住 所 | 大阪府堺市堺区西湊町1丁2−18 |
---|---|
祭 神 | 天穂日命・菅原道真 |
由 緒 | 創建年は不詳。もともとは塩穴郷という地に鎮座しており塩穴天神社という社名だったそうです。901年、菅原道真が無実の罪により京都から太宰府へ左遷される際、塩穴天神社に立ち寄ったそうです。そして船を待つ間、菅原道真の先祖・天穂日命を祀る塩穴天神社を参拝し、松の木を植えて出発したといわれてます。1001年、菅原道真の子孫・菅原朝臣為紀という人が訪れ、道真の残した旧跡を調査し、官に願い出て菅原道真を合祀し、船待天神社と改称。そして1087~1094年、現在地に移転し、村の産土神として再建したそうです。その時、神宮寺として安楽院も一緒に移転しましたが、明治初年の神仏分離で廃寺となりました。 |
鳥居と手水舎と狛犬
●鳥居①
●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居
●社標
・1915年建立
本日はお気に入りの漢方屋さんに行くために大阪府堺市へ。午前10時の開店ですが、現在午前9時。少々早く着き過ぎちまったようです。そんなこんなで、近くに寺社がないかなぁと探していたら、漢方屋さんから徒歩2分の所に神社がありました。
ということで、船待神社に到着。
この地は菅原道真さんが太宰府へ左遷される際に立ち寄った場所なんですって。
●手水舎
手水舎の隣には大きな石灯籠がドーン。
手水の龍は、鳥よけの金網(?)の中に入ってました。なんだかヘルメットをかぶってるみたいで微笑ましいですなぁ。
●狛犬
●狛犬
・1836年建立
・浪速型
ちょっと唐獅子の成分が入っている狛犬でした。
それにしても、たらこ唇が可愛いですなぁ。
あなごく~ん。
●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居
●社標
・1915年建立
本日はお気に入りの漢方屋さんに行くために大阪府堺市へ。午前10時の開店ですが、現在午前9時。少々早く着き過ぎちまったようです。そんなこんなで、近くに寺社がないかなぁと探していたら、漢方屋さんから徒歩2分の所に神社がありました。
ということで、船待神社に到着。
この地は菅原道真さんが太宰府へ左遷される際に立ち寄った場所なんですって。
●手水舎
手水舎の隣には大きな石灯籠がドーン。
手水の龍は、鳥よけの金網(?)の中に入ってました。なんだかヘルメットをかぶってるみたいで微笑ましいですなぁ。
●狛犬
●狛犬
・1836年建立
・浪速型
ちょっと唐獅子の成分が入っている狛犬でした。
それにしても、たらこ唇が可愛いですなぁ。
あなごく~ん。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・天穂日命・菅原道真を祀る
菅原道真さんを祀る神社ということで、屋根瓦には梅のマークがありました。
そして手水舎に続き、神額にも蟇股にも木鼻にも金網が。
そんなに鳥が来るのかなぁ。
鳥との攻防戦に勝利したからか、境内で鳥を見かけることはなかった。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・天穂日命・菅原道真を祀る
菅原道真さんを祀る神社ということで、屋根瓦には梅のマークがありました。
そして手水舎に続き、神額にも蟇股にも木鼻にも金網が。
そんなに鳥が来るのかなぁ。
鳥との攻防戦に勝利したからか、境内で鳥を見かけることはなかった。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
境内社
●豊倉稲荷神社
●豊倉稲荷神社
・宇迦之御魂神を祀る
●諸神社と牛神社
●諸神社(写真左)
・住吉大神・春日大神・琴平大神・恵比須大神・厳島大神・大国主大神・天照皇大神・事代主大神・少彦名大神・八幡大神猿田彦大神を祀る
●牛神社(写真左)
道真さんといえば牛。
そんなこんなで、社の中に神牛が祀られておりました。
●不動明王堂
境内には不動明王堂がありました。
神社なのにお不動さん!?!?
どうやら、明治時代の神仏分離までの間、この地には安楽院というお寺があったそうです。
ということで、このお不動さんは神仏習合時代の名残りのようです。
お不動さんの足元には、役行者・弘法大師(多分)などの石仏も確認できました。
この不動堂には3つのお部屋があり、真ん中のお部屋には水掛不動明王がおられました。
両サイドに矜羯羅童子と制吐迦童子の脇侍を従えたお不動さんでした。
こちらは制多迦童子さんです。
まるでものまね番組の審査員のようなポーズです。
●蒼神社と役行者社と三宝荒神社
●蒼神社
・少彦名命を祀る
572~585年、瘡疾が大流行したそうです。
そんなこんなで、医薬の祖神・少彦名命を祀ったのがこの神社の始まりといいます。
1907年、湊村よりこの地に遷座したそうです。
偶然にもお世話になっている漢方屋さん・片桐棲龍堂の目の前に蒼神社跡がありました。船待神社から徒歩1~2分の所にあります。
●役行者社と三宝荒神社
蒼神社の隣には、役行者社と三宝荒神社がありました。
お不動さんがいたり、エンノさんがいたり。
もしかしたら神仏習合時代は、真言宗・醍醐派の寺院があったのかなぁとか思いつつ。
●豊倉稲荷神社
・宇迦之御魂神を祀る
●諸神社と牛神社
●諸神社(写真左)
・住吉大神・春日大神・琴平大神・恵比須大神・厳島大神・大国主大神・天照皇大神・事代主大神・少彦名大神・八幡大神猿田彦大神を祀る
●牛神社(写真左)
道真さんといえば牛。
そんなこんなで、社の中に神牛が祀られておりました。
●不動明王堂
境内には不動明王堂がありました。
神社なのにお不動さん!?!?
どうやら、明治時代の神仏分離までの間、この地には安楽院というお寺があったそうです。
ということで、このお不動さんは神仏習合時代の名残りのようです。
お不動さんの足元には、役行者・弘法大師(多分)などの石仏も確認できました。
この不動堂には3つのお部屋があり、真ん中のお部屋には水掛不動明王がおられました。
両サイドに矜羯羅童子と制吐迦童子の脇侍を従えたお不動さんでした。
こちらは制多迦童子さんです。
まるでものまね番組の審査員のようなポーズです。
●蒼神社と役行者社と三宝荒神社
●蒼神社
・少彦名命を祀る
572~585年、瘡疾が大流行したそうです。
そんなこんなで、医薬の祖神・少彦名命を祀ったのがこの神社の始まりといいます。
1907年、湊村よりこの地に遷座したそうです。
偶然にもお世話になっている漢方屋さん・片桐棲龍堂の目の前に蒼神社跡がありました。船待神社から徒歩1~2分の所にあります。
●役行者社と三宝荒神社
蒼神社の隣には、役行者社と三宝荒神社がありました。
お不動さんがいたり、エンノさんがいたり。
もしかしたら神仏習合時代は、真言宗・醍醐派の寺院があったのかなぁとか思いつつ。
その他の見所
●菅原道真の腰掛石
境内には菅原道真の腰掛石がありました。
もともとこの神社は、塩穴郷という地に鎮座しており塩穴天神社という社名だったそうです。901年、菅原道真が無実の罪により京都から太宰府へ左遷される際、塩穴天神社に立ち寄り、船を待つ間、菅原道真の先祖・天穂日命を祀る塩穴天神社を参拝したそうです。
ということで、この石に座って船を待っていたのかなぁ。
でももともとは違う場所に神社があったっていうから、違うのかなぁ。
説明板によりますと
まずは本殿で参拝。
↓
帰る時、この腰掛石に座り再度本殿に向かって参拝。
と書いてありました。
そんなこんなで本殿で参拝後、休憩・・・いや参拝!
●石灯籠
●石灯籠(写真左)
・1895年建立
●石灯籠(写真右)
・1885年建立
●百度石とクスノキ
●百度石(写真左)
・1841年建立
●クスノキ(写真右)
・樹齢不明
・樹高 18m
・幹周り 2.08m
●堺市・湊町合併記念碑
●堺市・湊町合併記念碑
・建立年未確認
・近衛文麿の筆
ちなみに近衛文麿さんは、明治~昭和時代に活躍した政治家とのことです。後陽成天皇の12世子孫で、五摂家の近衞家・第30代当主なんですって。
●鳥居②
●鳥居②
・1955年建立
・明神鳥居
裏口の鳥居です。
●瓦土塀
それにしても瓦土塀が素敵な神社でした。
ちなみに瓦土塀とは、瓦をミルフィーユ状に重ねて造った土塀のことです。耐久性・排水性に優れていて、昔の人の知恵がテンコ盛りの塀なんです。
・・・
・・・・・・
・・・あっ!!!
忘れてました!漢方屋さんのことを!
時刻は、ほぼ10時!危ない、危ない、本来の目的を忘れるとこでした。
そんなこんなで、神社に別れを告げて漢方屋さんに向かう。
境内には菅原道真の腰掛石がありました。
もともとこの神社は、塩穴郷という地に鎮座しており塩穴天神社という社名だったそうです。901年、菅原道真が無実の罪により京都から太宰府へ左遷される際、塩穴天神社に立ち寄り、船を待つ間、菅原道真の先祖・天穂日命を祀る塩穴天神社を参拝したそうです。
ということで、この石に座って船を待っていたのかなぁ。
でももともとは違う場所に神社があったっていうから、違うのかなぁ。
説明板によりますと
まずは本殿で参拝。
↓
帰る時、この腰掛石に座り再度本殿に向かって参拝。
と書いてありました。
そんなこんなで本殿で参拝後、休憩・・・いや参拝!
●石灯籠
●石灯籠(写真左)
・1895年建立
●石灯籠(写真右)
・1885年建立
●百度石とクスノキ
●百度石(写真左)
・1841年建立
●クスノキ(写真右)
・樹齢不明
・樹高 18m
・幹周り 2.08m
●堺市・湊町合併記念碑
●堺市・湊町合併記念碑
・建立年未確認
・近衛文麿の筆
ちなみに近衛文麿さんは、明治~昭和時代に活躍した政治家とのことです。後陽成天皇の12世子孫で、五摂家の近衞家・第30代当主なんですって。
●鳥居②
●鳥居②
・1955年建立
・明神鳥居
裏口の鳥居です。
●瓦土塀
それにしても瓦土塀が素敵な神社でした。
ちなみに瓦土塀とは、瓦をミルフィーユ状に重ねて造った土塀のことです。耐久性・排水性に優れていて、昔の人の知恵がテンコ盛りの塀なんです。
・・・
・・・・・・
・・・あっ!!!
忘れてました!漢方屋さんのことを!
時刻は、ほぼ10時!危ない、危ない、本来の目的を忘れるとこでした。
そんなこんなで、神社に別れを告げて漢方屋さんに向かう。
片桐棲龍堂
●片桐棲龍堂
そんなこんなで、船待神社から徒歩1~2分。
いつもお世話になっている漢方屋さんに到着。
創業400年以上という、老舗の漢方専門店です。
●片桐棲龍堂
・江戸時代後期建立
・国の登録有形文化財
片桐棲龍堂は、桃山時代に豊臣秀吉から土地を与えられて、この地に館を構えたのが始まりなんですって。
江戸時代には、岸和田藩や和泉・伯太藩のお抱え医師だったという。 何気にとんでもない漢方屋さんです。
敷地内には、江戸時代後期建立の主屋・中ノ蔵・東ノ蔵・西ノ蔵・摩利支尊天神社廟などがあり、西ノ蔵は日本で数少ない漢方医薬専門資料館らしいです。
そんなこんなで無事、漢方をゲット。
さてさて、用事が済んだことですし、次はどこに行きますかのぅ。
そんなこんなで、船待神社から徒歩1~2分。
いつもお世話になっている漢方屋さんに到着。
創業400年以上という、老舗の漢方専門店です。
●片桐棲龍堂
・江戸時代後期建立
・国の登録有形文化財
片桐棲龍堂は、桃山時代に豊臣秀吉から土地を与えられて、この地に館を構えたのが始まりなんですって。
江戸時代には、岸和田藩や和泉・伯太藩のお抱え医師だったという。 何気にとんでもない漢方屋さんです。
敷地内には、江戸時代後期建立の主屋・中ノ蔵・東ノ蔵・西ノ蔵・摩利支尊天神社廟などがあり、西ノ蔵は日本で数少ない漢方医薬専門資料館らしいです。
そんなこんなで無事、漢方をゲット。
さてさて、用事が済んだことですし、次はどこに行きますかのぅ。
御朱印
●御朱印
御朱印は授与所で頂きました。
御朱印は授与所で頂きました。