神護寺の御朱印情報~京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5~

都道府県別
住 所京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5
宗 派高野山真言宗 別格本山
札 所 仏塔古寺十八尊 第7番
西国薬師四十九霊場 第44番
神仏霊場巡拝の道 第90番
由 緒824年、歴代天皇の側近として平安京遷都などに力を発揮した和気清麻呂によって創建された高雄山寺と神願寺が合併してできたお寺。その後、和気一族が最澄や空海をこの寺に招いて活躍の場とした為、仏教界に新風を送る事となり、平安仏教の発祥の地となったという。平安時代末期、文覚上人が荒廃した神護寺の姿を嘆き、後白河法皇の勅願を得て、源頼朝の援助とともに再興したらしい。
HP弘法大師霊場 遺迹本山 高雄山神護寺ホームページ
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ザックリと簡単に神護寺とは

●ザックリと簡単に神護寺とは

●正式名称
・神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)

●高野山真言宗 別格本山
・宗祖・・・弘法大師
・開基・・・和気清麻呂

●日本仏教にとって重要なお寺
・空海(弘法大師)が、東寺や高野山を開く前に住職として過ごしたお寺で、 真言密教の礎を築いた日本仏教にとって重要なお寺といわれてます。

・最澄が天台の基礎を築いたお寺です。
和気一族が、比叡山で修行に励んでいた最澄を招いて法華経の講義を行わせたといわれてます。

●最澄と空海ゆかりのお寺
・最澄と空海は同じ時期に遣唐使として唐へ留学しました。そして空海は日本に密教を持ち帰ります。帰国後、最澄は密教の教えが知りたくて、空海が持ち帰った経典の借用を依頼しました。しかし『密教とは書物で学ぶものではない』と、空海は拒否しました。最澄は空海からこの神護寺で3回に渡り灌頂を受け、密教に関して空海の弟子になりました。この時の灌頂暦名(国宝)には、最澄の名が最初に書かれてます。その後、考え方の違いからか、人間性の違いからか、最終的に2人は決別します。

●宝物
・国宝・・・点。
薬師如来像・五大虚空蔵菩薩坐像・伝・源頼朝像・灌頂歴名など。

・国重文・・・20点。

●かわらけ投げ
・かわらけ投げ発祥の地といわれてます。

●紅葉の名所
・標高924mの愛宕山山系の高雄山の中腹に位置する神護寺は紅葉シーズンになると大勢の参拝者で賑わうそうです。


境内はとても広いです。
勉強熱心だからか(自分で言うな)、はたまた歩くのが遅いからか、2時間以上の滞在となりました。

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神護寺までの道

●バスを降りると階段地獄


JR・京都駅からバスに揺られること約50分。山城高尾というバス停で下車。
神護寺は山深い所にあるっていうウワサを聞いていたので、ヤル気満々の山登り体勢に入っていたのですが、いきなり長い階段を下らされるという。



そして清滝川に架かる高雄橋を渡ると



今度は上りの階段!
下って上るという、1番メンタルがやられるパターンのやつです。
もちろん帰りも下って上ります。
ちなみに階段は400段くらいあるとのことです。



そんなこんなで、ヒィヒィながら階段を上ると楼門に到着。 正直、しんどい。

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楼門

●楼門は二天門

●楼門
・1623年建立 三間一戸


楼門は二天門となっております。
・左 → 増長天
・右 → 持国天


龍の尾垂木と法輪の蟇股。

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鐘楼

●三絶の鐘で有名な梵鐘は国宝!

●鐘楼
・1623年建立
・こけら葺 袴腰鐘楼
・京都所司代・板倉勝重が寄進

●梵鐘
・875年鋳造 国宝
・日本三名鐘の1つ
・別名・三絶の鐘

●三絶の鐘
国宝・梵鐘にある銘文は、当代一流の文化人3人が関わっていることから三絶の鐘と呼ばれてます。

・・・文人・広相が担当。
・・・菅原道真の父・菅原是善が担当。
・・・歌人で能書家・藤原敏行が担当。



ちなみに国宝・梵鐘は一般公開されてません。

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金堂

●堂内にて国宝・薬師如来像、伝・源頼朝像などを拝観

●金堂
・1934年建立
・瓦葺 入母屋造
・尾道市出身の実業家・山口玄洞が寄進

●国宝・薬師如来像と伝・源頼朝像

※ 画像はパンフレットより

●薬師如来立像
・奈良時代~平安時代作 国宝
・像高 170.6cm カヤ材の一木造

腰回りが太く、全体的にドッシリとした重厚感のある仏像さんでした。 肉髻は高く螺髪の1粒が異常にデカいです。その為が、顔に迫力を感じました。 薬壺を持つ手が胸の高さにあるのも珍しいと思いました。


●伝・源頼朝像(複製)
・鎌倉時代作 国宝
・縦143cm
・横112.8cm

教科書に載ってるヤツだ!と、少々興奮気味。こんなにもデカい画だったとは知りませんでした。教科書に源頼朝!と、自信満々に紹介していたのは昔の話で、今は・源頼朝になってるらしいです。一体全体、この方は誰なんでしょうねぇ。

その他、金堂内では、日光・月光菩薩立像(平安時代前期作・国重文)、十二神将立像、四天王立像、国宝・高雄曼荼羅(複製)、国宝・灌頂暦名(複製)を拝観することができました。

多宝塔

●国宝・五大虚空蔵菩薩像を安置

●多宝塔
・1934年建立
・尾道市出身の実業家・山口玄洞が寄進



※ 画像はBSフジ・日本人こころの巡礼。
第5話 京の都の仏像より

塔内には国宝・五大虚空蔵菩薩像が安置されてます。
虚空蔵菩薩さんは、密教・金剛界の如来が菩薩に姿を変えた仏さん。 5体にはそれぞれ鮮やかな色彩が施されてるそうです。

・法界虚空蔵(大日如来) → 白色
・金剛虚空蔵(阿閦如来) → 黄色
・宝光虚空蔵(宝生如来) → 青色
・蓮華虚空蔵(阿弥陀如来) → 赤色
・業用虚空蔵(不空成就如来) → 黒色

毎年5月と10月に各3日間ほど公開されてるそうです。

大師堂

●こけら葺きの住宅風の仏堂

●大師堂
・1596~1615年建立 国重文
・こけら葺 入母屋造

空海の住房であった納涼房を復興したものです。



・秘仏・板彫弘法大師像を安置
・板彫弘法大師像・・・1302年作 国重文

毎年・11月1日~15日に御開帳されるそうです。

毘沙門堂

●国重文の毘沙門天立像を安置

●毘沙門堂
・1623年建立
・銅板葺 入母屋造
・毘沙門天立像を安置
・毘沙門天立像・・・平安時代作 国重文

五大堂

●旧本堂である五大堂

●毘沙門堂
・1623年建立
・銅板葺 入母屋造

現・金堂が建立されるまでは、この五大堂が本堂だったそうです。
こちらに国宝・薬師如来像が安置されてました。

明王堂

●成田山新勝寺のルーツはここにあり

●明王堂
・建立年不詳
・瓦葺 寄棟造
・不動明王像を安置
・不動明王像・・・平安時代後期作



神護寺には空海作の不動明王像がありましたが、940年に平将門の乱の鎮圧の為に関東に出開帳されました。その後、不動明王像は関東の地にとどまりました。そしてその不動明王像を御本尊として成田山新勝寺が建立されたといわれています。

和気清麿呂公霊廟

●開基の和気清麿呂を祀る

●和気清麿呂公霊廟
・1934年建立
・和気清麿呂が祀られていた護王神社跡に建立

神護寺は、和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合併してできたお寺です。




●和気清麿呂とは
和気清麿呂とは奈良時代末期から平安時代初期に活躍した貴族です。地方豪族・和気氏(父は郡の長官)の長男として備前国藤野郡(現・岡山県和気郡和気町)で生まれました。宇佐八幡宮神託事件で有名な人です。


●ザックリと簡単に宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)とは

主な登場人物
・道鏡・・・僧侶
・孝謙上皇(称徳天皇)・・・女帝
・和気清麻呂・・・貴族

※ちなみに孝謙上皇(称徳天皇)と道鏡は恋仲。 道鏡のナニはとても立派だったようで、孝謙上皇はだいぶメロメロだったようです。 下半身で成り上がろうとした道鏡・・・男の中の男である。


道鏡は、孝謙上皇(女帝)の病を治したことから信頼を得て出世しました。

孝謙上皇と対立した最高実力者・藤原仲麻呂。 藤原仲麻呂は反乱を起こしましたが、孝謙上皇と道鏡の策によって殺されてしまいます。 孝謙上皇は、仲麻呂の推挙で天皇に立てられた淳仁天皇から皇位を剥奪。 淳仁天皇は淡路国に島流しにされました。そして孝謙上皇は称徳天皇になりました。

道鏡は称徳天皇の片腕となり、僧侶なのに太政大臣となります。 そして翌年には、なんと法王になります。 こうして、称徳天皇の寵愛を一身に受けた道鏡は、政治にしばしば介入しました。 朝廷の官僚たちは、仲麻呂を政界からの排除のために称徳天皇に協力しただけで、 孝謙上皇が天皇になることや道鏡が政治に介入することに賛同したわけではありませんでした。そんな中、道鏡の弟が『道鏡を天皇にしたら天下は泰平である』という内容の 宇佐八幡宮の神託を読み上げました。道鏡はこの神託にノリノリとなり天皇になることを望みました。

称徳天皇には子供がいなかった為、次は誰が天皇になるのか?という関心を集めていました。道鏡を次の天皇にしたかった称徳天皇は、改めて宇佐八幡宮に使者を送って、その神託が本当かどうか確かめさせることにしました。 その使者となったのは和気清麻呂。 道鏡は清麻呂に『あの神託が本物だといえば、出世させてあげるよ』的なことをそそのかせます。

そんなこんなで、清麻呂は天皇の勅使として宇佐八幡宮に派遣されました。 そして神託を持ち帰ります。

神託の内容は『この世ができて以来、我が国は臣下が君主になったことはありません。 だから必ず皇族を天皇に即位させよ。これに背くものは排除せよ』でした。

愛する道鏡を次の天皇にしたかった称徳天皇は大激怒! 清麻呂は左遷されてしまいました。さらに別部穢麻呂というわけのわからない名前に改名させられて大隅国へ島流しにされました。

その後、称徳天皇は崩御。道鏡は唯一にして最大の後ろ盾を失ってしまいました。 政界での力を失った道鏡は下野の薬師寺へ左遷。その後どうなったかはわかりません・・・。

そんなこんなで、宇佐八幡宮神託事件はザックリとこんな感じです。(ザックリのわりに長い)

地蔵堂


かわらけ投げがある展望広場に向かう途中にあります。どのような御利益があるお地蔵さんなんでしょう。説明板がなかったので詳しいことはわかりませんでした。とりあえず共通語であるオンカカカビサンマエイソワカを唱えて進む。

展望広場・かわらけ投げ

●かわらけ投げ発祥の地

なんと!この神護寺がかわらけ投げ発祥の地という。日本初とか日本最大とか日本で唯一とかのパーワーワードに弱い私は、もちろん発祥の地というワードにも弱い。テンション上がります。





そんなこんなで、売店で素焼きの皿(2枚・100円)を購入。錦雲峡に向けて投げてきました。それにしても絶景!

御朱印

●御朱印は通常4種

①仏塔古寺十八尊 第7番
②西国薬師四十九霊場 第44番
③西国薬師四十九霊場 御詠歌
④神仏霊場巡拝の道 第90番

いずれも金堂内の授与所で頂けます。

神護寺の地図

 

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