仙遊寺の御朱印|四国霊場 第58番|竜女伝説と五郎兵衛坂伝説|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県今治市)

所在地愛媛県今治市玉川町別所甲483
宗 派高野山真言宗
札 所四国八十八ヶ所 第58番
前後札所 ・前 → 第57番札所・栄福寺
・後 → 第59番札所・伊予国分寺
本 尊千手観世音菩薩
真 言おん ばさら たらま きりく
由 緒668~671年、天智天皇の勅願により、国守・越智守興が堂宇を建立したのが始まり。御本尊の千手観世音菩薩は、海から上がってきた竜女が一刀刻むごとに三度礼拝して彫ったという言い伝えがあるという。また僧・阿坊仙人が40年間このお寺で修行をした際、ある日突然姿を消してしまったという言い伝えがあるそうです。その後、空海(弘法大師)が四国霊場開創の際、荒廃していた七堂伽藍を修復して再興。江戸時代に荒廃してしまいますが、明治時代初期、高僧・宥蓮上人が再興したそうです。しかし、1947年の山火事で全山焼失。その後再建し、現在に至るそうです。
HP四国霊場第五十八番 作礼山 仙遊寺 公式サイト

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仙遊寺とは?


四国八十八ヶ所の第58番札所であります仙遊寺に到着。

第57番札所・栄福寺から3km。
徒歩50分。
車で10分のところに位置しています。

仙遊寺と書いてせんゆうじと読みます。

●仙遊寺とは?

668~671年、天智天皇の勅願により、伊予国守・越智守興が堂宇を建立したのが始まりといいます。

御本尊の千手観世音菩薩は、海から上がってきた竜女が一刀三礼で何日もかけて完成させたものだという。

このことから作礼山という山号になったそうです。


その後、阿坊仙人という僧が40年間山に籠って修行をし、七堂伽藍を整えたといわれています。

しかし718年、阿坊人は突然雲とぶかのように姿を消してしまったという!

それが仙遊寺という寺号の由来なんだって。


平安時代初期、弘法大師がこの地を訪れて修法を行い、荒廃していた七堂伽藍を修復して再興。

そして、病に苦しむ人々を救済するために井戸を掘ったという。


現在、その井戸はお加持の井戸として多くの信仰を集めているそうです。


その後、隆盛を極めますが、江戸時代に本堂と十二社権現だけを残して荒廃。。

しかし、明治時代初期に高僧・宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力したそうです。

ちなみに宥蓮上人は、1871年に日本最後の即身成仏として入定したお方なんだって。

当時、明治政府は即身成仏として入定することを禁止していましたが、宥蓮上人はそれに従うことなく入定したそうです。

そんなこんなで、境内には宥蓮上人を供養するための五輪塔があります。


その後、1947年に山火事で全山焼失。。

その際に仙遊寺文書も焼失してしまいますが、幸いなことに近隣の人々の協力により、御本尊と弘法大師像は焼失を免れたそうです。

その後、本堂や大師堂が再建され、現在に至るそうです。
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作礼山とは?

●作礼山とは?

仙遊寺は、標高312mの作礼山の山頂付近にあります。

現在は本堂などがあるメインエリアまで車で行けますが、昭和時代の中頃までは急な階段を上っていかないといけなかったんだって。

現在もその階段は遍路道として残っているらしく、多くの歩き遍路さんを苦しめているそうですよ。

お疲れ様です、歩き遍路さん!


作礼山は山号にもなっている山です。

創建時に、海から上がってきた竜女が、を登って一刀三で御本尊・千手観世音菩薩をったことが作礼山という山号の由来なんだって。

作礼山からは今治市街地はもとより瀬戸内海に浮かぶ島々、さらにはしまなみ海道も望むことができます。


仙遊寺がある高縄半島には瀬戸内海の要所・来島海峡があり、そこに永納山城が築かれていたそうです。

近隣には近見山(第54番・延命寺)のほか、いくつかの山があり、かつてその山々に築かれたお城や砦はこの地の防衛拠点だったといわれています。

眺望に優れた作礼山にも砦が築かれていたらしく、防衛拠点としてこの地を守っていたみたいです。

源平の戦いや南北朝時代の戦い、さらには戦国時代の内戦や長宗我部氏の侵攻・・・瀬戸内海では村上水軍の動きが活発に・・・。

そんな歴史の渦に巻き込まれながらも、仙遊寺は飛鳥時代から続く法灯を絶やすことなく存続しているんだね。

ちなみに、作礼山は今治市の名勝に指定されています。

そんなこんなで、参拝開始。
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仁王門と手水舎と鐘楼

●山門(仁王門)

●山門(仁王門)
・昭和時代建立(?)
・瓦葺 入母屋造

まず最初に登場するのは仁王門

と言いたいところですが、車遍路の場合、山頂付近に駐車場があるので、この仁王門を通過して本堂などが建ち並ぶメインエリアに向かうことになります。

そんなこんなで、仁王門を通過する前に撮影しました。

ネットの情報によりますと、仁王門からメインエリアまでは距離にして約400m。
急な階段が続くそうですよ。

ちなみに遍路道である階段は江戸時代に整備されたものらしく、現在も当時の石造物がたくさん残されてるんだって。


仁王門には補陀落山と書かれた扁額が掲げられていました。

・・・って、このお寺の山号は補陀落山ではなく作礼山!

こ、これはどういうことだぃ・・・(-“-;) ??

補陀落山とは観音さんが住んでいる山のことです。

ということで、もしかしたらこの扁額は御本尊千手観音さんが関係しているのかも知れませんね(-“-;) ??

あくまで推測です。

ちなみに補陀落といえば、第38番・金剛福寺補陀落渡海が有名です。

補陀落渡海とは、観音さんが住む補陀落山に向けて旅をする捨て身・葬送の航海のことです。

こちらに詳しく書いていますので、よろしかったら是非。
金剛福寺の御朱印|四国霊場 第38番|補陀落渡海の出発地!足摺岬にあるお寺さんです|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県土佐清水市)
所在地高知県土佐清水市足摺岬214−1宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第38番前後札所・前 → 第37番札所・岩本寺・後 → 第39番札所・延光寺本 尊三面千手観世音菩薩...


そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。

まるで塑像のような美白の仁王さんでした。

それにしても阿形さん・・・

『思ってたより重い!』

と言ってそうな・・・完全に手首が負けてます(笑)


●手水舎

●手水舎
・平成時代建立(?)
・瓦葺 切妻造

そんなこんなで、車で一気にメインエリアへワープ。

そして、手水舎でお清め。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・2016年改修
・瓦葺 入母屋造

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。

もともとこの鐘楼は境内の中央にあったそうですが、2016年に改修された際、現在地に移築したみたいです。

そんなこんなで、現在は境内の片隅にポツンと建っています。
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本堂

●本堂

●本堂
・1953年再建
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造

●本尊
・千手観世音菩薩

●真言
・おん ばさら たらま きりく

続いて、本堂で参拝。

この本堂は1947年の焼失後、昔のままの姿で再建されたものなんだって。


それにしても巨大な唐破風向拝が印象的なお堂でした。

向拝の下は広々とした空間が広がっているので、まるで堂内にいるような気分になりましたよ。


●本尊 千手観世音菩薩
・平安時代後期作
・像高 約180cm

堂内では御本尊の千手観音さんを拝顔することができました。

四国霊場では御本尊さまを秘仏とするお寺さんが多いですが、このお寺さんではフルオープン!

御本尊さまは平安時代後期の作。
痛みが激しかったため、京都国立博物館に依頼し、約3年を費やして修復されたものなんだって。

そんなこんなで、その修復を機に2004年からフルオープンで公開されるようになったという!

これは有り難いですねぇ。

南無観世音菩薩・・・
南無観世音菩薩・・・
南無観世音菩薩・・・

ちなみに、文化財の指定は受けてないみたいです。


由緒によると御本尊の千手観音さんは、創建時に海から上がってきた竜女が一刀三礼で刻んだものといわれていますが・・・

・創建 → 飛鳥時代
・本尊 → 平安時代後期

全く時代が合いませんが、そこはツッコまずにいっちゃいましょう!

そんなことより注目すべきは、にあるお寺なのに海洋信仰との結びつきが強いところ。

竜女がわざわざ海から山に登ってきたのが面白いですねぇ。

この竜女伝説からか、かつてこのお寺は山頂から礼拝していたそうですよ。

山のお寺なのに海を信仰するというね!
これはなかなか興味深いですねぇ。

ちなみに、このお寺には竜女の他にもう1つにまつわる伝説があるみたいです。

●ごろべえ坂伝説

その昔、仙遊寺にはまで聞こえる大きな太鼓があったそうな。

その太鼓は魚が逃げてしまうほど大きな音だったんだって。

そんなある日、漁師のごろべえが太鼓の音のせいで魚が漁れないと腹を立て、包丁で太鼓の皮引き裂いてしまったという!

しかしその帰り道、ごろべえは山の麓の転倒・・・そして腰を強打してくなってしまったという。。

それ以来、その坂はごろべえ坂と呼ばれるようになったそうです。

そして、ごろべえ坂を歩くときはゆっくりと気を付けて歩くようになったといわれています。

完。

五郎兵衛さん・・・南無。


その他、本堂の入口には大きな賓頭盧さんがおられました。

なんとこちら!

四国最大びんずるさんなんだって。

もしかして御利益も大きいかも?

そんなこんなで、頭をナデナデ・・・かしこくなりたい。
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大師堂

●大師堂

●大師堂
・1958年再建
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

御本尊さまに続き、お大師さまも拝顔することができました。

どうやらこのお寺の住職さんは四国八十八ヶ所の世界遺産登録に向けて熱心らしく、それもあって御本尊さまとお大師さまを通年公開しているみたいです。

有り難いですねぇ。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


その他、境内には千体仏・新四国八十八ヶ所のお砂踏み・龍燈桜の碑・仏足跡・子安観音像がありました。


そんなこんなで、参拝終了。

第59番・伊予国分寺へ続く。

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伊予国分寺の御朱印|四国霊場 第59番|伊予の国府で弘法大師の握手会|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県今治市)
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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2011年5月21日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊(創心舎)
・部屋数12室
・定員50名(要予約)

宿坊は近代的な建物で設備が良いらしく、さらに天然温泉精進料理もあるという!

そんなこんなで、お遍路さんからの評判が良い宿坊のようです。

ちなみに、無料で宿泊できる通夜堂もあるそうです。
通夜堂に宿泊する方でも天然温泉を利用することができるそうですよ。

●前後札所
・第57番札所・栄福寺へ3km
 徒歩50分
 車で10分

・第59番札所・伊予国分寺へ7.3km
 徒歩1時間30分
 車で15分

●最寄りの駅
・JR今治駅から徒歩1時間50分

・JR今治駅から車で20分

●最寄りのバス停
・せとうちバス
 大須木 バス停から徒歩55分

●最寄りのIC
・西瀬戸自動車道(しまなみ海道)
 今治ICから車で15分

●駐車場
・有料の専用駐車場あり(30台)

●駐車料金
・普通車 400円
・マイクロバス 1000円
・大型車 2000円

駐車料金は納経所で支払うシステムになっております。

仙遊寺の地図

 

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