門だったんだって。
それを1913年に払い下げを受けて、現在地に移築したんだって。
その他、境内には薬師堂やラジオ塔などがありました。
あと、土日祝日に販売される名物・おはぎが有名なお寺さんとのことです。
そんなこんなで、参拝終了。
とうとう次は結願寺の大窪寺です。
何か思うことがあったからか、納経所にあるお遍路さんのジオラマを見つめながらジーンとなっていたひと時。
もう終わりますねぇ。
第88番・大窪寺へ続く。
ひどいピンボケ写真になってしまいましたが、境内には源義経が愛した静御前の剃髪塚がありました。
静御前といえば全国各地に伝説を残す謎の多いお方ですが、まさか香川にも伝説を残していたとはね!
伝説によると、静御前はこの長尾寺で剃髪得度したそうですよ!
●静御前とは?
静御前とは、源平合戦で大活躍した源義経に見初められて愛人になったお方です。
舞の名人であった母・磯禅師から舞を教わり、宮中で雨乞いの舞を披露した際に後白河天皇から日本一の白拍子と賞賛されたお方でもあります。
●静御前と長尾寺
源平合戦の後、源義経は兄・源頼朝と対立して追われる身になってしまったという。
しかし落ちのびる途中、義経と静御前は離ればなれになりました。
義経と離れた後、静御前は義経の子を出産しましたが、対立していた頼朝の命令により息子を殺されてしまったという。。
生きる望みを失った静御前は自殺を考えますが、母・磯禅師を伴っていたため思いとどまりました。
その後、1187年に母の故郷である讃岐国に渡り、長尾寺で宥意和尚から得度を受けたという。
剃髪後、母は磯野尼。
静御前は宥心尼と名を改め、薬師庵で信仰の日々を送るようになりました。
しかし、母・磯野尼は長尾寺からの帰り道、井戸川のあぜ道で寒さと老衰のため倒れ、69歳でお亡くなりになりました。
1192年、静御前も母の後を追うように24歳の若さでお亡くなりになりました。
そんなこんなで、長尾寺には静御前と母が剃髪したときに使用した剃刀と髪を埋めた剃髪塚があります。
その他、井戸川橋のある県道沿いには母・磯野尼の墓。
昭和地区には静御前が俗世への想いを断ち切るために義経の形見を捨てた鼓ヶ淵。
さらに静屋敷や静御前のお墓などがあるそうです。
ちなみに、静御前の伝説は全国各地にあります。
死についても諸説あり、墓所も香川県の他に新潟・長野・福岡など全国各地にあります。
たくさんの伝説を残す静御前ですが、特に有名なのは吾妻鏡に記された逸話です。
●吾妻鏡の静御前
吾妻鏡によると、静御前は吉野で義経と別れて京へ戻ることに。
しかし帰路中、従者に持ち物を奪われ山中をさまようことになりました。
その時、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡されることに。
その後、1186年に母・磯禅師とともに鎌倉に送られることになりました。
そして静御前は源頼朝に鶴岡八幡宮の社前で白拍子の舞を命じられました。
そんなこんなで、頼朝の命令通り白拍子を舞う静御前・・・
『吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人が恋しい』
静御前は義経を想う歌を唄いました。
そのことに頼朝は激怒!
しかし妻の北条政子が『私が静御前の立場であっても、あの様に歌うでしょう』と静御前を助けました。
この時、静御前は義経の子を妊娠していました。
頼朝は生まれてきた子が女子なら助けるが、男子なら殺すと命じました。
しかし静御前は男子を出産・・・
当然、静御前は引き渡しに応じず、泣き叫んで赤子を離しませんでしたが・・・結局、静御前と赤子は引き裂かれることに。。
そして赤子は由比ヶ浜に沈められました。
その後、静御前と母・磯禅師は京に帰され、消息不明となりました。
静御前とは、源平合戦で大活躍した源義経に見初められて愛人になったお方です。
舞の名人であった母・磯禅師から舞を教わり、宮中で雨乞いの舞を披露した際に後白河天皇から日本一の白拍子と賞賛されたお方でもあります。
●静御前と長尾寺
源平合戦の後、源義経は兄・源頼朝と対立して追われる身になってしまったという。
しかし落ちのびる途中、義経と静御前は離ればなれになりました。
義経と離れた後、静御前は義経の子を出産しましたが、対立していた頼朝の命令により息子を殺されてしまったという。。
生きる望みを失った静御前は自殺を考えますが、母・磯禅師を伴っていたため思いとどまりました。
その後、1187年に母の故郷である讃岐国に渡り、長尾寺で宥意和尚から得度を受けたという。
剃髪後、母は磯野尼。
静御前は宥心尼と名を改め、薬師庵で信仰の日々を送るようになりました。
しかし、母・磯野尼は長尾寺からの帰り道、井戸川のあぜ道で寒さと老衰のため倒れ、69歳でお亡くなりになりました。
1192年、静御前も母の後を追うように24歳の若さでお亡くなりになりました。
そんなこんなで、長尾寺には静御前と母が剃髪したときに使用した剃刀と髪を埋めた剃髪塚があります。
その他、井戸川橋のある県道沿いには母・磯野尼の墓。
昭和地区には静御前が俗世への想いを断ち切るために義経の形見を捨てた鼓ヶ淵。
さらに静屋敷や静御前のお墓などがあるそうです。
ちなみに、静御前の伝説は全国各地にあります。
死についても諸説あり、墓所も香川県の他に新潟・長野・福岡など全国各地にあります。
たくさんの伝説を残す静御前ですが、特に有名なのは吾妻鏡に記された逸話です。
●吾妻鏡の静御前
吾妻鏡によると、静御前は吉野で義経と別れて京へ戻ることに。
しかし帰路中、従者に持ち物を奪われ山中をさまようことになりました。
その時、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡されることに。
その後、1186年に母・磯禅師とともに鎌倉に送られることになりました。
そして静御前は源頼朝に鶴岡八幡宮の社前で白拍子の舞を命じられました。
そんなこんなで、頼朝の命令通り白拍子を舞う静御前・・・
『吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人が恋しい』
静御前は義経を想う歌を唄いました。
そのことに頼朝は激怒!
しかし妻の北条政子が『私が静御前の立場であっても、あの様に歌うでしょう』と静御前を助けました。
この時、静御前は義経の子を妊娠していました。
頼朝は生まれてきた子が女子なら助けるが、男子なら殺すと命じました。
しかし静御前は男子を出産・・・
当然、静御前は引き渡しに応じず、泣き叫んで赤子を離しませんでしたが・・・結局、静御前と赤子は引き裂かれることに。。
そして赤子は由比ヶ浜に沈められました。
その後、静御前と母・磯禅師は京に帰され、消息不明となりました。
ちなみに、本堂には静御前と母・磯禅師の位牌が安置されているそうですよ。
静さん、南無・・・。
鶴岡八幡宮の御朱印~源頼朝ゆかりの神社~(神奈川県鎌倉市雪ノ下)
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●東門
●東門
・1744〜1748年建立
・瓦葺 切妻造 薬医門
・さぬき市指定有形文化財
境内にはさぬき市の有形文化財に指定されている東門がありました。
もともとこの門は、松平家の別邸だった栗林公園の正門だったんだって。
それを1913年に払い下げを受けて、現在地に移築したんだって。
その他、境内には薬師堂やラジオ塔などがありました。
あと、土日祝日に販売される名物・おはぎが有名なお寺さんとのことです。
そんなこんなで、参拝終了。
とうとう次は結願寺の大窪寺です。
何か思うことがあったからか、納経所にあるお遍路さんのジオラマを見つめながらジーンとなっていたひと時。
もう終わりますねぇ。
第88番・大窪寺へ続く。
次の札所
大窪寺の御朱印|四国霊場 第88番|無事、結願できました。同行一人にされなくてよかった!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県さぬき市)
所在地香川県さぬき市多和兼割96宗 派真言宗大覚寺派札 所四国八十八ヶ所 第88番前後札所・前 → 第87番札所・長尾寺・後 → 第1番札所・霊山寺本 尊薬師如来真 言おん ...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・長尾天神宮の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・長尾天神宮 300円
●期間限定・特別御朱印
・賜弘法大師号1100年記念大師納経
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年6月19日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・長尾天神宮の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・長尾天神宮 300円
●期間限定・特別御朱印
・賜弘法大師号1100年記念大師納経
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年6月19日 参拝
・2024年3月 最終更新
大窪寺の御朱印|四国霊場 第88番|無事、結願できました。同行一人にされなくてよかった!|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県さぬき市)
所在地香川県さぬき市多和兼割96宗 派真言宗大覚寺派札 所四国八十八ヶ所 第88番前後札所・前 → 第87番札所・長尾寺・後 → 第1番札所・霊山寺本 尊薬師如来真 言おん ...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第86番札所・志度寺へ7km
徒歩1時間30分
車で15分
・第88番札所・大窪寺へ15.5km
徒歩3時間10分
車で25分
●最寄りの駅
・琴電長尾駅から徒歩3分
・琴電長尾駅から車で1分
・JR造田駅から徒歩35分
・JR造田駅から車で7分
●最寄りのバス停
・大川バス
旭町 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・高松自動車道
志度ICから車で15分
●駐車場
・有料の専用駐車場あり(20台)
●駐車時間
・7:00~17:00
●駐車料金
・普通車 200円
※駐車料金は納経所で払うシステムになっております。
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第86番札所・志度寺へ7km
徒歩1時間30分
車で15分
・第88番札所・大窪寺へ15.5km
徒歩3時間10分
車で25分
●最寄りの駅
・琴電長尾駅から徒歩3分
・琴電長尾駅から車で1分
・JR造田駅から徒歩35分
・JR造田駅から車で7分
●最寄りのバス停
・大川バス
旭町 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・高松自動車道
志度ICから車で15分
●駐車場
・有料の専用駐車場あり(20台)
●駐車時間
・7:00~17:00
●駐車料金
・普通車 200円
※駐車料金は納経所で払うシステムになっております。