住 所 | 福岡県北九州市八幡西区岡田町1−1 |
---|---|
祭 神 | 神武天皇 |
由 緒 | 古代、崗地方(旧・遠賀郡)を治めていた熊族が、洞海菊竹ノ浜(貞元)に祖先神を祀ったのがこの神社の始まり。古事記に、神武天皇が神武東征の際、この神社に1年間滞在し八所神を祀ったと記されており、日本書紀には神功皇后が三韓征討の際、崗県主祖・熊鰐の案内で熊手出岬(皇后崎)に行き、岡田宮に詣り八所神を奉祭したと記されているそうです。940年、藤原純友の乱の際、官軍の主将・小野好古と副将・源経基が必勝祈願をし神鈴を奉納。1559年、大友氏の兵火に遭い社殿を焼失しましたが、1565年に再建。1605年、現在地に遷座。1865年、三条実美が太宰府へ落ち延びる際、この神社に和歌を奉納したそうです。天(八所神)・地(祖先神)・人(神武天皇)の三ノ宮を有する神社です。 |
HP | 岡田宮-北九州でのお祓い・七五三・お参りは岡田宮へどうぞ |
境内入口
●境内入口
神武東征の際、神武天皇が1年間滞在したといわれる岡田宮に到着。
この岡田宮は、日本最古の歴史書・古事記に記載されている古社です。
そんなこんなで、私の想像力じゃ追いつかないくらい長い歴史を持った神社なんだな。
神武天皇とは、言わずと知れた初代天皇。
天照大神の子孫です。
神武天皇が神武東征の際、この地に1年間滞在したといわれています。
ちなみに神武東征とは、日向・高千穂出身のカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が、日向 → 宇佐 → 筑紫 → 安芸 → 吉備 → 浪速 → 熊野に進んで大和を征服して、橿原宮で即位した物語です。
神武東征についてはこちらに書いています。
時間がある方は覗いてやってください。
ついでにこちらに神武天皇ゆかりのスポットをまとめています。
神武東征の際、神武天皇が1年間滞在したといわれる岡田宮に到着。
この岡田宮は、日本最古の歴史書・古事記に記載されている古社です。
そんなこんなで、私の想像力じゃ追いつかないくらい長い歴史を持った神社なんだな。
神武天皇とは、言わずと知れた初代天皇。
天照大神の子孫です。
神武天皇が神武東征の際、この地に1年間滞在したといわれています。
ちなみに神武東征とは、日向・高千穂出身のカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が、日向 → 宇佐 → 筑紫 → 安芸 → 吉備 → 浪速 → 熊野に進んで大和を征服して、橿原宮で即位した物語です。
神武東征についてはこちらに書いています。
時間がある方は覗いてやってください。
[22]神武東征
天下を治めるため、高千穂(宮崎)から東(奈良)へむかう アエズの子、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)は、兄の五瀬命(イツセノミコト)と高千穂の宮で相談し、東の地で政治を行おうと船で日向を出て、まずは筑紫(福岡)に
ついでにこちらに神武天皇ゆかりのスポットをまとめています。
神武天皇ゆかりの神社まとめ(12スポット)
皇子原神社神武天皇の生誕地に鎮座する神社。ついでに神武天皇が禊をした川の情報も。●アクセス宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田(皇子原公園内)皇宮神社(皇宮屋)神武天皇の皇居跡に...
鳥居
●鳥居①
●鳥居①
・1921年建立
・明神鳥居
そんなこんなで、参拝開始。
境内入口から神門までは4つの鳥居がたっていました。
4つの鳥居は全て石製・明神鳥居。
建立された順番は
鳥居③ → 鳥居② → 鳥居④ → 鳥居①
となっていました。
ということで、こちらの鳥居は1番最後に建立された鳥居のようです。
●鳥居②
●鳥居②
・1888年建立
・明神鳥居
比較的、町中に鎮座する神社だったので、こじんまりとした境内なのかなぁと思ってたんだけど、案外境内は広そうです。
●鳥居③
●鳥居③
・1700年建立
・明神鳥居
他の鳥居は岡田神社と書かれているのに、この鳥居だけは岡田宮と書かれた扁額が掲げられていました。
ちなみに、こちらの鳥居は、1805年に書かれた太田南畝さんの小春紀行に登場する鳥居なんだって。
って、太田南畝さんって誰だい???(^^;)
ということで、調べてみることに。
どうやら大田南畝さんは、江戸時代に活躍した狂歌師・戯作者・御家人だという。
学者としても人気だったようで、マルチな才能を持った文化人だったみたいです。
ちなみに、小春紀行とは大田南畝さんが長崎奉行所の仕事を終えて、長崎から江戸に入るまでの紀行を記した本なんだって。
そういえば、岡田宮の近くに長崎街道の面影を残す曲里の松並木があったなぁ!
ということで、この一帯は江戸へ向かう人々の通り道だったみたいですね。
●鳥居④
●鳥居④
・1895年建立
・明神鳥居
4つ目の鳥居をくぐると参道は二手に分かれます。
・直進 → 駐車場
・右折 → 神門
阿呆の私でも、さすがに右折をチョイス。
●鳥居①
・1921年建立
・明神鳥居
そんなこんなで、参拝開始。
境内入口から神門までは4つの鳥居がたっていました。
4つの鳥居は全て石製・明神鳥居。
建立された順番は
鳥居③ → 鳥居② → 鳥居④ → 鳥居①
となっていました。
ということで、こちらの鳥居は1番最後に建立された鳥居のようです。
●鳥居②
●鳥居②
・1888年建立
・明神鳥居
比較的、町中に鎮座する神社だったので、こじんまりとした境内なのかなぁと思ってたんだけど、案外境内は広そうです。
●鳥居③
●鳥居③
・1700年建立
・明神鳥居
他の鳥居は岡田神社と書かれているのに、この鳥居だけは岡田宮と書かれた扁額が掲げられていました。
ちなみに、こちらの鳥居は、1805年に書かれた太田南畝さんの小春紀行に登場する鳥居なんだって。
って、太田南畝さんって誰だい???(^^;)
ということで、調べてみることに。
どうやら大田南畝さんは、江戸時代に活躍した狂歌師・戯作者・御家人だという。
学者としても人気だったようで、マルチな才能を持った文化人だったみたいです。
ちなみに、小春紀行とは大田南畝さんが長崎奉行所の仕事を終えて、長崎から江戸に入るまでの紀行を記した本なんだって。
そういえば、岡田宮の近くに長崎街道の面影を残す曲里の松並木があったなぁ!
ということで、この一帯は江戸へ向かう人々の通り道だったみたいですね。
●鳥居④
●鳥居④
・1895年建立
・明神鳥居
4つ目の鳥居をくぐると参道は二手に分かれます。
・直進 → 駐車場
・右折 → 神門
阿呆の私でも、さすがに右折をチョイス。
石柱と狛犬と神門
●石柱
●石柱
・1917年建立
続いて石柱が登場。
見た感じ、めちゃくちゃ新しそうですが、実は100年以上前に建立された石柱だという。
というか大正時代がもう100年以上前のことだという事実・・・昭和生まれの私の感覚では、大正時代って比較的身近な時代だと思ってたんだけど・・・!
●狛犬①②
●狛犬①②
・1931年建立
石柱を過ぎると狛犬ちゃん①②が登場。
シンプルな作風の狛犬ちゃんでした。
●神門(随身門?)
●神門(随身門?)
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 四脚門
続いて、神門に到着。
神門はよくある銅板葺の四脚門なんですが、なんと回廊のガラス張りのところに随身像が祀られているという!
ということで、これは随身門???
随身廊???
回廊に随身さんがおられるのってちょっと珍しいですね。
そんなことより、神門には岡田社と天地人と書かれた2つの神額がありました。
●岡田社の神額
・1744年奉納
・香椎宮勅祭・飛鳥井中将藤原雅重が奉納
●天地人の神額
・1707年奉納
・鶴原君玉が奉納
それにしても天地人・・・大河ドラマを思い浮かべた人は私だけじゃないはず!
って、天地人って何だ???
調べてみると
天 → 八所神
地 → 祖先神
人 → 神武天皇
のことらしいです。
そんなこんなで、岡田宮はこの3殿から成る神社なんだって。
複数から成る神社ってたまに出逢うけど、それぞれに愛称があるのってちょっと珍しいですね!
●狛犬③④
●狛犬③④
・1827年建立
そんなこんなで、神門をくぐると狛犬ちゃん③④が登場。
垂れ耳のお座り型です。
漫画ちっくにデフォルメされた表情がとても愛くるしいです。
ムツゴロウさんなみに抱きしめたくなっちゃいます。
阿形の口元が破損しているのですが、ペコちゃんの舌みたいでこれまた可愛い!
●狛犬⑤⑥
●狛犬⑤⑥
・1919年建立
・玉取り型(左)
続いて狛犬⑤⑥が登場。
左側の狛犬ちゃん。
一見、ドラえもんの手のように見えますが、実はこれは手ではなく玉取り型の狛犬だという!
玉が異常に小さいです!
このタイプの狛犬ちゃんは福岡県で何度かお見かけしたことのある玉取り型なのですが、こちらの狛犬ちゃんは今まで出会った中で断トツナンバーワンの小ささでした。
いやはや本日も珍しい物に出会えて有難き幸せ。
●石柱
・1917年建立
続いて石柱が登場。
見た感じ、めちゃくちゃ新しそうですが、実は100年以上前に建立された石柱だという。
というか大正時代がもう100年以上前のことだという事実・・・昭和生まれの私の感覚では、大正時代って比較的身近な時代だと思ってたんだけど・・・!
●狛犬①②
●狛犬①②
・1931年建立
石柱を過ぎると狛犬ちゃん①②が登場。
シンプルな作風の狛犬ちゃんでした。
●神門(随身門?)
●神門(随身門?)
・建立年不明
・銅板葺 切妻造 四脚門
続いて、神門に到着。
神門はよくある銅板葺の四脚門なんですが、なんと回廊のガラス張りのところに随身像が祀られているという!
ということで、これは随身門???
随身廊???
回廊に随身さんがおられるのってちょっと珍しいですね。
そんなことより、神門には岡田社と天地人と書かれた2つの神額がありました。
●岡田社の神額
・1744年奉納
・香椎宮勅祭・飛鳥井中将藤原雅重が奉納
●天地人の神額
・1707年奉納
・鶴原君玉が奉納
それにしても天地人・・・大河ドラマを思い浮かべた人は私だけじゃないはず!
って、天地人って何だ???
調べてみると
天 → 八所神
地 → 祖先神
人 → 神武天皇
のことらしいです。
そんなこんなで、岡田宮はこの3殿から成る神社なんだって。
複数から成る神社ってたまに出逢うけど、それぞれに愛称があるのってちょっと珍しいですね!
●狛犬③④
●狛犬③④
・1827年建立
そんなこんなで、神門をくぐると狛犬ちゃん③④が登場。
垂れ耳のお座り型です。
漫画ちっくにデフォルメされた表情がとても愛くるしいです。
ムツゴロウさんなみに抱きしめたくなっちゃいます。
阿形の口元が破損しているのですが、ペコちゃんの舌みたいでこれまた可愛い!
●狛犬⑤⑥
●狛犬⑤⑥
・1919年建立
・玉取り型(左)
続いて狛犬⑤⑥が登場。
左側の狛犬ちゃん。
一見、ドラえもんの手のように見えますが、実はこれは手ではなく玉取り型の狛犬だという!
玉が異常に小さいです!
このタイプの狛犬ちゃんは福岡県で何度かお見かけしたことのある玉取り型なのですが、こちらの狛犬ちゃんは今まで出会った中で断トツナンバーワンの小ささでした。
いやはや本日も珍しい物に出会えて有難き幸せ。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1990年建立
・銅板葺 入母屋造
●幣殿
・1718年建立
・銅板葺 切妻造
●①八所宮(天)の祭神
・高皇産霊神・神皇産霊神・玉留産霊神
・生産霊神・足産霊神・大宮売神
・事代主神・御膳神
●②熊手宮(地)の祭神
・大国主命・少彦名命・県主熊鰐命
●③岡田宮(人)の祭神
・神武天皇
●神額
・1768年奉納
・福岡藩第6代藩主・黒田継高が奉納
天・地・人の3殿から成る神社ということで、拝殿内には3つの神額が掲げられていました。
・左 → 縣主神
・中 → 岡田宮
・右 → 八所神
あとこの神社で珍しいのは鳥の木鼻!
これは鳳凰でしょうかねぇ?
●本殿
●本殿
・1718年建立
・銅板葺 流造
続いて本殿へ。
神武天皇ゆかりの神社というだけあって、鬼と棟には黄金の菊花紋が輝いていました。
そんなこんなで、しばし建物観賞。
妻飾りが良い味を出していました。
1ヶ所、蟇股が欠損。
組物から飛び出す龍が印象的でした。
●供物台
●供物台
・1837年作
拝殿前にあります。
●拝殿
・1990年建立
・銅板葺 入母屋造
●幣殿
・1718年建立
・銅板葺 切妻造
●①八所宮(天)の祭神
・高皇産霊神・神皇産霊神・玉留産霊神
・生産霊神・足産霊神・大宮売神
・事代主神・御膳神
●②熊手宮(地)の祭神
・大国主命・少彦名命・県主熊鰐命
●③岡田宮(人)の祭神
・神武天皇
●神額
・1768年奉納
・福岡藩第6代藩主・黒田継高が奉納
天・地・人の3殿から成る神社ということで、拝殿内には3つの神額が掲げられていました。
・左 → 縣主神
・中 → 岡田宮
・右 → 八所神
あとこの神社で珍しいのは鳥の木鼻!
これは鳳凰でしょうかねぇ?
●本殿
●本殿
・1718年建立
・銅板葺 流造
続いて本殿へ。
神武天皇ゆかりの神社というだけあって、鬼と棟には黄金の菊花紋が輝いていました。
そんなこんなで、しばし建物観賞。
妻飾りが良い味を出していました。
1ヶ所、蟇股が欠損。
組物から飛び出す龍が印象的でした。
●供物台
●供物台
・1837年作
拝殿前にあります。
境内社
●蛭子神社・伊勢大神宮・須賀神社・湊天満宮
左から蛭子神社・伊勢大神宮・須賀神社・湊天満宮。
本殿の横にはたくさんの境内社が並んでいました。
●蛭子神社
・事代主命を祀る
・1615~1624年勧請
●伊勢大神宮
・天照大神・豊受大神を祀る
・1707年勧請
●須賀神社
・素戔嗚尊・稲田姫を祀る
・1603年勧請
●湊天満宮
・菅原道真を祀る
●生目八幡大神と金毘羅神社
●左 → 生目八幡大神
●中 → ?
●右 → 金毘羅神社
●興玉神と猿田彦神
●左 → 興玉神
●中 → 猿田彦神
●右 → 猿田彦神
北九州は道祖神を祀る神社が多いです。
そんなことより、興玉神と猿田彦神の間には将棋の駒のような猿田彦神がありました。
もしこれが将棋だったら、この駒はどんな動きをするんだろうねぇ?
猿田彦さんは導きの神ということで、王手への道筋をガイドしてくれる導きの駒・・・とか思ってみたけど、お互いこの駒を持っていると先手が必ず勝っちゃうじゃん。。。
そんなことを想像しつつニヤニヤしていたひと時。
●稲荷社
●稲荷社
・宇迦之御魂神を祀る
本殿向かって右側にはたくさんの境内社がありましたが、左側は稲荷社と不明の境内社がポツンと鎮座するだけでした。
●万葉歌碑と黒崎十二景句碑
その他、境内には万葉歌碑と黒崎十二景句碑がありました。
●万葉歌碑(写真左)
・1987年建立
右側は柿本人麻呂の歌のようです。
中央と左側は作者不詳とのこと。
●黒崎十二景句碑(写真右)
・1973年建立
句碑には、黒崎出身の俳人や黒崎を訪れた俳人が、黒崎にちなんで詠んだ12の句が刻まれていました。
左から蛭子神社・伊勢大神宮・須賀神社・湊天満宮。
本殿の横にはたくさんの境内社が並んでいました。
●蛭子神社
・事代主命を祀る
・1615~1624年勧請
●伊勢大神宮
・天照大神・豊受大神を祀る
・1707年勧請
●須賀神社
・素戔嗚尊・稲田姫を祀る
・1603年勧請
●湊天満宮
・菅原道真を祀る
●生目八幡大神と金毘羅神社
●左 → 生目八幡大神
●中 → ?
●右 → 金毘羅神社
●興玉神と猿田彦神
●左 → 興玉神
●中 → 猿田彦神
●右 → 猿田彦神
北九州は道祖神を祀る神社が多いです。
そんなことより、興玉神と猿田彦神の間には将棋の駒のような猿田彦神がありました。
もしこれが将棋だったら、この駒はどんな動きをするんだろうねぇ?
猿田彦さんは導きの神ということで、王手への道筋をガイドしてくれる導きの駒・・・とか思ってみたけど、お互いこの駒を持っていると先手が必ず勝っちゃうじゃん。。。
そんなことを想像しつつニヤニヤしていたひと時。
●稲荷社
●稲荷社
・宇迦之御魂神を祀る
本殿向かって右側にはたくさんの境内社がありましたが、左側は稲荷社と不明の境内社がポツンと鎮座するだけでした。
●万葉歌碑と黒崎十二景句碑
その他、境内には万葉歌碑と黒崎十二景句碑がありました。
●万葉歌碑(写真左)
・1987年建立
右側は柿本人麻呂の歌のようです。
中央と左側は作者不詳とのこと。
●黒崎十二景句碑(写真右)
・1973年建立
句碑には、黒崎出身の俳人や黒崎を訪れた俳人が、黒崎にちなんで詠んだ12の句が刻まれていました。
休憩室
●棟礼と黒田二十四騎
御朱印を待っている間、休憩室に展示されている資料を拝見してきました。
●棟札(写真左)
・1565年の棟札
●黒田二十五騎図(写真右)
黒田二十四騎じゃなくて、黒田長政を含めた黒田二十五騎図です。
●三条実美和歌
こちらは三条実美が奉納した和歌の拓本です。
1865年、三条実美が太宰府へ落ち延びる際、この神社に和歌を奉納したんですって。
何気に七卿落ちゆかりの神社だったんですね。
●絵馬
あと、手形の絵馬がありました。
世界に1つだけの絵馬です。
●顔ハメ
神武天皇の顔ハメです。
御朱印を待っている間、休憩室に展示されている資料を拝見してきました。
●棟札(写真左)
・1565年の棟札
●黒田二十五騎図(写真右)
黒田二十四騎じゃなくて、黒田長政を含めた黒田二十五騎図です。
●三条実美和歌
こちらは三条実美が奉納した和歌の拓本です。
1865年、三条実美が太宰府へ落ち延びる際、この神社に和歌を奉納したんですって。
何気に七卿落ちゆかりの神社だったんですね。
●絵馬
あと、手形の絵馬がありました。
世界に1つだけの絵馬です。
●顔ハメ
神武天皇の顔ハメです。
御朱印情報
●御朱印
通常の御朱印の他に、季節限定の御朱印があります。
●値段(初穂料)
・1面・・・500円
・2面・・・竹600円 松700円
・3面・・・1000円
改元の際には天皇陛下御即位の限定御朱印もありました。
●値段(初穂料)
・1000円
オリジナル御朱印帳もあります。
●値段(初穂料)
・2000円(梅御朱印料300円込み)
御朱印は授与所で頂きました。
●参拝日
・2017年12月31日
・2019年4月2日
通常の御朱印の他に、季節限定の御朱印があります。
●値段(初穂料)
・1面・・・500円
・2面・・・竹600円 松700円
・3面・・・1000円
改元の際には天皇陛下御即位の限定御朱印もありました。
●値段(初穂料)
・1000円
オリジナル御朱印帳もあります。
●値段(初穂料)
・2000円(梅御朱印料300円込み)
御朱印は授与所で頂きました。
●参拝日
・2017年12月31日
・2019年4月2日
岡田宮の元宮・一宮神社
●岡田宮の元宮・一宮神社の参拝記
一宮神社(岡田宮の元宮)の御朱印~神武天皇ゆかりの古代祭場跡~(福岡県北九州市八幡西区)
住 所福岡県北九州市八幡西区山寺町12-36祭 神主祭神神武天皇・建御名方命・大歳神相殿天忍穗耳命・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・事代主命由 緒この神社は、神武東征の際、神武天皇が1年間滞在し...