住 所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町83−1 |
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宗 派 | 臨済宗大徳寺派 |
由 緒 | 1562年、織田信長が父・信秀の追善供養のため、大徳寺98世・春林宗俶を迎えて創建した大徳寺の塔頭です。1582年、大徳寺で羽柴秀吉が、本能寺の変で無念の死を遂げた織田信長の葬儀を盛大に行いました。秀吉は信長の塔所として黄梅庵を改築しましたが、主君の塔所としては小さすぎるという理由で、大徳寺山内に総見院を新たに創建しました。その後、大徳寺112世・玉仲宗琇が入寺し、小早川隆景の帰依を受け、堂宇を整備。黄梅院と改められました。 |
Contents
大徳寺の塔頭・黄梅院
●織田信長・豊臣秀吉・千利休・小早川隆景ゆかりの黄梅院!ならびに毛利家の菩提寺!
●表門
・1589年建立
・小早川隆景が建立
●梵鐘
・梵鐘は1592年鋳造
・加藤清正が寄進
・朝鮮伝来のものと伝わる
●本堂
・1588年建立 国重文
・小早川隆景の援助により建立
・瓦葺 入母屋造
・内部の襖絵は雲谷等顔の筆で国重文
●庫裏
・1589年建立 国重文
・小早川隆景が建立
・こけら葺 妻入り切妻造
・禅宗寺院の庫裏としては日本最古級
●唐門
・1588年建立 国重文
●書院・自休軒
・1652年頃建立
●茶室・昨夢軒
・武野紹鴎好みと伝わる4畳半の茶室
●直中庭
・1583年作庭
・千利休が作庭
・枯山水庭園
・豊臣秀吉の希望による瓢箪を象った池を手前に配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている
●破頭庭
・1573年~1593年作庭
●作仏庭
・生々流転を表している
●表門
・1589年建立
・小早川隆景が建立
●梵鐘
・梵鐘は1592年鋳造
・加藤清正が寄進
・朝鮮伝来のものと伝わる
●本堂
・1588年建立 国重文
・小早川隆景の援助により建立
・瓦葺 入母屋造
・内部の襖絵は雲谷等顔の筆で国重文
●庫裏
・1589年建立 国重文
・小早川隆景が建立
・こけら葺 妻入り切妻造
・禅宗寺院の庫裏としては日本最古級
●唐門
・1588年建立 国重文
●書院・自休軒
・1652年頃建立
●茶室・昨夢軒
・武野紹鴎好みと伝わる4畳半の茶室
●直中庭
・1583年作庭
・千利休が作庭
・枯山水庭園
・豊臣秀吉の希望による瓢箪を象った池を手前に配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている
●破頭庭
・1573年~1593年作庭
●作仏庭
・生々流転を表している
通常拝観をしていませんので、御朱印は春・秋の特別拝観の時に頂けます。