住 所 | 広島県大竹市白石1丁目4−1 |
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祭 神 | 国家の為に戦没した大竹市出身の英霊1457柱 |
由 緒 | 1900年、権現山の麓の三叉路に日清戦争・北清事変の従軍者の凱旋記念碑を建立。1906年、大竹小学校で行われた日露戦争凱旋祝賀式の後、権現山に大竹招魂社を建立し、日清戦争・北清事変・日露戦争の戦没者を合祀した。1914年、権現山に誠忠碑を建立。1929年、大竹町と油見村が合併し油見村の戦没者を合祀した。1934年、権現山の大竹招魂社と誠忠碑、そして山麓の凱旋記念碑を現在地に遷座。1945年、広島市に原爆が投下された際、 たまたま大竹町・小方町・玖波町から広島市に出動していた義勇隊員や動員学徒が被爆戦没したという。1951年、大竹町と木野村が合併し、木野村出身の戦没者を合祀。 1954年、大竹町・小方町・玖波町・栗谷村・友和村松ヶ原が合併して大竹市となり、大竹市全域の英霊を合祀したらしい。 |
HP | 心のふるさと 大瀧神社 広島県大竹市 |
鳥居と奉納砲弾
大瀧神社の隣りに鎮座
●注連柱・・・1968年建立
●鳥居・・・1935年建立
●奉納砲弾・・・1932年建立
鳥居前には狛犬的に一対の砲弾が建ってました。名付けて狛砲弾。
●由緒書き・・・真面目に読むと日が暮れそう。
●注連柱・・・1968年建立
●鳥居・・・1935年建立
●奉納砲弾・・・1932年建立
鳥居前には狛犬的に一対の砲弾が建ってました。名付けて狛砲弾。
●由緒書き・・・真面目に読むと日が暮れそう。
拝殿
今日の平和は私達の為に犠牲となり尊い命を捧げられた方々のおかげです。拝殿前にて感謝の意を唱える。
●拝殿・・・1955年建立
拝殿内には原爆で戦没した方々の写真がかなりの数掲げられてました。
●神紋・・・桜と錨と星の神紋。護国の英霊を桜に例え護国神社の多くが桜花紋を使用してます。ちなみに星紋は陸軍の象徴。錨紋は海軍の象徴。
●神額・・・額には大竹招魂社と書いてますが正式名称は大竹市招魂社のようです。
●木鼻・・・獏と獅子の木鼻
●拝殿・・・1955年建立
拝殿内には原爆で戦没した方々の写真がかなりの数掲げられてました。
●神紋・・・桜と錨と星の神紋。護国の英霊を桜に例え護国神社の多くが桜花紋を使用してます。ちなみに星紋は陸軍の象徴。錨紋は海軍の象徴。
●神額・・・額には大竹招魂社と書いてますが正式名称は大竹市招魂社のようです。
●木鼻・・・獏と獅子の木鼻
本殿と境内社
●本殿・・・1955年建立 一間社流造
●本殿・石積み・・・石積みには屋根瓦がハメ込まれてました。
●本殿・狛犬・・・本殿の両サイドには一対の狛犬。おそらく広島玉乗り型の狛犬と思われます。
●境内社・・・何の社かは確認できませんでした。
●本殿・石積み・・・石積みには屋根瓦がハメ込まれてました。
●本殿・狛犬・・・本殿の両サイドには一対の狛犬。おそらく広島玉乗り型の狛犬と思われます。
●境内社・・・何の社かは確認できませんでした。
石碑
●凱旋紀念碑・・・1900年建立
日清戦争・北清事変の従軍者の凱旋記念碑。どうやらこれが由緒に書いてあった凱旋記念碑のようです。
●誠忠碑・・・1914年建立
碑には日露戦争で戦没した方々の名前が刻まれてました。こちらの誠忠碑も由緒に書いてありました
●慰霊碑・・・1968年建立
台座にはおびただしい数の戦没者の名前が刻まれてました。
●塩田冨太郎先生之碑・・・1930年建立
日清戦争・北清事変の従軍者の凱旋記念碑。どうやらこれが由緒に書いてあった凱旋記念碑のようです。
●誠忠碑・・・1914年建立
碑には日露戦争で戦没した方々の名前が刻まれてました。こちらの誠忠碑も由緒に書いてありました
●慰霊碑・・・1968年建立
台座にはおびただしい数の戦没者の名前が刻まれてました。
●塩田冨太郎先生之碑・・・1930年建立
その他
●石灯籠・・・1937年建立
●子もちざくら・・・樹齢 100年以上 幹周り 2.5m
●子もちざくら・・・樹齢 100年以上 幹周り 2.5m
御朱印
御朱印は大瀧神社の社務所で頂きました。