敷津松之宮・大国主神社の御朱印~大阪府大阪市浪速区敷津西1丁目2−12~

住 所大阪府大阪市浪速区敷津西1丁目2−12
祭 神●敷津松之宮
・主祭神・・・素盞嗚尊・大国主命
・相殿・・・事代主命・奇稲田姫命・少彦名命・八柱御子神

●大国主神社
・主祭神・・・大国主命
由 緒200年頃、神功皇后が三韓征伐から凱旋する際、凱旋報告をするために住吉大社に向かったそうです。そして航海の途中、敷津浜に荒波が打ち寄せられるのを見て『この松より上に潮が来ませんように』と3本の松を植え、松の下に素戔鳴尊を祀って航海の安全を祈ったといいます。それがこの神社の始まりらしいです。摂社の大国主神社は、1744年に神託により出雲大社より分霊を勧請して創建したそうです。商売繁盛の御利益のある神社で、東は今宮の戎さん、西は木津の大黒さんとして多くの人に親しまれています。
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敷津松之宮と大国主神社

●敷津松之宮と大国主神社


いつも車で通過する通りにデカデカと木津の大国さんって書いてあるから、てっきり大国主神社なんだと思っていたけど、正式な社名は敷津松之宮で、大国主神社は敷津松之宮の摂社なんですって。

どうやら摂社である大国主神社の方が有名になったパターンの神社のようです。


敷津松之宮と大国主神社は、それぞれ別々の鳥居を設けていて、境内南側に敷津松之宮の鳥居


そして境内東側には大国主神社の鳥居があります。


ということで境内の参道は、敷津松之宮行きと大国主神社行きの交差点があります。

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敷津松之宮

●敷津松之宮・鳥居

●敷津松之宮・鳥居
・建立年不明
・明神鳥居

そんなこんなで、まずはメインであります敷津松之宮から参拝。

神功皇后が三韓征伐から凱旋する際、凱旋報告をするために住吉大社に向かったそうです。そして航海の途中、敷津浜に荒波が打ち寄せられるのを見て『この松より上に潮が来ませんように』と3本の松を植え、松の下に素戔鳴尊を祀って航海の安全を祈ったといいます。それがこの神社の始まりらしいです。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

鳥居は別々ですが、手水舎の方は1つです。

それにしても、あんなにもデッカい屋根をこんなにもほっそい柱で支えてる!ピンって、はじけば崩れちゃいそうです。


●敷津松之宮・狛犬

●敷津松之宮・狛犬
・1968年建立

やや角ばったお座り型です。


●敷津松之宮・拝殿

●敷津松之宮・拝殿
・建立年不明
・銅板葺 唐破風向拝付き入母屋造


拝殿正面に、デカデカと氏神様と書いてありました。
きっと大国主神社と間違わないための配慮なんだろう・・・と勝手に推測。

しかし、拝殿前には大黒天さんがいらっしゃる!
敷津松之宮に大国主命が祀られていて、大国主神社にも大国主命が祀られている・・・ややこしっ!


●敷津松之宮・本殿

●敷津松之宮・本殿
・建立年不明
・銅板葺 大社造(?)
・主祭神・・・素盞嗚尊・大国主命
・相殿・・・事代主命・奇稲田姫命・少彦名命・八柱御子神

本殿の全体像を見ることができなかったので何ともいえませんが、妻入りの本殿なので、もしかしたら大社造かもしれません。(あくまで推測)

主祭神は、素盞嗚尊と大国主命。
ちなみに、大国主命は素盞嗚尊の子孫です。

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大国主神社

●大国主神社・鳥居

●大国主神社・鳥居
・建立年不明
・神明鳥居

そんなこんなで、いったん境外に出て今度は大国主神社を参拝。

1744年、神託により出雲大社より分霊を勧請して創建された神社です。商売繁盛の御利益のある神社で、東は今宮の戎さん、西は木津の大黒さんとして多くの人に親しまれています。


●大国主神社・参道

参道から大国主神社を望む。
それにしても、摂社である大国主神社の方がメイン感があるのはなぜだろう。


●大国主神社・狛ネズミ

大国主神社の社殿前には狛犬ならぬ狛ネズミがおられました。

古事記によると、火に取り囲まれた大国主命に、ネズミが『地下に洞穴があるよ~』と教えて大国主を救ったと記されてます。

ということで、狛ネズミ???

それにしても、大黒さんの持ち物である打出の小槌米俵を持ってるのが面白いです。
恩人であるネズミをデッチとして扱ってるのでしょうか?

はたまた大黒さんの持ち物を強奪したかなぁ?


●大国主神社・本殿

●大国主神社・本殿
・建立年不明
・銅板葺 妻入り向拝付き切妻造
・RⅭ造
・大国主命を祀る
・敷津松之宮の摂社
・大阪七福神めぐりの1つ

本殿正面には敷津松之宮同様、デカデカと大国様と書いてありました。


なんとっ!
妻入りには、社型の穴に黄金の打出の小槌が収納されてるという!

そして本殿内には太陽(?)を持った巨大な大黒天像が祀られてました。像高は2mくらいありそうです。

打出の小槌を持ってない大黒天ってちょっと珍しいですね・・・ぅん???ちょっと待て・・・やっぱり狛ネズミが持ってた小槌って大黒天さんの???

ちなみにこの大国主神社は通称・日出大黒社と呼ばれてるそうです。


ということで、境内の提灯には日出マークがデザインされてました。


面倒臭いことを言うと
大国主 → 神道の神
大黒天 → ヒンドゥー教の神

密教の伝来と共に大国と大黒はダイコクつながりということで習合しちゃいました。

ということで、厳密にいえば大国主 = 大黒天ではないですが、そこは突っ込まずに楽しみましょう!

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えびす・だいこく両社詣って本まいり

●えびす・だいこく両社詣って本まいり

ちなみにこの地にはえびす・だいこく両社詣って本まいりという風習が残っており、十日戎の際は今宮戎神社と合わせて参拝すると縁起が良いそうです。


今宮戎神社の祭神・事代主神は大国主命の子なので、親を祀る大国主神社を参拝してから今宮戎神社を参拝するのが良いとされてます。


●大黒橋と戎橋
ちなみ道頓堀川には大黒橋という名前の橋があります。大黒橋は、大国主神社の参道だったことが橋の名の由来なんですって。

同じく道頓堀川にはグリコの看板で有名な戎橋があり、こちらは今宮戎神社の参道だったことが橋の名の由来なんですって。

1つの川にダイコクさんとエビスさんがいるなんてステキ過ぎるじゃないですか。縁起がいいし何だかめでたい。さすが商人の街って感じです。


●今宮戎神社の参拝記
今宮戎神社の御朱印情報~大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6−10~
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その他の見所

●楠稲荷社

●楠稲荷社
・宇迦之御魂神を祀る

手水舎の後ろにあります。


●白龍明神社

敷津松之宮の境内末社です。
立札には巳さん 白龍明神社と書いてありました。


●引退狛犬

境内の片隅には、3体の引退狛犬がおられました。


プンプンしてますわぁ。
なんだか喧嘩してるみたいです。
倦怠期の夫婦みたいです。


●木津勘助像

木津勘助は江戸前期に活躍した開拓者で、この地域の開発に尽力した人だそうです。


●折口信夫の歌碑

折口信夫は、大正時代~昭和時代初期に活躍した大阪市浪速区出身の国文学者・民俗学者・歌人らしいです。


●オリジナル絵馬

絵馬には日出大黒神と二股大根がデザインされてました。

御朱印

●御朱印
御朱印は社務所で頂きました。
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敷津松之宮・大国主神社の地図

 

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