所在地 | 東京都豊島区巣鴨4丁目35 |
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祭 神 | ・天津祖 庚申猿田彦大神 ・地津主 甲子大己貴神 ・人津霊 己巳少彦名神 |
由 緒 | 1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。しかし、1653年に材木が倒れて5つに砕けてしまったという。そんなこんなで、砕けた庚申塔を土の中に埋め、その上に建つ本殿に新たな庚申塔をお祀りしたそうです。その後、明治時代初期に千葉県銚子市の猿田神社から猿田彦大神を勧請し、現在に至るそうです。 |
HP | 巣鴨庚申堂奉賛会 |
巣鴨地蔵通り商店街
●巣鴨地蔵通り商店街
本日は通称・おばあちゃんの原宿、巣鴨地蔵通り商店街をプラプラと散策しています。
この地は旧中山道で、江戸時代中期から現在に至るまで商業や信仰の場として栄えてきた町。
約800mの商店街には約200店舗が軒を連ねています。
商店街入口には巣鴨のゆるキャラ・すがもんのおしりがありました(2016年)。
触ると縁結びの御利益があるそうですよ。
ちなみに現在、すがもんのおしりは巣鴨地域文化創造館(中山道待夢)にあります(2024年)。
おばあちゃんの原宿というだけあって、爺ちゃん婆ちゃんが多いです。
とはいえ、普通に若者も多いです。
商店街にはやたらと赤パンツのお店があります。
この店も!
この店も!
本物の原宿もいつかこうなる日が来るのかもしれない!
本日は通称・おばあちゃんの原宿、巣鴨地蔵通り商店街をプラプラと散策しています。
この地は旧中山道で、江戸時代中期から現在に至るまで商業や信仰の場として栄えてきた町。
約800mの商店街には約200店舗が軒を連ねています。
商店街入口には巣鴨のゆるキャラ・すがもんのおしりがありました(2016年)。
触ると縁結びの御利益があるそうですよ。
ちなみに現在、すがもんのおしりは巣鴨地域文化創造館(中山道待夢)にあります(2024年)。
おばあちゃんの原宿というだけあって、爺ちゃん婆ちゃんが多いです。
とはいえ、普通に若者も多いです。
商店街にはやたらと赤パンツのお店があります。
この店も!
この店も!
本物の原宿もいつかこうなる日が来るのかもしれない!
山門と狛猿と手水舎
●境内入口
そんなこんなで、巣鴨地蔵通り商店街の出口に位置する巣鴨猿田彦大神庚申堂に到着。
そんなこんなで、参拝開始。
●石標
●石標
・1949年建立
まず最初に登場するのは猿田彦大神庚申堂と刻まれた石標。
この石標は戦後まもなくの昭和24年に建立されたものです。
巣鴨庚申堂奉賛会の活動記録によると、1945年に戦災により庚申堂本堂が全焼。。。
その後、1949年に仮庚申堂を建立したそうです。
そんなこんなで、この石柱は仮庚申堂の建立に合わせて建てられたもののようです。
●山門
●山門
・建立年不明
・1991年改築
・銅板葺 切妻造
続いて、登場するのは門。
猿田彦大神庚申堂ということで神門と呼びたいところですが、巣鴨庚申堂奉賛会の公式サイトに山門と書いてあったので、こちらは山門なのだ。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●狛猿
●狛猿
・1987年奉納
続いて、狛猿ちゃんにご挨拶。
おばあちゃんの原宿が近いからか、どことなく狛猿ちゃんがおばあちゃんに見えてきたひと時。
そんなことより、台座には三猿ちゃんがおられました。
目がグリグリで可愛いかったです。
●手水舎
●手水舎
・1974年建立
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
そんなこんなで、巣鴨地蔵通り商店街の出口に位置する巣鴨猿田彦大神庚申堂に到着。
●巣鴨猿田彦大神庚申堂とは?
1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。
1653年、明暦の大火(振袖火事)のあと、復興のために江戸の入口である巣鴨に多くの復興資材が運ばれてきました。
ところが!
庚申堂の碑に立掛けていた材木が倒れてしまい、庚申塔が5つに砕けてしまったという。。。
そんなこんなで、砕けた庚申塔を土の中に埋め、その上に建つ本殿に新たな庚申塔をお祀りしたんだとか。
その後、明治時代初期に千葉県銚子市の猿田神社から猿田彦大神を勧請し、現在に至るそうです。
1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。
1653年、明暦の大火(振袖火事)のあと、復興のために江戸の入口である巣鴨に多くの復興資材が運ばれてきました。
ところが!
庚申堂の碑に立掛けていた材木が倒れてしまい、庚申塔が5つに砕けてしまったという。。。
そんなこんなで、砕けた庚申塔を土の中に埋め、その上に建つ本殿に新たな庚申塔をお祀りしたんだとか。
その後、明治時代初期に千葉県銚子市の猿田神社から猿田彦大神を勧請し、現在に至るそうです。
そんなこんなで、参拝開始。
●石標
●石標
・1949年建立
まず最初に登場するのは猿田彦大神庚申堂と刻まれた石標。
この石標は戦後まもなくの昭和24年に建立されたものです。
巣鴨庚申堂奉賛会の活動記録によると、1945年に戦災により庚申堂本堂が全焼。。。
その後、1949年に仮庚申堂を建立したそうです。
そんなこんなで、この石柱は仮庚申堂の建立に合わせて建てられたもののようです。
●山門
●山門
・建立年不明
・1991年改築
・銅板葺 切妻造
続いて、登場するのは門。
猿田彦大神庚申堂ということで神門と呼びたいところですが、巣鴨庚申堂奉賛会の公式サイトに山門と書いてあったので、こちらは山門なのだ。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●狛猿
●狛猿
・1987年奉納
続いて、狛猿ちゃんにご挨拶。
おばあちゃんの原宿が近いからか、どことなく狛猿ちゃんがおばあちゃんに見えてきたひと時。
そんなことより、台座には三猿ちゃんがおられました。
目がグリグリで可愛いかったです。
●手水舎
●手水舎
・1974年建立
・銅板葺 切妻造
続いて、手水舎でお清め。
庚申堂(本殿)
●庚申堂(本殿)
●庚申堂(本殿)
・1971年再建
・銅板葺 千鳥破風付き流造
続いて、庚申堂で参拝。
庚申堂内には1653年に作り直された庚申塔がお祀りされているみたいです。
●御祭神
・天津祖 庚申猿田彦大神
・地津主 甲子大己貴神
・人津霊 己巳少彦名神
御祭神は猿田彦大神と大己貴神と少彦名神。
御祭神の名前にはミドルネームみたいな感じで、庚申・甲子・己巳の干支がつけられていました。
ちなみに干支(かんし)とは、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組合せたもので全部で60通りあります。
説明板には巳己少彦名神と書いてありますが、おそらく己巳少彦名神が正解だと思われます。
せっかく立派な銅板製の説明板ですが痛恨のミス!
●江戸名所図絵の石碑
●江戸名所図絵の石碑
・1997年建立
江戸時代、この地は中山道の立場(休憩所)だったそうです。
ということで江戸名所図絵の石碑には、茶屋で休憩する人達で賑わっている場面が描かれていました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なスポットでした。
●庚申堂(本殿)
・1971年再建
・銅板葺 千鳥破風付き流造
続いて、庚申堂で参拝。
庚申堂内には1653年に作り直された庚申塔がお祀りされているみたいです。
●庚申信仰とは?
60日に1度、または60年に1度訪れるといわれる庚申の日の夜。
道教の教えによると、この日の夜に眠ってしまうと、人の体内にすんでいる三尸(さんし)という3種類の悪い虫が天に昇り、天帝にその人の日頃の行いを報告するという!
さらに、罪状によっては寿命が縮まるという!
寿命が縮んでしまっては大変!
ということで当時の人々は、この日は身を慎んで虫が抜け出せないように徹夜をして過ごしたそうです。
やがて、その教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大ブームを巻き起こしたそうです。
身を慎むことから始まった信仰ですが、時とともに米や野菜やお金を持ち寄り、みんなでワイワイと過ごす楽しい集まりになっていったんだって。
また、様々な情報を交換して、農作業の知識や技術を研究する場にもなったそうです。
しかし、ややこしいのは、庚申さまは信仰対象が特定されてないこと。
その時代や場所で仏教や神道の影響を受けているので、信仰対象が青面金剛や猿田彦大神だったりします。
また神様の使徒が猿、または申(さる)= 猿ということで、猿が信仰対象だったりもします。
庚申堂といえば、ならまち(奈良)の身代わり猿や、八坂庚申堂(京都)のくくり猿が有名です。
ちなみに、このお寺の庚申堂で祀られているのは青面金剛さん。
青面金剛さんに仕えるのも猿です。
全国各地にある青面金剛さんが刻まれた庚申塔には、見ざる・言わざる・聞かざるでお馴染みの三猿がおられるので、庚申塔を見つけたら三猿探しをするのも楽しみの1つです。
ちなみに、青面金剛さんは三尸の虫を退治してくれる仏様といわれています。
●身代わり猿とは?
猿は人間に最も近いけど、畜生の浅ましさから本能(欲望)のままに行動してしまいます。
だから人間もほっておけば欲望のままに行動しようとします。
そんなこんなで、人間の身代わりに猿をくくりつけることで、人間の中にある邪欲が動き出さないように念じたのが身代わり猿といわれています。
60日に1度、または60年に1度訪れるといわれる庚申の日の夜。
道教の教えによると、この日の夜に眠ってしまうと、人の体内にすんでいる三尸(さんし)という3種類の悪い虫が天に昇り、天帝にその人の日頃の行いを報告するという!
さらに、罪状によっては寿命が縮まるという!
寿命が縮んでしまっては大変!
ということで当時の人々は、この日は身を慎んで虫が抜け出せないように徹夜をして過ごしたそうです。
やがて、その教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大ブームを巻き起こしたそうです。
身を慎むことから始まった信仰ですが、時とともに米や野菜やお金を持ち寄り、みんなでワイワイと過ごす楽しい集まりになっていったんだって。
また、様々な情報を交換して、農作業の知識や技術を研究する場にもなったそうです。
しかし、ややこしいのは、庚申さまは信仰対象が特定されてないこと。
その時代や場所で仏教や神道の影響を受けているので、信仰対象が青面金剛や猿田彦大神だったりします。
また神様の使徒が猿、または申(さる)= 猿ということで、猿が信仰対象だったりもします。
庚申堂といえば、ならまち(奈良)の身代わり猿や、八坂庚申堂(京都)のくくり猿が有名です。
ちなみに、このお寺の庚申堂で祀られているのは青面金剛さん。
青面金剛さんに仕えるのも猿です。
全国各地にある青面金剛さんが刻まれた庚申塔には、見ざる・言わざる・聞かざるでお馴染みの三猿がおられるので、庚申塔を見つけたら三猿探しをするのも楽しみの1つです。
ちなみに、青面金剛さんは三尸の虫を退治してくれる仏様といわれています。
●身代わり猿とは?
猿は人間に最も近いけど、畜生の浅ましさから本能(欲望)のままに行動してしまいます。
だから人間もほっておけば欲望のままに行動しようとします。
そんなこんなで、人間の身代わりに猿をくくりつけることで、人間の中にある邪欲が動き出さないように念じたのが身代わり猿といわれています。
●御祭神
・天津祖 庚申猿田彦大神
・地津主 甲子大己貴神
・人津霊 己巳少彦名神
御祭神は猿田彦大神と大己貴神と少彦名神。
御祭神の名前にはミドルネームみたいな感じで、庚申・甲子・己巳の干支がつけられていました。
ちなみに干支(かんし)とは、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組合せたもので全部で60通りあります。
●甲子(きのえね)
・六十干支順位表で1番目の干支。
●己巳(つちのとみ)
・六十干支順位表で6番目の干支。
●庚申(こうしん)
・六十干支順位表で57番目の干支。
・六十干支順位表で1番目の干支。
●己巳(つちのとみ)
・六十干支順位表で6番目の干支。
●庚申(こうしん)
・六十干支順位表で57番目の干支。
説明板には巳己少彦名神と書いてありますが、おそらく己巳少彦名神が正解だと思われます。
せっかく立派な銅板製の説明板ですが痛恨のミス!
●江戸名所図絵の石碑
●江戸名所図絵の石碑
・1997年建立
江戸時代、この地は中山道の立場(休憩所)だったそうです。
ということで江戸名所図絵の石碑には、茶屋で休憩する人達で賑わっている場面が描かれていました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なスポットでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・巣鴨猿田彦大神庚申堂の御朱印
※普段は無人ですが60日に1度の庚申の日だけ御朱印を頂くことができます。
●御朱印の受付場所
・本殿左の受付
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2016年12月17日 参拝
・2024年2月12日 再訪
・2024年3月 最終更新
・巣鴨猿田彦大神庚申堂の御朱印
※普段は無人ですが60日に1度の庚申の日だけ御朱印を頂くことができます。
●御朱印の受付場所
・本殿左の受付
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2016年12月17日 参拝
・2024年2月12日 再訪
・2024年3月 最終更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・都電荒川線
庚申塚駅から徒歩3分
・都営三田線
西巣鴨駅から徒歩15分
・JR山手線
巣鴨駅から徒歩20分
●最寄りのバス停
・都営バス
新庚申塚 バス停から徒歩6分
●駐車場
・なし
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・都電荒川線
庚申塚駅から徒歩3分
・都営三田線
西巣鴨駅から徒歩15分
・JR山手線
巣鴨駅から徒歩20分
●最寄りのバス停
・都営バス
新庚申塚 バス停から徒歩6分
●駐車場
・なし