住 所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町58 |
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宗 派 | 臨済宗 大徳寺派 |
由 緒 | 1566年、室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えた三好長慶の養子・義継が、養父の菩提を弔う為に笑嶺和尚を開山として建立したお寺です。千利休が笑嶺和尚に参禅したことから、利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所となっています。 |
HP |
第48回 京の冬の旅。聚光院編。
●第48回 京の冬の旅。初公開!
聚光院さんは、この度、京の冬の旅初公開とのことです。
千利休作といわれる百積の庭や千利休の墓や狩野永徳と父・松栄が手掛けた国宝の障壁画や国重文の方丈などなど、お目当ての文化財が多数。
一体全体、どんな拝観になるのでしょう。
ドキドキワクワク。
聚光院さんは、この度、京の冬の旅初公開とのことです。
千利休作といわれる百積の庭や千利休の墓や狩野永徳と父・松栄が手掛けた国宝の障壁画や国重文の方丈などなど、お目当ての文化財が多数。
一体全体、どんな拝観になるのでしょう。
ドキドキワクワク。
表門と庫裏
そんなこんなで、表門をくぐると
はいドーーーン・・・嗚呼。。。
どうやら国重文の方丈が台風の被害に遭ってしまって屋根の修復工事を行うようです。
堂内はお庭を含め全て撮影禁止でしたので、写真はありませんが、千利休作といわれる百積の庭には修理のための足場が組まれていたり、ブルーシートが敷かれていたり・・・京の冬の旅初公開とのことですが、かなり残念なデビューになっておりました。
まるで、ここ一番でチカラを発揮できない自分の姿を見てるようだ。
何はともあれ、無事復旧できますように。
そんなこんなで、ガッカリした参拝者全員に、方丈と百積の庭のポストカードが配られていました。
ということで、ポストカードでお庭観賞。
境外から素屋根に覆われた方丈を望む。
拝観メモ
●本日拝観した聚光院の文化財
●方丈障壁画(複製)
・1566年作 国宝
・ 狩野永徳と父・狩野松栄 作
・花鳥図・琴棋書画図・瀟湘八景図・竹虎遊猿図・蓮鷺藻魚図
●方丈
・1566年建立 国重文
方丈内には狩野永徳と父・狩野松栄 作の国宝・障壁画がありました。
●方丈庭園(百積の庭)
・ 安土桃山時代作庭
・千利休 作庭
狩野永徳が下絵を描き、千利休が作庭したといわれています。
石がゴロゴロとあることから別名・百積の庭といわれてます。
●千利休の墓
・高さ約2mの宝塔タイプのお墓でした。
●閑隠席・桝床席
1741年、利休150回忌の際に、表千家7世・如心斎が寄進。
かつては千利休が自刃した席として伝えられていたそうです。
●方丈障壁画(複製)
・1566年作 国宝
・ 狩野永徳と父・狩野松栄 作
・花鳥図・琴棋書画図・瀟湘八景図・竹虎遊猿図・蓮鷺藻魚図
●方丈
・1566年建立 国重文
方丈内には狩野永徳と父・狩野松栄 作の国宝・障壁画がありました。
●方丈庭園(百積の庭)
・ 安土桃山時代作庭
・千利休 作庭
狩野永徳が下絵を描き、千利休が作庭したといわれています。
石がゴロゴロとあることから別名・百積の庭といわれてます。
●千利休の墓
・高さ約2mの宝塔タイプのお墓でした。
●閑隠席・桝床席
1741年、利休150回忌の際に、表千家7世・如心斎が寄進。
かつては千利休が自刃した席として伝えられていたそうです。
御朱印
御朱印は拝観受付で頂きました。
一般公開はされてませんので、特別拝観の時のみ頂けます。