所在地 | 山口県山口市平野2丁目2−1 |
---|---|
祭 神 | 山口県関係の国難に殉じた英霊52128柱 |
社 格 | ・内務大臣指定護国神社 ・別表神社 |
由 緒 | 1941年創建。明治維新以降、国難に殉じた山口県関係の英霊を祀る神社です。その他、幕末に殉じた、吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作などの霊も祀られています。 |
HP | 山口縣護國神社 |
山口県護国神社とは?
●鳥居
戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争・支那事変・太平洋戦争など、山口県に関係する英霊を祀る山口県護国神社に到着。
山口県護国神社と書いてやまぐちけんごこくじんじゃと読みます。
正式な表記は山口縣護國神社ですが、縣も國も人生で1度も書いたことがなく、全く馴染みのない漢字ですので、この記事では山口県護国神社で書き進めていきます。
って、どうでもいい話ですみません。
そんなこんなで、参拝開始。
それにしても、ガラ~ンとして何もない空間がとても印象的な神社でした。
周りに高い建物がないせいか、はたまた高い木がないせいか、 違和感を感じてしまうほど何もない空間!
何もないから心地良い開放感があるというわけではなく、とても無防備で丸裸な状態で歩いてるような感じがして、無意識に身構えてしまう参道でしたよ!
何もない空間なのに、誰かに見られてるような気がしてね・・・なんか怖かったよ!
戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争・支那事変・太平洋戦争など、山口県に関係する英霊を祀る山口県護国神社に到着。
山口県護国神社と書いてやまぐちけんごこくじんじゃと読みます。
正式な表記は山口縣護國神社ですが、縣も國も人生で1度も書いたことがなく、全く馴染みのない漢字ですので、この記事では山口県護国神社で書き進めていきます。
って、どうでもいい話ですみません。
●山口県護国神社とは?
1903年、日清戦争の後に国難に殉じた山口県出身の英霊を慰霊するため、防長靖献会が設立されたそうです。
以来、毎年春に鎮座地の南に隣接する桜畠練兵場で盛大な招魂祭が行われたという。
その後、1939年に護国神社制度が整備され、山口県にも護国神社を創建することとなり、1941年に現・社殿を建立。
そして内務大臣から指定護国神社の指定を受け、靖国神社に祀られていた山口県出身の戦没者7159柱を合祀。
1942年に鎮座祭が行われ、現在に至るそうです。
ちなみに山口県護国神社は、山口県に関係する明治維新以降の国難に殉じた戦没者を祀る神社ですが、吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作・大村益次郎・来島又兵衛などの幕末の志士も祀られています。
山口県下関市には日本初の招魂社である桜山招魂社があります。
桜山招魂社は、高杉晋作さんの発議により1865年に創建されましたが、山口県ではそれ以降も県内各地に招魂社が創建され、明治元年の1868年までに16社もの招魂社が創建されたという!
その後も山口県内では招魂社が創建され続け、1945年までに22社の招魂社が創建されたんだって。
1903年、日清戦争の後に国難に殉じた山口県出身の英霊を慰霊するため、防長靖献会が設立されたそうです。
以来、毎年春に鎮座地の南に隣接する桜畠練兵場で盛大な招魂祭が行われたという。
その後、1939年に護国神社制度が整備され、山口県にも護国神社を創建することとなり、1941年に現・社殿を建立。
そして内務大臣から指定護国神社の指定を受け、靖国神社に祀られていた山口県出身の戦没者7159柱を合祀。
1942年に鎮座祭が行われ、現在に至るそうです。
ちなみに山口県護国神社は、山口県に関係する明治維新以降の国難に殉じた戦没者を祀る神社ですが、吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作・大村益次郎・来島又兵衛などの幕末の志士も祀られています。
山口県下関市には日本初の招魂社である桜山招魂社があります。
桜山招魂社は、高杉晋作さんの発議により1865年に創建されましたが、山口県ではそれ以降も県内各地に招魂社が創建され、明治元年の1868年までに16社もの招魂社が創建されたという!
その後も山口県内では招魂社が創建され続け、1945年までに22社の招魂社が創建されたんだって。
そんなこんなで、参拝開始。
それにしても、ガラ~ンとして何もない空間がとても印象的な神社でした。
周りに高い建物がないせいか、はたまた高い木がないせいか、 違和感を感じてしまうほど何もない空間!
何もないから心地良い開放感があるというわけではなく、とても無防備で丸裸な状態で歩いてるような感じがして、無意識に身構えてしまう参道でしたよ!
何もない空間なのに、誰かに見られてるような気がしてね・・・なんか怖かったよ!
社殿と御祭神
●社殿
●拝殿
・1941年建立
・銅板葺 入母屋造
●本殿
・1941年建立
・銅板葺 一間社流造
そんなこんなで、妙な緊張感の中、社殿前に到着。
今日の平和は、私達の為に犠牲となり尊い命を捧げられた英霊様によるものと深く感謝。
御祭神は明治維新以降の国難に殉じた山口県関係の英霊52128柱。
52128柱の中には負傷した兵士の手当などに従事した看護婦、そして軍需工場で米軍の爆撃で犠牲となった学徒動員の生徒も含まれているそうです。
そして52128柱の英霊の中には、明治維新のため尊王攘夷運動で命を落とした幕末の志士も祀られていました。
●御祭神 戦没者別柱数
~山口県護国神社のリーフレットより~
●拝殿
・1941年建立
・銅板葺 入母屋造
●本殿
・1941年建立
・銅板葺 一間社流造
そんなこんなで、妙な緊張感の中、社殿前に到着。
今日の平和は、私達の為に犠牲となり尊い命を捧げられた英霊様によるものと深く感謝。
御祭神は明治維新以降の国難に殉じた山口県関係の英霊52128柱。
52128柱の中には負傷した兵士の手当などに従事した看護婦、そして軍需工場で米軍の爆撃で犠牲となった学徒動員の生徒も含まれているそうです。
そして52128柱の英霊の中には、明治維新のため尊王攘夷運動で命を落とした幕末の志士も祀られていました。
・吉田寅次郎命(松陰)
・久坂義助命(玄瑞)
・高杉晋作命
・来島又兵衛命
・大村益次郎命
・月性命
・久坂義助命(玄瑞)
・高杉晋作命
・来島又兵衛命
・大村益次郎命
・月性命
●御祭神 戦没者別柱数
明治維新大業の前後 | 1399柱 |
佐賀・熊本・福岡の乱 | 38柱 |
西南戦争 | 483柱 |
日清戦争 | 327柱 |
北清事変 | 252柱 |
日露戦争 | 1995柱 |
満洲事変 | 479柱 |
日華事変 | 5909柱 |
太平洋戦争以後 | 41195柱 |
殉職自衛官 | 45柱 |
招魂社と護国神社
全国には104社の官祭招魂社があるそうです。
そのうち、山口県内には22社の招魂社があるという!
なんと、全国の招魂社の23%が山口県に集中しているという!
そんなこんなで、招魂社の数は山口県が全国最多となっております。
ちなみに、山口県に次いで多いのは鹿児島県の17社。
山口県と鹿児島県を合わせると39社。
これは全国にある招魂社の38%、実に約4割を占めているという!
しかしまたなんで山口県と鹿児島県に招魂社が多いのか・・・!?
答えは簡単。
長州藩と薩摩藩は明治維新の主力となった藩で、第一次・二次長州征伐(四境戦争)や戊辰戦争や西南戦争など幕末から明治時代の一連の戦いで命を落とした方が多かったからです。
そんなこんなで、明治維新で官軍となった長州藩や薩摩藩などでは、藩の地域ごとに戦没者を祀る招魂社がたくさんつくられたというわけなんですね。
●山口県の招魂社
①桜山神社(桜山招魂社)
②赤妻神社(赤妻招魂社)
③大島神社(八田山招魂社)
④朝日山護国神社(朝日山招魂社)
⑤栄山神社(山手招魂社)
⑥中山神社(勝野原招魂社)
⑦麻郷護国神社(惣田山招魂社)
⑧防府市護国神社(桑山招魂社)
⑨宇部護国神社(維新山招魂社)
⑩厚狭神社(物見山招魂社)
⑪良城神社(吉敷招魂社)
⑫下松護国神社(山添招魂社)
⑬湯野神社(後山招魂社)
⑭舟木護国神社(鳶ヶ巣招魂社)
⑮江良神社(江良招魂社)
⑯万倉護国神社(峠招魂社)
⑰岩国護国神社(関所山招魂社)
⑱萩市護国神社(長添山招魂社)
⑲三蔭山神社(三蔭山招魂社)
⑳冨田護国神社(永源山招魂社)
㉑土原護国神社(浮島招魂社)
㉒光峨嵋山護国神社(峨嵋山招魂社)
①桜山神社(桜山招魂社)
②赤妻神社(赤妻招魂社)
③大島神社(八田山招魂社)
④朝日山護国神社(朝日山招魂社)
⑤栄山神社(山手招魂社)
⑥中山神社(勝野原招魂社)
⑦麻郷護国神社(惣田山招魂社)
⑧防府市護国神社(桑山招魂社)
⑨宇部護国神社(維新山招魂社)
⑩厚狭神社(物見山招魂社)
⑪良城神社(吉敷招魂社)
⑫下松護国神社(山添招魂社)
⑬湯野神社(後山招魂社)
⑭舟木護国神社(鳶ヶ巣招魂社)
⑮江良神社(江良招魂社)
⑯万倉護国神社(峠招魂社)
⑰岩国護国神社(関所山招魂社)
⑱萩市護国神社(長添山招魂社)
⑲三蔭山神社(三蔭山招魂社)
⑳冨田護国神社(永源山招魂社)
㉑土原護国神社(浮島招魂社)
㉒光峨嵋山護国神社(峨嵋山招魂社)
●招魂社と護国神社
1863年、高杉晋作さんが下関戦争の戦没者の霊を慰めるため、また今後の戦いに挑むにあたって生前墓の必要性を発議したという。
そんなこんなで、奇兵隊の賛同を得て、桜山招魂場が創設されました。
それが日本初の招魂社です。
その後、明治時代初期には幕末・明治維新で戦死した官軍兵士の慰霊儀式の場として各地に招魂場または招魂社が創設されました。
ちなみに、この慰霊儀式の対象には反新政府側の戦没者は含まれていません。
戦死した官軍兵士の慰霊儀式は明治政府が指示したもので、東北地方で反新政府側についた藩では自藩の死者の慰霊ができなかったそうです。
1875年に招魂社の制度が整えられ、各地で祭祀が行われることになりますが、財政難となった地域では荒廃する招魂場もあったという。
そのため、明治政府は官費で招魂場を維持することにし、1874年にこれらの招魂場を招魂社としたそうです。
ちなみに1879年、明治天皇の命により東京招魂社は靖国神社と改称しています。
その後も各地に招魂社が増えていったため、1901年以前に創設された招魂社を官祭招魂社とし、1901年以後に創設された招魂社は全て私祭招魂社としました。
1939年に護国神社制度が整備されると、各地の主な招魂社は護国神社と改称しました。
ちなみに、1939年の時点で護国神社は131社あったといわれています。
1945年、太平洋戦争で日本は敗戦国となりました。
そしてポツダム宣言受諾により、日本がGHQの占領統治下に置かれると、護国神社は軍国主義施設とみなされ、社名から護国の文字を外すことを余儀なくされました。
しかし1952年、サンフランシスコ講和条約により日本の主権が回復すると、大多数の神社は旧社名の護国に戻しています。
護国神社の社格は、内務大臣が指定した指定護国神社(府社・県社相当)と、それ以外の指定外護国神社(村社相当)に分けられています。
ちなみに現在、指定護国神社は全国に51社あります。
東京都と神奈川県には指定護国神社はありません。
基本的に指定護国神社は1府県に1社ですが、例外として崇敬地域の広い北海道は3社。
岐阜県・兵庫県・広島県・島根県は2社あります。
なぜ1つの県に複数の護国神社があるのかというと、県内に複数の陸軍連隊区が存在し、各々の地元意識が強かったため、県内1ヶ所に調整できなかったことが理由です。
例えば広島県の場合、広島市(安芸国 歩兵第11連隊)、福山市(備後国 歩兵第41連隊)にそれぞれ1社ずつ護国神社が存在しています。
1863年、高杉晋作さんが下関戦争の戦没者の霊を慰めるため、また今後の戦いに挑むにあたって生前墓の必要性を発議したという。
そんなこんなで、奇兵隊の賛同を得て、桜山招魂場が創設されました。
それが日本初の招魂社です。
その後、明治時代初期には幕末・明治維新で戦死した官軍兵士の慰霊儀式の場として各地に招魂場または招魂社が創設されました。
ちなみに、この慰霊儀式の対象には反新政府側の戦没者は含まれていません。
戦死した官軍兵士の慰霊儀式は明治政府が指示したもので、東北地方で反新政府側についた藩では自藩の死者の慰霊ができなかったそうです。
1875年に招魂社の制度が整えられ、各地で祭祀が行われることになりますが、財政難となった地域では荒廃する招魂場もあったという。
そのため、明治政府は官費で招魂場を維持することにし、1874年にこれらの招魂場を招魂社としたそうです。
ちなみに1879年、明治天皇の命により東京招魂社は靖国神社と改称しています。
その後も各地に招魂社が増えていったため、1901年以前に創設された招魂社を官祭招魂社とし、1901年以後に創設された招魂社は全て私祭招魂社としました。
1939年に護国神社制度が整備されると、各地の主な招魂社は護国神社と改称しました。
ちなみに、1939年の時点で護国神社は131社あったといわれています。
①招魂社 → 護国神社
②招魂墳墓 → 招魂社 → 護国神社
③招魂場 → 招魂社 → 護国神社
④招魂碑 → 招魂社 → 護国神社
⑤招魂祭 → 招魂社 → 護国神社
⑥最初から護国神社
※招魂祭 → 招魂社 → 靖国神社
②招魂墳墓 → 招魂社 → 護国神社
③招魂場 → 招魂社 → 護国神社
④招魂碑 → 招魂社 → 護国神社
⑤招魂祭 → 招魂社 → 護国神社
⑥最初から護国神社
※招魂祭 → 招魂社 → 靖国神社
1945年、太平洋戦争で日本は敗戦国となりました。
そしてポツダム宣言受諾により、日本がGHQの占領統治下に置かれると、護国神社は軍国主義施設とみなされ、社名から護国の文字を外すことを余儀なくされました。
しかし1952年、サンフランシスコ講和条約により日本の主権が回復すると、大多数の神社は旧社名の護国に戻しています。
護国神社の社格は、内務大臣が指定した指定護国神社(府社・県社相当)と、それ以外の指定外護国神社(村社相当)に分けられています。
ちなみに現在、指定護国神社は全国に51社あります。
東京都と神奈川県には指定護国神社はありません。
基本的に指定護国神社は1府県に1社ですが、例外として崇敬地域の広い北海道は3社。
岐阜県・兵庫県・広島県・島根県は2社あります。
なぜ1つの県に複数の護国神社があるのかというと、県内に複数の陸軍連隊区が存在し、各々の地元意識が強かったため、県内1ヶ所に調整できなかったことが理由です。
例えば広島県の場合、広島市(安芸国 歩兵第11連隊)、福山市(備後国 歩兵第41連隊)にそれぞれ1社ずつ護国神社が存在しています。
その他、境内には拓魂碑・特攻勇士之像・歩兵第42連隊史刊行記念の碑・藤233連隊碑・少飛碑・殉国烈士碑・国旗掲揚塔(ゼロ戦のプロペラ)・母子像などがありました。
そんなこんなで、参拝終了。
つくづく平和に感謝です。
桜山神社(櫻山招魂社)の御朱印|日本初の招魂場|靖国神社の原型となった神社|(山口県下関市)
所在地山口県下関市上新地町2-6祭 神幕末・明治維新で殉じた志士達391柱由 緒1864年、高杉晋作の発議により攘夷戦争で戦死した志士を祀る招魂場を創建。当初は奇兵隊の戦死者を祀るものとしてつくられました...
万倉護国神社(万倉招魂場)の御朱印|国司信濃を始め禁門の変・四境戦争の戦没者を祀る(山口県宇部市)
住 所山口県宇部市大字西万倉496祭 神・国司親相(信濃)・禁門の変、四境戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などで戦没した英霊204柱由 緒1866年、国司家当主・国司純行が、国司家の...
御朱印情報
●御朱印の種類
・山口県護国神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所(授与所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月21日 参拝
・2022年7月 更新
・山口県護国神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所(授与所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年3月21日 参拝
・2022年7月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR宮野駅から徒歩20分
・JR宮野駅から車で5分
●最寄りのバス停
・防長交通
雪舟庭入口 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で15分
・中国自動車道
小郡ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR宮野駅から徒歩20分
・JR宮野駅から車で5分
●最寄りのバス停
・防長交通
雪舟庭入口 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で15分
・中国自動車道
小郡ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり