所在地 | 愛媛県松山市味酒町3丁目1−1 |
---|---|
祭 神 | ●主祭神 ・大山積命・高龗神・雷神・味耳命 ●相殿神 ・面足神・惶根神・神八井耳尊 |
社 格 | 式内社(論)・旧県社 |
由 緒 | 664年、越智守興が創建したのが始まり。もともとは勝山(現・城山)に鎮座していたそうで、勝山三島大明神と称していたといいます。1602年、加藤嘉明が松山城を築城する際、味酒郷の現在地に遷座。そして、味酒神社と改称したそうです。松山城の裏鬼門・表鬼門の守護神として歴代藩主の崇敬を受け、社領・御供料の寄進が行われたそうです。その後、1870年に阿沼美神社と改称。1945年、松山大空襲により焼失しましたが、戦後再興しました。 |
社号標と石柱と鳥居
●境内入口
愛媛県松山市の味酒町に鎮座しています阿沼美神社に到着。
味酒町と書いてみさけまちと読むそうですよ。
なんだかネクタイを頭に巻いたおじ様達が千鳥足・・・そんな昭和な風景を頭の中で想像しちゃいました。
そんなことより、もともとこの神社は味酒神社という社名だったみたいですよ。
それを1870年に現社名の阿沼美神社に改称したんだって。
いかにもお酒が美味しそうな社名なので、もしかしたらお酒に関係する神社なのかも???
と思い調べてみることに。
世間一般的に酒造の神様といえば松尾大社にみられる大山咋神を思い浮かべてしまいますが、この神社には大山咋さんは祀られてないみたい。
だがしかーし!
境内社の金刀比羅神社に大物主さんが祀られているじゃない。
奈良の三輪山に鎮座する大神神社は、古来より大物主さんを酒の神様として信仰していますし。
万葉集には味酒 三輪の山 あをによしと詠われていますし!
もしかしたら阿沼美神社が鎮座するこの味酒町は、かつては酒造りが盛んな地だったのかなぁ?
とかなんとか、勝手に深読みしていたひと時でした。
これは全て私の勝手な推測です(笑)
●社号標
そんなことより阿沼美神社・・・なんて読むの???
・・・あぬまみ???
ということで、調べてみることに。
どうやら阿沼美神社と書いてあぬみ神社と読むみたいです。
●阿沼美とは?
阿沼美という名前の由来は諸説あるみたいですよ。
●説①
・阿沼美とは日本初のストリッパー・天鈿女命のこと。
●説②
・その昔、勝山と江戸山の間に大沼があり、神詠に阿那美クシ沼哉とあったため。
●説③
・阿治美神社と書かれた写本があって、そこにはアジミという訓がつけられているそうです。アジミとは熱水(あつみ)のことで、熱水 → 温泉 → 道後温泉。すなわち、道後温泉があるこの地方の神という意味。
などなど。
私は馬鹿なのか阿呆なのか、どれもこれもよく意味がわかんない(笑)
●石柱
●石柱
・明治時代建立
石柱の裏には明治十 ξ 六・・・と書かれておりました。
これは明治十六年という意味なのかなぁ。
それとも明治十年六月的な意味なのかなぁ。
十の下に書いてあるξみたいな文字が年なのか、はたまた十の縦線の延長なのか・・・
私は馬鹿なのか阿呆なのか、考えてもよくわかんない。
誰か教えてください(笑)
●鳥居
●鳥居
・1969年建立
・明神鳥居
そんなこんなで、鳥居をくぐると
ガラーーーン
なんだこの不気味に開けた空間は!
違和感を感じてしまうほど開けてる。
まるで町中にポッカリと穴が空いてしまったかのよう。
心地良い開放感というわけではなく、無防備な丸裸状態で歩いてるような感じがして、思わず身構えてしまいました。
あまりに開けているので、阿呆な私は逆に迷子になりそうだ・・・
そこで思い出す・・・境内入口にあった方位盤みたいなやつは、もしかして境内で迷子にならないための優しさだったのか・・・(ないない)
愛媛県松山市の味酒町に鎮座しています阿沼美神社に到着。
味酒町と書いてみさけまちと読むそうですよ。
なんだかネクタイを頭に巻いたおじ様達が千鳥足・・・そんな昭和な風景を頭の中で想像しちゃいました。
そんなことより、もともとこの神社は味酒神社という社名だったみたいですよ。
それを1870年に現社名の阿沼美神社に改称したんだって。
いかにもお酒が美味しそうな社名なので、もしかしたらお酒に関係する神社なのかも???
と思い調べてみることに。
世間一般的に酒造の神様といえば松尾大社にみられる大山咋神を思い浮かべてしまいますが、この神社には大山咋さんは祀られてないみたい。
だがしかーし!
境内社の金刀比羅神社に大物主さんが祀られているじゃない。
奈良の三輪山に鎮座する大神神社は、古来より大物主さんを酒の神様として信仰していますし。
万葉集には味酒 三輪の山 あをによしと詠われていますし!
もしかしたら阿沼美神社が鎮座するこの味酒町は、かつては酒造りが盛んな地だったのかなぁ?
とかなんとか、勝手に深読みしていたひと時でした。
これは全て私の勝手な推測です(笑)
●社号標
そんなことより阿沼美神社・・・なんて読むの???
・・・あぬまみ???
ということで、調べてみることに。
どうやら阿沼美神社と書いてあぬみ神社と読むみたいです。
●阿沼美とは?
阿沼美という名前の由来は諸説あるみたいですよ。
●説①
・阿沼美とは日本初のストリッパー・天鈿女命のこと。
●説②
・その昔、勝山と江戸山の間に大沼があり、神詠に阿那美クシ沼哉とあったため。
●説③
・阿治美神社と書かれた写本があって、そこにはアジミという訓がつけられているそうです。アジミとは熱水(あつみ)のことで、熱水 → 温泉 → 道後温泉。すなわち、道後温泉があるこの地方の神という意味。
などなど。
私は馬鹿なのか阿呆なのか、どれもこれもよく意味がわかんない(笑)
●石柱
●石柱
・明治時代建立
石柱の裏には明治十 ξ 六・・・と書かれておりました。
これは明治十六年という意味なのかなぁ。
それとも明治十年六月的な意味なのかなぁ。
十の下に書いてあるξみたいな文字が年なのか、はたまた十の縦線の延長なのか・・・
私は馬鹿なのか阿呆なのか、考えてもよくわかんない。
誰か教えてください(笑)
●鳥居
●鳥居
・1969年建立
・明神鳥居
そんなこんなで、鳥居をくぐると
ガラーーーン
なんだこの不気味に開けた空間は!
違和感を感じてしまうほど開けてる。
まるで町中にポッカリと穴が空いてしまったかのよう。
心地良い開放感というわけではなく、無防備な丸裸状態で歩いてるような感じがして、思わず身構えてしまいました。
あまりに開けているので、阿呆な私は逆に迷子になりそうだ・・・
そこで思い出す・・・境内入口にあった方位盤みたいなやつは、もしかして境内で迷子にならないための優しさだったのか・・・(ないない)
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1957年再建
・銅板葺 入母屋造
・RⅭ造
・式内社(論)
どうやらこの神社は、河野氏が崇敬した神社だそうですよ。
ということで、神紋は河野氏と同じ折敷に縮三文字の紋。
鎌倉時代には、源頼朝が社領7石を寄進したんだって。
しかし1573~1593年に、領主・福島正則が社領を没収・・・。
さらに1601年には、社家の某女が一家の死滅に心狂して社殿に火を放つ・・・神宝や古記はことごとく焼失してしまったといいます。
拝殿は頑丈に造られた鉄筋コンクリート製でした。
どうやらもともとあった社殿は、1945年の松山大空襲で焼失してしまったみたいです。。。
ということで、現在の社殿は戦後の1957年に再建されたものなんだって。
なんだかしまねっこみたいなカラーだなぁ。
そんなことより、この阿沼美神社は式内社の論社だという。
無機質で殺風景な空気が漂っているため、そんなことは微塵も感じさせませんが、実は非常に歴史ある格式の高い神社なのです。
論社なので式内社確定!
ということではありませんがね。
式内社・阿沼美神社の比定地は、ここ味酒町と平田町。
それぞれ式内社・阿沼美神社であることを主張しているわけですが、現在のところどちらが本当の式内社なのかはわかっていません。
●本殿
●本殿
・1957年再建
・銅板葺 流造
・RⅭ造
●主祭神
・大山積命・高龗神・雷神・味耳命
●相殿神
・面足神・惶根神・神八井耳尊
●大山積命とは?
古事記では大山津見神。
日本書紀では大山祇神と記されています。
ちなみに、オオヤマヅミもしくはオオヤマツミと読みます。
この阿沼美神社の表記は大山積・・・古事記でも日本書紀でもない表記です。
山祇神社・三島神社の総本社である大山祇神社(愛媛県今治市)の祭神表記も大山積だったので、もしかしたら愛媛では大山積と表記するのがスタンダードなのかもしれませんね(あくまで推測)
オオヤマヅミは、イザナギとイザナミの子です。
アマテラスの兄でもあります。
イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの父でもあります。
またスサノオの嫁・クシナダヒメの祖父でもあります。
そんなこんなで、日本神話にちょいちょい登場する神話界の重鎮です。
オオヤマヅミは山の神ですが、大山祇神社が瀬戸内海に鎮座することから、海の神としての性格も持っています。
こちらにオオヤマヅミのことを書いています。
●味耳命とは?
味耳命とは、タカミムスビの8世の孫といわれるお方です。
古代日本の氏族・久米氏の祖神といわれています。
●拝殿
・1957年再建
・銅板葺 入母屋造
・RⅭ造
・式内社(論)
どうやらこの神社は、河野氏が崇敬した神社だそうですよ。
ということで、神紋は河野氏と同じ折敷に縮三文字の紋。
鎌倉時代には、源頼朝が社領7石を寄進したんだって。
しかし1573~1593年に、領主・福島正則が社領を没収・・・。
さらに1601年には、社家の某女が一家の死滅に心狂して社殿に火を放つ・・・神宝や古記はことごとく焼失してしまったといいます。
拝殿は頑丈に造られた鉄筋コンクリート製でした。
どうやらもともとあった社殿は、1945年の松山大空襲で焼失してしまったみたいです。。。
ということで、現在の社殿は戦後の1957年に再建されたものなんだって。
なんだかしまねっこみたいなカラーだなぁ。
そんなことより、この阿沼美神社は式内社の論社だという。
無機質で殺風景な空気が漂っているため、そんなことは微塵も感じさせませんが、実は非常に歴史ある格式の高い神社なのです。
論社なので式内社確定!
ということではありませんがね。
式内社・阿沼美神社の比定地は、ここ味酒町と平田町。
それぞれ式内社・阿沼美神社であることを主張しているわけですが、現在のところどちらが本当の式内社なのかはわかっていません。
●本殿
●本殿
・1957年再建
・銅板葺 流造
・RⅭ造
●主祭神
・大山積命・高龗神・雷神・味耳命
●相殿神
・面足神・惶根神・神八井耳尊
●大山積命とは?
古事記では大山津見神。
日本書紀では大山祇神と記されています。
ちなみに、オオヤマヅミもしくはオオヤマツミと読みます。
この阿沼美神社の表記は大山積・・・古事記でも日本書紀でもない表記です。
山祇神社・三島神社の総本社である大山祇神社(愛媛県今治市)の祭神表記も大山積だったので、もしかしたら愛媛では大山積と表記するのがスタンダードなのかもしれませんね(あくまで推測)
オオヤマヅミは、イザナギとイザナミの子です。
アマテラスの兄でもあります。
イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの父でもあります。
またスサノオの嫁・クシナダヒメの祖父でもあります。
そんなこんなで、日本神話にちょいちょい登場する神話界の重鎮です。
オオヤマヅミは山の神ですが、大山祇神社が瀬戸内海に鎮座することから、海の神としての性格も持っています。
こちらにオオヤマヅミのことを書いています。
大山津見神(オオヤマツミ)
たくさんの国つ神を生んだ山の神! 神性 山を司る神 エピソード イザナギとイザナミの神生みで生まれた山の神だよ。 スサノオがヤマタノオロチを退治するくだりで出会う老夫婦の足名椎命・手名椎命(アシナヅチ・テナヅチ)の親神だ
●味耳命とは?
味耳命とは、タカミムスビの8世の孫といわれるお方です。
古代日本の氏族・久米氏の祖神といわれています。
境内社
●境内社
続いて、境内社を参拝してきました。
左から、金刀比羅神社・味酒天満神社・勝山八幡神社・伊余夷子神社。
境内社は広い空間の隅に集まっていました。
とにかく隅へ隅へ追いやる感。
贅沢に空間を使う感。
しかしなんだろう・・・
この集合住宅感。
この分身の術感。
拝殿・本殿といい、この境内社といい、昭和建築のクセがモロに出た社観となっております。
●金刀比羅神社
●金刀比羅神社
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造
・大物主命を祀る
幕には金刀比羅神社のトレードマークであります丸金。
●味酒天満神社
●味酒天満神社
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造
・菅原道真を祀る
幕には天満系神社のトレードマークであります梅。
植物のことは無知なのでよくわかりませんが、もしかしたら社の前の木は梅ですか?
●勝山八幡神社
●勝山八幡神社
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造
・松山八社八幡の1つ
幕には八幡系神社のトレードマークであります三つ巴紋。
巴紋には左巴と右巴がありますが、こちらは左三つ巴を採用しているみたいです。
●祭神
応神天皇・武甕槌命・市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命
八幡神社ということで、八幡神であります応神天皇と宗像三女神が祀られていました。
もともとこの神社は勝山の山頂に鎮座していましたが、1875年に現在地に遷座し、阿沼美神社の末社になったそうです。
勝山八幡神社の前には、ものすっごく小さな狛犬ちゃんがおられました。
しかも広島玉乗り型(尾道型)の狛犬ちゃんという!
広島玉乗り型(尾道型)は、明治時代に一大ブームとなった狛犬で、北九州から瀬戸内海沿岸にかけてめちゃくちゃ多く分布しています。
今まで結構な数の広島玉乗り型に出会ってきましたが、間違いなくこの狛犬ちゃんは過去最小です!
うぅぅぅ、可愛すぎる!
家に飾りたい・・・。
●伊余夷子神社
●伊余夷子神社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・蛭子命を祀る
赤く塗られた鉄柵がなんともいえない味を出していました。
何でこの社にだけ門があるのだろう・・・明らかに他の境内社とは作風が違います。
●稲荷神社
●稲荷神社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・宇迦之御魂神を祀る
金刀比羅神社・味酒天満神社・勝山八幡神社・伊余夷子神社は、境内右に集まっていましたが、この稲荷神社だけ境内左に鎮座していました。
●芭蕉の句碑
●芭蕉の句碑
・1894年建立
境内には松尾芭蕉の句碑がありました。
さまさまの事おもひ出す桜かな
と刻まれていました。
もしかして芭蕉さんがこの地を訪れたのか???
と思ってしまいましたが、どうやらこの句碑は芭蕉さんの二百回忌を記念して建立されたもののようです。
続いて、境内社を参拝してきました。
左から、金刀比羅神社・味酒天満神社・勝山八幡神社・伊余夷子神社。
境内社は広い空間の隅に集まっていました。
とにかく隅へ隅へ追いやる感。
贅沢に空間を使う感。
しかしなんだろう・・・
この集合住宅感。
この分身の術感。
拝殿・本殿といい、この境内社といい、昭和建築のクセがモロに出た社観となっております。
●金刀比羅神社
●金刀比羅神社
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造
・大物主命を祀る
幕には金刀比羅神社のトレードマークであります丸金。
●味酒天満神社
●味酒天満神社
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造
・菅原道真を祀る
幕には天満系神社のトレードマークであります梅。
植物のことは無知なのでよくわかりませんが、もしかしたら社の前の木は梅ですか?
●勝山八幡神社
●勝山八幡神社
・建立年不明
・本瓦葺 入母屋造
・松山八社八幡の1つ
幕には八幡系神社のトレードマークであります三つ巴紋。
巴紋には左巴と右巴がありますが、こちらは左三つ巴を採用しているみたいです。
●祭神
応神天皇・武甕槌命・市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命
八幡神社ということで、八幡神であります応神天皇と宗像三女神が祀られていました。
もともとこの神社は勝山の山頂に鎮座していましたが、1875年に現在地に遷座し、阿沼美神社の末社になったそうです。
勝山八幡神社の前には、ものすっごく小さな狛犬ちゃんがおられました。
しかも広島玉乗り型(尾道型)の狛犬ちゃんという!
広島玉乗り型(尾道型)は、明治時代に一大ブームとなった狛犬で、北九州から瀬戸内海沿岸にかけてめちゃくちゃ多く分布しています。
今まで結構な数の広島玉乗り型に出会ってきましたが、間違いなくこの狛犬ちゃんは過去最小です!
うぅぅぅ、可愛すぎる!
家に飾りたい・・・。
●伊余夷子神社
●伊余夷子神社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・蛭子命を祀る
赤く塗られた鉄柵がなんともいえない味を出していました。
何でこの社にだけ門があるのだろう・・・明らかに他の境内社とは作風が違います。
●稲荷神社
●稲荷神社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・宇迦之御魂神を祀る
金刀比羅神社・味酒天満神社・勝山八幡神社・伊余夷子神社は、境内右に集まっていましたが、この稲荷神社だけ境内左に鎮座していました。
●芭蕉の句碑
●芭蕉の句碑
・1894年建立
境内には松尾芭蕉の句碑がありました。
さまさまの事おもひ出す桜かな
と刻まれていました。
もしかして芭蕉さんがこの地を訪れたのか???
と思ってしまいましたが、どうやらこの句碑は芭蕉さんの二百回忌を記念して建立されたもののようです。
御朱印情報
●御朱印の種類
・阿沼美神社の御朱印
・勝山八幡神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・拝殿隣の授与所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の初穂料(料金)
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
(2020年12月現在)
・阿沼美神社の御朱印
・勝山八幡神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・拝殿隣の授与所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の初穂料(料金)
・各300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
(2020年12月現在)
アクセスと駐車場
●最寄りの駅
・伊予鉄道・高浜線
古町駅から徒歩5分
・伊予鉄道・路面電車
本町四丁目停留場から徒歩5分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
※駐車場は社殿の左後方にあります。