所在地 | 広島県尾道市西久保町29−27 |
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宗 派 | 真言宗醍醐派 |
寺 格 | 大本山 |
札 所 | ・中国三十三観音霊場 特別霊場 ・中国四十九薬師霊場 第16番 ・山陽花の寺二十四か寺 第19番 ・備後三十三観音霊場 第6番 ・百八観音霊場 第12番 |
由 緒 | 729〜749年、行基が尾道を訪れた際、加茂明神の霊夢を見たという。そして加茂明神のお告げによりお寺を創建。それが西國寺の始まりという。その後、1066年に火災で大半の堂宇と行基作の本尊が焼失しますが、白河天皇の勅命により、住職・慶鑁が再建。1081年には愛宕山の山麓から中腹にかけて巨大な伽藍が完成したという。そして1082年に白河天皇の祈願所になったそうです。さらに1108年には白河法皇により勅願寺となり、官寺として100を超える末寺を有する大寺院に発展したという。その後、1312年に花園天皇の命により西國寺と名付けられることに。しかし1375〜1378年、再び火災により焼失。その後、備後国の守護大名・山名氏が再建し、現在に至るそうです。 |
HP | 真言宗醍醐派 大本山 摩尼山総持院 西國寺 | 歴史と静寂が静かにお迎えいたします |
Contents
西國寺とは?
本日は尾道七佛めぐりをしております。
そんなこんなで、大山寺から徒歩15分。
尾道七佛めぐり5ヶ寺目となります西国寺に到着。
このお寺の正式名称は摩尼山 総持院 西國寺。
摩尼山 総持院 西國寺と書いてまにざん そうじいん さいこくじと読みます。
寺号には西国一の寺という意味が込められてるんだとか!
尾道三山の1つ・愛宕山(西国寺山)の山腹の斜面に沿って広がる境内は、京都・奈良の寺院に引けを取らないくらいの荘厳さを誇っています。
まさに西国一の寺、西国寺!
ちなみに境内はザックリと4つの段に分かれています。
①仁王門エリア
・仁王門
・手水舎など
②金堂エリア
・金堂
・鐘楼
・加茂大明神
・尾道護国神社など
③大師堂エリア
・大師堂
・弥勒堂
・不動堂
・毘沙門堂
・持仏堂など
④三重塔エリア
・三重塔
・歴代住職墓所など
・仁王門
・手水舎など
②金堂エリア
・金堂
・鐘楼
・加茂大明神
・尾道護国神社など
③大師堂エリア
・大師堂
・弥勒堂
・不動堂
・毘沙門堂
・持仏堂など
④三重塔エリア
・三重塔
・歴代住職墓所など
そんなこんなで、参拝開始。
仁王門・手水舎・十王堂・鐘楼
●仁王門
●仁王門
・1648年建立
・1740年修復
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
・広島県指定重要文化財
まず最初に登場するのは立派な楼門!
どうやらこの門は江戸時代前期に建立された仁王門のようです。
ちなみに、1740年に尾道の豪商・泉屋新助さんが大修理したことを記す棟札が現存してるんだって。
なぜか広島県内には三間一戸の楼門は少ないです。
そういう意味でもとても貴重な門となっております。
扁額には摩尼山と書かれておりました。
どうやらこれは小松宮彰仁親王の筆のようです。
小松宮彰仁親王は京都・仁和寺の第30世門跡となったお方です。
また戊辰戦争では奥羽征討総督、佐賀の乱では征討総督、西南戦争では旅団長、明治時代には陸軍大将に昇進し、日清戦争では征清大総督に任じられたお方でもあります。
さらに1877年の西南戦争時に戦争負傷者救護団体・博愛社を創立し、初代総長となったお方です。
ちなみに博愛社は後の日本赤十字社です。
●仁王像
・江戸時代前期作(?)
仁王さんの制作年は不明ですが、一説によると山門と同時代に作られたものといわれています。
山門は1648年建立ですので、仁王さんは江戸時代前期作?
仁王門には西国寺のシンボルであります大草鞋が掛けられていました。
大きさは約2m!
大草鞋の下には、参拝者が奉納したたくさん小草鞋が掛けられていました。
尾道は坂の町として知られています。
尾道にはたくさんの坂道や階段があるため、住民たちは仁王さんのたくましい足にあやかって、健康・健脚を願い、仁王門へ大草鞋を奉納したといいます。
それが草鞋奉納の始まりといわれています。
現在では健康・健脚を願う人の他に、スポーツ選手などからも信仰されてるんだとか。
ちなみに、尾道にはサイクリストの聖地・しまなみ海道があります。
そんなこんなで、草鞋奉納は自転車乗りの方に人気なんだって。
ちなみに現在の大草鞋は、2013年(36年ぶり)に掛け替えられたものなんだとか。
初めて西国寺を参拝したのは2009年ですので、2代の大草鞋を拝見できたことになります。
もしかして長生きできたら、もう1代先の大草鞋も拝見することができるかも?
どうかその時まで健康で!
そして自力で歩いてこの地来れますように!
健康・健脚を願っとこ!
そんなこんなで、仁王門をくぐって境内へ。
参道からは愛宕山・山腹の斜面に沿って広がる境内を望むことができました。
寺域は広大ならがも、コンパクトにまとまった印象を受ける境内でした。
●手水舎①
●手水舎①
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、参道途中にある手水舎①でお清め。
手水舎の建立年は未確認。
帰宅後に気づいたのですが、手水舎の隣に水家一宇 山口玄洞と刻まれた石碑がありましたので、もしかしたらその石碑に刻まれた建立年を探れば、手水舎の建立年がわかるかも知れませんね〜。
ちなみに山口玄洞さんは尾道の名誉市民のようです。
●手水鉢
・1984年奉納
・青銅製
手水鉢は昭和59年に御本尊・薬師如来の御開帳ならびに弘法大師御入定1150年御遠忌を記念して奉納されたもののようです。
それにしても、立派は蓮華形手水鉢でした。
よく見たら龍が睨みをきかせています。
●参道
そんなこんなで、108段の石段を上る。
ちなみに桜のシーズンになると、この石段は桜のトンネルになります。
●十王堂
●十王堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
石段の途中には小さなお堂が建っていました。
どうやらこちらは十王堂のようです。
ネットの情報によると、堂内には閻魔大王像を中心とした十王像が安置されているとのことですが・・・
堂内には閻魔大王さんはおらず・・・
なぜか神鏡だけがポツンと置かれていました。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 袴腰
そんなこんなで、石段を上りきると立派な袴腰鐘楼が登場!
建立年は定かではありませんが、均整のとれた美しい鐘楼でした。
●仁王門
・1648年建立
・1740年修復
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
・広島県指定重要文化財
まず最初に登場するのは立派な楼門!
どうやらこの門は江戸時代前期に建立された仁王門のようです。
ちなみに、1740年に尾道の豪商・泉屋新助さんが大修理したことを記す棟札が現存してるんだって。
●棟札の内容
・施主 泉屋新助
・大工棟梁 藤原五良兵衛
・大工 194人
・屋根葺き職人 21人
・人夫 191人
・合力人夫 212人
・瓦 2800枚追加
・施主 泉屋新助
・大工棟梁 藤原五良兵衛
・大工 194人
・屋根葺き職人 21人
・人夫 191人
・合力人夫 212人
・瓦 2800枚追加
なぜか広島県内には三間一戸の楼門は少ないです。
そういう意味でもとても貴重な門となっております。
扁額には摩尼山と書かれておりました。
どうやらこれは小松宮彰仁親王の筆のようです。
小松宮彰仁親王は京都・仁和寺の第30世門跡となったお方です。
また戊辰戦争では奥羽征討総督、佐賀の乱では征討総督、西南戦争では旅団長、明治時代には陸軍大将に昇進し、日清戦争では征清大総督に任じられたお方でもあります。
さらに1877年の西南戦争時に戦争負傷者救護団体・博愛社を創立し、初代総長となったお方です。
ちなみに博愛社は後の日本赤十字社です。
●仁王像
・江戸時代前期作(?)
仁王さんの制作年は不明ですが、一説によると山門と同時代に作られたものといわれています。
山門は1648年建立ですので、仁王さんは江戸時代前期作?
仁王門には西国寺のシンボルであります大草鞋が掛けられていました。
大きさは約2m!
大草鞋の下には、参拝者が奉納したたくさん小草鞋が掛けられていました。
尾道は坂の町として知られています。
尾道にはたくさんの坂道や階段があるため、住民たちは仁王さんのたくましい足にあやかって、健康・健脚を願い、仁王門へ大草鞋を奉納したといいます。
それが草鞋奉納の始まりといわれています。
現在では健康・健脚を願う人の他に、スポーツ選手などからも信仰されてるんだとか。
ちなみに、尾道にはサイクリストの聖地・しまなみ海道があります。
そんなこんなで、草鞋奉納は自転車乗りの方に人気なんだって。
ちなみに現在の大草鞋は、2013年(36年ぶり)に掛け替えられたものなんだとか。
初めて西国寺を参拝したのは2009年ですので、2代の大草鞋を拝見できたことになります。
もしかして長生きできたら、もう1代先の大草鞋も拝見することができるかも?
どうかその時まで健康で!
そして自力で歩いてこの地来れますように!
健康・健脚を願っとこ!
そんなこんなで、仁王門をくぐって境内へ。
参道からは愛宕山・山腹の斜面に沿って広がる境内を望むことができました。
寺域は広大ならがも、コンパクトにまとまった印象を受ける境内でした。
●手水舎①
●手水舎①
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、参道途中にある手水舎①でお清め。
手水舎の建立年は未確認。
帰宅後に気づいたのですが、手水舎の隣に水家一宇 山口玄洞と刻まれた石碑がありましたので、もしかしたらその石碑に刻まれた建立年を探れば、手水舎の建立年がわかるかも知れませんね〜。
ちなみに山口玄洞さんは尾道の名誉市民のようです。
●手水鉢
・1984年奉納
・青銅製
手水鉢は昭和59年に御本尊・薬師如来の御開帳ならびに弘法大師御入定1150年御遠忌を記念して奉納されたもののようです。
それにしても、立派は蓮華形手水鉢でした。
よく見たら龍が睨みをきかせています。
●参道
そんなこんなで、108段の石段を上る。
ちなみに桜のシーズンになると、この石段は桜のトンネルになります。
●十王堂
●十王堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
石段の途中には小さなお堂が建っていました。
どうやらこちらは十王堂のようです。
ネットの情報によると、堂内には閻魔大王像を中心とした十王像が安置されているとのことですが・・・
堂内には閻魔大王さんはおらず・・・
なぜか神鏡だけがポツンと置かれていました。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 袴腰
そんなこんなで、石段を上りきると立派な袴腰鐘楼が登場!
建立年は定かではありませんが、均整のとれた美しい鐘楼でした。
金堂・唐門
●金堂
●金堂
・1386年建立
・瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財
続いて、金堂を参拝。
なんと、このお堂は1386年に備後国の守護大名・山名氏が建立した国重文!
ちなみに尾道の浄土寺や福山の明王院にも同年代に建立された本堂があります。
西国寺も浄土寺も明王院も和様を基調とした折衷様のお堂なのですが、西国寺の金堂は落ち着いた雰囲気の蔀戸と格子戸のせいか、より古典的で和様の要素が強いお堂となっておりました。
●薬師如来坐像
・平安時代後期作
・像高 約91cm
・一木造
・国指定重要文化財
御本尊は国重文で秘仏の薬師如来さん。
寺伝によると,讃岐・善通寺から迎えた弘法大師の七仏薬師の1つといわれています。
●唐門
●唐門
・建立年不明
・1688〜1704年移築
・瓦葺 向唐門
金堂の右後ろには法要門として使用される唐門がありました。
一説によると、もともとこの唐門は千光寺山の山域に建っていたみたいです。
それを元禄年間に移築したのが現在の唐門といわれています。
ちなみに、通常は門をくぐることはできません。
そんなこんなで、一般参拝者用の石段を上って大師堂エリアへ。
大師堂エリアには、大師堂・弥勒堂・毘沙門堂・不動堂・持仏堂などが建ち並んでいます。
●手水舎②
●手水舎②
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
まずは手水舎②でお清め・・・
と思ったら水はありませんでした。
それにしても、スゴいんですよ、彫刻が!
やり過ぎ感!(笑)
●金堂
・1386年建立
・瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財
続いて、金堂を参拝。
なんと、このお堂は1386年に備後国の守護大名・山名氏が建立した国重文!
ちなみに尾道の浄土寺や福山の明王院にも同年代に建立された本堂があります。
西国寺も浄土寺も明王院も和様を基調とした折衷様のお堂なのですが、西国寺の金堂は落ち着いた雰囲気の蔀戸と格子戸のせいか、より古典的で和様の要素が強いお堂となっておりました。
・明王院(1321年建立 国宝)
・浄土寺(1327年建立 国宝)
・西国寺(1386年建立 国重文)
・浄土寺(1327年建立 国宝)
・西国寺(1386年建立 国重文)
●薬師如来坐像
・平安時代後期作
・像高 約91cm
・一木造
・国指定重要文化財
御本尊は国重文で秘仏の薬師如来さん。
寺伝によると,讃岐・善通寺から迎えた弘法大師の七仏薬師の1つといわれています。
●唐門
●唐門
・建立年不明
・1688〜1704年移築
・瓦葺 向唐門
金堂の右後ろには法要門として使用される唐門がありました。
一説によると、もともとこの唐門は千光寺山の山域に建っていたみたいです。
それを元禄年間に移築したのが現在の唐門といわれています。
ちなみに、通常は門をくぐることはできません。
そんなこんなで、一般参拝者用の石段を上って大師堂エリアへ。
大師堂エリアには、大師堂・弥勒堂・毘沙門堂・不動堂・持仏堂などが建ち並んでいます。
●手水舎②
●手水舎②
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
まずは手水舎②でお清め・・・
と思ったら水はありませんでした。
それにしても、スゴいんですよ、彫刻が!
やり過ぎ感!(笑)
大師堂・弥勒堂・毘沙門堂・不動堂・持仏堂
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、大師堂で参拝。
御本尊はもちろん弘法大師さん。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
それにしても天井に吊るされた灯籠がとても幻想的でした。
大師堂からは弥勒堂 → 毘沙門堂 → 不動堂へ続く廊下がありました。
●弥勒堂
●弥勒堂
・江戸時代初期建立
・瓦葺 宝形造
そんなこんなで、まずは弥勒堂を参拝。
亀腹の基壇に建っているという、地味に珍しいお堂でした。
●毘沙門堂
●毘沙門堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
続いて、毘沙門堂を参拝。
堂内は内陣と外陣で分かれていて、内陣中央には御本尊の毘沙門天さん。
そして左右に吉祥天さんと善膩師童子さんが安置されています。
ちなみに毘沙門天さんと吉祥天さんは夫婦です。
そして善膩師童子さんは、毘沙門天さんと吉祥天さんの間に生まれた5人息子の末っ子です。
●不動堂
●不動堂
・建立年不明
・瓦葺 裳階付き寄棟造
続いて、毘沙門堂の隣に建つ不動堂を参拝。
2重屋根になっているため、一見、2階建てのお堂に見えますが、下の屋根は裳階となりますので、実際は1階建てのお堂です。
堂内の中央には御本尊の不動明王さん。
そして左右に観音菩薩さんと地蔵菩薩さんが安置されていました。
●持仏堂
●持仏堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、大師堂エリアの中で一際大きなお堂であります持仏堂を参拝。
御本尊は大日如来さん。
そして左右には、胎蔵界と金剛界をセットにした両界曼荼羅が掛けられています。
●柴燈護摩(火渡り神事)
西国寺の宗派は真言宗醍醐派です。
一時期、醍醐派より分かれ真言宗西國寺派の総本山を称していたそうですが、現在は醍醐派に帰属し、真言宗醍醐派の大本山となっております。
醍醐派といえば修験道の要素が強い一派です。
そんなこんなで、境内では柴燈護摩(火渡り神事)の準備が行われていました。
ちなみに柴燈護摩(火渡り神事)の本番はこちら。
柴燈護摩は修験者が修行で山に登った際、薪や木の枝(柴)などを焚いて護摩修行をしたことが始まりといわれています。
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、大師堂で参拝。
御本尊はもちろん弘法大師さん。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
それにしても天井に吊るされた灯籠がとても幻想的でした。
大師堂からは弥勒堂 → 毘沙門堂 → 不動堂へ続く廊下がありました。
●弥勒堂
●弥勒堂
・江戸時代初期建立
・瓦葺 宝形造
そんなこんなで、まずは弥勒堂を参拝。
亀腹の基壇に建っているという、地味に珍しいお堂でした。
●毘沙門堂
●毘沙門堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
続いて、毘沙門堂を参拝。
堂内は内陣と外陣で分かれていて、内陣中央には御本尊の毘沙門天さん。
そして左右に吉祥天さんと善膩師童子さんが安置されています。
ちなみに毘沙門天さんと吉祥天さんは夫婦です。
そして善膩師童子さんは、毘沙門天さんと吉祥天さんの間に生まれた5人息子の末っ子です。
●不動堂
●不動堂
・建立年不明
・瓦葺 裳階付き寄棟造
続いて、毘沙門堂の隣に建つ不動堂を参拝。
2重屋根になっているため、一見、2階建てのお堂に見えますが、下の屋根は裳階となりますので、実際は1階建てのお堂です。
堂内の中央には御本尊の不動明王さん。
そして左右に観音菩薩さんと地蔵菩薩さんが安置されていました。
●持仏堂
●持仏堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、大師堂エリアの中で一際大きなお堂であります持仏堂を参拝。
御本尊は大日如来さん。
そして左右には、胎蔵界と金剛界をセットにした両界曼荼羅が掛けられています。
●柴燈護摩(火渡り神事)
西国寺の宗派は真言宗醍醐派です。
一時期、醍醐派より分かれ真言宗西國寺派の総本山を称していたそうですが、現在は醍醐派に帰属し、真言宗醍醐派の大本山となっております。
醍醐派といえば修験道の要素が強い一派です。
そんなこんなで、境内では柴燈護摩(火渡り神事)の準備が行われていました。
ちなみに柴燈護摩(火渡り神事)の本番はこちら。
柴燈護摩は修験者が修行で山に登った際、薪や木の枝(柴)などを焚いて護摩修行をしたことが始まりといわれています。
三重塔
●三重塔
●三重塔
・1429年建立
・瓦葺 三間三重塔
・高さ 約22.3m
・国指定重要文化財
続いて、尾道三古塔の1つ・三重塔を参拝。
ちなみに、尾道市の瀬戸田町にある向上寺には国宝の三重塔があります。
さらにお隣の福山市にある明王院には国宝の五重塔があります。
そんなこんなで、備後地方は塔好きにはたまんないエリアとなっております。
西国寺の三重塔は、1429年に室町幕府6代将軍・足利義教さんの寄進により建立されたものといわれています。
高さは約22.3mで小ぶりながらも、純和様の美しい塔でした。
中央は板唐戸。
脇間は連子窓。
組物は三手先。
中備えは間斗束。
軒は二軒繁垂木となっています。
この塔の特徴は、何と言っても石製の基壇に直接建てられているところ!
パッと見は、基壇の上に三重塔をドンと置いているような感じです。
あと室町時代にわざわざ平安時代の古い様式で建てられているのも特徴の1つです。
ちなみに御本尊は建立当時のものと思われる如意輪観音さん。
そして四方に極彩色の四天王さんが安置されているそうです。
●三重塔
・1429年建立
・瓦葺 三間三重塔
・高さ 約22.3m
・国指定重要文化財
続いて、尾道三古塔の1つ・三重塔を参拝。
●尾道三古塔
①浄土寺 多宝塔(国宝)
②西国寺 三重塔(国重文)
③天寧寺 三重塔(国重文)
①浄土寺 多宝塔(国宝)
②西国寺 三重塔(国重文)
③天寧寺 三重塔(国重文)
ちなみに、尾道市の瀬戸田町にある向上寺には国宝の三重塔があります。
さらにお隣の福山市にある明王院には国宝の五重塔があります。
そんなこんなで、備後地方は塔好きにはたまんないエリアとなっております。
西国寺の三重塔は、1429年に室町幕府6代将軍・足利義教さんの寄進により建立されたものといわれています。
高さは約22.3mで小ぶりながらも、純和様の美しい塔でした。
中央は板唐戸。
脇間は連子窓。
組物は三手先。
中備えは間斗束。
軒は二軒繁垂木となっています。
この塔の特徴は、何と言っても石製の基壇に直接建てられているところ!
パッと見は、基壇の上に三重塔をドンと置いているような感じです。
あと室町時代にわざわざ平安時代の古い様式で建てられているのも特徴の1つです。
ちなみに御本尊は建立当時のものと思われる如意輪観音さん。
そして四方に極彩色の四天王さんが安置されているそうです。
加茂大明神・尾道護国神社・英霊殿
●加茂大明神
●加茂大明神
・建立年不明
・瓦葺 流造
こちらは金堂エリアに鎮座する加茂大明神です。
729〜749年、行基が加茂明神のお告げにより創建したのが西国寺の始まりといわれています。
●尾道護国神社
●尾道護国神社
・1954年建立
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
加茂大明神の隣には尾道護国神社が鎮座していました。
今日の平和は、私達の為に犠牲となり尊い命を捧げられた英霊様によるものと深く感謝。
ちなみに拝殿前の木製灯籠は伊勢神宮より下賜された物なんだって。
●英霊殿
●英霊殿
・建立年不明
・1954年提供
・瓦葺 宝形造
金堂エリアには英霊殿というお社もありました。
もともとこの建物は西国寺の経堂だったそうですが、1954年に遺族会の要望により、西国寺が遺族会に提供したんだとか。
英霊殿の内部は本格的な輪蔵になっているらしく、現在は経典の代わりに約3000体の位牌が祀られてるんだって。
●加茂大明神
・建立年不明
・瓦葺 流造
こちらは金堂エリアに鎮座する加茂大明神です。
729〜749年、行基が加茂明神のお告げにより創建したのが西国寺の始まりといわれています。
●尾道護国神社
●尾道護国神社
・1954年建立
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
加茂大明神の隣には尾道護国神社が鎮座していました。
今日の平和は、私達の為に犠牲となり尊い命を捧げられた英霊様によるものと深く感謝。
●尾道護国神社とは?
1947年、尾道戦没者遺族会を結成した初代会長が中心となり、遺族が寄付した基金と一般寄付などで造営した神社です。
1952年、サンフランシスコ平和条約が結締。
その後、戦没者遺族援護法の制定を機に、戦没者を慰霊顕彰、ならびに遺族会の結束の象徴として、1954年に社殿を建立したそうです。
1947年、尾道戦没者遺族会を結成した初代会長が中心となり、遺族が寄付した基金と一般寄付などで造営した神社です。
1952年、サンフランシスコ平和条約が結締。
その後、戦没者遺族援護法の制定を機に、戦没者を慰霊顕彰、ならびに遺族会の結束の象徴として、1954年に社殿を建立したそうです。
ちなみに拝殿前の木製灯籠は伊勢神宮より下賜された物なんだって。
●英霊殿
●英霊殿
・建立年不明
・1954年提供
・瓦葺 宝形造
金堂エリアには英霊殿というお社もありました。
もともとこの建物は西国寺の経堂だったそうですが、1954年に遺族会の要望により、西国寺が遺族会に提供したんだとか。
英霊殿の内部は本格的な輪蔵になっているらしく、現在は経典の代わりに約3000体の位牌が祀られてるんだって。
持善院・金剛院・金毘羅社
●持善院
続いて、参道脇にある塔頭・持善院を参拝。
かつて西国寺には100を超える塔頭・末寺があったといいますが、現在は持善院と金剛院の2院を残すのみ。
とはいえ、地方のお寺で塔頭が残っていること自体がスゴいことなんですよ。
由緒によると、この持善院は西国寺を再興した慶鑁が創建したのが始まりなんだとか。
慶鑁は白河天皇の時代に生きたお方なので、平安時代中期に創建された塔頭寺院のようです。
その後、文化年間と文政年間に水害による山津波に遭い被災。。
しかし1829年に大旦那の灰屋茂助が本堂・庫裏を再建。
1976年には集中豪雨により裏山が崩壊し全壊。。
その後、御住職と檀信徒が1体となって再建。
1994年、境内に祀られている長寿の神・多賀皇神社を建替えて復興し、現在に至るそうです。
●金剛院
こちらはもう1つの塔頭であります金剛院です。
柵がしてあったため、お堂に近づくことができませんでした。
残念。。
●金毘羅社
そんなことより、塔頭・金剛院の隣には金毘羅社が鎮座していました。
なんと拝殿と本殿の間には天狗の重軽石があるという!
そんなこんなで、拝殿裏に向かうと・・・
そこには天狗の頭部がズラ〜と並べられていました。
薄暗く、6体の頭部が並ぶ様はちょっと異様(笑)
ちょっと背中がゾワっとする空間でしたよ。
重軽石とは、石が軽く持ち上がれば願いが叶い、重くて持ち上がらないと成就は難しいといわれる吉凶占いです。
そんなこんなで、持ち上げてみる・・・
全部重かったです!
だって石ですもの!
続いて、参道脇にある塔頭・持善院を参拝。
かつて西国寺には100を超える塔頭・末寺があったといいますが、現在は持善院と金剛院の2院を残すのみ。
とはいえ、地方のお寺で塔頭が残っていること自体がスゴいことなんですよ。
由緒によると、この持善院は西国寺を再興した慶鑁が創建したのが始まりなんだとか。
慶鑁は白河天皇の時代に生きたお方なので、平安時代中期に創建された塔頭寺院のようです。
その後、文化年間と文政年間に水害による山津波に遭い被災。。
しかし1829年に大旦那の灰屋茂助が本堂・庫裏を再建。
1976年には集中豪雨により裏山が崩壊し全壊。。
その後、御住職と檀信徒が1体となって再建。
1994年、境内に祀られている長寿の神・多賀皇神社を建替えて復興し、現在に至るそうです。
●金剛院
こちらはもう1つの塔頭であります金剛院です。
柵がしてあったため、お堂に近づくことができませんでした。
残念。。
●金毘羅社
そんなことより、塔頭・金剛院の隣には金毘羅社が鎮座していました。
なんと拝殿と本殿の間には天狗の重軽石があるという!
そんなこんなで、拝殿裏に向かうと・・・
そこには天狗の頭部がズラ〜と並べられていました。
薄暗く、6体の頭部が並ぶ様はちょっと異様(笑)
ちょっと背中がゾワっとする空間でしたよ。
重軽石とは、石が軽く持ち上がれば願いが叶い、重くて持ち上がらないと成就は難しいといわれる吉凶占いです。
そんなこんなで、持ち上げてみる・・・
全部重かったです!
だって石ですもの!
御朱印情報
●納経所
御朱印は大師堂エリアにある納経所で頂けます。
そんなこんなで、尾道七佛めぐり5ヶ寺目の御朱印を頂きました!
●中国三十三観音霊場の御朱印
●中国四十九薬師霊場の御朱印
●山陽花の寺二十四か寺の御朱印
●百八観音霊場の御朱印
●尾道七佛めぐり 宝印紙
尾道七佛めぐりでは、3種の授与品があります。
尾道七佛めぐりは特に決まりごとはなく、どのお寺から巡ってもいいし、どの順番で巡ってもいいし、どの授与品を集めてもいいです。
ちなみに私は②宝印紙を集めることにしました。
本当は全部集めたかったのですが、お金が・・・(笑)
ちなみに各寺で宝印紙を頂くと、封筒に各寺の印鑑を押して頂けます。
この印鑑をコンプリートすると記念品の尾道帆布特製の朱印帳袋が頂けるというシステムになっています!
そういえば、自販機でジュースを買おうと思ったらお金を落としてしまいました。
よりによって、この中に入ってしまったというね(笑)
取れそうで取れない・・・
もし誰か取れる人がいたら、取っておいてください!
あげます(笑)
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
次の浄土寺へ向けてGO!
・2009年2月15日 参拝
・2016年7月15日 再訪
・2024年1月7日 再訪
・2024年2月 最終更新
御朱印は大師堂エリアにある納経所で頂けます。
そんなこんなで、尾道七佛めぐり5ヶ寺目の御朱印を頂きました!
●中国三十三観音霊場の御朱印
●中国四十九薬師霊場の御朱印
●山陽花の寺二十四か寺の御朱印
●百八観音霊場の御朱印
●尾道七佛めぐり 宝印紙
尾道七佛めぐりでは、3種の授与品があります。
①専用朱印色紙
・専用朱印色紙(500円)
・御朱印(各寺300円)
※7ヶ寺すべての御朱印を集めると、最後のお寺で満願成就印を頂けます。そして色紙を入れられる掛け軸を頂けます。
②宝印紙
・宝印紙(各寺500円)
※ 7ヶ寺すべての宝印紙を集めると、尾道帆布特製の朱印帳袋を頂けます。
③お守りブレス念珠
・パワーストーン(各寺500円)
・ブレス念珠の作り方セット(300円)
※ 7ヶ寺すべてのパワーストーンを集めると、ブレス念珠を作ることが出来ます。
・専用朱印色紙(500円)
・御朱印(各寺300円)
※7ヶ寺すべての御朱印を集めると、最後のお寺で満願成就印を頂けます。そして色紙を入れられる掛け軸を頂けます。
②宝印紙
・宝印紙(各寺500円)
※ 7ヶ寺すべての宝印紙を集めると、尾道帆布特製の朱印帳袋を頂けます。
③お守りブレス念珠
・パワーストーン(各寺500円)
・ブレス念珠の作り方セット(300円)
※ 7ヶ寺すべてのパワーストーンを集めると、ブレス念珠を作ることが出来ます。
尾道七佛めぐりは特に決まりごとはなく、どのお寺から巡ってもいいし、どの順番で巡ってもいいし、どの授与品を集めてもいいです。
ちなみに私は②宝印紙を集めることにしました。
本当は全部集めたかったのですが、お金が・・・(笑)
ちなみに各寺で宝印紙を頂くと、封筒に各寺の印鑑を押して頂けます。
この印鑑をコンプリートすると記念品の尾道帆布特製の朱印帳袋が頂けるというシステムになっています!
そういえば、自販機でジュースを買おうと思ったらお金を落としてしまいました。
よりによって、この中に入ってしまったというね(笑)
取れそうで取れない・・・
もし誰か取れる人がいたら、取っておいてください!
あげます(笑)
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
次の浄土寺へ向けてGO!
●御朱印情報
●御朱印の種類
・中国三十三観音霊場の御朱印
・中国四十九薬師霊場の御朱印
・山陽花の寺二十四か寺の御朱印
・百八観音霊場の御朱印
・尾道七佛めぐり(専用色紙)
・尾道七佛めぐり(宝印紙)
●御朱印の料金
・中国三十三観音霊場の御朱印(300円)
・中国四十九薬師霊場の御朱印(300円)
・山陽花の寺二十四か寺の御朱印(300円)
・百八観音霊場の御朱印(500円)
・尾道七佛めぐり 専用色紙御朱印(各寺300円)
・尾道七佛めぐり 宝印紙(各寺500円)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
●御朱印の種類
・中国三十三観音霊場の御朱印
・中国四十九薬師霊場の御朱印
・山陽花の寺二十四か寺の御朱印
・百八観音霊場の御朱印
・尾道七佛めぐり(専用色紙)
・尾道七佛めぐり(宝印紙)
●御朱印の料金
・中国三十三観音霊場の御朱印(300円)
・中国四十九薬師霊場の御朱印(300円)
・山陽花の寺二十四か寺の御朱印(300円)
・百八観音霊場の御朱印(500円)
・尾道七佛めぐり 専用色紙御朱印(各寺300円)
・尾道七佛めぐり 宝印紙(各寺500円)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・9:00~17:00
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年2月15日 参拝
・2016年7月15日 再訪
・2024年1月7日 再訪
・2024年2月 最終更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・8:00~17:00
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩30分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
西国寺下 バス停から徒歩10分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
福山西ICから車で15分
・山陽自動車道
尾道ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)
※表参道・仁王門付近に駐車場はありません。
駐車場は裏参道よりお入りください。
・8:00~17:00
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩30分
●最寄りのバス停
・おのみちバス
西国寺下 バス停から徒歩10分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
福山西ICから車で15分
・山陽自動車道
尾道ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)
※表参道・仁王門付近に駐車場はありません。
駐車場は裏参道よりお入りください。