住 所 | 愛媛県松山市丸之内73−1 |
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祭 神 | 天照皇大神・豊受大神・天穂日命・菅原道真・息長福玉命(東雲大明神)・奇足玉命(伊予松山藩11代藩主・松平定通)・真都栄命(伊予松山藩16代藩主・松平定昭)・稚国玉命 |
由 緒 | 1823年、松山藩11代藩主・松平定通が、藩祖・松平定勝の神霊を祀る為、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請したのが始まり。1837年、松山藩12代藩主・松平勝善が松山城内に勧請した。1840年、社殿が完成し藩崇敬の神社となる。1945年、松山空襲で焼失。1971年、松山城の西堀端にあった伊勢神宮の分社・松山大神宮を東雲神社の社殿跡地に奉遷。1973年、松山大神宮と東雲神社の神霊が合祀奉斎された。 |
2010年7月17日の参拝
●松山城の麓に鎮座する神社!
2020年1月1日。
松山城のロープウェイ&リフト乗り場の近くに鎮座してます、東雲神社に到着。本日で2度目の参拝となります。前回の参拝が2010年7月17日・・・ってことで約10年ぶりの参拝となりました。月日が経つのは早いもので、この10年間いろいろな事を忘れてきました。しかし10年前の参拝の記憶はバッチリと覚えてるもので。それは前回の参拝で御朱印をお願いした時、バッサリとキツめに御朱印をお断りされて心が真っ2つに割れた凹む思い出。怖かった(笑)
● 現在お正月の三が日のみ御朱印が頂けるようです!
今年は元旦を松山で過ごす事になったので、初詣の記念に御朱印を頂いて帰りました。10年前の嫌な思い出もこれでチャラです ^^
黄色がかったボリューム感のある紙垂が印象的でした。伊勢神宮の分社・松山大神宮を合祀した神社ってことで社殿は神明造。やっぱ伊勢系は神明造がよく似合います。ちなみに写真は10年前に撮影したものです。
●加藤嘉明像・・・加藤嘉明は安土桃山時代~江戸時代にかけて活躍した武将。豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍の1人。伊予松山藩の初代藩主です。
加藤嘉明像は東雲神社の境内入口付近にあります。
2020年1月1日。
松山城のロープウェイ&リフト乗り場の近くに鎮座してます、東雲神社に到着。本日で2度目の参拝となります。前回の参拝が2010年7月17日・・・ってことで約10年ぶりの参拝となりました。月日が経つのは早いもので、この10年間いろいろな事を忘れてきました。しかし10年前の参拝の記憶はバッチリと覚えてるもので。それは前回の参拝で御朱印をお願いした時、バッサリとキツめに御朱印をお断りされて心が真っ2つに割れた凹む思い出。怖かった(笑)
● 現在お正月の三が日のみ御朱印が頂けるようです!
今年は元旦を松山で過ごす事になったので、初詣の記念に御朱印を頂いて帰りました。10年前の嫌な思い出もこれでチャラです ^^
黄色がかったボリューム感のある紙垂が印象的でした。伊勢神宮の分社・松山大神宮を合祀した神社ってことで社殿は神明造。やっぱ伊勢系は神明造がよく似合います。ちなみに写真は10年前に撮影したものです。
●加藤嘉明像・・・加藤嘉明は安土桃山時代~江戸時代にかけて活躍した武将。豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍の1人。伊予松山藩の初代藩主です。
加藤嘉明像は東雲神社の境内入口付近にあります。
2020年1月1日の参拝
●2020年。新年明けましておめでとうございます!
社宝
●国重文の短刀。県重文の能面や狂言面など
●短刀 銘 国弘作・・・南北朝時代作 国重文 藩主・松平家が奉納。
●太刀 銘 助包・・・鎌倉時代作 国重文
●能面・能衣装・狂言面など・・・県重文
松山は古くから能が盛んな地。この東雲神社には、室町時代~江戸時代中期の能面や、 桃山時代~江戸時代中期の狂言面と能衣装を中心に、能面153面・狂言面42面・能衣装110点が保存されてます。
●短刀 銘 国弘作・・・南北朝時代作 国重文 藩主・松平家が奉納。
●太刀 銘 助包・・・鎌倉時代作 国重文
●能面・能衣装・狂言面など・・・県重文
松山は古くから能が盛んな地。この東雲神社には、室町時代~江戸時代中期の能面や、 桃山時代~江戸時代中期の狂言面と能衣装を中心に、能面153面・狂言面42面・能衣装110点が保存されてます。
御朱印
御朱印は授与所で頂きました。
御朱印の拝受日は正月の三が日のみです。
(2020年1月現在)
御朱印の拝受日は正月の三が日のみです。
(2020年1月現在)