八阪神社の御朱印|金子みすゞゆかりの祇園社|(山口県長門市仙崎)

所在地山口県長門市仙崎祇園1339番地
祭 神素戔嗚命・奇稲田姫命・蛇毒気神
由 緒奈良時代、吉備真備が遣唐使として中国に渡った際、素戔嗚尊に守られていることを感じたという。その縁で、733年に日本に帰国した吉備真備が素戔嗚尊を祀る祇園社を創建。それがこの神社の始まりといいます。その後、移転と再建を繰り返し、1678年に現在地に遷座。長門国唯一の祇園社ならびに長門一国の総鎮守として、厚東氏・大内氏・毛利氏が厚く崇敬。また地元の方からの信仰も厚く、祇園様という名で呼ばれ親しまれているそうです。
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八阪神社とは?

●境内入口

長門市仙崎祇園に鎮座する八阪神社に到着。

仙崎と言えば仙崎かまぼこクジラ金子みすゞさん!

どうやら、この八阪神社は金子みすゞさんゆかりの神社として知られているそうです。

また地名の祇園と社号の八阪神社でもわかるように、京都・八坂神社と同じスサノオを祀っており、地元の方から祇園様という名で呼ばれ親しまれている神社のようです。

●八阪神社とは?

奈良時代、吉備真備が遣唐使として中国へ渡った際、素戔嗚尊に守られていることを感じたそうです。

そんなこんなで、733年に帰国した吉備真備が、青海島王子山の山頂に素戔嗚尊を祀る祇園社を創建したのがこの神社の始まりといいます。

その後、長門国唯一の祇園社、さらに長門一国の総鎮守として崇敬されますが、1216年に台風の被害を受けて倒壊。

そのことにより、1219年に仙崎洲崎に遷座し州崎社と称したという。

室町時代から戦国時代、周防国の守護大名・大内氏が厚く信仰し、能面や捕鯨の様子を描いた捕鯨図を奉納したそうです。

しかし、江戸時代に火災で全焼してしまうことに。。
そんなこんなで、1678年に現在地に遷座し、長州藩2代藩主・毛利綱広が社殿を造営したそうです。

その後、明治時代初期に神仏分離令により八阪神社と改称。

地元では祇園様として親しまれ、毎年7月に祇園祭りが行われているそうです。

また童謡詩人・金子みすゞが作詩した祇園社の舞台となった神社としても知られているそうです。

そんなこんなで、参拝開始。
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鳥居と手水鉢と狛犬

●鳥居

●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居

まず最初に登場するのは鳥居


鳥居の扁額には長陽 八坂本宮と書かれておりました。

扁額には八坂と書かれておりますが、この神社の正式名称は八阪神社のようです。

神社・・・なんか違和感ありますねぇ。


ちなみに八坂ではなく八阪と称する神社は、過去に広島県尾道市にもありました。

こちらは正式名称は八坂神社なのに扁額が八阪神社という、逆パターンでした。


●参道

そんなこんなで、鳥居をくぐり境内へ。

時刻はすっぽり夕方。
もろに西日を受けた光り輝く参道がやけに神々しく感じたひと時でした。

そんなことより、正面に西日があるということはこの神社は東向きということかぁ。

東向きの神社ってちょっと珍しいですねぇ。

なんで東向きなんだろう・・・

もしかしたら、祇園社の総本社であります京都・八坂神社の方を向いてる?


●手水鉢

●手水鉢
・1937年奉納

それにしても巨大な手水鉢でした。


●狛犬

●狛犬
・1822年奉納
・萩型狛犬

続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。

狛犬ちゃんは萩型狛犬になっていました。

阿形ちゃんの口にはが。
そして、よく見たら吽形ちゃんは玉取り型になっていました。

しかも張り裂けそうなくらい玉が潰れてる!
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拝殿と本殿

●拝殿


●拝殿
・建立年不明
・銅板葺唐破風向拝付き瓦葺入母屋造

続いて、拝殿で参拝。

真っ赤に彩られた社殿ですが、なぜか木鼻と垂木と破風の彫刻だけ色が塗られていませんでした。


鳥居の扁額とは違い、拝殿の扁額は八ではなく八神社と書かれておりました。

そして拝殿内には祇園三天王と書かれた古そうな額が掲げられていました。

一体全体、耳辺みたいな字に亍と書いて何と読むのでしょ???


蟇股には毛利家の家紋であります三ツ星一文字

どうでもいい話しですが、私はこの家紋のことを一品と呼んでいます。


そんなことより、八阪神社が鎮座する長門市は、長州藩主・毛利氏が拠点とした萩市のお隣にある市です。

つまりこの八阪神社は長州藩主のお膝元に鎮座する神社です。
そのこともあって、江戸時代には毛利氏が厚く信仰していたといわれています。


ちなみに毛利氏の他に、周防国の守護大名・大内氏からの信仰も厚かったといわれています。

1551年、大内氏の第16代当主・大内義隆さんがこの神社を参拝し、直垂と太刀を奉納したといわれています。

その後、大内義隆さんは八阪神社から約9km離れた大寧寺自害(大寧寺の変)。
そんなこんなで、長門市は大内氏の事実上の滅亡地でもあります。

大内義隆さんが八阪神社を参拝したのは1551年の8月

そして大寧寺の変で自害したのが1551年の9月

なんと、大寧寺の変が起こる直前にこの神社を参拝しているという。

そんなこんなで、家臣・陶晴賢のクーデターで山口を追われた義隆さんは命からがらこの地に逃れ、そしてこの神社で何かを願ったと思われます(推測)

願いは通じなかった・・・無念。。

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それにしても荒々しいが施された蟇股が素敵な社殿でした。

基本的に波の彫刻には火災除けの意味がありますが、八阪神社が鎮座する仙崎は古くから漁業で栄えた町ですので、もしかしたらこの波には大漁祈願航海安全の意味も込められているのかも知れません。


●本殿

●本殿(覆屋)
・建立年不明
・銅板葺 千鳥破風付き流造
・御祭神 素戔嗚命
     奇稲田姫命
     蛇毒気神

本殿は覆屋で囲われているため拝見することはできませんでした。

八阪神社ということで、御祭神は素戔嗚命奇稲田姫命

そして蛇毒気神!?!?

ななな、なんだこのヒール感満載な神様は???

調べてみると、蛇毒気神と書いてだどくけのかみと読むそうです。

●蛇毒気神とは?

蛇毒気神は、牛頭天王頗梨采女との間に産まれた神様といわれていますが、実のところ正体は不明・・・とのことです。

そんなこんなで謎の多い神様ですが、蛇毒気神にはいくつかの伝説があるみたいです。

●伝説①
牛頭天王が、妻・頗梨采女と七王子とともに海を渡って日本に帰ろうとしていたときのこと。

突然、海上に赤い頭の毒蛇が現れたという!

そして毒蛇は
自分もあなたの王子だ
と言ったんだって。

しかし牛頭天王は身に覚えがないと答えました。

すると毒蛇は
『頗梨采女が乳水を搾り出したとき、七王子と同じように自分の口にも乳水が入ったため、七王子と同じように私もあなたの王子なのだ』
と言ったという!

そんなこんなで、毒蛇は蛇毒気神として8番目の王子に加わったという。
そして七王子から八王子になったんだって。

ちなみに全国にある八王子という地名はこの話が起源という説があるそうです。


●伝説②
牛頭天王とスサノオ、そして頗梨采女とクシナダヒメ同一視されたのと同じように、蛇毒気神はヤマタノオロチのことを指しているという説があったりします。

ちなみに蛇毒気神は、かつては祇園社(京都・八坂神社)に祀られていた神様なんだって。

大寧寺の御朱印|大内義隆の終焉地|境内はまるで石塔の博物館|(山口県長門市)
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稲荷神社と灯籠と謎の石造物

●稲荷神社

●稲荷神社
・建立年不明
・銅板葺 妻入り入母屋造
・御祭神 宇迦之御魂神

境内には鳥居参道が素敵な稲荷神社も鎮座していました。

説明板がなかったため詳しいことはわかりませんが、石鳥居が1759年建立でしたので、少なくとも江戸時代には鎮座していた神社だと思われます。


稲荷神社の隣には大きな木がありました。

どうやらこちらはホルトノキという木のようです。


それにしても躍動しまくりの根っこが凄かったです。

柵から飛び出してるんですよ。

まるで漁網にかかった魚になった気分です。

ちなみにネットの情報によると、このホルトノキは樹齢約300年とのことです。


●灯籠①

●灯籠①
・1804年奉納

境内には様々な形の灯籠がありました。

その中でも圧倒的な存在感だったのが拝殿前の青銅製灯籠

火袋にあしらった見事な16菊花紋が絶品!


●灯籠②

●灯籠②
・1771年奉納

こちらは参道脇の石灯籠です。

大きな宝珠と請花が特徴的な灯籠でした。


●灯籠③

●灯籠③
・1769年奉納

こちらの灯籠も大きな宝珠と請花が特徴的な灯籠でした。

もしかしたらこの形態は長門地方の特色なのでしょうか?


●灯籠④⑤

その他、楼閣のような灯籠や笠のない灯籠などなど。

灯籠鑑賞だけでもお腹いっぱいになる神社でした。


●謎の石造物


●謎の石造物
・1774年奉納

そして気になったのが、この石造物!

一見、鳥居かな?
と思いましたが、鳥居ではなく!

ならば井戸かな?
とも思いましたが、井戸でもなさそう・・・(-“-;) ??

一体全体、これは何なのだぃ?

見れば見るほどが膨らむ物体でした!


もしかして御旅所???


その他、境内には池がありました。
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金子みすゞと八阪神社(祇園社)

●金子みすゞと八阪神社

童謡詩人・金子みすゞさんが、仙崎の景色を詠った童謡8編を仙崎八景といいます。

その仙崎八景の1つが祇園社(八阪神社)です。

●祇園社

はらはら
松の葉が落ちる
お宮の秋はさみしいな

のぞきの唄よ
瓦斯の灯よ

赤い帯した
肉桂よ

いまはこはれた氷屋に
さらさら
秋風ふくばかり

金子みすゞ

いかんせん詩ごころのない私ですので、読んだまんまの解釈しかできませんが、おそらく八阪神社で感じた秋の寂しさをを詠った詩なのでしょう。

ちなみに八阪神社から徒歩5分のところには、みすゞさんが幼少期を過ごした金子文英堂(現・金子みすゞ記念館)があります。

きっとみすゞさんはこの神社を足繁く参拝し、季節の移り変わりを感じていたんだろうなぁ〜とか感じつつ、参拝終了!

仙崎と金子みすゞ

●仙崎みすゞ通り

そんなこんなで、八阪神社から徒歩5分。

金子みすゞさんが幼少期を過ごした仙崎の町を散策してきました。


●金子みすゞ記念館

こちらは、みすゞさんが幼少期を過ごした金子文英堂跡にオープンした金子みすゞ記念館です。

館内ではみすゞさんの作品はもちろん、みすゞの部屋(復元)や当時の居住空間を見学することができましたよ。


●金子文英堂

金子みすゞ記念館の隣には金子文英堂という本屋さんがありました。

おそらくこちらは、みすゞさんの実家である金子文英堂を再現した建物だと思われます。


●みすゞこうぼう(泉邸の米蔵)

●みすゞこうぼう(泉邸の米蔵)
・1912年頃建立

もともとこの建物は泉邸の米蔵だったそうです。

現在はみすゞさんの詩を基に作曲するシンガーソングライター・もりいさむさんの活動拠点になってるんだって。


●モザイク画

仙崎の町はみすゞさん一色になっていて、町の至るところでみすゞさんのモザイク画を見ることができました。

仙崎といえばかまぼこ

なんと、このモザイク画はかまぼこ板でできているという!



さらになんとこのモザイク画は、レンチキュラーのように見る角度によって画が変わるという!

しかも、かまぼこ板の1枚1枚にメッセージが書かれているというね。


●プロジェクトM20000

続いて、プロジェクトM20000という施設を見学。


ということで、建物の中に入る・・・秘密基地感がスゴっ!

よく見たら、壁一面がかまぼこ板だぁ!


そんなこんなで、スイッチを押してみると


じゃじゃ〜ん!

なんと、壁一面にが浮かび上がるという!

まるで海の中にいるみたい!


どうやらこのモザイク画は、みすゞさんの代表作・大漁をイメージして作られたもののようです。

そんなこんなで、大漁の朗読を聞きながらイワシの大群に囲まれる。
囲まれるというか、自分もイワシになった気分ですよ。

いやはや、幻想的な空間でした。

●大漁

朝やけ小やけだ大漁だ
大ばいわしの大漁だ

はまは祭りのようだけど
海のなかでは

何万のいわしのとむらい
するだろう

金子みすゞ


かまぼこ板にはプロジェクトに参加した方々のメッセージが書かれていました。

そんなこんなで、かまぼこ板鑑賞。



私もそっち寄りの人間だから気持ちはわかるけど!

もっと真面目にやろうよ・・・(笑)

みすゞさんが悲しむよ・・・

と思ったけど、ここであの名言が頭をよぎる・・・


・・・



・・・・・




みんなちがって みんないい!

ということで、みんな正解!


●八百屋のお鶴

さらに仙崎の町をプラプラ。

すると、町の至るところでみすゞさんの詩を見ることができました。

こちらは八百屋のお鶴で詠まれた八百屋さんです。


●角の乾物屋

こちらは角の乾物屋で詠まれた乾物屋さんです。


●遍照寺(金子みすゞのお墓)

仙崎みすゞ通りを抜けると、みすゞさんのお墓がある遍照寺がありました。



そうこうしていると西日がMAXになってきました。








BKBヒィィィヤ!

御朱印情報

●御朱印情報

境内に貼ってあったこのメモを解読して宮司さんのお宅に向かいました。

●御朱印の種類
・八阪神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・宮司さんのお宅

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2014年3月22日 参拝
・2022年5月 更新
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参拝情報とアクセス

●JR仙崎駅
●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR仙崎駅から徒歩5分

●最寄りのバス停
・八坂神社前 バス停から徒歩2分

●最寄りのIC
・中国自動車道
 美祢ICから車で45分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(5台)

八阪神社の地図

 

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