住 所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町80 |
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宗 派 | 臨済宗大徳寺派 |
由 緒 | 1521~1528年、能登国の戦国大名・畠山義総が建立した大徳寺の塔頭寺院です。もともとは畠山家の菩提寺でしたが、畠山家は没落してしまいます。 そんなこんなで、1586年に戦国大名・前田利家が改修し、前田家の菩提寺となりました。 |
第48回 京の冬の旅。興臨院編。
第48回 京の冬の旅で大徳寺の塔頭・興臨院を参拝してきました。
このお寺は能登の守護・畠山家と加賀百万石の大名・前田家の菩提寺とのことなので、ここはちょっとした石川県です。
そんなこんなで、国重文の方丈や枯山水庭園や涵虚亭などの寺宝を拝観してきました。
このお寺は能登の守護・畠山家と加賀百万石の大名・前田家の菩提寺とのことなので、ここはちょっとした石川県です。
そんなこんなで、国重文の方丈や枯山水庭園や涵虚亭などの寺宝を拝観してきました。
表門と唐門と方丈
●表門
・1520年代建立 国重文
・檜皮葺の平唐門
・別名・興臨院の古門
久々に拝見する平唐門にちょっと興奮気味のひと時。
あまりの美しさにしばし門観賞。品がありますなぁ。
どうやらこの表門は、大徳寺境内の中で最も古い門の1つに数えられてるそうですよ。
●唐門
●唐門
・1520年代建立 国重文
・檜皮葺の向唐門
平唐門の次は向唐門が登場。
1つのお寺で、平唐門と向唐門がセットで拝見できるのってちょっと珍しいと思いました。
唐門の蟇股と木鼻。
表門に続き、しばし門観賞・・・早く進めってか(^^;)
なにぶん門好きなもんで。。
●方丈
●方丈
・1520年代建立 国重文
・檜皮葺の入母屋
・日本最古の床の間
どうやら、幕末~明治維新の混乱期に狩野元信や土佐光信などの障壁画を失ったそうです。
●涵虚亭
●涵虚亭
・古田織部好みの茶室
涵虚亭と書いてかんきょていと読むんだって。
涵 → たっぷりと水の中に浸ける・内容が豊か
虚 → むなしい・中身が無くうつろ
という意味らしいです。
涵・・・こんな字、一生書くことないだろうなぁ。
方丈前庭
●方丈前庭
・1978年作庭
・蓬莱式枯山水庭園
・資料に基づき中根金作が復元
蓬莱式庭園とは、蓬莱山から流れた水が大海になる姿を表現したお庭です。
石組が蓬莱山。
海に浮かぶ石は蓬莱山に向かう舟でしょうか(予想)。
ちなみに蓬莱山とは不老不死の仙人が住む理想郷です。
●方丈西庭
方丈西庭は奥行きがなく横幅の広いワイドなお庭でした。
こちらも大海を表現しているのでしょうか。
様々な植物や祠や石塔や爪塚など、統一性のないガチャガチャしたお庭でした。
どちらかというと座って眺めるというより歩きながら観賞するタイプのお庭なのかもしれません。
うぅ~ん、お庭観賞は奥が深い。
方丈前庭御朱印
御朱印は拝観受付で頂きました。
一般公開はされてませんので、特別拝観の時のみ頂けます。