萩の世界遺産巡り|情熱と試行錯誤の産業革命|(山口県萩市)

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萩の世界遺産とは?


ヤバいです。
首のヘルニアがヤバいのです。
ずっと右手がシビレてるのですよ。

握力はなんと驚愕の20!
調べてみると、女子以下。
小学6年生(男子)並みの握力だという。

ということで、お医者さんから宣告されたのは絶対安静!

そんなこんなで、仕事の長期休暇を余儀なくされました。

もうかれこれ1ヶ月休んでおる。

でも、もう飽きたよねぇ~。
家で寝てることに!

やっぱ出掛けちゃうよね!

そんなこんなで、萩の世界遺産巡りをしてきました!

檻から飛び出した猿のごとくウッキウキですよ。

●世界遺産 明治日本の産業革命遺産とは?

2015年、世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成の1つとして登録された史跡。

江戸時代末期、長州藩の人々は積極的に西洋の技術を学び、試行錯誤しながら自力産業の近代化に挑戦しました。

『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』は、山口・福岡・長崎・熊本・鹿児島・佐賀・静岡・岩手の8県11市にある23の史跡から構成されていて、 萩エリアでは産業技術導入の最初期の遺産群として5つの史跡が登録されています。

●萩の世界遺産
① 萩反射炉
② 恵美須ヶ鼻造船所跡
③ 大板山たたら製鉄遺跡
④ 萩城下町
⑤ 松下村塾
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萩反射炉

●萩反射炉

まず最初に訪れたのは萩反射炉

萩反射炉と書いてはぎはんしゃろと読みます。

ヘルニアのくせに憎たらしいほどの躍動感!

痛いんですよ、本当は!

●萩反射炉とは?

江戸時代、大陸に近い長州藩・薩摩藩・肥前藩・土佐藩は、アヘン戦争での清国(中国)の敗戦やペリーの黒船来航により危機感を募らせ、敵軍が侵入しないように海防の強化に取り組みました。

各藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに、自力で射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤しました。

当時、鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていたという。

ということで、長州藩はすでに反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造方法を伝授してもらおうとしました。

1回は断られますが、その後、反射炉をスケッチすることが許可され、持ち帰ることに成功したという!


そんなこんなでこの反射炉は、1856年に海防強化の一環として西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した長州藩が、試行錯誤の末に完成させた遺跡となっております。

ちなみに、日本に現存する反射炉の遺構は、静韮山反射炉(静岡県)と旧集成館(鹿児島市)と萩反射炉の3ヶ所のみなんだって。



●萩反射炉
・1856年建造
・高さ 約10.5m
・上部 レンガ積み
・下部 石積み(安山岩と赤土)
・国指定史跡
・世界文化遺産


反射炉の高さは約10.5m。

煙突部分はレンガ積み。
上部の約5mほどが二股に分かれていますが、実際はそれぞれ独立した2本の煙突になっているそうです。


下部は安山岩積み。
当時、石積みは漆喰で塗られていたそうです。

文献調査の結果、スケッチした図面は見つかりませんでしたが『安政3年に反射炉を試作的に築いて大砲などの鋳造を試みたが、本格的に反射炉を築造することを中止した』という古文書が発見されたそうです。

そんなこんなで、この反射炉は試験的に建造された試作炉で、試行錯誤による産業化を示す貴重な遺産となっております。

石積みは地元の石工の技術。
レンガは小畑焼の登り窯の技術。

このように日本が産業化する初期は、江戸時代に培われた在来の技術を利用して試行錯誤をしていたことがわかりますね!

●反射炉の構造と特徴

構造は(燃焼室)と溶解室煙突に分けられているみたいです。

①燃焼室の炎と熱をドーム形の天井に反射させて熱を集中させ、溶解室に置いた原料鉄を溶かす

②高い煙突を利用して大量の空気を送り込み、炉内温度を千数百度にする。
そうすることによって、鉄に含まれる炭素の量を減らし、鉄製大砲に必要な軟らかくて粘りのある鉄に変える。

とのことです。

あたしゃ阿保なので、仕組みを理解するまでまぁまぁ時間がかかってしまいました・・・(-“-;) ??


でもまぁ、古代遺跡のようなビジュアルを見るだけでもじゅうぶん楽しめるスポットでした!


●萩反射炉のアクセス


●所在地
・山口県萩市椿東4897−7

●料金
・無料

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(21台)
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恵美須ヶ鼻造船所跡

●恵美須ヶ鼻造船所跡

続いて、恵美須ヶ鼻造船所跡に到着。

恵美須ヶ鼻造船所跡と書いてえびすがはなぞうせんじょあとと読みます。

長州藩は、幕府の要請や長州藩士・桂小五郎(木戸孝允)の意見により、西洋式軍艦の建造も試みたという!

そんなこんなで、ここは長州藩が建設した造船所の遺跡で、丙辰丸庚申丸という2隻の西洋式帆船を建造した場所なんだって。

●恵美須ヶ鼻造船所跡とは?

江戸時代初期、徳川幕府は大名統制のために軍艦の建造を禁止する大船建造禁止令を発令しました。

しかし1853年、ペリーの黒船が来航したことにより、幕府は禁止令を解禁し、長州藩に軍艦を建造するように命じたという。

さらに1855年、長州藩士・桂小五郎(木戸孝允)が軍艦建造の意見書を藩に提出したという。

そんなこんなで、長州藩主・毛利敬親が西洋式軍艦の建造を決定!

当時、伊豆半島の戸田村で、ロシア人海軍将校のプチャーチンが地元の船大工を使って西洋式木造帆船を建造していたそうです。

ちなみに、これが日本人による初の本格的な洋式船建造といわれています。


そんなこんなで、長州藩は戸田村に船大工の棟梁を派遣し、建造に携わった技術者を萩に招きました。

そして1856年、恵美須ヶ鼻に造船所を建設し、ロシアの技術を用いて丙辰丸を完成!

さらに1860年にはオランダの技術を用いて庚申丸を完成させたという!

このように、1つの造船所でロシアとオランダという異なる国の造船技術で船を建造したのは全国で唯一の例なんだと!

さらに幕末に建設された帆船の造船所として唯一遺構が確認できるスポットなんだと!

そのことが高く評価され、世界遺産の構成資産に選ばれたんだって。


●丙辰丸(へいしんまる)

●丙辰丸
・1856年建造
・全長 約25m
・西洋式木造帆船(ロシア技術)

丙辰丸は、長州藩の主力艦として海軍の練習と国産交易に利用されたそうです。


●庚申丸(こうしんまる)

●庚申丸
・1860年建造
・全長 約44m
・西洋式木造帆船(オランダ技術)

1863年、関門海峡でアメリカの商船・ペンブローク号を砲撃(下関戦争)。

翌月、アメリカ・ワイオミング号の報復攻撃を受けて撃沈しました。

庚申丸は近代日本の幕開けとなる下関戦争で有名な船ですね!

ここで庚申丸が造られたのかー!

興奮!


そんなこんなで、造船所跡をプラプラと散策。


建物の跡地をで再現されていました。


想像の中で建物を建てる・・・

そんなこんなで、何もない原っぱを想像力のみで散策します。



この史跡で100%楽しむためには予備知識研ぎ澄まされた感性が必要だね!


●恵美須ヶ鼻造船所跡のアクセス


●所在地
・山口県萩市椿東5159-14

●料金
・無料

●駐車場
・無料の専用駐車場あり
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大板山たたら製鉄遺跡

●大板山たたら製鉄遺跡

続いて、大板山たたら製鉄遺跡に到着。

大板山たたら製鉄遺跡と書いておおいたやまたたらせいてついせきと読みます。

その名の通り、日本の伝統的な製鉄方法であるたたら製鉄の遺跡です。

ここでは、恵美須ヶ鼻造船所で建造した丙辰丸で使用したが作られていたんだって。

ちなみにこの遺跡は山奥にあるため、萩の世界遺産の中で1番アクセスが不便なところにあります。

●大板山たたら製鉄遺跡とは?

たたら製鉄とは、砂鉄木炭で燃焼させて鉄を作る方法のことなんだって。

中国山地は、良質な砂鉄と炭の原料となる木材が豊富に産出されるため、古来より製鉄が盛んだったんだとか。

そんなこんなで、ここで生産された鉄は、恵美須ヶ鼻造船所で建造した西洋式帆船・丙辰丸イカリに使用されたそうですよ。

このことは古文書にも書かれているらしく、それが評価されて世界遺産の構成資産に選ばれたんだって。

大板山たたら製鉄遺跡は、1750〜1860年代の間に3回稼働しているみたいです。

●1回目
・1751~1764年のうちの8年間。

●2回目
・1812~1822年

●3回目
・1855~明治時代初期


この遺跡は山口県内最大級のたたら製鉄跡といわれ、発掘調査の際に高殿と呼ばれる製鉄炉など、たくさんの生産遺構が確認されたんだって。



ここにたたら製鉄が設置されたのは、周りに炭の原料となる豊富な山林があったから。

そして、日本が急速に産業革命を実現できたのは、日本で培われた高度な匠の技術があったからなんですね!


原料の砂鉄は、北前船を利用して井野村(島根県浜田市)から奈古港(山口県阿武町)へ運ばれ、そこから馬を使って大板山たたらへ搬入されたそうです。

恵美須ヶ鼻造船所への鉄の輸送は、馬を使って運び出し、船で奈古港から恵美須ヶ鼻造船所へ運ばれたといわれています。


遺跡にはこういったアナログバーチャルな設備が設置されておりました。


建物の絵に書いてある丸いポイントと


跡地に設置された赤いポイントを合体させると


跡地に建物が建つという!

これはナイスアイデアですね!




ここの遺跡は、恵美須ヶ鼻造船所跡よりはわかりやすくて楽しかったです。

製鉄の方法がとてもよく理解できましたよ。


●大板山たたら製鉄遺跡のアクセス


●所在地
・山口県萩市紫福大板257−1

●料金
・無料

●駐車場
・無料の専用駐車場あり
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萩城下町

●萩城下町

続いて、萩城下町に到着。

●萩城下町とは?

この萩城下町は当時の地域社会における政治行政経済を表す資産となっており、城跡・旧上級武家地・旧町人地の3地区から成っています。

江戸時代の伝統身分制度
そして社会経済の構造が非常によく表されていることが評価され、世界遺産の構成資産に選ばれたんだって。

江戸時代末期、ペリーの黒船を目の当たりにした日本は、西洋技術を導入して産業化を目指しました。

そんなこんなで、試行錯誤をしながら自力で産業化を試み、この町で長州藩の産業化についての政策形成が行われ、急速に近代日本の産業革命が進むことになりました。


①城跡

萩城は長州藩の政治行政中心地で、産業化や西洋技術の導入についての政策が打ち出された場所。

長州藩13代藩主・毛利敬親さんは、萩反射炉や恵美須ヶ鼻造船所の建設を決定するなど、近代産業化のきっかけを作りました。

1874年に天守閣は解体されましたが、現在まで石垣と内堀は良好な状態で残っており、幕末の産業化における政治的拠点の姿を今に伝えています。


②旧上級武家地

旧上級武家地は、萩城とともに長州藩の政治行政中心地で、産業化などについての政策形成の場でした。


③旧町人地

旧町人地は、城下町やその周辺で営まれていた商業活動小規模工業を基盤とした当時の伝統的経済の姿が残っています。

当時、城下町に高度な匠の技があったからこそ日本の産業化が急速に進んだと考えられていて、旧上級武家地や旧町人地には江戸時代の町割り、上級武家や維新の志士などの屋敷石垣などが良好な状態で残っています。



そんなこんなで、萩城下町をプラプラと散策。

約260年間、萩の城下町として栄え、現在も江戸時代の町筋が色濃く残っていました。


気分は江戸人。

情緒こぼれまくりの町並みをのんびりと歩く。


景観を乱すため、城下町には道路標識などはありません。

その代わりに小さいミラーが地面に置いてあるという、苦肉の策!


●堀内鍵曲

現在の堀内地区は萩城三の丸だった場所で、藩の役所上級武士の邸宅が建ち並んでいたエリアです。

堀内鍵曲は、直角の道と左右の高い土塀により視界の効かない構造になっていて、外敵の侵入を防ぐ造りになっていました。

ちなみに鍵曲と書いてかいまがりと読みます。


●平安古鍵曲

こちらは平安古地区鍵曲です。

江戸時代、堀内地区に屋敷を構えていた重臣たちは、堀内が手狭になったため新たに平安古地区に下屋敷を構えました。

ちなみに、平安古鍵曲と書いてひやこかいまがりと読みます。


●高杉晋作旧宅

城下町にはたくさんの見どころがありますが、私的に1番グッときたのはここ!

高杉晋作さんの誕生地!


1839年、晋作さんはここで誕生。

1857年、久坂玄瑞さんに誘われて松下村塾に入門。
そして吉田松陰先生の教えを受けたといいます。

その後、奇兵隊の創設。
そして四国連合艦隊との講和談判
さらに功山寺挙兵第二次長州征伐(四境戦争)など、明治維新のために力を尽くしましたが、維新の現実を見ることなく28歳で死去。。


旧宅内では晋作さんゆかりの品などを拝観できました。


こちらは奇兵隊が使用した銃弾と銃弾箱。


こちらは晋作さんが坂本龍馬さんに贈ったピストルのレプリカです。


面白いなぁ〜と思ったのが、1857年に出された人相書

今でいう指名手配です。

・左 → 西郷隆盛さん
・中 → 高杉晋作さん
・右 → 平野次郎さん

全然似てない・・・ような(笑)

これ、何かの手掛かりになったのかなぁ?


あと、旧宅内には晋作さんの産湯の井戸がありました。

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●木戸孝允旧宅

こちらは木戸孝允さんの誕生地です。

1833年、木戸孝允さんはこの家で誕生。
江戸に出るまでの20年間をここで過ごしたそうです。

薩長同盟を結ぶなど、明治維新に力を尽くした方です。


●円政寺

こちらは高杉晋作さんや伊藤博文さんが勉学に励んだお寺さんです。



●青木周弼旧宅と旧佐伯丹下家屋敷

●青木周弼旧宅(写真左)
青木周弼さんは長州藩主・毛利敬親さんの侍医を務めたお方。

●旧佐伯丹下家屋敷(写真右)
佐伯丹下さんは幕末に直目付や撫育方仕組掛や奥番頭役など藩の要職を歴任したお方。


●菊屋家住宅と旧久保田家住宅

●菊屋家住宅(写真左)
・江戸時代初期建立

藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅。

●旧久保田家住宅(写真右)
・江戸時代後期建立

久保田家は呉服商・酒造業を営んでいた家柄。


●高杉晋作像と久坂玄瑞像

●高杉晋作立志像(写真左)
晋作広場にあります。

●久坂玄瑞進撃像(写真右)
中央公園にあります。


萩といえば萩焼!


そして萩といえば夏みかん!

夏みかんソフトが美味しかったです。

うぅ~ん、背景にピントが合ってしまいましたねぇ。


●萩城下町のアクセス


●所在地
・山口県萩市呉服町1丁目

●萩城下町の料金
・無料

●駐車場
①萩博物館前駐車場(萩城下町近く)
②中央公園駐車場(萩城下町近く)
③萩・明倫センター駐車場(萩・明倫学舎近く)

●駐車場の料金
・普通車 310円
・大型車 1050円

上記3ヶ所の有料駐車場は、最初に利用した駐車場の領収書を提示すると、2ヶ所目以降の駐車料金が当日限り無料になります。
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松下村塾

●松下村塾

そんなこんなで、萩世界遺産巡りの最後は松下村塾!

松下村塾と書いてしょうかそんじゅくと読みます。


そもそも、なんで長州藩は製鉄や造船などの近代化に力を注いだのでしょうか?

そこには、松下村塾を主宰した吉田松陰さんの存在が大きかったといわれています。

ペリーの黒船を目の当たりにした松陰先生は海防の必要性と工学教育の重要性を感じ、自力で産業近代化の実現を図ろうとしました。

その情熱は凄まじく、西洋の産業や技術を知りたいという想いから黒船に乗り込んでアメリカに密航しようとしたほどでした。

松陰先生の教えは、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・木戸孝允・山縣有朋など、後に明治維新の原動力となる偉人に大きな影響を与えました。

その教えを説いた場所こそが、ここ松下村塾なのです!

ある意味、ここが近代日本の幕開けなのです。


初代内閣総理大臣の伊藤博文さんは、明治政府に工業・造船・鉄道などを推進する工部省を設け、長州ファイブの1人・山尾庸三さんは東京大学工学部の前身となる工部大学校を設置。

江戸時代末期から明治時代後期までの約60年間で日本が産業革命を成し遂げた背景には、松下村塾での松陰先生による教えが大きく影響しているという。

そんなこんなで松下村塾は、その教えを説いた場所ということから世界遺産の構成資産に選ばれたんだって。


ちなみに、松下村塾は松陰神社の境内にあります。

松下村塾については、こちらに詳しく書いています。



そんなこんなで、萩の世界遺産巡りは終了!

萩の世界遺産巡りは移動距離が結構ありますので、1日で5ヶ所すべてをガッツリと巡るには、ちょっとばかりの時間と体力が必要です。

でも、首の激イタと握力20の私が巡れたので、多分大丈夫!


●松下村塾(松陰神社)のアクセス


●所在地
・山口県萩市椿東1537(松陰神社境内)

●拝観料
・無料

●駐車場
・松陰神社の境内と神社前の交通公園に無料駐車場があります。

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