所在地 | 島根県益田市染羽町1−60 |
---|---|
祭 神 | 天石勝命 |
社 格 | 式内社・旧県社 |
由 緒 | 725年に創建。当初は瀧蔵権現と称していたそうです。808年、紀州熊野より十二社権現を勧請して合祀。931年には別当寺の勝達寺を建立し、代々七尾城主・益田氏の庇護を受けて発展したといいます。江戸時代、徳川幕府から庇護され、4代将軍・徳川家綱から14代・徳川家茂まで朱印状を賜り社領が安堵されたといいます。しかし、明治の廃仏毀釈で勝達寺は廃絶。それに伴い瀧蔵権現は染羽天石勝神社と改称したそうです。 |
境内入口と鳥居
●説明板
JR益田駅から東へ2km。
益田東高校のすぐ隣に鎮座しています染羽天石勝神社に到着。
染羽天石勝神社と書いてそめばあめのいわかつ神社と読むそうですよ。
この神社は、延喜式神名帳に記載された染羽天石勝命神社(石見国・美濃郡)に比定される式内社です。
神社の歴史は古く、725年に益田地方を開拓した春日族が始祖を石神として祀ったのが始まりなんだって。
ということで、もともとこの神社は社を設けず、弁天池の背後にある注連岩を石神として自然崇拝をしていたみたいです。
一体全体、どんな神社なんでしょ?
ドキドキワクワク。
そんなこんなで、参拝開始。
●境内入口
参道脇には、ショッキングピンクの社号標。
なんだかオトナの町にありそうな看板だね!
そんなことより、染羽という地名には諸説あるそうですよ。
●説① 注連岩説
弁天池の背後にある注連岩(シメイワ)が転じてシミハ → ソメハ → ソメバになったという説。
●説② 手力男命説
もともとこの地は岩石がそびえ立っていて、人が住める状態ではなかったという。
そこで村人たちは、天岩戸神話でお馴染みの力持ちの神・手力男命に祈念して開削に取りかかったんだって。
すると固い岩石がサックサクと砕けていったという!
そして、人が住める状態になったという。
このことに村人は歓喜し、手力男命の御恩を忘れないために、その村を尊場と命名したそうです。 その尊場が転じて染羽という地名になったという説。
自然崇拝を起源に持つ神社ということで、どちらの説も石に関係していますね!
●鳥居
●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居
続いて鳥居と石灯籠がお出迎えしてくれました。
なぁ~んか上手く写真が撮れないなぁ~と思ったら尋常じゃないくらい鳥居が傾いてる!
建立年は不明ですが、この傾き方を見る限り結構古そうな鳥居でした。
JR益田駅から東へ2km。
益田東高校のすぐ隣に鎮座しています染羽天石勝神社に到着。
染羽天石勝神社と書いてそめばあめのいわかつ神社と読むそうですよ。
この神社は、延喜式神名帳に記載された染羽天石勝命神社(石見国・美濃郡)に比定される式内社です。
神社の歴史は古く、725年に益田地方を開拓した春日族が始祖を石神として祀ったのが始まりなんだって。
ということで、もともとこの神社は社を設けず、弁天池の背後にある注連岩を石神として自然崇拝をしていたみたいです。
一体全体、どんな神社なんでしょ?
ドキドキワクワク。
そんなこんなで、参拝開始。
●境内入口
参道脇には、ショッキングピンクの社号標。
なんだかオトナの町にありそうな看板だね!
そんなことより、染羽という地名には諸説あるそうですよ。
●説① 注連岩説
弁天池の背後にある注連岩(シメイワ)が転じてシミハ → ソメハ → ソメバになったという説。
●説② 手力男命説
もともとこの地は岩石がそびえ立っていて、人が住める状態ではなかったという。
そこで村人たちは、天岩戸神話でお馴染みの力持ちの神・手力男命に祈念して開削に取りかかったんだって。
すると固い岩石がサックサクと砕けていったという!
そして、人が住める状態になったという。
このことに村人は歓喜し、手力男命の御恩を忘れないために、その村を尊場と命名したそうです。 その尊場が転じて染羽という地名になったという説。
自然崇拝を起源に持つ神社ということで、どちらの説も石に関係していますね!
●鳥居
●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居
続いて鳥居と石灯籠がお出迎えしてくれました。
なぁ~んか上手く写真が撮れないなぁ~と思ったら尋常じゃないくらい鳥居が傾いてる!
建立年は不明ですが、この傾き方を見る限り結構古そうな鳥居でした。
神楽殿
●神楽殿
●神楽殿
・建立年不明
・桟瓦葺 入母屋造
鳥居をくぐってしばらく歩くと大きな建物が登場。
ネットの情報によると、こちらは神楽殿のようです。
それにしてもデカい!
いち、にぃ、さん、しぃ・・・
なんと正面は桁行7間!
●屋根瓦(写真左)
神楽殿の屋根瓦では益田氏の家紋であります上がり藤に久の字を確認することができました。
どうやら益田氏は2つの家紋を使用しているらしく、もう1つの家紋に九枚笹の紋があるそうです。
益田市には益田氏ゆかりの寺社が点在していますが、どちらかといえば上がり藤に久の字の家紋の方がよく使用されているイメージがあります。
●神楽殿内(写真右)
せっかくなので、神楽殿をお邪魔させていただきました。
玄関には、古そうな絵馬が掲げられていましたよ。
左側の絵馬には明和4年の文字を確認できました。
ということで、1767年に奉納された絵馬のようです。
鳥居同様、この神楽殿も尋常じゃないくらい傾いていました!
柱が全部右に傾いてるぅぅぅ!
建立年は定かではありませんが、見た感じのベテラン感からして100年以上は経ってるっぽいです。
そんなこんなで、今後の維持管理が心配になったひと時でした。
●神楽殿
・建立年不明
・桟瓦葺 入母屋造
鳥居をくぐってしばらく歩くと大きな建物が登場。
ネットの情報によると、こちらは神楽殿のようです。
それにしてもデカい!
いち、にぃ、さん、しぃ・・・
なんと正面は桁行7間!
●屋根瓦(写真左)
神楽殿の屋根瓦では益田氏の家紋であります上がり藤に久の字を確認することができました。
どうやら益田氏は2つの家紋を使用しているらしく、もう1つの家紋に九枚笹の紋があるそうです。
益田市には益田氏ゆかりの寺社が点在していますが、どちらかといえば上がり藤に久の字の家紋の方がよく使用されているイメージがあります。
●神楽殿内(写真右)
せっかくなので、神楽殿をお邪魔させていただきました。
玄関には、古そうな絵馬が掲げられていましたよ。
左側の絵馬には明和4年の文字を確認できました。
ということで、1767年に奉納された絵馬のようです。
鳥居同様、この神楽殿も尋常じゃないくらい傾いていました!
柱が全部右に傾いてるぅぅぅ!
建立年は定かではありませんが、見た感じのベテラン感からして100年以上は経ってるっぽいです。
そんなこんなで、今後の維持管理が心配になったひと時でした。
拝所と本殿
●拝所
●拝所
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて登場したのは拝所。
一見、神門???
と思いましたが、扉がなかったので門ではなさそうです。
もともとここには拝殿が建っていたそうですが、老朽化により解体されたんだって。
ということで、拝殿の跡地に建立したのがこの拝所とのことです。
おそらく玉垣で囲まれた部分が、もともとあった拝殿のスペースだと思われます。
拝所には、徳川家の家紋であります三つ葉葵がありました。
江戸時代、徳川将軍家より朱印状を賜ったり、第二次長州征討・石州口の戦いの際、この神社は幕府軍の陣地にもなっています。
こういった歴史からも、徳川家と深い関係で繋がっていたことが想像できました。
拝所の横にはグニャグニャの石階段がありました。
鳥居と神楽殿は傾き、石階段はグニャグニャ・・・もしかして地面が動いてる???
なんだか時空が歪んでるような錯覚に陥る神社でした。
ぅん・・・あっ、木の根っこが階段を押し上げてる!
だからグニャグニャなのか(ひとりで納得)
そんなこんなで、グニャグニャの石階段を上ると
●本殿
はいドーーーン!
国重文の本殿が登場!
●本殿
・1583年建立
・檜皮葺 三間社流造
・総ケヤキ材
・国指定重要文化財
現在の本殿は1583年に益田藤兼と子の元祥が再建したものなんだって。
もともとあった本殿は1581年に焼失してしまったそうですよ。
本殿は三間社流造。
両側の縁のみに高覧が付くという珍しい造りになっています。
このような造りは重要文化財に指定されている建造物の中では唯一のものなんだって!
いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有り難き幸せ。
●主祭神
・天石勝命(アメノイワカツ)
天石勝命は益田地方を開拓した春日族の始祖なんだって。
染羽の地を開いた春日族が、石神として祀ったのがこの神社の始まりといわれています。
ということは、益田は畿内から移住してきた人が開拓した地なのかなぁ?
ちなみに、天石勝命の詳細は不明です。
●配祀神
①伊弉諾神(イザナギ)
国産み・神産みの男神。
②伊弉册神(イザナミ)
国産み・神産みの女神。
③天照大神(アマテラス)
イザナギの禊で産まれた神様。
④国常立神(クニノトコタチ)
古事記では神世七代の最初の神様。
日本書紀では初めて登場する神様。
⑤速玉男神(ハヤタマオ)
イザナギの唾から生まれた神様。
⑥事解男神(コトトケオ)
イザナギの唾を吹き払った時に生まれた神様。
⑦忍穗耳神(オシホミミ)
アマテラスの子で、ニニギの父。
⑧瓊瓊杵神(ニニギ)
アマテラスの孫。
天孫降臨で有名な神様。
⑨彦火火出耳神(ヒコホホデミ)
ニニギの子。フキアエズの父。
ホオリ、山幸彦で知られる神様。
⑩葺不合神(フキアエズ)
神武天皇の父。
⑪軻遇突智神(カグツチ)
イザナミの子。火の神様。
イザナミが死ぬ原因となった神様。
⑫埴安姫神(ハニヤスヒメ)
イザナミの尿から産まれた神様。
それにしても異常に配祀神が多いなぁ。
おそらく、いろんな神社を合祀したことにより、こんな大所帯になったんでしょうね。(勝手な推測)
●大元神社
●大元神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・大元神を祀る
本殿の隣には大元神社がありました。
もともとこの地には春日神社が鎮座していたそうですよ。
●拝所
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて登場したのは拝所。
一見、神門???
と思いましたが、扉がなかったので門ではなさそうです。
もともとここには拝殿が建っていたそうですが、老朽化により解体されたんだって。
ということで、拝殿の跡地に建立したのがこの拝所とのことです。
おそらく玉垣で囲まれた部分が、もともとあった拝殿のスペースだと思われます。
拝所には、徳川家の家紋であります三つ葉葵がありました。
江戸時代、徳川将軍家より朱印状を賜ったり、第二次長州征討・石州口の戦いの際、この神社は幕府軍の陣地にもなっています。
こういった歴史からも、徳川家と深い関係で繋がっていたことが想像できました。
拝所の横にはグニャグニャの石階段がありました。
鳥居と神楽殿は傾き、石階段はグニャグニャ・・・もしかして地面が動いてる???
なんだか時空が歪んでるような錯覚に陥る神社でした。
ぅん・・・あっ、木の根っこが階段を押し上げてる!
だからグニャグニャなのか(ひとりで納得)
そんなこんなで、グニャグニャの石階段を上ると
●本殿
はいドーーーン!
国重文の本殿が登場!
●本殿
・1583年建立
・檜皮葺 三間社流造
・総ケヤキ材
・国指定重要文化財
現在の本殿は1583年に益田藤兼と子の元祥が再建したものなんだって。
もともとあった本殿は1581年に焼失してしまったそうですよ。
本殿は三間社流造。
両側の縁のみに高覧が付くという珍しい造りになっています。
このような造りは重要文化財に指定されている建造物の中では唯一のものなんだって!
いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有り難き幸せ。
●主祭神
・天石勝命(アメノイワカツ)
天石勝命は益田地方を開拓した春日族の始祖なんだって。
染羽の地を開いた春日族が、石神として祀ったのがこの神社の始まりといわれています。
ということは、益田は畿内から移住してきた人が開拓した地なのかなぁ?
ちなみに、天石勝命の詳細は不明です。
●配祀神
①伊弉諾神(イザナギ)
国産み・神産みの男神。
②伊弉册神(イザナミ)
国産み・神産みの女神。
③天照大神(アマテラス)
イザナギの禊で産まれた神様。
④国常立神(クニノトコタチ)
古事記では神世七代の最初の神様。
日本書紀では初めて登場する神様。
⑤速玉男神(ハヤタマオ)
イザナギの唾から生まれた神様。
⑥事解男神(コトトケオ)
イザナギの唾を吹き払った時に生まれた神様。
⑦忍穗耳神(オシホミミ)
アマテラスの子で、ニニギの父。
⑧瓊瓊杵神(ニニギ)
アマテラスの孫。
天孫降臨で有名な神様。
⑨彦火火出耳神(ヒコホホデミ)
ニニギの子。フキアエズの父。
ホオリ、山幸彦で知られる神様。
⑩葺不合神(フキアエズ)
神武天皇の父。
⑪軻遇突智神(カグツチ)
イザナミの子。火の神様。
イザナミが死ぬ原因となった神様。
⑫埴安姫神(ハニヤスヒメ)
イザナミの尿から産まれた神様。
それにしても異常に配祀神が多いなぁ。
おそらく、いろんな神社を合祀したことにより、こんな大所帯になったんでしょうね。(勝手な推測)
●大元神社
●大元神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・大元神を祀る
本殿の隣には大元神社がありました。
もともとこの地には春日神社が鎮座していたそうですよ。
御朱印情報
●御朱印の種類
・染羽天石勝神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
●御朱印の受付時間
・9:00〜16:00頃
●御朱印の初穂料(料金)
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月17日 参拝
・2018年12月20日 参拝
・2021年1月 更新
・染羽天石勝神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
●御朱印の受付時間
・9:00〜16:00頃
●御朱印の初穂料(料金)
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月17日 参拝
・2018年12月20日 参拝
・2021年1月 更新
アクセスと駐車場
●最寄りの駅
・JR益田駅から徒歩30分
・JR益田駅から車で10分
●バス
・JR益田駅から
久城線・匹見線・大塚線・小浜江崎線
横田線・津和野線・蟠竜湖線・都茂線
(乗車時間 15分)
堀川橋で下車 徒歩5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・JR益田駅から徒歩30分
・JR益田駅から車で10分
●バス
・JR益田駅から
久城線・匹見線・大塚線・小浜江崎線
横田線・津和野線・蟠竜湖線・都茂線
(乗車時間 15分)
堀川橋で下車 徒歩5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり