南原寺の御朱印|山口県内最古の真言宗寺院|南原寺七不思議(山口県美祢市)

所在地山口県美祢市伊佐町南原
宗 派真言宗御室派
札 所 ・長門三十三観音霊場 第17番
・十八不動三十六童子霊場 第7番
・西日本ぼけ封じ観音霊場 第23番
由 緒神功皇后が創始、聖徳太子が開基、花山法皇が中興した山口県内最古の真言宗寺院。寺伝によると、593年に聖徳太子が仏教を広めるため、全国に46ヶ寺を建立。このお寺はその46ヶ寺のうちの1つといわれています。その後、役小角や弘法大師などが訪れ、真言密教の聖地として隆盛を極めたそうです。また、室町時代〜戦国時代には大内家・毛利家から庇護を受けて栄えたそうです。
HP桜山 南原寺 山口県美祢市 花の山寺
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南原寺とは?

●境内入口

第3回、朱フレのYさんと寺社巡り大会。

今回もYさんの地元・山口県の寺社をたくさん案内して頂きました!

そんなこんなで、山口県美祢市の桜山中腹に位置する南原寺に到着。

南原寺と書いてなんばらじと読みます。

かつては、難払寺難波羅寺難波羅密寺と書いてなんばらじと称していたそうですよ。

難を払う寺と書いてなんばらじとはね!


創始は神功皇后!
開基は聖徳太子!

なんと、神功皇后ゆかりの桜山は1800年の歴史を刻む霊山なんだって!

そして聖徳太子が開基した南原寺は1400年以上の歴史を有するお寺さんなんだって!

そんなこんなで、山口県内最古の真言宗寺院といわれています。

●南原寺とは?

三韓征伐の際、神功皇后が不思議な光明を放つを発見したそうです。

そこで神功皇后の命により武内宿禰に調査させたところ、その山に盛んに光りを放つ自然石(光明岩)があったという。

そんなこんなで、神功皇后は『これは瑞兆である』と喜び、その山に登り自然石(光明岩)に『永く夷敵の難を払い給え』と誓願。

そして、この地で三韓征伐の軍議を行ったそうです。

ちなみに、その自然石の側に見事なが咲き誇っていたので、神功皇后は『あら住吉の桜山かな』と喜んだといいます。

それが桜山という山号の由来なんだとか。


その後、神功皇后は船木(宇部市)にあったの大木で軍船48艘を建造し、軍備を整えて三韓征伐に出兵したといわれています。

さらに神功皇后は凱旋の際にも再び桜山に登り、岩の下に宝剣を収めたといわれています。


593年、聖徳太子が仏教を広めるため、全国に46ヶ寺を建立。

このお寺はその46ヶ寺のうちの1つといわれています。


634~701年には役小角、774~835年には弘法大師(空海)が訪れ、30以上の堂宇と真言密教の聖地として隆盛を極めたそうです。

しかし平安時代中期に衰退。


その後、991年に諸国を行脚していた花山法皇が再興しますが、1008年、花山法皇はこのお寺で崩御したそうです。

以来、国家の祈祷所として朝廷からの信仰が篤く、最盛期には126坊を有する大寺院に発展したそうです。

その後、室町時代〜戦国時代、大内氏毛利氏から庇護を受けて栄えたといわれています。

神功皇后、聖徳太子、役小角、弘法大師、花山法皇、大内氏、毛利氏・・・由緒がビッグネームだらけ!

何気にとんでもないお寺さんに来てもうた!

そんなこんなで、参拝開始。
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参道

●参道

どうやら、このお寺さんには山門はない模様。

参道ではたくさんの石仏さんがお出迎えしてくれました。


春には枝垂桜、秋には紅葉・・・このお寺さんは花のお寺として知られているそうですが、季節は冬・・・もちろんお花は咲いていませんでした。

お花のお寺に来たときはいつも冬 ← これ、私の中のあるあるです。
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本堂

●本堂

●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

そんなこんなで、本堂に到着。

かつては126坊を有する大寺院だったそうですが、今は見る影もなく・・・

寺域は広いですが、境内には小さな本堂といくつかの小さなお堂があるだけでした。


ペラッペラな懸魚には、うっすらと毛利氏の家紋・一文字三星を確認することができました。

由緒によると、このお寺さんは戦国時代に毛利氏から庇護を受けて栄えたみたいです。


御本尊は十一面観音さん。

どうやら、こちらが長門三十三観音霊場 第17番の札所本尊のようです。

ちなみに、御本尊の十一面観音さんは秘仏で、25年に1度の御開帳となっております。

その他、堂内にはいくつかの仏像さんがおられました。


この厨子にはどなたが安置されてるのかな?

厨子の前に矜羯羅童子と制多迦童子っぽいお方がおられましたので、もしかしたら不動明王さんが安置されてるのかも?

ちなみに、現在は十一面観音さんが御本尊ですが、かつては不動明王さんが御本尊だったそうですよ。

もしかしたら、この秘仏が旧本尊なのかなぁ?


こちらは文殊菩薩さんです。

制作年はわかりませんが、な~んとなく江戸時代作かな?

と勝手に予想。


そして、こちらは・・・どなたでしょ???

一見、閻魔さんっぽく見えましたが、何かが違う・・・(-“-;) ??

触角が付いてるし・・・(笑)
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南原寺七不思議(鳴る地蔵・鍾馗遊魂の岩など)

●鳴る地蔵

●鳴る地蔵
・1760年作

続いて、本堂前にある鳴る地蔵を参拝。


どうやら、この鳴る地蔵さんは南原寺七不思議の1つのようです。

●南原寺七不思議とは?

①鍾馗遊魂の岩
②照葉樹林
③無患子の木
④霊水
⑤役行者の力石
⑥光明岩
⑦鳴る地蔵


なんと、お地蔵さんの頭をさすると音が鳴るんだとか!

ホンマかいな!?!?

と、半信半疑でさすってみると・・・


鳴った!

上手く表現できないけど、頭からふぉわんわんわんわんっていう音が鳴ったんだよっ!

これ、どういう仕組みなの???

なんか感動しちゃったよ!

そんなこんなで、感動のあまり夢中になってナデまくっていると・・・Yさんに話しかけられて我に返る。

はっ、そうだ、今日はソロ活動じゃなかったんだ・・・Yさん、お時間を取らせてしまってすみませんでした!

●鳴る地蔵とは?

この地蔵さんは、1760年に第65世・永賀僧正によって建立されたものといわれています。

地蔵さんの頭をさすると響く音がすることから鳴る地蔵さんと呼ばれ親しまれているそうです。

また鳴るとは、成るすなわち成就するという意味もあるんだとか。


昔から鳴る地蔵さんの頭をナデた手で自分の患部をさすると病気が治ると伝えられ、首から上の病、特に脳に関係する病などに御利益があるそうです。

その他、ぼけ封じ・学業向上・合格祈願・病気平癒などの御利益もあるそうですよ。


●鐘馗遊魂の岩

続いて、鐘馗遊魂の岩へ。

こちらも南原寺七不思議の1つのようです。

●鐘馗遊魂の岩とは?

その昔、まな板に彫られた雪舟作の鐘馗大臣が夜な夜な動き出し、人々を騒がせていたそうです。

そんなこんなで、この岩に残っている足跡は鐘馗大臣が残したものといわれています。


●照葉樹林

こちらも南原寺七不思議の1つのようです。

スダジイなどの照葉樹林は沿海地帯の暖かい場所に生育するそうですが、この照葉樹林は海抜380mに成育しているんだと!


●スダジイ
・樹齢 200~300年

内陸山地にスダジイが群生しているのは、とっても珍しいことなんだって。

●その他の南原寺七不思議

●無患子の木(むくろしのき)
無患子の木は1度枯れて伐採されたにも関わらず、再度よみがえったといわれる不死身の木

現在では落雷の切断にも耐え、力強く成育し、不思議な生命力を示しているのだとか。


●霊水
古来より胃腸の病が治ると伝わる水。

肌が美しくなるなど若さと美容を保ち、健康長寿の水でもあるんだって。

また、花山法皇が寵愛した美祢尼が好んだ水ともいわれています。


●役行者の力石
役行者が修行をしていると、玄海という行者がやってきたという。

そして、呪術の力比べをすることになったそうです。

その際、役行者は側にあった巨岩を軽々と持ち上げて桜山に向かって投げたといわれています。


●光明岩
神功皇后が三韓征伐に向かう際、不思議な光明を放つ山を発見したそうです。

そこで神功皇后の命により武内宿禰に調査させたところ、その山に盛んに光りを放つ自然石(光明岩)があったという。

ちなみに、役小角弘法大師も、自然石(光明岩)の霊光に誘われてこの地を訪れたといわれています。
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日吉山王権現と伝・花山法皇御陵

●日吉山王権現

●日吉山王権現 鳥居
・1800年建立

続いて、日吉山王権現を参拝。

どうやら、こちらは南原寺の鎮守社のようです。

●日吉山王権現とは?

神功皇后がこの地で三韓征伐の軍議を行った際、山王権現から出陣の神託があったという。

そんなこんなで、山王権現をこの地の守護神として勧請したのが日吉山王権現の始まりといいます。

比叡山の日吉山王権現と同じく神仏習合の神社で、江戸時代は美祢郡大田宰判と下関吉田宰判域内の総鎮守だったそうです。

かつては里に7社、山に7社のお社があったそうですが、現在はこの1社が残るのみとのことです。

山王権現は比叡山延暦寺の鎮守であることから、もともと南原寺は天台系のお寺さんだったのかも?


●伝・花山法皇御陵

境内には花山法皇御陵がありました。

って、何で花山法皇の御陵がここに!?

由緒によると、991年に諸国を行脚していた花山法皇が荒廃していたこのお寺を再興したといわれています。

そして、1008年に花山法皇はこのお寺で崩御したんだって。

ということは、991年~1008年までの17年間もこのお寺に滞在していたということなのかぃ?

そんなこんなで調べてみると、どうやら花山法皇がこのお寺に長く滞在した理由は、寵愛していた美祢尼の存在が関係しているのだという。

●花山法皇と美祢尼

平安時代、桜山に美祢という尼僧が修行していました。

美祢尼は稀に見る美女

そんなこんなで、諸国を行脚していた花山法皇がこのお寺を訪れた際、美祢尼に一目惚れしてしまいました。

というのも、皇子を身籠もったまま若くして亡くなった美祢尼は見間違えてしまうほど似ていたからです。

そんなこんなで、2人は互いに惹かれ合い、身も心も結ばれるのでありました。

ある夏の夜、いつものように花山法皇と美祢尼は、桜山の頂上付近の小径を楽しく語らいながら散策していました。

しかしその時!

2人は稲妻に打たれ気を失って倒れてしまいました。

しばらくして意識を取り戻した花山法皇。

しかし美祢尼は息絶えていました。

『ああ、お前もか・・・』

花山法皇の頭の中を妃の面影がよぎったのでありました。

その後、花山法皇は美祢尼を抱きかかえて南原寺へ向けて下山しました。

美祢尼の亡き後、花山法皇は仏道に精進されますが、1008年に南原寺で崩御

亡骸は南原寺の境内に埋葬されたそうです。


もしかして、美祢という地名は美祢尼が由来なのかぃ???

と思ったら、奈良時代にはすでにこの地は美祢郷岑郷などと呼ばれていたそうです。

そんなことより、寺伝によると花山法皇は南原寺で崩御したとされていますが、実際は京都花山院で崩御しているみたいです・・・(-“-;) ??

しかし、1981年の発掘調査の結果、伝・花山法皇御陵から骨壷と火葬された骨が出土したことにより、平安時代のお墓であることが判明。

そんなこんなで、花山法皇のお墓じゃないかも知れないけど、平安時代から守り続けられているお墓なのは間違いなさそうだね。

閻魔堂・ぼけ封じ観音・カエル観音像など

●閻魔堂

境内入口付近には閻魔堂がありました。

そんなこんなで、堂内をのぞくと・・・


ばば〜ん!

堂内にはギリギリ原型を留めた古仏が安置されていました。

これぞ地方仏!

地方仏の良さはこういうリアルにある・・・と、勝手に思っております。


いつの時代につくられたのかは不明ですが、江戸時代中期に閻魔像を修理したという記録があることから、それ以前には存在していた仏像さんのようです。


閻魔さんのセットといえば十王像ですが、堂内には十王像ではなく菩薩像如来像謎仏が安置されていました。


●役小角の祠

由緒によると、634~701年に役小角さんが訪れたといわれています。


●役小角の祠
・左 → 善童鬼
・中 → 役小角
・右 → 妙童鬼


●弘法大師像

由緒によると、774~835年に弘法大師(空海)が訪れたといわれています。


写真では伝わりませんが、相当肉厚な石仏さんでした。


●ぼけ封じ観音

どうやら、こちらは西日本ぼけ封じ観音霊場の第23番札所になっているみたいです。


●カエル観音像

ご覧のとおり、このお寺には様々な仏さんがおられるわけなんですが、その中で1番インパクトがあったのはこのお方!

なんと、カエルの上に立っているという!

その名もカエル観音!


物質だけを追い求めてあくせくと働く現代の人間生活をカエリ(省)み、もっと自然にカエリ(返り)、今の生活をカエ(変)てみるのも長い人生にとって必要ではないでしょうか

と書かれておりました。

幸せがカエル。
健康がカエル。
若ガエル。
旅人が無事にカエル。
恋人がカエル。
失せ物がカエル。

といった御利益があるそうです。

旧本堂跡と雪舟の庭

●旧本堂跡

境内のメインエリアから少し離れたところには旧本堂跡がありました。

ちなみに、いつまでここに旧本堂があったのかは不明です。


●雪舟の庭

旧本堂跡の近くには雪舟の庭がありました。

説明板がなかったため詳しいことはわかりませんが、雪舟さんが築庭したとなると室町時代のお庭となります。


山口には常栄寺雲谷庵跡など、雪舟ゆかりの地が点在しています。

雪舟さんはこの南原寺にも滞在していたらしく、寺宝として割り鐘馗(真板鐘馗)が伝わってるのだとか。

もしかしたら、このお庭は南原寺滞在中に作庭したものかも知れませんね。


かなり荒れたお庭でしたが、このリアルな放置感が地方の良いとこ!

これが京都だったら綺麗に復元されて全く違うお庭になっちゃう・・・ような!


どうでもいい話ですが、本日は2月22日

そう、ネコの日です。

そんなこんなで、境内を散策していると、猫ちゃんが『こっち来て~』的な感じで私達を誘ってきました。

これは何かのお導きなのか!?

と思い、猫ちゃんについて行くと・・・

なんとーっ!


放尿を見せられ、そして去っていきました・・・

おい(笑)


そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵なお寺さんでした。

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御朱印情報

●御朱印の種類
・長門三十三観音霊場の御朱印
・十八不動三十六童子霊場の御朱印

●御朱印の受付場所
・庫裏

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・季節限定御朱印(桜・彼岸花・紅葉)

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2018年2月22日 参拝
・2023年3月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR美祢駅から車で20分
・JR小野田駅から車で40分
・JR宇部駅から車で40分

●最寄りのバス停
・船鉄バス
 西ヶ峠 バス停から徒歩30分

・船鉄バス
 大岩郷口 バス停から徒歩30分

・船鉄バス
 上堀越 バス停から徒歩35分

●最寄りのIC
・山陽自動車道(宇部下関線)
 小野田ICから車で35分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

南原寺の地図

 

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