住 所 | 広島県安芸郡海田町寺迫2丁目15−25 |
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祭 神 | 多紀理姫命・市寸島姫命・多岐都姫命・応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命・久延彦霊命 |
由 緒 | 715年、福岡・宗像大社より宗像三女神を勧請し、海外貿易の航海の無事を祈り、包ヶ浦入口(現・海田町)の守護神として祀ったのが始まり。勧請の際、御祭神は村人総出のたいまつの火で迎え入れられたという。創建当時は宗像明神と称していたらしい。1558年、毛利氏の家臣で鳥籠城の城主・阿曽沼氏が社殿を再建し、宇佐八幡宮より八幡三神を合祀。1992年、本殿と幣殿を焼失。その後、1996年に再建。 |
境内
宗像三女神・八幡三神・住吉三神を祀る三神コンプの神社!
出崎森とは海に突き出した森という意味。私の想像力じゃ追いつかないが、創建当時は境内入口付近まで海だったらしい。境内からちょっと離れた場所に1823年建立の石灯籠があるので、少なくとも約200年前までは石灯籠辺りまで海だったのだろう。
●拝殿・・・1996年再建
旧社殿は1992年に焼失。1992年頃は海田の友達の家によく出入りしてた時期・・・って、ぅん!?ちょっと待て・・・あぁぁぁーーーーーっ! なんか神社が燃えたって話しを聞いた事あるぞ! ここの話しだったのか!そんなこんなで、約26年ぶりに点と点が線になった瞬間でした!これはキモチいい。
●本殿・・・1996年再建
1992年に1743年再建の本殿と1844年再建の幣殿を焼失。
祭神
●宗像三女神・・・多紀理姫命・市寸島姫命・多岐都姫命
●八幡三神・・・応神天皇・神功皇后・仲哀天皇
●住吉三神・・・底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命
宗像・八幡・住吉の三神コンプ!3神×3を同時に拝めるのって珍しいですなぁ。 人数合わないけど、なんだか合コンみたいだ。
出崎森とは海に突き出した森という意味。私の想像力じゃ追いつかないが、創建当時は境内入口付近まで海だったらしい。境内からちょっと離れた場所に1823年建立の石灯籠があるので、少なくとも約200年前までは石灯籠辺りまで海だったのだろう。
●拝殿・・・1996年再建
旧社殿は1992年に焼失。1992年頃は海田の友達の家によく出入りしてた時期・・・って、ぅん!?ちょっと待て・・・あぁぁぁーーーーーっ! なんか神社が燃えたって話しを聞いた事あるぞ! ここの話しだったのか!そんなこんなで、約26年ぶりに点と点が線になった瞬間でした!これはキモチいい。
●本殿・・・1996年再建
1992年に1743年再建の本殿と1844年再建の幣殿を焼失。
祭神
●宗像三女神・・・多紀理姫命・市寸島姫命・多岐都姫命
●八幡三神・・・応神天皇・神功皇后・仲哀天皇
●住吉三神・・・底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命
宗像・八幡・住吉の三神コンプ!3神×3を同時に拝めるのって珍しいですなぁ。 人数合わないけど、なんだか合コンみたいだ。
拝殿内・神社由来のモニュメント
これは立体由緒書き!
拝殿内には芸術家&研究員の南昌伸さんが出崎森神社の由来や子供時代の記憶を元に作り上げたモニュメントがありました。村人総出のたいまつの火で宗像大社より御祭神を迎え入れる場面など、1つの作品に出崎森神社の由緒が詰まった作品。 岸辺の石灯籠は現在も数百メートル離れた場所に現存してます。後ほど紹介します。
ちなみに金色の円形は御神体・太陽・月・火ともし祭りの炎を表現してるらしい。
拝殿内には芸術家&研究員の南昌伸さんが出崎森神社の由来や子供時代の記憶を元に作り上げたモニュメントがありました。村人総出のたいまつの火で宗像大社より御祭神を迎え入れる場面など、1つの作品に出崎森神社の由緒が詰まった作品。 岸辺の石灯籠は現在も数百メートル離れた場所に現存してます。後ほど紹介します。
ちなみに金色の円形は御神体・太陽・月・火ともし祭りの炎を表現してるらしい。
拝殿内・絵馬など
●火ともしまつり・・・海田町無形文化財
毎年10月中旬・秋祭りの前夜に行われる神事。
宗像大社より御祭神を迎え入れる際、村人総出のたいまつの火で御祭神を乗せた船を出迎えたのが火ともしまつりの始まり。全長4mの大たいまつに数多くの小たいまつを持った人が付き従って行列する。
●絵馬①・・・1924年奉納
絵馬観賞・・・いや、戦艦観賞!薩摩型かなと思ってみたけど、な~んとなく艦橋の感じが三笠っぽい。
●絵馬②・・・こちらは初期の戦艦・陸奥。このシンプルな艦橋が数10年後にはモッコモコの超イカした艦橋になる。艦橋フェチの私は扶桑の次に好きなのが長門型(長門・陸奥)です。って、どうでもいいですね。こんな話。
毎年10月中旬・秋祭りの前夜に行われる神事。
宗像大社より御祭神を迎え入れる際、村人総出のたいまつの火で御祭神を乗せた船を出迎えたのが火ともしまつりの始まり。全長4mの大たいまつに数多くの小たいまつを持った人が付き従って行列する。
●絵馬①・・・1924年奉納
絵馬観賞・・・いや、戦艦観賞!薩摩型かなと思ってみたけど、な~んとなく艦橋の感じが三笠っぽい。
●絵馬②・・・こちらは初期の戦艦・陸奥。このシンプルな艦橋が数10年後にはモッコモコの超イカした艦橋になる。艦橋フェチの私は扶桑の次に好きなのが長門型(長門・陸奥)です。って、どうでもいいですね。こんな話。
八雲神社と出雲尾立の狛犬
ちょいちょい出雲色を出してくる境内!
●八雲神社・・・八雲大神(須佐之男命・櫛名田姫命)出雲大神(大国主命・大物主命)などを祀る。その他、たくさんの神様を祀ってるようですが説明板の文字が薄々だったのでほとんど確認できませんでした。
●狛犬①②・・・建立年不詳 出雲尾立の狛犬
広島では珍しく出雲尾立の狛犬。八雲神社しかり、ちょいちょい出雲色を出してくる境内。 昔は出雲と何らかの関わりがあったのでしょうか?
●八雲神社・・・八雲大神(須佐之男命・櫛名田姫命)出雲大神(大国主命・大物主命)などを祀る。その他、たくさんの神様を祀ってるようですが説明板の文字が薄々だったのでほとんど確認できませんでした。
●狛犬①②・・・建立年不詳 出雲尾立の狛犬
広島では珍しく出雲尾立の狛犬。八雲神社しかり、ちょいちょい出雲色を出してくる境内。 昔は出雲と何らかの関わりがあったのでしょうか?
その他の見所
宗像さん宗像さん宗像さん!
●永禄神殿の碑・・・1973年建立
1558年、鳥籠城の城主・阿曽沼氏が再建した社殿の事が書いてありました。
●狛犬③④・・・1996年建立
どうやら再建された社殿と同い年の模様。岡崎現代型っぽい作風で、いろんな神社でよく見かける量産型の狛犬。
●玉垣・・・玉垣には宗像さん宗像さん宗像さん!御祭神の宗像三女神を勧請するきっかけとなったのは宗像大社の大宮司の支族・宗像久延の神託によるもの。・・・って、もしかして玉垣の宗像さんって筑前国の豪族・宗像氏の末裔???しかもここの宮司さんも宗像さん。
ちなみにこの神社は白神社の兼務社らしい。
●永禄神殿の碑・・・1973年建立
1558年、鳥籠城の城主・阿曽沼氏が再建した社殿の事が書いてありました。
●狛犬③④・・・1996年建立
どうやら再建された社殿と同い年の模様。岡崎現代型っぽい作風で、いろんな神社でよく見かける量産型の狛犬。
●玉垣・・・玉垣には宗像さん宗像さん宗像さん!御祭神の宗像三女神を勧請するきっかけとなったのは宗像大社の大宮司の支族・宗像久延の神託によるもの。・・・って、もしかして玉垣の宗像さんって筑前国の豪族・宗像氏の末裔???しかもここの宮司さんも宗像さん。
ちなみにこの神社は白神社の兼務社らしい。
モニュメントにもあった石灯籠
●石灯籠・・・1823年建立
神社境内から数百メートル離れた場所にありました。先程の出崎森神社由来のモニュメントにあった灯籠がこの石灯籠です。モニュメントによると、創建当初はここまで海だったようです。背後に映る山の麓に出崎森神社が鎮座してます。
●牛魂碑・・・初めて拝見する牛魂碑。いろいろな碑があるもんですなぁ。
●境内の風景・・・拝殿前から望む。
神社境内から数百メートル離れた場所にありました。先程の出崎森神社由来のモニュメントにあった灯籠がこの石灯籠です。モニュメントによると、創建当初はここまで海だったようです。背後に映る山の麓に出崎森神社が鎮座してます。
●牛魂碑・・・初めて拝見する牛魂碑。いろいろな碑があるもんですなぁ。
●境内の風景・・・拝殿前から望む。
御朱印
御朱印が頂ける日
毎月1・15日と第1・3日曜の午前中のみ御朱印が頂けます。
御朱印は拝殿内で頂きました。
毎月1・15日と第1・3日曜の午前中のみ御朱印が頂けます。
御朱印は拝殿内で頂きました。