石上神宮の御朱印~奈良県天理市布留町384~

所在地奈良県天理市布留町384
祭 神布都御魂大神
社 格式内社(名神大)・二十二社(中七社)・別表神社
札 所神仏霊場巡拝の道 第19番
由 緒紀元前91年に創建した神社といわれてます。古代、物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしていたそうです。平安時代後期、白河天皇が宮中の神嘉殿(現・拝殿)を寄進。戦国時代、織田軍の乱入により社頭は破却され、神領が没収されました。しかし、氏子たちの力強い信仰に支えられ、1871年に官幣大社に、1883年には再び神宮号を名乗ることが許されたそうです。大神神社と同じ日本最古の神社といわれてます。また日本書紀に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮だけで、日本最古設立の神宮といわれてます。
HP石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト|奈良県天理市
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楼門

●境内入口

日本最古の神社の1つであります、石上神宮に到着。

なんと、日本書紀に記された神宮は伊勢神宮と石上神宮だけなんだそうです。そのため、日本最古の神宮ともいわれてます。

また、豪族・物部氏の総氏神としても知られてます。

とにかく古い神社なんです。


●楼門

●楼門
・1318年建立
・檜皮葺 入母屋楼門造
・国指定重要文化財


もともとは鐘楼門だったそうですが、明治初年の神仏分離令の際に梵鐘は売却されたんだって。
鐘楼門だったっていうくらいだから、当時は仏教色の強い神社だったのかなぁ。

ちなみに楼門正面の萬古猶新の額山縣有朋の筆らしいです。

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拝殿

●拝殿

●拝殿
・鎌倉時代初期建立
・檜皮葺 入母屋造
・国宝



1081年、白河天皇が鎮魂祭のために、宮中の神嘉殿を寄進したものと伝えられています・・・が、白河天皇が生きた平安時代後期の建立ではなく、鎌倉時代初期の建立と考えられてます。

向拝は江戸時代に増設されたもののようです。
拝殿内は、鎌倉時代に宋から伝わった大仏様の特徴が見られ、どちらかといえば神社建築というより仏堂に近い造りになっています。


●本殿
もともとこの神社には本殿はなかったそうです。
どうやら、拝殿背後の禁足地布都御魂剣を埋めて、御神体として祀っていたみたいです。

しかし、1874年に当時の大宮司・菅政友が、政府からの許可を得て禁足地を発掘調査したんですって。
すると、多くの勾玉・剣・矛などと共に、布都御魂剣が出土したという!これによって古くから伝わる布都御魂の伝承は正しかったことが証明されたんだって!

その後、1913年に布都御魂剣を祀る本殿を建立したそうです。

●主祭神
・布都御魂大神(布都御魂剣に宿る神霊)

●配神
・布留御魂大神(十種神宝に宿る神霊)
・布都斯魂大神(天羽々斬剣に宿る神霊)
・宇摩志麻治命
・五十瓊敷命
・白河天皇
・市川臣命(孝昭天皇皇子の後裔・石上神宮社家の祖)

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布都御魂剣とは

●布都御魂剣とは
布都御魂剣と書いてふつのみたまのつるぎと読みます。
御神体・布都御魂剣が石上神宮に祀られた経緯については諸説ありますが、代表的な説は以下の2説です。


●説① 建御雷命の剣

神武東征の際、神武天皇が紀州・熊野で窮地に追い込まれました。

それを察知した高天原(天界)にいる天照大神と高木神が、 神武天皇がいる葦原中国(地上)が騒がしいので、事態を収束させるために建御雷命を遣わそうとしました。

その時、建御雷神は高木神に『私がいかなくても、国譲りの時に国を平定した剣があるから、それを渡せばいい』 といいました。

そして、高倉下という村人の夢に建御雷神が登場し『蔵の前に剣を置いておくので、それを神武天皇に献上しなさい』と告げました。

夢から覚めた高倉下は、夢の通りその剣を見つけだして神武天皇に献上しました。
そんなこんなで、剣に救われた神武天皇は窮地を脱することができました。
その時の剣が布都御魂剣です。

その後、神武天皇はこの剣を橿原の宮殿内に奉安しました。
そして崇神天皇の時代、祠を建てて祀ったのが石上神宮の始まりといわれています。


●説② 素盞嗚尊の剣

その昔、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)には、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した時に使用した十握剣(布都御魂剣)が祀られていました。

後に、その十握剣(布都御魂剣)が石上神宮に遷されたといわれてます。


●布都御魂剣のその後・・・
布都御魂剣はやがて石上神宮・拝殿の裏手の禁足地に埋められました。
しかし、1874年に当時の大宮司・菅政友が発掘し、御神体として本殿に祀られたそうです。


●十握剣(布都御魂剣)の謎・・・
日本書紀・古事記によると、アマテラスとスサノオの誓約の際、スサノオが十握剣を噛み砕き、そして吐いた息から宗像三女神を生んでいます。

その時に十握剣はバッキバキに砕けてます。

その後、スサノオが八岐大蛇を退治する時に、バッキバキに砕けたはずの十握剣が再び登場します
・・・作り直した???

ちなみに十握剣は、八岐大蛇の尾の中にあった草薙剣に当たって刃が欠けました。

その他、山幸彦と海幸彦の神話では、山幸彦が海幸彦の釣り針を無くしてしまったため、十拳剣を溶かして大量の針を作っています。

このように、十握剣は日本神話の様々な場面で登場しています。
そんなこともあり、十握剣は1つの剣の名前ではなく、長い剣を総称した呼び方と考えられているそうです。

ちなみに十握剣は布都御魂剣の他に、十束剣・十拳剣・十掬剣・天羽々斬剣・天之尾羽張剣など様々な呼び方をされています。


~画像はあなにやし管理人の許可を得て掲載~


●もともと布都御魂剣が祀られていた石上布都魂神社の参拝記
石上布都魂神社の御朱印~岡山県赤磐市石上1448~
所在地岡山県赤磐市石上1448祭 神素盞嗚尊社 格備前国一宮・式内社由 緒創建年は不詳。日本書紀によると、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬った時に使用した十握剣(布都御魂)を祀ったのがこの神社の始まり。崇神...
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摂社・出雲建雄神社

●出雲建雄神社・拝殿

●出雲建雄神社・拝殿
・1300年建立
・1914年移築
・檜皮葺 切妻造
・国宝

石上神宮・楼門の向かい側に鎮座してます。
石上神宮は南向きなのに対し、出雲建雄神社は西向きに鎮座してるという。


拝殿は割拝殿になってました。
ちなみに割拝殿とは、建物の中央が通路になっていて通り抜けができる拝殿のことです。
なんと、現存最古の割拝殿なんですって!

もともとは、内山永久寺の鎮守社・住吉神社の拝殿で、1914年に現在地へ移築したんですって。ちなみに内山永久寺は、石上神宮の神宮寺的な存在だったそうです。しかし明治時代、廃仏毀釈のあおりを受けて廃寺となりました。


優しさのある細い垂木が印象的な建物でした。
まるで魚の小骨のような。


●出雲建雄神社・本殿

●出雲建雄神社・本殿
・建立年不明
・檜皮葺 春日造
・出雲建雄神を祀る
・式内社

祭神の出雲建雄神は天叢雲剣に宿る神霊で、三種の神器の1つ・草薙の剣の荒魂といわれています。

それにしても摂社でありながら、式内社というのが珍しいですなぁ。

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境内の風景

●鶏

境内には、鶏が放し飼いにされてました。
どうやら境内には、七十二候にちなんで東天紅鶏・烏骨鶏など約30羽が放し飼いにされてるみたいです。


最初見た時は何事かと思いましたよ。
『トリ逃げてますよーーー!』と神社の方に伝えに行こうと思ったくらい!

私の中では鶏は飛べないイメージがあるのですが、木の枝の上で一休みしてる・・・一体全体、どうやって登ったんだ。下りれるのかなぁ?


●おみくじと絵馬

おみくじは100円以上

御朱印

●御朱印情報
御朱印は2種。
通常の石上神宮の他に、国宝・七支刀の御朱印が頂けます。
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石上神宮の地図

 

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