住 所 | 大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1−29 |
---|---|
祭 神 | 塩土老翁神・素戔嗚尊・生国魂神 |
社 格 | 式内社 |
由 緒 | 201~269年、神功皇后の勅命で創建された神社だそうです。746年、行基が境内に念仏寺を建立。その後、神仏習合化が進み神宮寺になったといいます。806年、空海が宝塔を建立し真言宗の寺院になりましたが、空也ともゆかりがあったため、密教や浄土教の道場となり結構な賑わいをみせたといいます。やがて念仏寺は大寺と呼ばれるようになり、廃寺となった今でも大寺さんという通称で親しまれているそうです。1425年に朝廷の祈願所となり、1427年には室町幕府の祈願所となりました。1535年、念仏寺の築地修理料として堺南荘の豪商110余名が1人当たり1貫文を寄進したそうです。その中には武野紹鴎・千利休・魚屋弥次郎といった有名人の名が記されているそうです。これら豪商から選ばれた10数人が納屋衆・会合衆となって堺の自治組織の運営に当たり、開口神社の祭礼で重職を勤めたそうです。明治時代、神仏分離令により念仏寺は廃寺になりました。1945年、堺大空襲で焼失。その後、再建。古くから住吉大社と関係が深く住吉の奥の院と呼ばれています。 |
HP | 開口神社(大寺さん)|大阪堺市にある安産・婚礼・開運厄除の神社 |
鳥居と石灯籠と狛犬と手水舎
●堺山之口商店街
堺山之口商店街という昭和な商店街をテクテク歩くと
●境内入口
大寺さんという通称で親しまれている開口神社に到着。
神社なのに大寺!?
どうやら明治時代まで神仏習合の形態をとっており、境内には行基が建立した念仏寺があったそうです。その名残りで現在も大寺さんと呼ばれてるんですって。
●鳥居
●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居
短い参道には木が茂っていてちょっと薄暗い。
参道を抜けると視界が開けて、いきなり街中の神社に様変わりします。そんなこんなで、街中に鎮座する一瞬だけのオアシスです。
●参道の石灯籠
●参道の石灯籠
・1722年建立
石灯籠には住吉奥院と三村大神宮の文字がありました。
祭神の塩土老翁神には様々な説があり、その内の1つが塩土老翁神 = 住吉三神という説。
そんなこんなで、この神社は住吉大社の奥の院と呼ばれてるそうです。
●それはそうと三村大神宮って何???
1113年、開口村に鎮座するこの神社に、原村の素盞嗚命と木戸村の生国魂命を合祀したそうです。
そんなこんなで、三つの村の神を祀ることから三村大明神や三村宮と呼ばれていた時期があったみたいです。
●海会寺金龍井
鳥居をくぐってすぐのところに両部鳥居の脚に屋根を付けたような面白い建屋がありました。これはかなり珍しい建屋ですね!ちょっと興奮しました。
そんなことより、その昔、この場所には海会寺というお寺があったそうです。大坂夏の陣の後、現・南旅篭町東に移転したんだって。
説明板によると、この金龍井は、室町時代と江戸時代の書物に書かれている歴史ある井戸のようです。
●参道の狛犬
●参道の狛犬
・1863年建立
向かって左側に子取り型の狛犬。
向かって右側に玉乗りならぬ玉乗せ型の狛犬がおられました。
センスがないのため写真で伝えることができませんが、結構大きな狛犬でした。台座を含めると3m以上ありそうです。
●手水舎
●手水鉢
・1710年作
堺山之口商店街という昭和な商店街をテクテク歩くと
●境内入口
大寺さんという通称で親しまれている開口神社に到着。
神社なのに大寺!?
どうやら明治時代まで神仏習合の形態をとっており、境内には行基が建立した念仏寺があったそうです。その名残りで現在も大寺さんと呼ばれてるんですって。
●鳥居
●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居
短い参道には木が茂っていてちょっと薄暗い。
参道を抜けると視界が開けて、いきなり街中の神社に様変わりします。そんなこんなで、街中に鎮座する一瞬だけのオアシスです。
●参道の石灯籠
●参道の石灯籠
・1722年建立
石灯籠には住吉奥院と三村大神宮の文字がありました。
祭神の塩土老翁神には様々な説があり、その内の1つが塩土老翁神 = 住吉三神という説。
そんなこんなで、この神社は住吉大社の奥の院と呼ばれてるそうです。
●それはそうと三村大神宮って何???
1113年、開口村に鎮座するこの神社に、原村の素盞嗚命と木戸村の生国魂命を合祀したそうです。
そんなこんなで、三つの村の神を祀ることから三村大明神や三村宮と呼ばれていた時期があったみたいです。
●海会寺金龍井
鳥居をくぐってすぐのところに両部鳥居の脚に屋根を付けたような面白い建屋がありました。これはかなり珍しい建屋ですね!ちょっと興奮しました。
そんなことより、その昔、この場所には海会寺というお寺があったそうです。大坂夏の陣の後、現・南旅篭町東に移転したんだって。
説明板によると、この金龍井は、室町時代と江戸時代の書物に書かれている歴史ある井戸のようです。
●参道の狛犬
●参道の狛犬
・1863年建立
向かって左側に子取り型の狛犬。
向かって右側に玉乗りならぬ玉乗せ型の狛犬がおられました。
センスがないのため写真で伝えることができませんが、結構大きな狛犬でした。台座を含めると3m以上ありそうです。
●手水舎
●手水鉢
・1710年作
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1964年再建
・銅板葺 唐破風付き入母屋造
・式内社
・通称・大寺さん
どうやら旧市内唯一の式内社のようです。
そして堺南組(大小路以南)の氏神社らしいです。
毎年9月に行われる八朔祭(例祭)では、堺最古の歴史を持つふとん太鼓がかつぎだされるんだって。
ちなみに、八朔祭(例祭)は600年以上も続くお祭りなんですって。
●拝殿前の狛犬
●拝殿前の狛犬
・1758年建立
上唇が破損してるからか大きく口を開けてるように見えます。
これこそまさに開口神社。
いや、大開口神社!
●本殿
●本殿
・1964年再建
・銅板葺 流造
・塩土老翁神・素戔嗚尊・生国魂神を祀る
この神社は、古くから住吉大社と関係が深く、住吉大社の奥の院と呼ばれてるそうです。
●拝殿
・1964年再建
・銅板葺 唐破風付き入母屋造
・式内社
・通称・大寺さん
どうやら旧市内唯一の式内社のようです。
そして堺南組(大小路以南)の氏神社らしいです。
毎年9月に行われる八朔祭(例祭)では、堺最古の歴史を持つふとん太鼓がかつぎだされるんだって。
ちなみに、八朔祭(例祭)は600年以上も続くお祭りなんですって。
●拝殿前の狛犬
●拝殿前の狛犬
・1758年建立
上唇が破損してるからか大きく口を開けてるように見えます。
これこそまさに開口神社。
いや、大開口神社!
●本殿
●本殿
・1964年再建
・銅板葺 流造
・塩土老翁神・素戔嗚尊・生国魂神を祀る
この神社は、古くから住吉大社と関係が深く、住吉大社の奥の院と呼ばれてるそうです。
薬師社
●薬師社
●薬師社
・建立年不明
・銅板葺 寄棟造
・薬師如来像を祀る
堂内には、明治時代の神仏分離令で廃寺となった神宮寺・念仏寺の本尊・薬師如来像が祀られてるんだって。
薬師如来像は行基作と伝わっていて、堺市内最古級の仏像さんらしいです。
●薬師社の狛犬
●薬師社の狛犬
・1958年建立
薬師社の前には1対の狛犬がおられました。
ブタ鼻が可愛い小ぶりな狛犬でした。
それにしても、薬師さんと狛犬のセットってなかなか珍しいですね!見事に神仏習合しちゃってます。
今では本殿裏にひっそりと建つ薬師社しか仏教色がないのですが、いまだに大寺さんと呼ばれてるあたり、昔は仏教色の方が強い神社だったんだろうなぁ。とか思いつつ、境内を散策。
●薬師社
・建立年不明
・銅板葺 寄棟造
・薬師如来像を祀る
堂内には、明治時代の神仏分離令で廃寺となった神宮寺・念仏寺の本尊・薬師如来像が祀られてるんだって。
薬師如来像は行基作と伝わっていて、堺市内最古級の仏像さんらしいです。
●薬師社の狛犬
●薬師社の狛犬
・1958年建立
薬師社の前には1対の狛犬がおられました。
ブタ鼻が可愛い小ぶりな狛犬でした。
それにしても、薬師さんと狛犬のセットってなかなか珍しいですね!見事に神仏習合しちゃってます。
今では本殿裏にひっそりと建つ薬師社しか仏教色がないのですが、いまだに大寺さんと呼ばれてるあたり、昔は仏教色の方が強い神社だったんだろうなぁ。とか思いつつ、境内を散策。
境内社
●境内社①②
本殿裏には、めちゃくちゃたくさんの神社を合祀した2つの境内社がありました。
●左の境内社
・産霊神社・北辰神社・大国魂神社・恵美須神社・少彦名神社・舟玉神社・楠本神社を祀る
●右の境内社
・熊野神社・厳島神社・兜神社・三宅八幡神社・琴平神社・神明神社・豊受神社を祀る
●境内社①②前の狛犬
・1846年建立
へちゃげた頭が可愛い小ぶりな狛犬でした。
頭の上が水平になってます。何か物が置けそう・・・(罰当たり)
●境内社③
●境内社③
・左 → 菅原神社・岩室神社
・中 → 舳松神社・松風神社
・右 → 白髭神社・塞神社
●境内社③前の狛犬
・建立年不明
・浪速型
ホリが深く、どこかしら欧米人っぽい作りの狛犬でした。
●三宝荒神社(竈神社)
●竈神社(三宝荒神社)
・庭津日命を祀る
●竈神社前の狛犬
・1860年建立
・浪速型
毛むくじゃらの口まわりが可愛い小ぶりな狛犬でした。
開口神社・境内社の狛犬はどれも小ぶりで可愛かったです。
ちなみに開口神社の狛犬は計12体。
こんなにたくさんいるのに、どれも個性がカブってないのがスゴいと思いました。
●豊竹稲荷神社
●豊竹稲荷神社
・倉稲魂命を祀る
●影向石
●影向石
影向石とは神様が座る石らしいです。
影向の際、祭神の塩土老翁神がこの石に座り、その後、住吉に向かって住吉大神になったとも。
行基菩薩と法談される時に座ったとも。
弘法大師と対面した時に座ったとも言われる石です。
●白一龍神社
どうやら歯痛に御利益があるそうです。
なぜか石には、お題目が彫られてるという。これもまた神仏習合の名残りなのでしょうか???
本殿裏には、めちゃくちゃたくさんの神社を合祀した2つの境内社がありました。
●左の境内社
・産霊神社・北辰神社・大国魂神社・恵美須神社・少彦名神社・舟玉神社・楠本神社を祀る
●右の境内社
・熊野神社・厳島神社・兜神社・三宅八幡神社・琴平神社・神明神社・豊受神社を祀る
●境内社①②前の狛犬
・1846年建立
へちゃげた頭が可愛い小ぶりな狛犬でした。
頭の上が水平になってます。何か物が置けそう・・・(罰当たり)
●境内社③
●境内社③
・左 → 菅原神社・岩室神社
・中 → 舳松神社・松風神社
・右 → 白髭神社・塞神社
●境内社③前の狛犬
・建立年不明
・浪速型
ホリが深く、どこかしら欧米人っぽい作りの狛犬でした。
●三宝荒神社(竈神社)
●竈神社(三宝荒神社)
・庭津日命を祀る
●竈神社前の狛犬
・1860年建立
・浪速型
毛むくじゃらの口まわりが可愛い小ぶりな狛犬でした。
開口神社・境内社の狛犬はどれも小ぶりで可愛かったです。
ちなみに開口神社の狛犬は計12体。
こんなにたくさんいるのに、どれも個性がカブってないのがスゴいと思いました。
●豊竹稲荷神社
●豊竹稲荷神社
・倉稲魂命を祀る
●影向石
●影向石
影向石とは神様が座る石らしいです。
影向の際、祭神の塩土老翁神がこの石に座り、その後、住吉に向かって住吉大神になったとも。
行基菩薩と法談される時に座ったとも。
弘法大師と対面した時に座ったとも言われる石です。
●白一龍神社
どうやら歯痛に御利益があるそうです。
なぜか石には、お題目が彫られてるという。これもまた神仏習合の名残りなのでしょうか???
石碑など
●与謝野晶子歌碑
この歌碑は、与謝野晶子が幼少時代に遊んだ開口神社のクスノキを見て詠んだ歌なんですって。
ちなみに与謝野晶子は堺の出身らしいです。
暇なので、いろんな角度から晶子を撮ってみる。
えらい迫力のある写真が撮れたなぁ。
●泉陽高等学校・堺の幼稚園教育発祥の地
●泉陽高等学校発祥の地(写真左)
どうやらこの地は、大阪府立泉陽高等学校の発祥地らしいです。
●堺の幼稚園教育発祥の地(写真右)
そして、堺の幼稚園教育発祥の地でもあります。
その他、三国丘高等学校発祥の地の碑がありました。
めちゃくちゃ学校を発祥してるなぁ。当時の風景が想像できない・・・。
●扇塚と歌塚と針塚
境内には様々な塚がありました。
探せばまだまだ見所がありそうですが、今日はこのへんで。
●境内の風景
ちなみに開口神社は街中に鎮座しております。
●堺山之口商店街
そんなこんなで神社を後にして、再び堺山之口商店街へ。
毎年9月に行われる八朔祭(例祭)でかつがれるふとん太鼓の模型を発見しました。
この歌碑は、与謝野晶子が幼少時代に遊んだ開口神社のクスノキを見て詠んだ歌なんですって。
ちなみに与謝野晶子は堺の出身らしいです。
暇なので、いろんな角度から晶子を撮ってみる。
えらい迫力のある写真が撮れたなぁ。
●泉陽高等学校・堺の幼稚園教育発祥の地
●泉陽高等学校発祥の地(写真左)
どうやらこの地は、大阪府立泉陽高等学校の発祥地らしいです。
●堺の幼稚園教育発祥の地(写真右)
そして、堺の幼稚園教育発祥の地でもあります。
その他、三国丘高等学校発祥の地の碑がありました。
めちゃくちゃ学校を発祥してるなぁ。当時の風景が想像できない・・・。
●扇塚と歌塚と針塚
境内には様々な塚がありました。
探せばまだまだ見所がありそうですが、今日はこのへんで。
●境内の風景
ちなみに開口神社は街中に鎮座しております。
●堺山之口商店街
そんなこんなで神社を後にして、再び堺山之口商店街へ。
毎年9月に行われる八朔祭(例祭)でかつがれるふとん太鼓の模型を発見しました。
御朱印
●御朱印
御朱印は社務所で頂きました。
御朱印は社務所で頂きました。