住 所 | 広島県福山市今津町775 |
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宗 派 | 真言宗 |
由 緒 | 650~654年、今津地方の庄司・田盛安邦の菩提寺として建立したのが始まり。804年、弘法大師が遣唐使として唐へ向かう途中、今津浦から見える景色が紀州・熊野三山に似ていることから熊野三社を勧請し、この地に熊野三山を開山。その1つがこのお寺で、熊野本宮の御本地仏・阿弥陀如来を本尊にしたという。1403年、中興の祖・尊慶阿闍梨が大師開山600年を記念して熊野三山を巡礼し、熊野三所大権現を再勧請。江戸時代、参勤交代の制定に伴い、山陽道今津宿の本陣は河本家、脇本陣は蓮華寺と定められ、西国の諸大名が宿泊したそうです。現在も大名が宿泊した上段の間が現存しています。1753年、火災により本堂を除く堂塔が焼失。その後、福山藩主より多額の寄進を受け、現在地に移転造営したとのことです。本陣・河本家の檀家寺で、明治時代に入るまで剣大明神(高諸神社)の別当寺として栄えたといいます。 |
今津本陣の脇本陣であります蓮華寺を参拝
●山門
今津の町をブラブラしていたらお寺を発見。ということで立ち寄る。
山門をくぐってすぐの所にある由緒書きを読んでると、このお寺は今津本陣の脇本陣だという事を知る。しかも脇本陣として使用された上段の間が現存してるというじゃない!さらになんとご本尊の阿弥陀さんは安阿弥作という!安阿弥ですよ!快慶ですよ!なんかとんでもないお寺に来てもうたーっと心のガッツポーズが胸を突き破る。って事で現在、腕3本。 しかし観光寺じゃない為、上段の間の拝観ができるかどうかは不明。そんなこんなで参拝後、お寺の方を訪ね、上段の間の拝観を願いでると快く了承してくれました。また心のガッツポーズが胸を突き破った!現在、腕4本。お寺の方はとても親切に対応してくれ、少々浮かれてしまった。4本の腕で身振り手振り質問をする私。とんだ長居。帰り際、お寺の方に呼び止められ、お守りを頂きました。一応、社交辞令的に丁重にお断りするも、心の腕が許してくれない。4本の腕がお守りをワシ掴み!お寺の方、その節はいろいろとありがとうございました!
●今津本陣の脇本陣
●本陣とは
本陣とは、江戸時代、大名・幕府役人・勅使などが宿泊した宿場です。その地域の名主の家が宿泊所として指定されることが多かったようです。
●脇本陣とは
脇本陣とは、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的施設。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合などに格式が低い藩の宿として利用されました。本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったけど、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時は一般客の宿泊も可能でした。
●今津本陣跡(福山市指定史跡)
ちなみにこちらが今津本陣跡です。
蓮華寺から徒歩1~2分のところにあります。
江戸時代、参勤交代の制定に伴い、山陽道今津宿の本陣は河本家、脇本陣は蓮華寺と定められ、西国の諸大名が宿泊したとのことです。
今津本陣は1602年頃に設けられました。
備後領内の本陣は神辺と今津の2ヶ所のみです。
現存する遺構は表門と塀と石垣のみ。代々、庄屋職をつとめた河本家が世襲しており、現在も河本さんが住んでおられます。
ということで、河本さんの迷惑にならないように、外観だけを見学してその場を立ち去る。
今津の町をブラブラしていたらお寺を発見。ということで立ち寄る。
山門をくぐってすぐの所にある由緒書きを読んでると、このお寺は今津本陣の脇本陣だという事を知る。しかも脇本陣として使用された上段の間が現存してるというじゃない!さらになんとご本尊の阿弥陀さんは安阿弥作という!安阿弥ですよ!快慶ですよ!なんかとんでもないお寺に来てもうたーっと心のガッツポーズが胸を突き破る。って事で現在、腕3本。 しかし観光寺じゃない為、上段の間の拝観ができるかどうかは不明。そんなこんなで参拝後、お寺の方を訪ね、上段の間の拝観を願いでると快く了承してくれました。また心のガッツポーズが胸を突き破った!現在、腕4本。お寺の方はとても親切に対応してくれ、少々浮かれてしまった。4本の腕で身振り手振り質問をする私。とんだ長居。帰り際、お寺の方に呼び止められ、お守りを頂きました。一応、社交辞令的に丁重にお断りするも、心の腕が許してくれない。4本の腕がお守りをワシ掴み!お寺の方、その節はいろいろとありがとうございました!
●今津本陣の脇本陣
●本陣とは
本陣とは、江戸時代、大名・幕府役人・勅使などが宿泊した宿場です。その地域の名主の家が宿泊所として指定されることが多かったようです。
●脇本陣とは
脇本陣とは、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的施設。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合などに格式が低い藩の宿として利用されました。本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったけど、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時は一般客の宿泊も可能でした。
●今津本陣跡(福山市指定史跡)
ちなみにこちらが今津本陣跡です。
蓮華寺から徒歩1~2分のところにあります。
江戸時代、参勤交代の制定に伴い、山陽道今津宿の本陣は河本家、脇本陣は蓮華寺と定められ、西国の諸大名が宿泊したとのことです。
今津本陣は1602年頃に設けられました。
備後領内の本陣は神辺と今津の2ヶ所のみです。
現存する遺構は表門と塀と石垣のみ。代々、庄屋職をつとめた河本家が世襲しており、現在も河本さんが住んでおられます。
ということで、河本さんの迷惑にならないように、外観だけを見学してその場を立ち去る。
阿弥陀堂(本堂)
●阿弥陀堂(本堂)
●阿弥陀堂(本堂)
・1669年建立
・1794年移築再建
・瓦葺 宝形造
なんとー!
ご本尊の阿弥陀如来像は、伝・安阿弥作!
御存知、安阿弥とは快慶のことです!
あくまで伝です。
●阿弥陀堂(本堂)
・1669年建立
・1794年移築再建
・瓦葺 宝形造
なんとー!
ご本尊の阿弥陀如来像は、伝・安阿弥作!
御存知、安阿弥とは快慶のことです!
あくまで伝です。
持仏堂
●持仏堂
持仏堂内には不動の間と上段の間がありました。
●左 → 持仏堂
・本尊・・・千手観音像
●右 → 不動の間
・本尊・・・不動明王像
・脇侍・・・毘沙門天像と愛染明王像
ちなみに毘沙門天さんは平安時代作(県重文)
●持仏堂・上段の間
そしてこちらが上段の間。
参勤交代の際、諸大名が宿泊した上段の間が現存してました。
お寺の方が堂内を案内してくれ、上段の間のことなどを色々と聞くことができました。
持仏堂内には不動の間と上段の間がありました。
●左 → 持仏堂
・本尊・・・千手観音像
●右 → 不動の間
・本尊・・・不動明王像
・脇侍・・・毘沙門天像と愛染明王像
ちなみに毘沙門天さんは平安時代作(県重文)
●持仏堂・上段の間
そしてこちらが上段の間。
参勤交代の際、諸大名が宿泊した上段の間が現存してました。
お寺の方が堂内を案内してくれ、上段の間のことなどを色々と聞くことができました。
その他の見所
●子安延命観音堂
●子安延命観音堂
・本尊・・・如意輪観音像
・脇侍・・・准胝観音像と文殊菩薩像
●熊野三所権現
・1403年再勧請
・家都御子神・熊野速玉神・熊野夫須美神を祀る
804年、弘法大師が遣唐使として唐へ向かう途中、 今津浦から見える景色が紀州・熊野三山に似ていることから熊野三社を勧請し、この地に熊野三山を開山。その1つがこのお寺で、熊野本宮の御本地仏・阿弥陀如来を本尊としました。1403年、中興の祖・尊慶阿闍梨が大師開山600年を記念して熊野三山を巡礼し、熊野三所大権現を再勧請したそうです。
●六地蔵と厄除修行の石仏
●六地蔵
7体おられますが、このパターンは中尊のお地蔵さんは数に含まれません。
●厄除修行の石仏
笠をかぶって合唱をした石仏さん。
お地蔵さんでしょうか?
●安穏地蔵と和楽の童子
●安穏地蔵と和楽の童子
子安延命観音堂の前におられます。
可愛らしい地蔵さん1体と可愛らしい童子像8体を安置。
●境内の風景
蓮華寺に咲く蓮華。
●頂き物
帰り際、お寺の方に呼び止められてお守りを頂きました。 お寺の方、その節はどうも有難うございました!
●子安延命観音堂
・本尊・・・如意輪観音像
・脇侍・・・准胝観音像と文殊菩薩像
●熊野三所権現
・1403年再勧請
・家都御子神・熊野速玉神・熊野夫須美神を祀る
804年、弘法大師が遣唐使として唐へ向かう途中、 今津浦から見える景色が紀州・熊野三山に似ていることから熊野三社を勧請し、この地に熊野三山を開山。その1つがこのお寺で、熊野本宮の御本地仏・阿弥陀如来を本尊としました。1403年、中興の祖・尊慶阿闍梨が大師開山600年を記念して熊野三山を巡礼し、熊野三所大権現を再勧請したそうです。
●六地蔵と厄除修行の石仏
●六地蔵
7体おられますが、このパターンは中尊のお地蔵さんは数に含まれません。
●厄除修行の石仏
笠をかぶって合唱をした石仏さん。
お地蔵さんでしょうか?
●安穏地蔵と和楽の童子
●安穏地蔵と和楽の童子
子安延命観音堂の前におられます。
可愛らしい地蔵さん1体と可愛らしい童子像8体を安置。
●境内の風景
蓮華寺に咲く蓮華。
●頂き物
帰り際、お寺の方に呼び止められてお守りを頂きました。 お寺の方、その節はどうも有難うございました!
御朱印
御朱印は庫裏で頂きました。