所在地 | 広島県尾道市西久保町2−1 |
---|---|
祭 神 | 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后 |
由 緒 | 社記によると応神天皇が淡路・播磨・小豆島を経て尾道に巡幸された際、海辺で玉子に似たひかり輝く石を御覧になったという。そして亀の形をした小さな丘で休息したそうです。その後、里人はその地に祠を建て、聖地として崇敬したそうです。平安時代、亀の形をした聖地は京から宇佐八幡宮へ勅使を派遣する際の参詣および宿泊地になったという。そして京都・男山八幡宮(石清水八幡宮)と併せ宇佐神宮の御分霊を勧請し亀山八幡宮になったそうです。 |
Contents
鳥居①と狛犬①②と随神門
●境内入口
尾道の本通り商店街を抜けてテクテクと歩いていると神社を発見!
そんなこんなで、立ち寄ってみることに。
社号標には八幡神社と書いてある・・・
〇〇八幡神社みたいな感じで冠名が知りたいところ・・・(-“-;) ??
ということで、調べてみることに。
グーグルマップには久保八幡神社と書いてある。
その他、ネットには久保亀山八幡神社だったり亀山八幡宮だったり・・・
一体全体、どれが正解なのよ!
正解はこちら。
じゃん。
神社の方から頂いた由緒書きによると、正式な社名は亀山八幡宮とのことです。
久保八幡神社というのは通称のようです。
謎が解けてスッキリ。
●鳥居①
●鳥居①
・1659年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
柱に萬治二年と刻まれていましたので、1659年に建立された鳥居のようです。
ということで、この鳥居は尾道最古の石鳥居となります!
それにしても笠木と島木の反りがスゴい!
よくみると笠木と島木は1つの石材でつくられていました。
多分ですけど、1つの石材でここまで大きな反りを生み出すには、相当大きな石材が必要になるはず。
そして通常の鳥居に比べて、比較できないくらいの労力が必要だと思われます。
柱には大工石屋与七郎 小工石屋助六 石屋中と刻まれていました。
このことからもわかるように、この鳥居は大工棟梁の与七郎と小工の助六を中心とした石工集団がつくったもののようですね。
尾道といえば石工の町として知られています。
ここから徒歩10分のところに、かつて石屋町と呼ばれた石工の町があったんだって。
石屋町には石工集団が住んでいて多くの石造物をつくっていたんだとか。
そして尾道石工による鳥居・常夜燈・水盤・狛犬などの石造物は、尾道水道から船で運ばれ、北九州や瀬戸内海沿岸にかけて分布。
さらに北前船によって山陰・北陸・佐渡島・北海道などにも運ばれていったんだって。
ちなみに現在、石屋町はスナックやパブが立ち並ぶ昭和レトロなディープスポットとなっております。
●奉納 矛?
●奉納 矛?
・1926年作
続いて、一対の巨大な武器が登場。
これは矛でしょうか?
槍でしょうか?
●狛犬①②
●狛犬①②
・1821年作
・尾道石工 祐四郎作
続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。
尾道石工の狛犬といえば、広島玉乗り型(尾道型)が有名ですが、こちらは玉乗り型ではなく座型狛犬でした。
どうやら、尾道石工の狛犬の中で座型タイプは古式の尾道狛犬なるんだとか。
そんなこんなで、尾道石工の座型狛犬はほとんどが江戸時代につくられたものなんだって。
●随神門(随身門)
●随神門(随身門)
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 八脚門
続いて、随神門が登場。
建立年は確認できませんでしたが、それなりに古そうな門でした。
門の両サイドにおられる随神さんも古そうでした。
そんなこんなで、随神門をくぐると・・・
いきなり交通量の多い国道!
車も自転車もビュンビュンッ!
なんと国道と線路を渡った先に境内の続きがあるという!
亀山八幡宮に限らず、尾道の線路沿いにある寺社は鉄道と国道の開通により、境内の分断・縮小もしくは移転を余儀なくされています。
例えば、常称寺は線路と国道を挟んだところに大門だけが民家の中に取り残された形になっています。
浄泉寺も線路と国道を挟んだところに参道が残っています。
尾道に山陽鉄道(現・山陽本線)が開通したのは1891年といいます。
ということで、それ以前まではかなり広い境内を有する神社だったみたいですね。
そんなこんなで、国道を渡りーの
線路を渡りーの
メインエリアに到着!
尾道には線路を渡るとすぐ寺社というパターンが多いです。
だから参拝前に踏切待ちをすることもしばしば。
そんなこんなで尾道という独特な町は、寺社巡りも独特です。
尾道の本通り商店街を抜けてテクテクと歩いていると神社を発見!
そんなこんなで、立ち寄ってみることに。
社号標には八幡神社と書いてある・・・
〇〇八幡神社みたいな感じで冠名が知りたいところ・・・(-“-;) ??
ということで、調べてみることに。
グーグルマップには久保八幡神社と書いてある。
その他、ネットには久保亀山八幡神社だったり亀山八幡宮だったり・・・
一体全体、どれが正解なのよ!
正解はこちら。
じゃん。
神社の方から頂いた由緒書きによると、正式な社名は亀山八幡宮とのことです。
久保八幡神社というのは通称のようです。
謎が解けてスッキリ。
●鳥居①
●鳥居①
・1659年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
柱に萬治二年と刻まれていましたので、1659年に建立された鳥居のようです。
ということで、この鳥居は尾道最古の石鳥居となります!
それにしても笠木と島木の反りがスゴい!
よくみると笠木と島木は1つの石材でつくられていました。
多分ですけど、1つの石材でここまで大きな反りを生み出すには、相当大きな石材が必要になるはず。
そして通常の鳥居に比べて、比較できないくらいの労力が必要だと思われます。
柱には大工石屋与七郎 小工石屋助六 石屋中と刻まれていました。
このことからもわかるように、この鳥居は大工棟梁の与七郎と小工の助六を中心とした石工集団がつくったもののようですね。
尾道といえば石工の町として知られています。
ここから徒歩10分のところに、かつて石屋町と呼ばれた石工の町があったんだって。
石屋町には石工集団が住んでいて多くの石造物をつくっていたんだとか。
そして尾道石工による鳥居・常夜燈・水盤・狛犬などの石造物は、尾道水道から船で運ばれ、北九州や瀬戸内海沿岸にかけて分布。
さらに北前船によって山陰・北陸・佐渡島・北海道などにも運ばれていったんだって。
ちなみに現在、石屋町はスナックやパブが立ち並ぶ昭和レトロなディープスポットとなっております。
●奉納 矛?
●奉納 矛?
・1926年作
続いて、一対の巨大な武器が登場。
これは矛でしょうか?
槍でしょうか?
●狛犬①②
●狛犬①②
・1821年作
・尾道石工 祐四郎作
続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。
尾道石工の狛犬といえば、広島玉乗り型(尾道型)が有名ですが、こちらは玉乗り型ではなく座型狛犬でした。
どうやら、尾道石工の狛犬の中で座型タイプは古式の尾道狛犬なるんだとか。
そんなこんなで、尾道石工の座型狛犬はほとんどが江戸時代につくられたものなんだって。
●随神門(随身門)
●随神門(随身門)
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 八脚門
続いて、随神門が登場。
建立年は確認できませんでしたが、それなりに古そうな門でした。
門の両サイドにおられる随神さんも古そうでした。
そんなこんなで、随神門をくぐると・・・
いきなり交通量の多い国道!
車も自転車もビュンビュンッ!
なんと国道と線路を渡った先に境内の続きがあるという!
亀山八幡宮に限らず、尾道の線路沿いにある寺社は鉄道と国道の開通により、境内の分断・縮小もしくは移転を余儀なくされています。
例えば、常称寺は線路と国道を挟んだところに大門だけが民家の中に取り残された形になっています。
浄泉寺も線路と国道を挟んだところに参道が残っています。
尾道に山陽鉄道(現・山陽本線)が開通したのは1891年といいます。
ということで、それ以前まではかなり広い境内を有する神社だったみたいですね。
そんなこんなで、国道を渡りーの
線路を渡りーの
メインエリアに到着!
尾道には線路を渡るとすぐ寺社というパターンが多いです。
だから参拝前に踏切待ちをすることもしばしば。
そんなこんなで尾道という独特な町は、寺社巡りも独特です。
鳥居②と手水舎と狛犬③④
●鳥居②
●鳥居②
・1806年建立
・明神鳥居
・尾道石工 淺兵衛作
鳥居②はシンプルな明神鳥居。
鳥居①と比べるとかなり落ち着いた作品になっていました。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
続いて、手水舎でお清め。
●手水鉢
・1836年作
・尾道石工 新八作
手水鉢には牡丹の彫刻。
そして四隅にいる獅子が手水鉢を支えていました。
この神社は尾道石工ワールド炸裂だ〜!
まるで尾道石工の博物館みたいだよ。
●狛犬③④
・1857年作
・構え獅子
・尾道石工 祐四郎作
続いて、拝殿前の狛犬ちゃんにご挨拶。
作者は狛犬①②と同じく祐四郎さん。
狛犬①②は1821年作でしたので、狛犬①②から36年後につくられた狛犬ちゃんとなります。
●鳥居②
・1806年建立
・明神鳥居
・尾道石工 淺兵衛作
鳥居②はシンプルな明神鳥居。
鳥居①と比べるとかなり落ち着いた作品になっていました。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
続いて、手水舎でお清め。
●手水鉢
・1836年作
・尾道石工 新八作
手水鉢には牡丹の彫刻。
そして四隅にいる獅子が手水鉢を支えていました。
この神社は尾道石工ワールド炸裂だ〜!
まるで尾道石工の博物館みたいだよ。
●狛犬③④
・1857年作
・構え獅子
・尾道石工 祐四郎作
続いて、拝殿前の狛犬ちゃんにご挨拶。
作者は狛犬①②と同じく祐四郎さん。
狛犬①②は1821年作でしたので、狛犬①②から36年後につくられた狛犬ちゃんとなります。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・1931年改築
・銅板葺
・唐破風向拝付き入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
神社の方から頂いた由緒書きによると、1240年に屋根の葺き替え。
1413年に再建。
その後、火災で焼失。
1517年に再建。
しかし元禄時代初期に再び焼失。
1692年に再建。
と書いてありました。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造
●御祭神
・応神天皇
・仲哀天皇
・神功皇后
八幡神社ということで、御祭神はお馴染みの応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。
社記によると応神天皇は淡路・播磨・小豆島を経て尾道に巡幸された際、海辺で玉子に似たひかり輝く石を御覧になったという。
そして亀の形をした小さな丘で休息したそうです。
その後、里人はその地に祠を建て、聖地として崇敬したそうです。
平安時代、その亀の形をした聖地は京から宇佐八幡宮へ勅使を派遣する際の参詣および宿泊地になったという。
そして京都・男山八幡宮(石清水八幡宮)と併せ宇佐神宮の御分霊を勧請し亀山八幡宮になったそうです。
まさか、この地に応神天皇が立ち寄っていたとはね!
何気に神話浪漫ビンビンの地なんだ。
●拝殿
・建立年不明
・1931年改築
・銅板葺
・唐破風向拝付き入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
神社の方から頂いた由緒書きによると、1240年に屋根の葺き替え。
1413年に再建。
その後、火災で焼失。
1517年に再建。
しかし元禄時代初期に再び焼失。
1692年に再建。
と書いてありました。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造
●御祭神
・応神天皇
・仲哀天皇
・神功皇后
八幡神社ということで、御祭神はお馴染みの応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。
社記によると応神天皇は淡路・播磨・小豆島を経て尾道に巡幸された際、海辺で玉子に似たひかり輝く石を御覧になったという。
そして亀の形をした小さな丘で休息したそうです。
その後、里人はその地に祠を建て、聖地として崇敬したそうです。
平安時代、その亀の形をした聖地は京から宇佐八幡宮へ勅使を派遣する際の参詣および宿泊地になったという。
そして京都・男山八幡宮(石清水八幡宮)と併せ宇佐神宮の御分霊を勧請し亀山八幡宮になったそうです。
まさか、この地に応神天皇が立ち寄っていたとはね!
何気に神話浪漫ビンビンの地なんだ。
境内社
●高御倉神社
●高御倉神社
・鳥居 1822年建立
・本殿 建立年不明
銅板葺 一間社流造
こちらは拝殿向かって右に鎮座する高御倉神社です。
なんと、この高御倉神社は日本で唯一・石工の神を祀る神社なんだとか!
御祭神は石作大連公建眞利根命。
石作大連公建眞利根命と書いていしづくりのおおむらじのきみたてまりねのみことと読むそうです。
名前が長いよ~(笑)
途中で読むのを諦めてしまいましたよ!
●高良神社・貴船神社
●高良神社・貴船神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
●御祭神
・高良神社 高良玉垂命
・貴船神社 船魂
こちらは拝殿向かって左に鎮座する高良神社・貴船神社です。
●二の丸稲荷神社
●二の丸稲荷神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・通称 おゆき稲荷
●御祭神
・宇迦之御魂神
こちらは参道途中にある二の丸稲荷神社です。
この二の丸稲荷神社は、第12代横綱・陣幕久五郎さんと妻・おゆきさんが篤く信仰した神社なんだって。
そんなこんなで、夫婦円満・恋愛成就の御利益があるそうです。
●松尾神社
●松尾神社
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
●御祭神
・大山咋神
・市杵嶋姫神
・酒彌豆男神
・酒彌豆女神
・大己貴命
こちらは二の丸稲荷神社の隣に鎮座する松尾神社です。
社殿は尋常じゃないくらい傾いていました!
一瞬、目がバグってしまったのかと思いましたよ。
そんなことより、松尾神社といえば酒の神様!
大山咋神は農耕を司り醸造の原料を生産する神。
醸造業には多額の資金が必要となるため福財の神・市杵島姫命もお祀りされています。
酒彌豆男神と酒彌豆女神は、酒造り杜氏の祖神。
醸造・発酵業の守護神として崇められており酒類などの販売業者の守り神でもあります。
大己貴命は大国主命の別名です。
醸造の原料になる五穀豊穣の神です。
●和霊神社
●和霊神社
・建立年不明
・瓦葺 一間社流造
●御祭神
・山家清兵衛
こちらは参道途中に鎮座する和霊神社です。
和霊神社といえば山家清兵衛さん!
そんなこんなで、この神社には無念の死を遂げた山家清兵衛さんがお祀りされています。
●和霊神社の狛犬
・1857年作
・広島玉乗り型(尾道型)
・尾道石工 祐四郎作
尾道の狛犬といえば広島玉乗り型!
この神社には座型狛犬と構え獅子しかいないのかな〜と思っていたら、境内社にいた!
しかも狛犬①②と狛犬③④と同じく、祐四郎さんの作品!
狛犬①②は1821年作。
狛犬③④は1857年作。
和霊神社の狛犬も1857年作。
ということで、こちらの狛犬ちゃんは、狛犬③④と同時期につくられたものなんですね。
結局、亀山八幡宮の狛犬ちゃんは全て祐四郎さんの作品でした。
●恵比須神社
●恵比須神社
・建立年不明
・瓦葺 一間社流造
●御祭神
・事代主命
神社の創建年はわかりませんが、安政4年の古札が残っていることから、少なくとも1857年には鎮座していた神社と思われます。
●荒神社
●荒神社
・1924年再建
●御祭神
・奥津彦命
・奥津姫命
こちらは拝殿近くに鎮座する荒神社です。
荒神社といえば火の神・竈の神。
もともとこの神社は石工集団が住んでいた石屋町に鎮座していたみたいです。
石工は鞴(ふいご)を使っていたことから、火の神・竈の神の荒神社は石工から信仰されていたみたいです。
●水天宮
こちらは荒神社の隣に鎮座する水天宮です。
筑後国久留米と書いてありますので、水天宮の総本宮から勧請した神社なのかな?
御祭神は水天宮の総本宮と同じ、天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮・二位の尼なのかな?
●伊勢神宮遥拝所
その他、境内には伊勢神宮の遥拝所がありました。
●高御倉神社
・鳥居 1822年建立
・本殿 建立年不明
銅板葺 一間社流造
こちらは拝殿向かって右に鎮座する高御倉神社です。
なんと、この高御倉神社は日本で唯一・石工の神を祀る神社なんだとか!
御祭神は石作大連公建眞利根命。
石作大連公建眞利根命と書いていしづくりのおおむらじのきみたてまりねのみことと読むそうです。
名前が長いよ~(笑)
途中で読むのを諦めてしまいましたよ!
●高御倉神社とは?
1716〜1736年、摂津国の石工・福島村雲と藤原徳栄が尾道に移住し、尾道の石工連中に石工の祖先・石作大連公建眞利根命をお祀りすることを発議。
これに賛同した尾道の石工連中は、1731年に京都・新日吉神社から御分霊を勧請し、亀山八幡宮の境内に御鎮座。
それが現在の高御倉神社といわれています。
ちなみに新撰姓氏録によると、石作大連公建眞利根命は火明命の6世孫で、垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命のため石棺を作って献上したことにより、石作大蓮公の姓を賜ったという。
その後、石工の神様としてお祀りされることになったんだとか。
1716〜1736年、摂津国の石工・福島村雲と藤原徳栄が尾道に移住し、尾道の石工連中に石工の祖先・石作大連公建眞利根命をお祀りすることを発議。
これに賛同した尾道の石工連中は、1731年に京都・新日吉神社から御分霊を勧請し、亀山八幡宮の境内に御鎮座。
それが現在の高御倉神社といわれています。
ちなみに新撰姓氏録によると、石作大連公建眞利根命は火明命の6世孫で、垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命のため石棺を作って献上したことにより、石作大蓮公の姓を賜ったという。
その後、石工の神様としてお祀りされることになったんだとか。
●高良神社・貴船神社
●高良神社・貴船神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
●御祭神
・高良神社 高良玉垂命
・貴船神社 船魂
こちらは拝殿向かって左に鎮座する高良神社・貴船神社です。
●二の丸稲荷神社
●二の丸稲荷神社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・通称 おゆき稲荷
●御祭神
・宇迦之御魂神
こちらは参道途中にある二の丸稲荷神社です。
この二の丸稲荷神社は、第12代横綱・陣幕久五郎さんと妻・おゆきさんが篤く信仰した神社なんだって。
そんなこんなで、夫婦円満・恋愛成就の御利益があるそうです。
●松尾神社
●松尾神社
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
●御祭神
・大山咋神
・市杵嶋姫神
・酒彌豆男神
・酒彌豆女神
・大己貴命
こちらは二の丸稲荷神社の隣に鎮座する松尾神社です。
社殿は尋常じゃないくらい傾いていました!
一瞬、目がバグってしまったのかと思いましたよ。
そんなことより、松尾神社といえば酒の神様!
大山咋神は農耕を司り醸造の原料を生産する神。
醸造業には多額の資金が必要となるため福財の神・市杵島姫命もお祀りされています。
酒彌豆男神と酒彌豆女神は、酒造り杜氏の祖神。
醸造・発酵業の守護神として崇められており酒類などの販売業者の守り神でもあります。
大己貴命は大国主命の別名です。
醸造の原料になる五穀豊穣の神です。
●松尾神社とは?
もともとこの神社は浄土寺の境内に鎮座していたみたいです。
しかし大雨で社殿が大破。
そんなこんなで、1923年に尾道酒造組合の発起で、京都・松尾大社から御分霊を勧請。
それが現在の松尾神社なんだって。
もともとこの神社は浄土寺の境内に鎮座していたみたいです。
しかし大雨で社殿が大破。
そんなこんなで、1923年に尾道酒造組合の発起で、京都・松尾大社から御分霊を勧請。
それが現在の松尾神社なんだって。
松尾大社の御朱印~許してください、お酒の神様~(京都府京都市西京区)
住 所京都府京都市西京区嵐山宮町3祭 神大山咋神・中津島姫命(市杵島姫命)社 格式内社(名神大2座)・二十二社(上七社)・旧官幣大社・別表神社札 所神仏霊場巡拝の道 第87番由 緒この地方...
●和霊神社
●和霊神社
・建立年不明
・瓦葺 一間社流造
●御祭神
・山家清兵衛
こちらは参道途中に鎮座する和霊神社です。
和霊神社といえば山家清兵衛さん!
そんなこんなで、この神社には無念の死を遂げた山家清兵衛さんがお祀りされています。
●和霊神社の参拝記と御朱印情報
こちらに山家清兵衛さんのことを詳しく書いています。
和霊神社の御朱印~坂本龍馬の守護神。無念の死を遂げた山家清兵衛を祀る。~(愛媛県宇和島市)
所在地愛媛県宇和島市和霊町1451祭 神山家清兵衛公頼命由 緒1615年、伊達政宗の長男・秀宗が宇和島10万石の藩主となった際、伊達秀宗とともに仙台藩からやってきた山家清兵衛を祀った神社といわれています。...
●和霊神社の狛犬
・1857年作
・広島玉乗り型(尾道型)
・尾道石工 祐四郎作
尾道の狛犬といえば広島玉乗り型!
この神社には座型狛犬と構え獅子しかいないのかな〜と思っていたら、境内社にいた!
しかも狛犬①②と狛犬③④と同じく、祐四郎さんの作品!
狛犬①②は1821年作。
狛犬③④は1857年作。
和霊神社の狛犬も1857年作。
ということで、こちらの狛犬ちゃんは、狛犬③④と同時期につくられたものなんですね。
結局、亀山八幡宮の狛犬ちゃんは全て祐四郎さんの作品でした。
●恵比須神社
●恵比須神社
・建立年不明
・瓦葺 一間社流造
●御祭神
・事代主命
神社の創建年はわかりませんが、安政4年の古札が残っていることから、少なくとも1857年には鎮座していた神社と思われます。
●荒神社
●荒神社
・1924年再建
●御祭神
・奥津彦命
・奥津姫命
こちらは拝殿近くに鎮座する荒神社です。
荒神社といえば火の神・竈の神。
もともとこの神社は石工集団が住んでいた石屋町に鎮座していたみたいです。
石工は鞴(ふいご)を使っていたことから、火の神・竈の神の荒神社は石工から信仰されていたみたいです。
●水天宮
こちらは荒神社の隣に鎮座する水天宮です。
筑後国久留米と書いてありますので、水天宮の総本宮から勧請した神社なのかな?
御祭神は水天宮の総本宮と同じ、天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮・二位の尼なのかな?
●伊勢神宮遥拝所
その他、境内には伊勢神宮の遥拝所がありました。
陣幕久五郎の手形碑と軍配灯籠と力石
●横綱・陣幕久五郎の手形碑
●横綱・陣幕久五郎の手形碑
・1994年建立
こちらは江戸時代末期~明治時代中期に活躍した横綱・陣幕久五郎さんの手形です。
それにしても、横綱・陣幕久五郎さんの幕内生涯通算成績がエグいんですよ!
なんと87勝5敗17分!
勝率はなんと9割4分6厘!
圧倒的というかほぼ無敵!
そのため負けず屋といわれていたそうです。
こりゃ大横綱だね。
当然、デカいです!
●軍配灯籠
●軍配灯籠
・1834年建立
・尾道石工 保兵衛・竹三郎・太右衛門作
こちらは尾道石工の保兵衛さんと竹三郎さんと太右衛門さんの作品であります軍配灯籠です。
その名の通り、灯篭の台座には軍配型と扇型の石が組み込まれているという!
扇型の石を組み込んだ石垣はたまにお見かけしますが、軍配型は初めて拝見しましたよ!
尾道石工の技術力の高さをまざまざと感じたひと時でした。
●力石
境内には力石もありました。
住吉神社や御袖天満宮や西国寺など尾道には力石がある寺社が多いです。
北前船の寄港地として栄えた尾道には、特産物の石造物や酢などを船に積むために、たくさんの力持ちが港に集まってたんだろうなぁ。
境内からは浄泉寺の本堂がドーンと望めます。
目がバグってしまったのかと思うくらい巨大な屋根なんですよ!
尾道志稿によると、浄泉寺・本堂前の井戸は亀山八幡宮の御用水だったんだとか。
さらに浄泉寺北の寺領は亀山八幡宮の御池があったんだって。
つまり、現在の浄泉寺はもともと亀山八幡宮の社領だったみたいですね。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
●横綱・陣幕久五郎の手形碑
・1994年建立
こちらは江戸時代末期~明治時代中期に活躍した横綱・陣幕久五郎さんの手形です。
それにしても、横綱・陣幕久五郎さんの幕内生涯通算成績がエグいんですよ!
なんと87勝5敗17分!
勝率はなんと9割4分6厘!
圧倒的というかほぼ無敵!
そのため負けず屋といわれていたそうです。
こりゃ大横綱だね。
当然、デカいです!
●光明寺の参拝記と御朱印情報
ちなみに尾道の光明寺には陣幕久五郎さんのお墓と手形碑があります。
光明寺の御朱印|村上水軍ゆかりの寺|尾道 古寺めぐり(広島県尾道市)
所在地広島県尾道市東土堂町2−8宗 派浄土宗西山禅林寺派由 緒834〜847年、慈覚大師(円仁)が創建したお寺といわれています。創建当時は天台宗でしたが、1336年に足利尊氏の従軍僧だった道宗雙救上人が本...
●軍配灯籠
●軍配灯籠
・1834年建立
・尾道石工 保兵衛・竹三郎・太右衛門作
こちらは尾道石工の保兵衛さんと竹三郎さんと太右衛門さんの作品であります軍配灯籠です。
その名の通り、灯篭の台座には軍配型と扇型の石が組み込まれているという!
扇型の石を組み込んだ石垣はたまにお見かけしますが、軍配型は初めて拝見しましたよ!
尾道石工の技術力の高さをまざまざと感じたひと時でした。
●力石
境内には力石もありました。
●力石とは?
力石とは力だめしをする石。
もともとは神霊の依坐である石を持ち上げることで豊凶・天候・武運などの神意を伺う占い信仰が始まりともいわれています。
また米一俵分の重さを担ぎ上げる力が成人の資格と考えられ、それを証明するために用いられた力石もあったそうです。
しかし時代とともに本来の意味を失い、若者の力自慢の道具になっていったという。
尾道は北前船の寄港地であったことから、江戸時代には浜の沖仲仕達が力自慢をしていたそうです。
力石とは力だめしをする石。
もともとは神霊の依坐である石を持ち上げることで豊凶・天候・武運などの神意を伺う占い信仰が始まりともいわれています。
また米一俵分の重さを担ぎ上げる力が成人の資格と考えられ、それを証明するために用いられた力石もあったそうです。
しかし時代とともに本来の意味を失い、若者の力自慢の道具になっていったという。
尾道は北前船の寄港地であったことから、江戸時代には浜の沖仲仕達が力自慢をしていたそうです。
住吉神社や御袖天満宮や西国寺など尾道には力石がある寺社が多いです。
北前船の寄港地として栄えた尾道には、特産物の石造物や酢などを船に積むために、たくさんの力持ちが港に集まってたんだろうなぁ。
境内からは浄泉寺の本堂がドーンと望めます。
目がバグってしまったのかと思うくらい巨大な屋根なんですよ!
尾道志稿によると、浄泉寺・本堂前の井戸は亀山八幡宮の御用水だったんだとか。
さらに浄泉寺北の寺領は亀山八幡宮の御池があったんだって。
つまり、現在の浄泉寺はもともと亀山八幡宮の社領だったみたいですね。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・亀山八幡宮の御朱印(2種類)
・厳島神社の御朱印(2種類)
・八坂神社の御朱印
・松尾神社の御朱印
・高御倉神社の御朱印
・山脇神社の御朱印
●御朱印の料金
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●御朱印の受付場所
・宮司さん宅
※御朱印は境内裏手の宮司さん宅で頂けます。
●御朱印の受付時間
・不明
※宮司さんが不在の場合は後日郵送して頂けるみたいです。
●オリジナル御朱印帳
・あり
・2013年2月2日 参拝
・2024年1月7日 再訪
・2024年1月 最終更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩25分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
防地口 バス停から徒歩1分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
尾道ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩25分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
防地口 バス停から徒歩1分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
尾道ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり