豊玉姫神社の御朱印|豊玉姫が崩御した知覧に鎮座|水車からくり人形がスゴい!(鹿児島県南九州市)

所在地鹿児島県南九州市知覧町郡16510
祭 神 ・豊玉姫命・彦火々出見命
・豊玉彦命・玉依姫命
由 緒 創建年は不詳。知覧を統治していた豊玉姫が崩御した後、人々が豊玉姫の宮居跡に社殿を建立したのがこの神社の始まりといわれています。1573〜1591年に火災で焼失。その後、1610年に領主・島津忠充が現在地に遷宮。それが現在の豊玉姫神社といわれています。
HP豊玉姫神社|公式サイト
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豊玉姫神社とは?

●豊玉姫神社とは?

鹿児島県の知覧町に鎮座する豊玉姫神社に到着。

豊玉姫神社と書いてとよたまひめじんじゃと読みます。

もともとこの神社は薩摩国一宮・開聞神社の支配下にあったらしく、開聞中宮大明神と称していたそうです。

その後、1387年に中宮三所大明神に改称。

1610年には中宮大明神となり、1867年に中宮神社となったという。

そして1870年に現在の社名・豊玉姫神社に改称したそうです。


古事記では、豊玉姫さんは夫・ホオリ(山幸彦)との子・ウガヤフキアエズを産んだ後、海神宮(龍宮?)に帰ってしまいますが、鹿児島に伝わる豊玉姫伝説では古事記とは違う物語が伝わっています。

豊玉姫さんといえば浦島太郎伝説の乙姫のモデルになったお方として知られています。

薩摩半島の最南端に鎮座する龍宮神社は、浦島太郎伝説の発祥地といわれており、浦島太郎(山幸彦)と乙姫(豊玉姫)の伝説が残っています。

さらに豊玉姫さんは、ここ知覧の地を治めていたらしく、さらにさらに知覧の地でお亡くなりになったという!

●知覧の豊玉姫伝説

海の神である綿津見神(豊玉彦命)には2柱の娘がおり、姉・豊玉姫は川辺を、妹・玉依姫は知覧を治めることになったという。

そんなこんなで、豊玉姫と玉依姫は衣の郡(現・指宿市)を出発したそうです。

旅の途中、豊玉姫と玉依姫は鬢水峠・御化粧水・飯野・宮入松・白水を経て取違という地にお泊りになったそうです。

そして玉依姫は川辺の地が水田に富んでいることを知ったという!
そんなこんなで、玉依姫は急いで玄米のままの朝食をとり川辺へ出発。

一方、そんなことなど知らない豊玉姫は、いつも通りに白米を炊いてのんびりとした朝食タイムをとる・・・。

出発が遅れてしまった豊玉姫は、自身が治めるはずだった川辺の地を玉依姫に譲ることに。

豊玉姫は仕方なく玉依姫が治めるはずだった知覧へ向かい、城山(亀甲城)の下に宮居を構え、知覧を治めることになったという。


そんなこんなで、豊玉姫は知覧の民たちを愛育した後、知覧の地で崩御したそうです。 その後、民たちはそのご遺徳を慕って社殿を建立。

そして、鎮守の神として崇敬したのがこの神社の始まりといわれています。

古事記では豊玉姫さんはサメだったという切なさとホラーが混ざった物語でしたが、知覧伝説の豊玉姫さんはとってもお茶目です。

古事記の伝説も面白いですが、知覧に伝わる伝説もなかなか面白いですねぇ。

そんなこんなで、参拝開始。
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鳥居と手水舎と門守社と狛犬

●鳥居

●鳥居
・建立年不明
・明神鳥居

まず最初に登場するのは大きな鳥居

この地一帯の鎮守神といわれるだけあって、とても立派な鳥居となっておりました。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、鳥居をくぐって手水舎でお清め。

本日は七五三に近いからか、たくさんの親子がおられましたよ。

というか、七五三以外の目的で参拝してるのは私達だけでした。


知覧町護国神社の由緒によると、一時期、知覧町護国神社はこの豊玉姫神社に遷座していたんだとか。

知覧は特攻の町。
この豊玉姫神社も、悲しい歴史を見守ってきたのですね。


●門守社

●門守社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造

続いて、豊磐間戸神と櫛磐間戸神を祀る門守社を参拝。

・豊磐間戸神 → トヨイワマドの神
・櫛磐間戸神 → クシイワマドの神

と読みます。

ちなみにこの2神は、アマテラスが天岩戸から出たあと新殿に遷座した際、殿の守衛した神様といわれています。

一般的に神社の随身門でお祀りされることが多く、お寺でいう仁王さんみたいな役割をするお方です。

それにしても、九州南部の神社には門社がある神社が多いです。

そんなこんなで、鹿児島・宮崎旅では門社で参拝するのが密かな楽しみでもあります。


●狛犬

●狛犬
・1928年奉納

続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。

な〜んとなく岡崎型っぽい狛犬ちゃんでした。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・1939年建立
・銅板葺 入母屋造

続いて、拝殿で参拝。

どうやら社殿は、皇紀2600年の記念事業の1つとして建立されたもののようです。

もともとの社殿は鳥居の正面に建っていたそうですが、1939年の再建時に現在地に移ったみたいです。

そのため、現在は鳥居と拝殿はズレた位置に建っています。


木鼻は獅子。

よく見たら獅子の足に尻尾の先っちょがありました。

これは彫り師の遊び心かな?


●お賽銭箱
・1941年奉納

お賽銭箱には御造営紀念 皇紀貳千六百壹年と書かれておりました。

ということでこのお賽銭箱は、皇紀2600年の記念事業として社殿が造営されたのを記念して奉納されたもののようですね。


●本殿

●本殿
・1939年建立
・銅板葺 入母屋造

●御祭神
・豊玉姫命(トヨタマヒメ)
・彦火々出見命(ヒコホホデミ)
・豊玉彦命(トヨタマヒコ)
・玉依姫命(タマヨリヒメ)

 
●豊玉姫命(トヨタマヒメ)
・彦火々出見命(ホオリ・山幸彦)の妻
・神武天皇の祖母

●彦火々出見命(ヒコホホデミ)
・豊玉姫の夫
・神武天皇の祖父
・通称・山幸彦

●豊玉彦命(トヨタマヒコ)
・豊玉姫の父(海神・綿津見神)

●玉依姫命(タマヨリヒメ)
・豊玉姫の妹 ・神武天皇の母

そんなこんなで、御祭神は豊玉姫ファミリーがお祀りされておりました。


ちょっと気になったのは、千木が外削ぎ(男千木)になっているところ。

通常は、主祭神が女神なので内削ぎ(女千木)のはずですが、この神社は豊玉姫さんの他に、豊玉姫さんの夫と父も祀られているので、もしかしたらそちらの男神が関係しているのかも知れませんね。
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水車からくり人形と夫婦銀杏

●水車からくりやかた

●水車からくりやかた
・1989年建立
・銅板葺 入母屋造

境内には水車からくりやかたという建物がありました。


水車からくりやかたの中をのぞくと山幸海幸神話の人形さんがおられました。

はて、これは何???

と思って調べてみると、こちらは水車からくり人形というもののようです。


なんと、水車からくり人形とは水車を動力として動かす人形劇なんだって!

どうやら水車からくり人形は、南薩摩の数ヶ所に伝わる伝統芸能のようです。


●1979年
南九州市の民俗文化財に指定(当時は知覧町)

●1983年
知覧水車からくりとして鹿児島県の有形民俗文化財に指定

●1984年
薩摩の水からくりとして国選択無形民俗文化財に指定

●2019年
日本遺産・薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~に登録


そんなこんなで、水車からくりやかたの舞台下をのぞき見してきました。

舞台下にはメカニックな木製仕掛け。

これが水車の力でオートマチックに動くということなのか!


大工さんの腕もさることながら、設計者の頭脳にも感動です!

天才!

●水車からくりの歴史

豊玉姫神社の水車からくりの創始年代は明らかでありませんが、江戸時代後期にはすでにあったといわれています。

明治時代の1905〜1906年には日露戦争の影響を受けて中断。

その後、1915年に復活したもののすぐに消え去り、1924年に再び復活したそうです。

しかし1941年、太平洋戦争の激化により再び中断。

その後、次第に水車からくりは忘れられていったという。

しかし昭和50年代の初め頃、戦前のからくり人形を知る氏子たちの間で復活を望む声が沸き起こったそうです。

その後、1978年に専門家によって豊玉姫神社のからくり人形が貴重なものであるということがわかり、急速に復活の声が強くなっていったという。

そんなこんなで、1979年に保存会を結成。
しかし、その中で戦前のからくり人形製作に携わったのはわずか1名だけだったという。

その古老の記憶や当時の資料、残存していた人形などをもとに、急ピッチで復活作業が行われたそうです。

そして、戦前の人形の中で比較的保存状態の良かった牛若丸と弁慶が復活最初の題材に決まり、当時の人形を化粧直しして使うことに。

しかし、 からくり部分・小道具・水車は新たに作り直したそうです。

さらに舞台小屋は近所の大工に依頼して新築。

そんなこんなで、急ピッチで進められたからくり製作は、無事1979年に復活を遂げたんだって。

令和の時代になり、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため再び中断することに。。

しかし!

約2年間にわたり中止していた水車からくりは、令和4年の7月に復活!

私が参拝したのは11月・・・令和4年の公演は終わっていました。。。

あと4ヶ月早く参拝していれば水車からくりが見れたのに〜。


●二代目水車
・2000年作

どうやらこれが水車からくりの動力となる水車のようです。

この水車は2000〜2019年まで使用されていたもののようです。

2019年に三代目の水車が作り直されたそうですよ。


水車からくりやかたの後ろに水路がありましたので、おそらくここに水車を設置して上演を行うのでしょう。


どうやら演目は毎年変わるみたいです。

過去の演目を見てみると、大体10年ごとに同じ演目が行われているみたいですね。

公式ホームページによると、演目の題材選びには基準があるみたいです。
①教育にふさわしいか
②物語を楽しめるか
③動きに華やかさがあるか

そしておとぎ話神話日本史の中から選ばれるのが通例になっているようです。

●おとぎ話
・桃太郎・浦島太郎
・かぐや姫・花咲かじいさん

●神話
・天の岩戸・八又の大蛇
・因幡の白兎・海さち山さち

●日本史
・牛若丸と弁慶・那須与一・川中島の決戦
・西郷どん・巌流島の決闘・忠臣蔵
・大坂夏の陣


境内にはからくり仕事処という建物もありました。


建物の中をのぞくと、からくりの材料などがありました。

どうやら、ここでからくりの仕掛けや部品を作ってるみたいです。

いつか機会があったら水車からくりを拝見してみたいなぁ!


●夫婦大銀杏

境内には夫婦大銀杏がありました。

山幸彦・豊玉姫夫婦にちなんだものかな?

とかなんとか思ってみたり。

そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵な神社でした。
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豊玉姫陵

●豊玉姫陵

その後、豊玉姫さんのお墓と伝わる豊玉姫陵を参拝してきました。

ちなみに豊玉姫陵は、豊玉姫神社から約3km離れたところにありました。

豊玉姫陵は小さくて目立たないため、注意深く探さないと通り過ぎてしまうかもです。


そして、豊玉姫陵には駐車場がありません。

ですので、御陵近くの道に車をとめて、あぜ道を歩いて向かうことになります。

農家の方の邪魔にならないようにしないとね。


現在は開けたになってますが、以前この地は木々が生い茂るだったといわれています。

古来より、この地は(くわ)を入れてはならない場所として伝えられていたらしく、周囲が開墾された後も御陵だけは昔のままの姿位置で残されたんだって。

そのため畑の中にポツンと御陵がたたずんでいるという。


畑の中にポツーン

なんだか古代感があっていいですねぇ。


ここに豊玉姫さんが眠っているのかぁ。

神話といわれるとフィクション感がありますが、お墓を前にするとリアルな物語を感じることができました。


ちなみに、霧島市には山幸彦さんのお墓もあります(高屋山上陵)


いやはや、神話浪漫ビンビンのスポットでした。

御朱印情報

●御朱印情報

●御朱印の種類
・豊玉姫神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・授与所

●御朱印の受付時間
・9:00~16:00

※基本的に御朱印の受付時間は9:00~16:00ですが、神職さんのご都合により予告なく不在になることがあるそうです。

長時間不在の場合もあるそうなので、公式ホームページの在社情報をご確認ください。

在社情報はこちら

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・サイズ 18cm × 12cm
・初穂料 1500円

・2021年11月6日 参拝
・2022年12月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・なし

●最寄りのバス停
・鹿児島交通
 神社前 バス停から徒歩1分

・鹿児島交通
 知覧 バス停から徒歩6分

●最寄りのIC
・指宿スカイライン
 谷山IC(有料)から南薩縦貫道(無料)へ
 南薩縦貫道 知覧金山水車ICから車で1分

●駐車場

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

豊玉姫神社の地図

 

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