住 所 | 京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13 |
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宗 派 | 臨済宗妙心寺派 |
由 緒 | 1450年、室町幕府の管領で守護大名の細川勝元が創建したお寺です。1467~1477年、応仁の乱で焼失。1488年、細川勝元の子・政元が再興しました。その後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄付して保護。江戸時代、21の塔頭を有する大寺院だったという。1797年、火災で方丈・仏殿・開山堂など主要伽藍を焼失した為、塔頭・西源院の方丈を移築し、それを龍安寺の方丈として現在に至ります。1994年、古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。 |
HP | 大雲山 龍安寺|Ryoanji |
石庭で有名な世界遺産・龍安寺
●山門をくぐると情緒こぼれまくりの参道。ザ・京都って感じの風景です。
●山門・・・江戸時代中期再建 薬医門
●龍安寺垣・・・参道脇の竹垣は龍安寺垣と呼ばれてます。
龍安寺垣の主な特徴
・竹を斜めに交差させて組まれている
・竹の交差させる方向が通常とは逆
・上部を割り竹でおさえている
・透かし垣
・垣根が低い
・化粧縄が沢山かけられている
などなど、この竹垣は龍安寺独自のデザインとのことです。
竹垣にはいろんな種類があって、金閣寺には金閣寺垣、建仁寺には建仁寺垣、大徳寺垣、光悦寺垣などなど。垣巡りするのもなかなかオツかもしれません。
●山門・・・江戸時代中期再建 薬医門
●龍安寺垣・・・参道脇の竹垣は龍安寺垣と呼ばれてます。
龍安寺垣の主な特徴
・竹を斜めに交差させて組まれている
・竹の交差させる方向が通常とは逆
・上部を割り竹でおさえている
・透かし垣
・垣根が低い
・化粧縄が沢山かけられている
などなど、この竹垣は龍安寺独自のデザインとのことです。
竹垣にはいろんな種類があって、金閣寺には金閣寺垣、建仁寺には建仁寺垣、大徳寺垣、光悦寺垣などなど。垣巡りするのもなかなかオツかもしれません。
襖絵がステキな方丈
●方丈・・・1606年建立 国重文
1797年の焼失後、塔頭・西源院の方丈を移築。それが現在の龍安寺・方丈です。襖絵がステキでした。
●襖絵・・・1958年作 皐月鶴翁作
もともとは狩野永徳の次男・狩野孝信作の襖絵が飾られてましたが、廃仏毀釈の際に売却されました・・・。現在は、皐月鶴翁が描いた龍の襖絵が飾られています。
方丈庭園(龍安寺の石庭)
●作者も作庭年も意図もわからない謎だらけの名庭
●方丈庭園・・・枯山水庭園 史跡・特別名勝。
・別名・・・虎の子渡しの庭。七五三の庭。
・作庭年・・・不明。
・作庭者・・・不明。
・幅・・・約25m。
・奥行・・・約10m。
・敷き詰められた白砂に大小合わせて15個の石を配置。
●石庭の謎
15個の石はどこらから見ても必ず1個は他の石に隠れて見えないように設置されてるという。なぜそのような設計になってるのか・・・理由はわかりません。このお庭を見た者それぞれがどう思ったか・・・それが答えなのかもしれません。(わかったようなこと言うな)
東洋では15という数字は完全を表す数字とのことです。物事は完成した時点で崩壊が始まるという思想に基づき、あえて不完全な14にしたという説があります。
浄土宗総本山・知恩院の忘れ傘みたいなものでしょうか。
●実は15個全ての石が見える場所があるという!
なんと方丈内のある1ヶ所に立ち、そこから石庭を望むと15個全ての石が見えるという!という事を帰宅後に知りました!!!
一体その場所はどこだったんだろう・・・
・・・
・・・・・
・・・ここか?
●別名・虎の子渡しの庭とは
中国の故事によると、虎は3匹子供を生むと、そのうち1匹は必ずどう猛なヒョウだという。子供だけにしておくとヒョウが他の子を食べてしまいます。そこで、母虎が3匹の虎を連れて川を渡る時はこのようにするそうです。
①最初にヒョウを連れて川を渡り、対岸にヒョウを置き去りに。
②次に虎1匹を連れて川を渡り、ヒョウを連れて戻る。
③そしてヒョウを置き去りにして、残る1匹の虎を連れて川を渡る。
④最後にヒョウだけを連れて川を渡る。
こうすれば子供だけにならずに親子全員が川を渡れるという。
それにしても、この故事と石庭がどう関係してるのか、わかるようでわからない。。
もしかしたら、白砂 → 川、石 → 虎に見たて、虎の親子が川を渡ってる場面を表現してますよ~的なことを伝えたかったのかなぁ。
●別名・七五三の庭とは
石組は東から5・2・3・2・3という5グループで構成されてます。
算数的に考えると、5+2=7。3+2=5。そして残った3で七五三が完成。古来より奇数はおめでたい数とされていたそうです。
●油土塀
●油土塀・・・菜種油を混ぜて作った土塀。
菜種油を混ぜることにより、白砂からの照り返し防止や防水の効果があるそうです。
いい味出てる油土塀が、石庭を演出してくれてます。ナイス脇役です。
いやはやステキなお庭でした。
●方丈庭園・・・枯山水庭園 史跡・特別名勝。
・別名・・・虎の子渡しの庭。七五三の庭。
・作庭年・・・不明。
・作庭者・・・不明。
・幅・・・約25m。
・奥行・・・約10m。
・敷き詰められた白砂に大小合わせて15個の石を配置。
●石庭の謎
15個の石はどこらから見ても必ず1個は他の石に隠れて見えないように設置されてるという。なぜそのような設計になってるのか・・・理由はわかりません。このお庭を見た者それぞれがどう思ったか・・・それが答えなのかもしれません。(わかったようなこと言うな)
東洋では15という数字は完全を表す数字とのことです。物事は完成した時点で崩壊が始まるという思想に基づき、あえて不完全な14にしたという説があります。
浄土宗総本山・知恩院の忘れ傘みたいなものでしょうか。
●実は15個全ての石が見える場所があるという!
なんと方丈内のある1ヶ所に立ち、そこから石庭を望むと15個全ての石が見えるという!という事を帰宅後に知りました!!!
一体その場所はどこだったんだろう・・・
・・・
・・・・・
・・・ここか?
●別名・虎の子渡しの庭とは
中国の故事によると、虎は3匹子供を生むと、そのうち1匹は必ずどう猛なヒョウだという。子供だけにしておくとヒョウが他の子を食べてしまいます。そこで、母虎が3匹の虎を連れて川を渡る時はこのようにするそうです。
①最初にヒョウを連れて川を渡り、対岸にヒョウを置き去りに。
②次に虎1匹を連れて川を渡り、ヒョウを連れて戻る。
③そしてヒョウを置き去りにして、残る1匹の虎を連れて川を渡る。
④最後にヒョウだけを連れて川を渡る。
こうすれば子供だけにならずに親子全員が川を渡れるという。
それにしても、この故事と石庭がどう関係してるのか、わかるようでわからない。。
もしかしたら、白砂 → 川、石 → 虎に見たて、虎の親子が川を渡ってる場面を表現してますよ~的なことを伝えたかったのかなぁ。
●別名・七五三の庭とは
石組は東から5・2・3・2・3という5グループで構成されてます。
算数的に考えると、5+2=7。3+2=5。そして残った3で七五三が完成。古来より奇数はおめでたい数とされていたそうです。
●油土塀
●油土塀・・・菜種油を混ぜて作った土塀。
菜種油を混ぜることにより、白砂からの照り返し防止や防水の効果があるそうです。
いい味出てる油土塀が、石庭を演出してくれてます。ナイス脇役です。
いやはやステキなお庭でした。
知足の蹲踞(つくばい)
●知足の蹲踞(つくばい)・・・徳川光圀(水戸黄門)が寄進。
ちなみに複製です。本物は茶室・蔵六庵(非公開)にあるそうです。
五
矢 口 隹
疋
↓
口+五=吾(われ)
口+隹=唯(ただ)
口+疋=足(たる)
口+矢=知(しる)
吾唯足知(われただたるをしる)という四字熟語をデザイン化したつくばいです。これ考えた人、天才だと思います。デザイン能力ハンパないです。
●吾唯足知とは
解釈によって多少違いますが、欲張ったり求めたりしないで、身分相応に満足しましょう。今のままで十分。足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来ますよっていう意味です。
苔庭もあります
ずっと白砂を見ていると目がやられます。
ということで、優しいグリーンで目を休めましょう。
石庭もいいけど、苔庭もいいですなぁ。
鏡容池
●境内の三分の一を占める巨大な池
●鏡容池・・・池泉回遊式庭園 国名勝
京都三大池ならびに京都三大鏡池の1つ。
かつてはオシドリが見られる名所として石庭よりも有名だったそうです。
現在は京都屈指の睡蓮の名所で、5月~7月が見頃のようです。
●鏡容池・・・池泉回遊式庭園 国名勝
京都三大池ならびに京都三大鏡池の1つ。
かつてはオシドリが見られる名所として石庭よりも有名だったそうです。
現在は京都屈指の睡蓮の名所で、5月~7月が見頃のようです。
御朱印
御朱印は庫裏内にある朱印場で頂きました。